14.収穫祭
タークォン王国では、国を挙げての収穫祭が始まっていた。
収穫祭に合わせて、タークォンのどの店も午前中で業務を終える。それは王宮で働く者たちも同じであった。この期間にまともに働いているとすれば、警備兵とふ頭の守り人くらいであるが、彼らもまた勤務時間を調整して、皆が祭りに参加出来るように考えられていた。
祭りの関係者も働いていると言えるが、彼らは誰も仕事とは思わずに楽しんでいようから、これには除外されよう。出店を切り盛りしながらも、この時ばかりは自身でも飲み放題、食べ放題だ。
皆が浮かれるときであっても、そうでない者もいるものである。イルハにとっては、毎年時間を持て余す期間に違いない。
そんなイルハでも、時間が有り余っていることを、今ほど辛く感じることはなかったはずだ。八日も前から始まった収穫祭も、もう明日で終わってしまう。
収穫祭が始まって以来、イルハは午前の仕事を終えると、毎日ふ頭に出向いた。何を期待しているか、彼はもうはっきりと自覚している。
再び会いたいと想う人を待っているのだ。ほんのひと時、彼に楽しさを与えてくれた、不思議な旅人を。
懐かしい白い帆は、堤防の隙間からまだ顔を出さない。彼はいつも、この港の入口が最も良く見えるベンチに腰かけて、海を眺めた。
この日も同じように、午前の仕事を終えてからふ頭にやって来て、ベンチに座り、ただ海を眺めている。凪いだ海は静かで、ふ頭まで祭りの喧騒は届いているが、とても遠く別世界のように感じられた。
イルハだけがこの国から取り残された感覚もある。
ぼーっと海を見詰めていたイルハが、顔を横に向けた。
ふ頭の北側で、守り人が何かを叫んでいることに気が付いたからだ。何かいつもと違うことが起こると、期待が湧き起こるのは、待ち人がそういう人だったからだろうか。
近付くと、イルハの胸が高鳴った。並ぶ船の隙間から、見覚えのある独特の畳み方をした帆が、伸びたマストの先に五つ確認出来たからだ。
わざわざ北の端に停泊していたとは。
この時期は祭り目当ての観光客も多くなり、いつもより船が沢山並んでいる。目当ての船を探すなど困難で、しかもイルハは、着いていれば会いに来てくれるはずだと信じていて、並んでいる船の方を探っていなかった。
だから気付くのが遅れたのだ。
「おーい、お嬢ちゃん。起きておくれよ。時間だよー」
「どうしました?」
ふ頭の守り人が明らかに狼狽した。イルハを前に言葉を選んでいて、すぐに返答が出てこない。
「改めではありません。私も就業中ではありませんから」
守り人は安心したように頷いた。もう日は下がり始めている。
「いやぁ、この船のお嬢ちゃんが…」
その帆船は、早朝ふ頭に到着したらしい。そしてこの守り人に、「祭りはまだやっているか」と叫ぶように尋ねると、すっかり安堵した。それから守り人の交代時間を聞いて、「交代する時に起こして欲しい」と伝えると、守り人の返答を待たずして眠り始めてしまったという。
「声を掛けても起きなくて。こりゃ、甲板に上って、揺さぶってでも起こすべきか。若いお嬢ちゃんだったので、放っておくべきか。今まさに悩んでいたところでして」
「それは結構。あとは私が見ましょう」
「宜しいので?」
「問題ありません。彼女は私の友人です」
「それは助かります。私も孫と祭りに出る約束をしていましてね。では、お先に。お疲れ様です」
なるべく音を出さないように気を付けながら、イルハは船縁に手を掛けて、甲板に飛び乗った。毛布に包まれて甲板に転がる彼女を見れば、ハンモックが普段使用されていないことが分かる。きっといつも、このように寝ているのだろう。
イルハは少し離れて腰を下ろすと、船縁の壁に寄り掛かった。
不思議と歌いたい気分になっている。しかしシーラが眠っているから、それは出来ない。だから心の中で、シーラと共に演じた曲を奏でることにした。
どれくらいの時が過ぎただろう。しかしイルハにとって、それは一瞬だった。美しい夕暮れが港を包み、眠るシーラの頬を紅く照らしている。
やがて日が沈み、辺りは薄暗くなっていった。
街には街灯が灯りはじめ、海が暗くなるほどに明暗がはっきりしていく。
花火の轟音が鳴った。一度目の花火は、宴の本格的な始まりを告げる合図だ。
うぅっという唸り声を発した直後に、シーラは飛び起きた。
「寝過ぎた!」
ほとんど同時に笑い声が漏れていた。イルハがこのように笑ったのは、いつ振りだろうか。笑い声が海に抜けていく様は、とても気持ちいいことを知る。
「イルハ!」
「お久しぶりですね。勝手に船に上がってしまいまして、申し訳ありません」
「それはいいけど。ごめん、終わっちゃったかな?」
「いいえ、今始まったところですよ」
「良かったぁ。間に合わないかと思った」
「よく眠っていましたね」
「ちょっと飛ばして来たから、魔力を使い切ってヘトヘトだったんだ」
「もう少し休みますか?祭りは明日もありますよ」
「今日も明日も行こう!お腹もペコペコなの!あ、ちゃんとお金はあるよ!今回は稼いで来たからね!」
イルハがまた笑った。こんなに気持ち良く笑える男だったのか、と誰よりも驚いていたのは、イルハ自身だ。
二人は祭りの会場へと移動する。
煌めく装飾。並ぶ出店。あちこちから鳴り響く楽しい音楽。
この日ばかりは、歩きながら酒を飲み、食事を楽しみ、そこかしこで思い切り笑い合い、音楽に合わせて踊る者もいた。
「うわぁ、これは楽しいね」
シーラは何でも食べたし、時に歌い踊る人たちに合わせて手拍子を取った。
何度も、楽しいね、楽しいねと言って、イルハに笑顔を向ける。
隣の男の方がずっと良く楽しんでいたことを、彼女は知らない。
彼もまた、珍しく上機嫌で酒を堪能した。シーラが飲めないというのによく飲んだから、シーラは時折口を尖らせて不満を示した。
それでもイルハは楽しむことを辞めない。
飲めない相手であるかどうかは関係なく、イルハが祭りの日にこのような振る舞いをしたこともなかった。すれ違ったイルハに気付いて、ぎょっとした顔をする者もあったくらいだ。
イルハの性格的な問題でもあるが、恩赦のときということで、イルハも気を遣って来たのだ。
「あぁ、楽器を持って来れば良かった」
「明日は演奏しますか?」
「イルハも弾いてよ」
「それもいいですね」
当然のことながら、イルハがこれまでそのようなことをしたことはないから、ルードなど奏で始めれば、どの者も驚愕することになるだろう。
それはとても面白そうだと、イルハは愉快さを感じている。彼は本当に機嫌が良かった。
遅くまで遊んだ後、シーラを自宅に連れ帰れば、リタとオルヴェが泣いて喜んだことは言うまでもない。
楽しい日々が戻って来た。どの者もそれがいつか終わってしまうことを知っていたが、それでも嬉しさに変わりはなかった。この嬉しさが出来るだけ長く続くことを期待しつつ、戻って来た旅人と楽しい夜を過ごしたのである。
明日は祭りの最終日であって、今日よりもさらに楽しい日となるはずだった。
ところが問題が起きてしまう。それは翌朝のことだった。




