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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第一章 はじまりの歌

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36.ひと月分の約束


 イルハとシーラが歩調を合わせて、タークォンの石造りの街を歩いている。


「わざわざ仕立てるの?」


「この国では、皆がそうしているんですよ」


 休日の今日は、リタたちが気を遣い、テンを外へと連れ出していた。それで二人はシーラの服を買いに来たのだ。

 ぎりぎりまで服など要らないと騒いでいたシーラだが、抜糸のご褒美という名目で半ば強引にイルハが今日の予定を決めてしまった。


「どうせ作るなら、テンの分も一緒に作りたかったなぁ」


「それなら平気ですよ。リタたちが手配すると言っていました」


「それなら皆で一緒に来れば良かったね」


「私と二人では嫌でしたか?」


 さらりとこのようなことを言える自分に、イルハは驚かなくなっている。

 自分はこの娘にどれだけ変えられているのだろうかと、イルハは思った。それは嫌な変化ではない。むしろどこまでも楽しい変化だ。

 自分が変わること。変わる前には恐れていたであろうそれは、ただの憂いであることをイルハは知った。変わり始めてしまえば、人はそれを楽しむことが出来るのだ。


「嫌じゃないよ。イルハといるのは楽しいからね」


「それなら良かったです。さぁ、シーラ。こちらの店ですよ」


 イルハが顔を出すと、店主は慣れた様子で頭を下げた。


「これはイルハ様。今日はどのようなものをお求めで?」


「この子に似合う服をいくつかお願いできますか?」


「もちろんですとも」


「あれ、この人はイルハに緊張しないね?」


 シーラに悪意も何もなかったのだが。


「え、イルハ様?まさか改めに…」


 店主はガクガクと震え出す。

 そこまで怯えるような理由があるのかと追及したくはなったが、イルハはすぐさま否定してやった。

 イルハとしても、今日は仕事のことを忘れたい。


「今日はただの客ですよ」


「あぁ、良かった。びっくりさせないでおくれよ、お嬢さん」


「不思議だなぁ」


 シーラはとても不思議そうに顔を傾げてから、隣のイルハを見上げて笑った。


「いつもとっても優しいのにね」


 それはシーラだから。とは言わず。


「仕事に優しさは必要ないのですよ」


 イルハが言えば、店主の顔から血の気が引いていた。

 だからこの店は何をしでかしているのか。


「さて、この子の服をお願いできますか?」


「も、もちろんです。どのようなものがよろしいでしょうか?」


「異国から参った方です。この国らしい良いものがあれば」


 あえてイルハはそう言った。

 シーラもよく分かっていて、訂正もない。

 いちいち国を持たない海のものだと説明していては、疲れるだろう。


「お任せください。お連れ様に似合いそうな布を用意して参りますので、あちらに掛けて少々お待ちいただけますか?」


 店主が奥に消えると、二人は指示された通り、店内の長椅子に腰を下ろした。


「あなたの旅の服はどこで?」


「あれはどこだったかな。確か露店で見付けたんだけど、部厚いところが気に入ってね」


「確かにあなたは、怪我をしないように厚手の服を着た方が良さそうですね」


「この国じゃ少し熱いけれどね」


 店主と共に、従業員であろう二人の女が沢山の布を抱えて現れた。


「わぁ、綺麗。珍しい紋様だね」


「この国だけの紋様ですよ。そうですね?」


「えぇ。こちらは我が国で長く伝わる様式で織られておりまして、この文様も古くから続いているものです」


「色々と種類があるんだ?」


「えぇ、織り方を微妙に変えていましてね」


 女たちはシーラに見えるよう、次々と布を並べていく。確かに店主の言う通り、それらの文様には僅かに違いが見て取れた。それに使われた糸の色が違うだけで、同じ文様でも全く違う模様に見える。

