22.新しい共鳴
この二年半、彼女はどこで何をしていたのか。
他の者に対してならば、イルハも相手が言おうとしないことを聞かないが、シーラに対してはそう出来なかった。
だから素直に聞いた。酒が入ったせいではない。
シーラがいると、イルハにはいつもと違う変化がどんどん起きる。
「二年半のことを聞いても?」
「むしろ話したいの。聞いてくれる?」
イルハは驚いた。
長く一緒にいたわけではないが、以前の彼女は旅について多くを語らなかった印象がある。聞けば何でも答えるが、自らの意志では語らなかった。
「大変だったんだよ。本当に大変だった」
シーラはそれから、いかにこの二年半が大変な時だったか、熱く語った。
二年半前、タークォンを出た後、急いで冬の海を抜けて、暖かい海域に入る予定だった。ところが意外と早く冬の海が下りて来ていたらしく、あるとき船が浮いていた氷片にぶつかったのだ。それで船腹に穴が空いてしまったという。
これにはイルハも青ざめる。
自分が祭りなどに誘ったからではないか。少しでも長居するよう引き留めたせいか。いや、そうではなくて、強引にでも引き留めておけば良かったのではないか。
「あなた、魔術で修理は出来ないのですか?」
「魔術でも人力でも直そうと試みたよ。それでも完全には直せなくて、どうしても海水が入って来るの」
大慌てで、冬の海を抜け出そうと南下した。船に傷が増えたら、もう対処出来ず、冷たい海に沈むことになる。魔術を総動員し、バケツで水を汲み取りながら、船を飛ばした。
氷の届かない海域に着くと、最も近い港に入り、すぐに船大工に修理をして貰ったらしい。シーラが修理をしたせいで、余計な手間が増えたと怒られたそうだ。
「その船大工さんが言うには、あちこち古くなっているから、そろそろ全面的に改修した方が良さそうでね。それで船大工の集まる地を目指すことにしたんだ」
「シールメールですか?」
「知っているの?」
「聞いたことがあります。船大工が集まる自治区ですよね」
「そうなんだ。国を持たない腕のいい船大工が集まっていてね」
「その修理をお願いした船大工には頼めなかったんですか?」
「それが断られちゃって」
「あなたの船はそれほど難しい構造ではありませんよね?帆船に、蒸気船のスクリューを合わせたようなものでしょう」
「そうなんだけど。ほら、私は触れることで物を動かす魔術を使うでしょう。そうすると、少しだけ魔術を使い易いような構造にして貰う必要があるんだ。そういう特殊な船を丸ごと扱うとなると、嫌がる船大工さんの方が多くてね。何かあったら責任が取れないからっていう優しい理由なんだけど」
「そういうことでしたか」
「それでシールメールに行くにも、冬の間は行けないから、適当にふらふらしていてね。冬が終わったらすぐにシールメールを目指したの。そのときに青の大海を通るんだけど」
「あの辺は国が密集していて、よく戦争をしていますよね?」
イルハはまた顔色を悪くする。テンの存在が、嫌な想像を働かせた。
「心配しないで。私だって、危ないところは通らない。大回りして、なるべく避けるようにしていたんだけどね」
「まさか、巻き込まれたのでは」
「違う、違う。小さな木の板に捕まって、必死に泳いでいる男の子を見付けちゃって」
「それで成り行きと」
「うん。テンの前では話しにくくてね。さっきはごめん」
「いえ、構いませんが」
予想するよりもずっと、自分の内面を読み取られているのではないか?何も考えていないように見えていたが、実はずっとよく考えてあの態度なのではないか。
今までも、本当はよく考えていた?
