23.王子の提案
レンスター邸宅からは珍しく、朝から賑やかな声が漏れていた。これも二年半振りのことである。
食卓には、この家にある全員が揃っていた。
「ねぇ、シーラちゃん。この街にも長くいてみたらどうかしら?」
二年半という長い時間が、リタやオルヴェも変えている。
この機を逃さまいと、以前とは違い欲を出すことを厭わない。
「うーん。それは難しいなぁ」
「まぁ、どうして?船大工の港には、半年もいたんでしょう」
「ちゃんと働いていたからさ」
「歌ですか?」
「歌もそうだけど、船大工の手伝いをしていたね。魔術で木材を運ぶんだ」
「確かにあなたの魔術は需要がありそうですね」
「この国では本を売るくらいしか出来ないからなぁ」
「働けなくてもいいじゃないの」
「そうだよ、シーラちゃん。私たちはお金が欲しくて、シーラちゃんと一緒にいるわけではないのだよ」
「私が嫌なんだ。海上では道楽気分でいいけど、陸に上がって何もしないでいると落ち着かないんだよ」
シーラを簡単に説得出来ないと知れば、リタは戦略を変えるのである。
「テンちゃんはどうかしら?この国に長くいてみたいと思わない?」
「テンちゃんもまだ来たばかりだからね。ゆっくりこの国を観たいのではないかな?」
重過ぎる老夫妻の重圧を受けて、テンは表情なく頷いた。
「じゃあ、テンを置いていくよ。なるべく近くの国で働くことにして、後で迎えに来るね。ここからならどこがいいかなぁ」
何故か、シーラ以外の全員が首を振った。イルハだけでなく、テンまで首を振っている。
「駄目よ!」
「駄目だね」
リタとオルヴェの声は重なっていた。イルハは何も言わず、この老齢の使用人夫妻に意見を任せる。
「何が駄目なの?」
「テンちゃんを置いていくなんて駄目よ」
「そうだとも。それではテンちゃんが淋しくなるね」
「じゃあテンも一緒に連れて行くよ」
「それも駄目よ」
「そうだね、駄目だ」
「そんなに駄目なの?」
「そりゃあ、ちょうどいい話だな」
突然、そこにあるはずのない男の声が降って来た。
なのにシーラもテンもそれほどの驚きを示さない。
レンスター邸宅の面々にとっては慣れたものであったとしても、リタたちは多少の驚きを示していた。
それなのにどうして、二人は平然としていられるのか。海ではもっと驚くべきことが起こるからだろうか。
「どうして殿下は、人の邸宅に勝手に上がり込んでいるんですかね」
イルハの嫌味など聞こえないというように、王子はシーラに声を掛ける。
「久しいな、シーラ」
「王子、久しぶり!」
ここではじめて、テンが明らかな反応を見せた。殿下と呼ばれたこの男は本当に王子なのかと、疑うような視線を向けている。
「俺の手伝いをしないか?魔術で書類の整理を手伝ってくれ」
「殿下。それは法に反します」
「俺の管理する部屋で、魔術を使わせて何が悪い?異国人の魔術を禁止する法はあっても、適正な許可があれば使えたはずだぞ」
「未成年ですから、そもそも働かせるわけには行きません」
「だから手伝いだ。その礼として、俺が個人的に小遣いをやる。それなら文句はないだろう?」
「法の前では詭弁となります」
「俺がそうすると決めた。何かあるか?」
「…仰せのままに」
イルハが断れないことなど知っていて言っているのだ。軽く言ってくれるが、すでにそういう仕事があるのだから、各部門に根回ししておかねばならず、イルハの仕事は増えていく。
しかしイルハの気もすぐに楽になった。
シーラの返答を待たずに会話が進んでいたが、そのシーラが笑ったからだ。
「この国で働いていいの?」
「手伝いでもいいよな?」
「お金が貰えるなら、形なんてなんでもいいよ。私にとっては等しく働くことだ」
「相変わらず、はっきりしていていいな」
「テン、少し長めにいよう!出航は沢山お金を貯めてからにするよ。いくら遊んでいてもいいからね」
「分かった」
赤毛の少年は、特別な感情を示さずに頷いた。よくシーラとじゃれているが、この少年は表情が乏しい。辛い経験がそうさせるのか、それとも元からの性質か、まだイルハたちには判断が付かないところである。