 これは選ぶのが楽しいと、シーラも思ったか。次々と布を手に取り、柄だけでなく、手触りも確認していた。


「これなんか、とても綺麗だね、イルハ」


「こちらにしますか?」


「でもこっちも綺麗だよ。どれも素敵で困るなぁ」


「何着頼んでも構いませんよ?」


「沢山あっても困るんだ」


「沢山あった方が、気軽に着られるでしょう?」


 母の服を汚してしまったと泣いていたシーラを思い出すと、イルハはシーラのために何着も服を用意したくなった。

 けれどもシーラはそれを望まない。


「少ない方が大切に着られるよ。それにね、イルハ」


 シーラは明るく笑いながら先を続けた。それがどうしてか、イルハに海を感じさせる。潮風が店の中まで吹き込んだ気がした。


「服でも何でも沢山持っていたら、そのときの自由がなくなってしまう」


 シーラはときどき不思議なことを言う。

 イルハはしばらくシーラの言葉を心の中で反芻していた。

 

 多くの物を所有することで、選択肢は増えるものではないか。それがどうしたら、シーラにとって自由でないところに繋がるのだろう。


 ここが店だったので、この話は今夜の楽しみに取っておこうと決めたイルハは、シーラの言葉通り進めることにした。


「ではどれかに絞りますか?」


「そうだね。一番いいと思ったものを選ぼう!」


 布を物色していたシーラは、「これも好きだ、あれもいい」と悩んでいたが、突然言った。


「この色はイルハにも似合いそうだね」


 晴れやかに言われると、イルハも嬉しくなる。


「私もひとつ仕立てましょうか」


「お揃いにするの?」


「それはさすがに」


 イルハにも抵抗があった。

 シーラは特に嫌そうな顔は見せていないが、嬉しそうでもない。


「場所を変えてお揃いになさってはいかがです?」


「場所を変えるって?」


「こちらの布で全体を作り上げてもよろしいのですが、この文様は、襟や裾、袖口など、僅かの部分に採用する方が一般的です。ですから、たとえばイルハ様が襟元にこちらの文様をお使いになりましたら、奥様はあえて襟ではなく、裾にこの布をお使いになる、という次第のご提案です」


「この模様は少し使うものだったんだね」


「これですべて作ってしまうと、少々派手ですからね」


 奥様と呼ばれたことに露程も気付いていないシーラを、イルハは微笑して見守りながら、シーラとの会話を楽しんだ。


 イルハがこれについて何も言わないものだから、店主はすっかりシーラをイルハの妻だと思い込んだらしい。店主としては、ちょっと楽しい話題を提供するつもりで言っただけなのだが、これが妻ならば商売どころだ。


「お二人にぴったりの服を仕立てましょう。我が国の衣装は、どれも似たように見受けられましょうが、少しずつ違っておりまして。たとえばこのように裾に掛けての形状が…」


 店主の説明を、シーラは楽しそうに聞いていた。

 海にあるものからすると、それぞれの国の服はどのように見えるのか。これも後で聞いてみようと、イルハは思う。


 二人の服の型が決まったので、イルハは正式に注文することにした。


「お願いすると、どれくらいで出来ますか?」


「お二人様分でしたら、ひと月は見て頂けますと有難いですな」


「そんなに?イルハ、辞めておこう」


「いいではありませんか。冬はまだ先ですよ」


「ひと月は長過ぎるよ」


「お急ぎですか?でしたら、こちらも早急に…」


「いいえ、急かして悪いものが出来上がっては良くありません。ゆっくりと丁寧に作って頂けますか?」


 店主は頷いたが、額に冷や汗を浮かべていた。

 シーラに見えないイルハの瞳が、「遅い方がいいんです」と声なく伝えていたからだ。


「ねぇ、イルハ。わざわざ買わなくてもいいんだよ?」


「私とお揃いの柄は嫌ですか?」


「嫌じゃないんだ。だけどね」


「せっかくだから、仕立てましょう」


「うーん。だけどひと月後のことなんて、分からないからなぁ」


「服が出来上がる前に行ってしまうのですか?それは私が淋しいですね。あなたと一緒に選んだ服を着て出掛けたかった」


 少し驚いた顔をした後、シーラの顔付きが優しくなった。


「二人で着るの?」


「せっかく仕立てるのですから、そうしたいですね」


「まだひと月もお世話になっていいの?」


「今さらですよ」


 ひと月分の約束。

 おそらく、店主はそれ以上の時を掛けて、丁寧に服を作るよう依頼してくれるだろう。とても丁寧にゆっくりと縫われた服は、きっと素晴らしい出来となる。


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