イルハがこのようにシーラについて疑うのは、初めてだった。
「それで、船をしっかり直す前に、テンを祖国に送り返してあげようかと思ったんだ」
イルハはごくっと唾を呑みこんだ。
今、目の前にシーラが無事に存在していることが、イルハにとっての救いである。
「ところがね、海上が封鎖されていて、テンの祖国には近付けなかったんだよ。ちょうど戦争が終わったところだったみたいでね。ララエールが陥落して、スピカートンに制圧されていたんだ。どうしても帰りたいなら連れて行ってあげるとは言ったんだけどね」
「出来たんですか?」
「普通の船よりは小回りも聞くし、夜ならこっそり忍び込めたよ」
イルハは耳をふさぎたくなった。
目の前にシーラがいるから、聞いていられる話だ。
「無茶はしないでくださいよ」
「大丈夫。これでも自分の命は大事にしているからね」
「そうですかねぇ」
かつて見た、空いた缶詰、空いた酒瓶の並ぶ、散乱した船内を思い出す。命を大事にするって何だろうかと、イルハはしばし哲学的に考えた。
「それで、あの子は断ったんですね?」
「親や兄弟も生きていないし、別の国になったところに戻っても何の意味もないって」
「それで船員に?」
「乗組員にしたわけじゃないよ。世界を観てみたいって言うから乗せているだけで。好きなところで降りたらいいと言ってあるんだ」
「そうでしたか」
二人は少しだけ会話を休み、ミカン酒の独特の甘さと酸味を楽しんだ。
「それでまた冬が来ちゃって、シールメールに行けなくなってね。テンを連れて色々な国を回って、冬の終わりを待ったんだ。ようやく夏にシールメールに辿り着いたんだけど。船大工の話をしてもいい?」
「聞かせてください」
「実はね、テンもいるし、直すのは辞めて、船を新しくしたの」
「購入したんですか?」
船一隻を購入出来る資金を蓄えていたことに驚いた。一文無しで宿にも泊まれず、連れ帰ったあの日を想うと、計画的にお金を貯められる人間とは思えなかったからだ。
「シールメールの港に行くと、古い船が高く売れるんだよ。魔術師の使った船だと特にね」
「魔術師が買うんですか?」
「そういうときもあるけど。主に船大工が買ってくれるんだ」
「船大工が船を買って、何をするんです?」
「展示するんだって。今後の参考になるとかで」
「あの船を…」
「中身は全部無くしてから渡したよ!」
しばしのとき、笑い合った。
今回もまた酷い状態なのだろうと、イルハは予測する。せっかくの新しい船も台無しではないか。
シールメールに船造りを依頼する魔術師は多くないと、シーラは語った。
「魔術を使う者は、己の道楽よりも、陸にあって世のため人のために使うことが多いんじゃないかな?」
「そういうものですかね」
「それに陸にある魔術を使う航海士って、国が抱えているでしょう?そうすると国内で船を作ってしまうから、シールメールの船大工には依頼が来ないんだって」
確かにそうである。
船に限らず、どの国も魔術師を抱えているものだ。
「魔術師も色々だから、参考にもならないと思うんだけど。魔術師が船を頼むと、それはもう喜んでくれて。新しい船もあり得ないほど安くしてくれるんだ。何なら無償でも船造りを手伝わせて欲しいと頼まれるくらいで」
「それは有難いですね。人が多ければ、早く完成しましょう」
「それが!」
シーラは語尾を強くした。
「余計に時間が掛かるの!」
「余計に?」
時間が余分に掛かる理由が、聡明なイルハにも分からない。大工が増えれば、それだけ作業を分担し、同時に施行出来るのだから。早く出来る理由になるに違いない。
「凄く揉めるんだよ」
「あなたも人と揉めることがあるんですね」
「私じゃなくて、船大工同士が揉めるの」
「何を揉めるんです?」
「あの港の船大工は、妥協を知らないんだよ。それに、プライドも凄くあってね。それは素晴らしいことだし、いい船を作ろうとしてくれてとても有難いんだけど。ここはこっちの方がいい、いや、こっちの方がいいって、揉め始めるでしょう。それで最後にこう聞くの」
シーラが船大工を真似るように、わざとらしくイルハに手のひらを見せた。
「さぁ、嬢ちゃん。どっちだ?って」
イルハは笑った。
「どう答えるんです?」
「分からないって、正直に!」
「あなたらしいですね」
「そうすると、一から説明してくれるんだけど、それで分かったところでひとつ選ぶでしょう。その間に、別の船大工さんたちが他のところで揉めているわけで。その繰り返しで、作業が進まないんだよ。おかげで長く時間を使ってしまって」
「それはまた、大変でしたね。シールメールにはどれくらいいたんです?」
「冬になる直前までだよ。半年はいたと思う。本当に長かった」
