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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第一章 はじまりの歌

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37.キリムという麗人


 服屋を出たときには、ちょうど昼食に良い時間となっていた。

 そこで、たまにはリリーの店以外に行ってはどうか、という話になる。

 とは言っても、まだイルハはシーラと共にリリーの店に足を運んだことがないし、イルハがリリーの店に客として行ったのは、もう何年も前のことだ。それをシーラは知らないのだから。


「凄い行列だね?あれは何に並んでいるの?」


 街の一角に新しい店が出来ていた。軽食屋のようだが、店の前から道に沿って行列が出来ている。

 二人は店の前に掲げられた看板に近付いた。


「パンケーキってどういうもの?ケーキとは違うの?」


「麦粉の菓子ですが、リタがいつも焼くものとは少し違いますね。並んでもいいですよ」


「凄い人だけど、いいの?」


「気になるのでしょう」


 二人が列に加わると、列の前方で並んでいた二人組が、わざわざ列を抜けてシーラたちの後ろに移動して来た。


「王子!」


「休日までそう呼ぶなよ」


「休日は別の呼び方をするの?」


「それも面倒だな。いつも通りでいいぜ」


 シーラが王子の隣に立つ、布で顔を隠した女性の存在に気付く。

 いつものシーラならすぐに話し掛けているところであろうが、顔が見えないことで、シーラもいつもの勢いが出ないらしい。


 シーラがイルハを見ると、そのイルハは王子に視線を移した。

 例の如く王子が頷いてから、イルハはシーラの耳元に顔を寄せると、なるべく小さな声で言った。


「殿下のご正室であらせられます。つまり殿下の奥方様ですよ」


「王子、結婚していたの!」


 シーラは目を丸くして驚いた。

 あまりに驚くから、王子が不機嫌に顔を歪める。


「何だよ、悪いのか?」


「悪くないよ。驚いただけ。だけど王子でも結婚出来るんだね」


「失礼だな、おい」


 くすくすと上品に笑い出した女性は、顔面に掛かる布を軽く手で押さえると、顔を露わにして微笑んだ。


「キリムと申します。仲良くして頂けるかしら?」


「キリムさん?」


 キリムを見上げたシーラは、呟くように言った。

 王子とイルハが顔を見合わせる。


「おい、何でこいつには敬称が付くんだ?」


「あなたの中には、どういう基準があるんです?」


 シーラは二人の声など届かないというように、キリムの顔を見詰めていた。


「おい、どうした?」


 固まるシーラを訝しがって、王子とイルハが顔を見合わせる。


「凄く綺麗な人だ」


 シーラはキリムの美しさに見惚れていたのだ。


「綺麗だと敬称が付くのか?」


「そのまま呼んだらいけない気がするね」


 キリムが可憐に笑い出す。


「なんて正直で素敵なお嬢さんなのかしら。とても気に入ったわ」


「私を気に入ってくれたの?こんな綺麗な人なのに?」


 シーラはとても嬉しそうに見えて、それが王子とイルハには納得出来ない。

 自分たちが初対面のときに、このように喜んだことなどなかったというのに。


「でもね、シーラ。私だけに敬称が付くのは、とても淋しく感じるわ」


「それもそうだね。じゃあ、キリムって呼ぶよ」


 シーラにいつもの調子が戻って来た。


「そうしてくださると嬉しいわ」


「お前でも綺麗なものを愛でる気持ちはあるんだな」


「私だって綺麗なものには感動するし、そのままに残したいとは思うね。思うだけだけど」


 シーラは軽く笑ってから、またキリムを見詰めた。


「でもどうして顔を隠しているの?」


「王家の女性は、表に出ないものなんですよ」


「表に出ているよね?」


「お忍びで参られたのです」


「お忍びでも顔を隠す必要があるの?王子もお忍びだよね?王子っていつも顔も隠さず堂々と歩いているけど、キリムはそうしたら駄目なの?」


 王子は笑ったが、キリムはすっと手を伸ばし、王子の腕をつねった。

 王子の顔が歪む。


「警備兵などが、殿下のお顔を存じていますから。隣のご婦人がどなたか分かってしまうと良くないのです」


「それもこの国の法?」


「いいや、古くから伝わる慣習ってやつだ。この国の礼儀のひとつだな」


「殿下だけでなく、高貴な身分にある者は、妻をあまり外に出さず、その顔を知られぬようにするんですよ」


「それでたまに顔を隠した人がいるんだ。そういうオシャレかと思っていたよ」


 それからシーラはにこにこと微笑むと、キリムに言った。


「顔を出して遊びたくなったら、イルハのお家に来るといいよ!お庭もとっても広いから、太陽の下でのびのび出来るからね。オルヴェが美味しい珈琲を淹れてくれるし、リタは美味しい料理とデザートを用意してくれるよ」


 キリムは王子を見上げて、笑い掛ける。


「とてもお気に召していらっしゃるようだから、どんなお方なのかと思ったら。こんなに可愛らしいお嬢さんなら仕方がないわね」


「王子が私を?それはないね!」


 全力で否定された王子も笑う。


「気に入っているのは、俺じゃねぇな」


「そうでしたわね」


 王子とキリムの視線が、イルハに向かった。


「どうしたの?」


 シーラは不思議そうに二人から、イルハに視線を移す。


「何でもないですよ」


 冷やかしの視線などまったく意に介さず、イルハはシーラに向かい優しく微笑んだ。

 そうこうしているうちに、いつの間にか行列の先頭まで移動していて、四人は店内の席に案内される。


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