2.オルヴェとリタ
「立派な家だね」
レンスター邸宅の重々しい石門を潜ったとき、シーラは素直に感嘆していた。通りから届く街灯の光が作る薄闇の中でも分かる、壮大な庭の存在感。その奥に、これまた立派な石造りの邸宅が、重厚さを称え建っている。
「お帰りなさいませ、坊ちゃま」
玄関では、老いた二人の使用人が出迎えてくれた。オルヴェとリタという。彼らは夫婦だ。
「客人がいます。その呼び方は辞めて頂けますか?」
イルハの言葉も耳に届かず、オルヴェとリタは嬉しそうな顔で、老いた体を揺らす。
「急で申し訳ありませんが、一人客間に案内して貰えますか?それから食事の用意も」
「まぁ、まぁ、坊ちゃまが女性をお連れするなんて!」
「これは大変だ。すぐにご用意を!」
「勘違いしないでください。旅人が困っていたから、連れて……」
最後まで聞かず、二人は踵を返して邸宅の奥へ戻っていく。歳のわりには機敏な動きだ。
「お父さんとお母さん?」
「彼らは使用人ですよ。父も母もすでに亡くなっています」
「使用人さんか。素敵な人たちだね」
怪訝な顔で見ていたことに気が付いたのだろう。顔を上げたシーラはこれを察したようで、急ぎイルハに向けて言葉を重ねた。
「何か聞いた方が良かった?それとももっと気遣った方が良かったかな?」
素直に聞かれたイルハは、思わず口元を緩ませる。
「そうされない方が嬉しいですね」
「それなら良かった」
何やら慌ただしく舞い戻ってきたリタが、二人を交互に見やりながら微笑んだ。
「まぁ、坊ちゃま。玄関でお立ちになっていないで、早く寛いで頂きましょう。さぁ、どうぞ。お足のものは、こちらに履き替えてくださるかしら?」
「家では靴を脱ぐの?」
シーラは不思議そうにイルハを見上げる。
「この国の習慣ですよ。お願い出来ますか?」
「もちろん」
シーラは代わりに用意された布製の室内履きに足を通したが、少々大きいようで歩きにくそうだ。
「先にお食事にしましょうか。坊ちゃまとご一緒で?」
「リタ。まずはその呼び方を辞めて頂……」
「二人は一緒に食べないの?もう食べちゃった?」
話を遮るようにシーラが言うと、リタは「まぁ!」と漏らし、明らかに嬉しそうな顔をした。
「いつもはどうしているの?別々に食べるの?」
「我が家では使用人と食事を分け隔てる習慣はありませんが、その日によって違います。私も仕事で遅くなることが多いので、二人には先に食べて頂くことが多いです」
イルハが改まった口調を変えないところに、使用人への扱い方が見て取れた。しかし、シーラがそれを察して発言したようには思えない。シーラのそれは、シーラにとってのいつも通りの振る舞いではないか。
「今日はもう食べちゃった?」
「私たちもまだですよ」
「じゃあ、みんなで一緒に食べようよ。ねぇ、イルハ!」
イルハを見上げて、シーラは嬉しそうに笑った。イルハは深いため息を漏らしてから言う。
「リタ。今日は皆で食べましょう。そのように用意してください」
「リタって言うんだ。私はシーラだよ。よろしくね、リタ」
老婦人にも、敬称を付ける習慣はないらしい。シーラが手を差し出すと、リタは優しく手を握り返した。
「よろしく、シーラちゃん」
「シーラでいいよ」
「シーラちゃんって呼びたいのよ。駄目かしら?」
「それならいいよ」
「あなた、あなた、ちょっと来てちょうだい」
リタが呼ぶと、オルヴェは重そうな体を揺らし、駆け寄って来る。
「なんだい、どうかしたかい?今、部屋を片付けて……」
「可愛いお嬢さんが、食事をご一緒してくれるそうよ」
「これは嬉しいね」
「こちらはオルヴェと言うのよ」
「シーラって言うんだ。よろしくね、オルヴェ」
「シーラちゃんかい、よろしくね」
また握手が交わされた。リタよりももっと分厚い手のひらを、シーラはしっかりと握り返す。
「二人とも同じように呼ぶんだね」
「あら?夫婦だからかしら」
「リタも、オルヴェも、今日は急に来てごめんね。仕事を増やしてしまったね。私はどこでも寝られるから、汚れていてもいいし、物置小屋でも平気だよ!」
「あらあら。私たちは仕事があった方が嬉しいのよ」
「老人には、たまにこういう刺激がないとね」
「ありがとう。気を遣ってくれて」
「まぁ、気なんて遣っていないのよ!それより疲れたでしょう。こちらに座ってらして。坊ちゃま、すぐにお食事のご用意が出来ますから、それまでお二人で楽しんでくださいね」
イルハは答えなかった。自分以外で作り出された雰囲気に圧倒されていたからだ。
「素敵な二人だね。後でお礼が出来るかな?」
「お礼なんて要りませんよ。私が勝手にあなたを連れて帰って来たのです」
「返せない恩を残すのは嫌だもの」
「それは旅で得た信条か何かですか?」
「そんな難しい意味はないよ」
シーラは凄く愉快気に笑ってみせた。何がおかしいのか、イルハには分からないが、その喜びは確かに胸に伝わっている。