彼女にとって、陸での半年は、とても長い時間のようだ。この一瞬も、とても長く感じているのだろうか?イルハの胸が人知れずチクリと痛んだ。
今回もどれだけ滞在するか知れないが、また冬の半年は確実に会えなくなる。
冬の間留まってはどうかと提案したところで、シーラにとって長過ぎる半年という時間は、耐えられたものではないのかもしれない。
前とは違う想いが、イルハに生じている。
この二年半が、イルハを変えた。
いや、そうではないかもしれない。シーラに再会したところから、イルハが変わった。
「あのね、イルハ。無計画な私が悪いし、言い訳だけどね。船が完成したときは、シールメールを出るのだってギリギリの季節で。そこからタークォンを目指しても、もう途中までしか近付けなかったんだ」
冬は北西から下りて来る。シールメールに冬が来るのとさほど変わらない時期に、タークォンにも冬が下りた。シーラがその時期にシールメールを出て、タークォンに来ることなど不可能だ。
「私に言い訳をする理由もないでしょう」
「怒っていたでしょう?」
イルハは先ほどまでの態度を、素直に謝ることにした。
「申し訳ありません。子どものようなことをしてしまいました」
「怒っていたんだよね?長く会いに来られなくてごめんね、イルハ」
「怒っていたのとは違う気がします。そうですね。拗ねていたのかもしれません」
穏やかな心になって振り返れば、自分の気持ちが見えて来る。
「拗ねていたって?」
「子どものように拗ねたくなってしまいました。長く会えなかったのに、あなたはずっと知らぬ少年と楽しんでいたのではないかと。拗ねてみれば、あなたの気を引いて、あの少年に勝てるとでも思ったのかもしれません。事情も知らず、不快な思いをさせて申し訳ないです」
シーラは声を上げて笑った。お腹を抱えて、しばらく笑っている。
「おかしかったですか?」
「うん。イルハって面白い!」
懐かしい言葉を掛けられて、イルハは温かい気持ちになった。先ほどまでの幼稚で愚かな自分を、すべて許されたように感じる。
彼女の中に変わらないものがあって、自分の中に変わっていくものがある。イルハは確かにそれを感じ取った。
「また会えて嬉しいですよ」
言いたくなったとき、それはイルハの口から自然に言葉となって溢れていた。
「私だって!」
シーラが同意すれば、イルハはもう愉快な気分になっている。
長く待ち焦がれた人と、法を犯して共に酒を楽しんでいるのだから。法務省長官の自分が、率先して法を犯しているなんて。
それで気持ち良くならない方が不思議なくらいだ。
「だけど良かったなぁ。忘れられているかと思ったよ」
「それはこちらの台詞ですよ。あなたはすっかり忘れてしまって、もう来てくれないのかと思っていました」
「そんなことないよ!ずっと会いたかったんだから!」
懸命に否定されることが、イルハをどれだけ喜ばせているか。そんな自覚はシーラにはないだろう。シーラが与えたどの土産よりも、シーラの言葉がイルハを喜ばせている。
「あ、そうだった。それでね、シールメールで船を作っているときに、少しの間船大工さんたちにお任せして、古い方の船でノーナイトにも行って来たんだ。シールメールからはとても近いんだよ。それで本を沢山買って来たの!今日はお酒しか持てなかったから、明日船から取って来るね」
北のノーナイト王国は結局どれくらいの距離にあるのか。いつも陸にあるイルハには、地図を見たところでその距離感が掴めない。
「距離かぁ。単純な距離なら地図通りだね。海によって船の速度が変わるから、遠い、近いは地図通りにはいかないよ。今度地図を見ながら説明しようか?」
「それはいいですね。お願いできますか」
「本を取って来るついでに、地図も持って来るよ」
「私も手伝いますよ。また本を売るのでしょう?」
「そうなんだ。今回も沢山あるから、古書店の付き合いをお願いしてもいい?」
「もちろんです」
「それから借りた本も返すね」
「気にしなくて良かったんですよ」
「うぅん。イルハの本だから返さなくちゃ。それでまた貸してくれる?」
「もちろんです」
シーラも酔っているのではないか。ほんのり紅く染まった顔は、熱のときとは違い、とても美しい。
「ねぇ、イルハ。歌おうか?」
「えぇ。一緒に奏でましょう」
また長く、美しい音楽が、響き渡った。
シーラの奏でるオルファリオンのシャラシャラとした高い音に、それより低いルードの音が絡まって。二人の歌声が調和すれば、音には光などないはずなのに、部屋中に光の粒が広がって、辺り一面きらきらと輝いていく。
イルハにとって、また永遠を願いたくなる夜が始まった。これはいつまで続くのだろうか。
イルハの心の奥に生じてしまった決意が、どうにか根付こうと、機会を伺っている。




