25.魔術師のお遊び
シーラの手伝いは、もう三時間も続けられていた。
時計を見た王子がシーラに声を掛ける。
「そろそろ終わりでいいぞ」
「もういいの?まだ沢山あるよ?」
「明日でいい」
シーラは王子の招きに応じて、仕事を切り上げ、王子がくつろぐための部屋に移動する。
立派なソファーにそれぞれ腰掛け、テーブル越しに向かい合った。王子が部屋付きの者に珈琲と軽食を依頼する。
「明日からもっと働くか?」
王子も提案をした手前、今日はシーラをよく観察していた。
シーラには疲れが見えない。いつも船を動かしていることと比べたら、これくらいなんてことのないことなのだろう。
王子の提案に、シーラもすぐに同意した。
「ほらよ、今日の分だ」
豪華なテーブルの上に、王子がトンと包みを置いた。シーラは有難く受け取って、布を開いたが、すぐにその表情に驚きが広がる。
「これは多過ぎるよ。こんなに貰うほど働いていない」
「いつもは役人三人掛かりで片付けているんだぞ。それでもこんなには片付かない」
「私にとっては大変なことじゃないよ」
「王宮の役人三人分の働きから考えれば、この国では見合った額だ。取っておけ」
「そういうことなら、有難く。だけど、その役人さんたちの仕事を奪っていないかな?」
「それは問題ない。もっと意味のある仕事をさせている」
「それなら良かった」
シーラは満足そうに笑うと、金を元の布に包み直して、懐にしまい込んだ。
「こんなに貰えるなら、しばらくは困らなそうだね」
長く海にあれると、シーラは続けた。
王子はあえて、返答せずに別の提案をする。
それにシーラは「いいよ!」と何のためらいもなく承諾した。
***
イルハが王子の執務室に入って来たとき、彼は絶句することになった。
人形がふわふわと飛び回っていたのだが、イルハを絶句させたのはそれではない。
いつもいる机の前に王子の姿がなく、隣の部屋を見れば、王子とシーラがテーブルの上で手を重ねていたのだ。
「殿下、何をなさっていらっしゃるのですか?」
「妬くな。ちょっと遊ばせて貰っただけだ」
「イルハもする?」
「何をしているのです?」
「魔術の感じを伝えていたんだよ」
「俺の手を通して、こいつらに魔力を注いで貰ったんだ。そうやって魔術の使い方を学んだんだとよ」
こいつら、というのが浮かび回る人形のことのようだ。
「魔術の使い方って、説明出来ないでしょう」
「説明が出来ないとこうなるのですか?」
「経験するのが一番だからね」
シーラにとって、何てこともないお遊びだったのだろう。しかしイルハはそうではない。ついついと、主君である王子に嫌な顔を向けてしまう。
王子はそんなイルハの様子を笑って受け流した。
「ちょうどいいな。休憩とするか。お前も付き合え」
「殿下に書類をお持ちしたのですが?」
「見てやるから、まぁ、座れって。ほら、シーラも菓子なんてどうだ?」
「まだ何か食べられるの!」
「いくらでも食べていいぜ。好きなものを言え」
どうやらシーラはすっかり餌付けされてしまったらしい。イルハはこれも面白くないと思いつつ、主君からの有難くもない断れぬ誘いに従った。シーラが共にあるというのは嬉しいことに違いなかったが、イルハとしては一刻も早く仕事を終えたいのである。
珈琲と共に、レモンのケーキが出され、シーラは嬉しそうにこれを頬張っていく。食事の前に手を合わせる習慣は顕在のようだ。
そういえば、今日は手に晒しを巻いている。
昼間は晒しを巻くことも、習慣のひとつなのか。
以前は夜にも巻いていたが、近頃はそれがない。
結局、どういう意味があるのだろう。
まだイルハは聞けないでいた。夜に二人で過ごすときには、シーラの止まらない楽しいおしゃべりに夢中になって、忘れてしまうのである。
「さっぱりしていて美味しいね」
「この国は美味い菓子が多いだろう?」
「うん、どれもとても美味しいよ!」
王子はにやっとすると、一度イルハに視線を移した。イルハはこれを淡々と受け流す。王子もイルハも似たようなものだ。
「この国に根付いても構わないぜ。それなら、この仕事で正式に雇ってやる。そろそろ二十歳だろう」
「有難いけど、それは無理だ」
「この国じゃ、不服か?」
「そういうことではないね。国に属するのは、無理だって話」
このときは、イルハも自然と王子に視線を向けていた。お互いに何か意志を合わせていたところがある。
***
イルハはシーラを王宮の外まで案内し、それから馬車に乗せて送り出した。歩いて帰ることも出来る距離だが、馬車に乗せねば、まっすぐに帰らずに、何をするか分かったものではないという心配があったからだ。ある意味で、まだイルハはシーラを信用していないところがあった。
所要があってもう一度王子の執務室に顔を出せば、王子はまた付き合えと、イルハを隣の部屋に促すのである。これではイルハは仕事にならず、帰るのが遅くなりそうだ。
「なぁ、イルハ。人が無理だって言うときは、どういうときだ」
イルハはすぐに返答した。
「実現不能なときか、あるいは出来ない理由があるときでしょう」
「だよなぁ」
「考え過ぎではありませんか?出来ない理由として、国に囚われず自由に暮らしたいという想いがあるのでしょう」
「それなら嫌だって言わないか?」
イルハも分かっている。それを聞けない自分の弱さも知っていた。聞いたら、本当にそれが不可能になる気がして。だからこんなおかしなことを言っている。
「長く居るようにしてみるかね」
「お遊びはほどほどになさってください」
「そこは礼を言うところだろう?」
「何故、私が」
イルハは何でもないことのように言って、それから部屋を辞した。王子が「やれやれ」と言ったのは、部屋の扉が完全に閉まってからである。




