29.魔術師の秘密
夜も更けた頃、イルハの部屋の扉をノックする音が聞こえ、イルハは驚き、飛び起きた。寝ようとベッドに横になったばかりである。
「イルハ、起きている?入っていい?」
様子を窺うように扉を開けたシーラは、扉の隙間から顔だけを覗かせた。何故か飛び込んで来ない。
「どうしました?気分が悪くなりましたか?それとも痛みで眠れませんか?」
「うぅん。違って。入ってもいい?」
シーラを部屋の中に促したとき、イルハは酷く慌てた。彼女がいつものワンピース姿ではなく、上下分かれた自分の服に着替えていたからだ。
「まさか船出をするつもりですか?そんなに抜糸が嫌なのですか?それとも何か…」
イルハはシーラの両肩を押さえて、揺らすような恰好になったが、頭に巻かれた包帯を見て、その手はすぐに緩められた。けれどもなお言葉は続く。
「もう少しここに居ると言っていましたよね?テンはどうするつもりです?」
「待って。そうじゃないの。ちょっと恥ずかしいから待って」
言葉を捲し立ててしまったことを恥じつつも、恥ずかしいという言葉の意味が分からずに、イルハはシーラを座るように促して、部屋の扉を閉めた。
シーラはいつも通り絨毯の上に座り込むと、俯いたまましばらく黙った。
イルハはシーラが話すときを待っていたが、待ちきれなくなって口を開く。
「大丈夫ですか?気分が悪ければ医者を呼びますよ」
「平気なんだけど。実はその……つ……」
「つ?」
予測して言葉を足してやりたくても、イルハにはシーラの言葉の先が思い付かない。
「月のものなの」
イルハが予測出来ないはずである。
顔を上げたシーラの頬は真っ赤に染まっていた。
しばらくシーラの珍しい顔に見惚れてしまったが、イルハはどうにか冷静さを取り戻し、問い掛けた。
「今日はそのせいで?」
「知っているの?」
「女性の魔術師は、魔力が安定せずに大変だと聞いたことがあります」
「そうなんだ。だから王子は悪くないからね」
それを伝えたくて、わざわざ夜遅くに顔を見せたのか。目が覚めてしまって、気になったということだろうか。
「分かっていたなら、殿下のお手伝いを休んで良かったんですよ」
「分かっていたわけじゃないし、分かっていてもそんなことは言えないよ」
俯いていてもなお、シーラの耳は赤く、恥ずかしい気持ちが隠せていない。
シーラの告白に、イルハの耳も同じように染まっているのだが、自分では気付かないものである。
「それでね、イルハ。聞きたいことがあって」
意を決したように、シーラは顔を上げた。
「お医者さんがくれた痛み止めって、こういうときも効くかな?」
返答に困った。イルハに分かれと言う方が無理な話だ。
「それはリタに聞いた方がいいですよ」
再び俯いたシーラは、とても小さな声で言った。
「海の魔術師は、大事なことを伝える人を選ぶんだ」
一瞬甘美な喜びがイルハを包んだが、すぐに彼は冷静になってシーラに近付いた。
「痛いのですね?」
「うん。お腹が痛い」
そう言ってから、シーラはお腹を抱えて蹲ってしまった。
「リタを呼びますよ。いいですね?」
せっかく甘えて貰っても、自分には何も出来ない不甲斐なさを感じつつ。シーラが小さく頷くのを待たずして部屋を出たイルハは、すぐにリタを連れて戻って来た。まだリタも起きていた。
「あらあら。言ってくれたら良かったのに。待っていて。すぐに温かいものを用意してくるわ。坊ちゃま、毛布を掛けて、腰を擦ってあげてくださるかしら」
イルハは言われた通り、シーラに毛布を掛けて、腰のあたりを手探りで擦る。
「イルハの手は優しいね」
そう言われてほっとした。イルハもとても不安だったのだ。こればかりはどうしても分からないことだから。
「さぁ、これをお腹に」
戻って来たリタは、厚い布に包んだ湯たんぽをシーラに差し出した。
「これも飲んで。こういうときにぴったりのハーブティーよ」
「ありがとう」
「体を冷やすのが良くないのよ。今夜は夏だっていうのに、少し冷えているでしょう。それで痛くなっちゃったんだわ」
「冷えたら駄目なの?知らなかった」
「教えてくれる人がいなかったの?」
「人に聞いたことはないよ」
「まぁ。初めてのときは大変だったでしょう」
「知らなかったから、少し怖かったかなぁ」
リタは丁寧に色々なことを説明していった。これでイルハは、自室にあるのに、とてつもなく居心地が悪くなる。
「リタ。私は席を外しますよ」
イルハとしては、気を遣ったつもりだった。それなのにリタは、退出を許さない。
「坊ちゃまも後学のために聞いていてくださいな」
「後学とは何です?」
「月のものは毎月ありますのよ。またシーラちゃんが辛くなったときに、必要な知識だわ」
納得しつつも、それで彼の居心地が変わるわけではない。
「そうよねぇ。白い一枚ドレスなんて、着られなかったわね。今夜のお洋服も用意して来るわ」
「ねぇ、リタ。今日着ていた服は綺麗になる?」
「いいのよ。洗っても落ちなかったら、そこに可愛い刺繍でも入れちゃうわ」
「そんなことが出来るの?」
「知っているでしょう。私は魔法使いなの」
シーラがくすっと小さく笑った。笑える元気が戻ってきたことに、イルハは心から安堵する。
「ねぇ、坊ちゃま。シーラちゃん用の可愛いお洋服を買って差し上げては?」
「新しいものなんていらないよ。すぐに汚しちゃうし、服なんて着られれば何でもいいんだから」
「いいですね。いつまでも母のお古でなく、あつらえて…」
「いらないってば」
シーラが懇願するように言うから、イルハは黙った。
けれども彼の中で、どこで購入しようか、いつ彼女を連れて街に出ようか、という計画が進み始めている。
それから着替えが始まって、その間後ろを向かされたあげく、下着の説明まで聞いてしまって、イルハはとても疲れることになった。




