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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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30.海の冗談


「どこで何をしていたんだ?」


 平然と五階の窓から入って来たシーラに、王子が怒声を飛ばす。


「いいものが取られそうだったから、回収しておいたんだよ」


「何の話だ?」


「シーラ。彼の銃はどこです?」


 イルハが静かに聞くと、シーラはいつも以上に楽しそうに笑った。溢れる笑い声を止められないまま、イルハの隣に座り直す。


「どういうことだ?」


「遺体に関する報告をお聞きしましたね?」


「そういや……」


「えぇ。銃が出ていません。遺体の側には落ちておらず、周囲を探しても見付からなかった。そうですね、トニーヨ殿?」


「そのように聞いています」


 とすれば、銃は仲間が回収したか、あるいは銃器を使わずに銃弾を飛ばす魔術か、そうでないなら妻であろう。イルハでなくても、容易に想像がつくところだが、王子は気にもしていなかった。

 疑われた妻は今、イルハに熱い視線を送っている。


「イルハには隠し事が出来そうにないね」


「それを回収してきたのですね」


「まぁね」


「それをどこへやったんだ?」


 シーラはにこりと笑うだけだった。それで妻の代わりにイルハが言った。


「テンは起きていましたか?」


 これにシーラはまた笑う。夫の言動すべてが面白くて堪らないようだ。笑いが止まらず、にやけながら口を開いた。


「食事は終えたみたいで、これから湯浴みだったよ」


 王子とトニーヨの顔色が曇った。


「まさか、お前。テンに渡して来たのか?」


「そうだけど?」


「なっ!」


 王子は絶句するし、トニーヨは青ざめるばかり。しかしイルハはどこまでも冷静だった。これくらいで驚くようでは、シーラを妻になどできない。イルハは海のものを妻にしたのだ。


「シーラ。確認しますが、あの男の銃はあなたたちを狙っていましたか?」


 シーラの目が丸くなって、それからすぐに細くなった。そこに夫を思う愛おしさがたっぷりと込められている。感情が移ろいだから、ようやく笑いも収まった。


「違うと言っておくよ」


 イルハは頷き、それで王子に視線を向けた。


「殿下。よく気を付けなければ、あの者たちは早々に消されます」


「……もう少し分かるように言ってくれ」


「まさか、彼らは……」


 トニーヨが力なく震えた声で言うと、イルハは神妙に頷いた。


「捨て駒のようなものでしょう。誰かは分かりませんが、彼らに指示を出す者が、シーラたちを探るために利用した。そうですね?」


「うーん。それはどうかな?」


「違うのか?」


「私たちを知りたかったかと言えば、そうでもないと思うね。探りを入れたい気持ちはあったと思うから、否定も出来ないんだけれど。すべては……」


 シーラはそこで止めるのだ。さぁ、先は言ってくれという顔で夫を見るから、イルハは思わず微笑を漏らす。それでトニーヨは幾分も落ち着いた。いつもと変わらぬ日々のひとつだと錯覚する。


「すべては計画通り。彼らを捨て駒としてタークォンに引き渡すことまでが予定されていた。そうですね?」


「計画がひとつとは限らないけれど、こんなに考えて入国をしているんだから、それくらい考えるだろうね」


「なんだ、考えて入国したというのは?あいつらが入ってきたことを知っていたのか?」


「嫌だなぁ、知らないよ」


「考えて入国したと言ったじゃねぇか」


「だってすべてがタークォンに戻ってからだもの」


 王子はイルハを見やった。その方が話が早いと悟る。海のものに真面な会話を求めてはいけないのだと、王子もようやく分かってきたのだろうか。


「妻が異国の魔術師の存在に気付いたのも、タークォンに戻ってからだそうです。前はいなかったと」


「なんだと?」


「魔術師がいなかったわけじゃないよ。海からもやって来るし、タークォンにも魔術師が沢山いるのは知っていた。だけど異なる同種の魔力の集まりを嗅ぐのは、久しぶりだったんだ」


「嗅ぐ?」


「あぁ、意味はないよ。そういう風に言ってしまうんだよね。匂いがするわけじゃないんだけど」


 イルハはそうではないと考えた。むしろそう言いたくなる理由があるだろうと。そこにシーラの魔術の秘密があると感じているが、実際に匂いを嗅いでいるわけではないというのも本当だろう。イルハがいくら賢くても知らないことに関しては、なかなか答えに辿り着けない。


「異なる同種の魔力ってぇのは、なんだ?異なるのに同じというのはおかしいだろう?」


「この国とは異なるという意味だよ」


「よく分からねぇぞ?」


「この国には違和がある魔力が集まっていたということだよ。それはとても不自然なんだ」


 王子は首を捻って、さらに尋ねた。


「お前らは同じ種類の魔術を使うことはねぇのか?」


「海でも同じ魔術を使う人たちは沢山いるよ。だけど集まったりしないからさ」


「同じ魔術を使う者もいるんだな?」


「そりゃあね。みんな、色んな魔術を使えるもの」


「ひとつではないと?」


「当然だよ。ひとつの魔術しか知らない船があれば、その魔術を楽々と攻略出来る魔術師が現れたときにどうなるの?」


「つまり、お前も色々な魔術を使えるということだな?」


 シーラはこれを笑い飛ばす。


「そうとは言わないよ、王子」


「まだ隠す気かよ。もういいじゃねぇか」


「そんなに色んな魔術を使えそうに見えた?」


 王子は言葉を止めて考えた。確かに見えない。器用な女ではないように思う。が、使えるのだろうと予測した。そうでなければ、海で一人、生き永らえていることがおかしい。

 しかしイルハが別の考えを提示したとき、王子は心から納得することになる。その考えの方がしっくりきたからだ。


「そうではないとすれば、種々の魔術など網羅するほどの強力な魔術を知っているということでしょうか?」


 イルハが言うと、やはりシーラはうっとりと瞳を潤ませて、愛情たっぷりにイルハを見詰めるのだ。


「そういうことか……」


 王子が小さく言えば、シーラはこれも笑い飛ばした。


「私がそうとは言わないけれど、そういう人がいるのは確かだね」


「たとえば、フリントンなどはどうです?」


「あの人はおかしいから。たとえにもならないよ」


 シーラは歌うように笑った。やはりフリントンが重なって、好きな声であるのに、イルハはいい気分になれない。

 シーラは魔術についてこれ以上のことは語らないだろう。これはシーラなりの親切だ。しかし、王子はそれを知らない。


「シーラ。さっきしていたお前を雇う話だが」


「あぁ、そうだった。ねぇ、王子。まずはタークォンでどうにかしてみたら?」


「はぁ?」


「私は確かに王子が望むように出来るけれど、タークォンの問題に関わる仕事はしたくないからね。だからまずはタークォンでどうにかしてみてよ」


「俺たちに対処出来る相手なんだな?」


「タークォンをタークォンの人たちが守れないとしたら、誰がそうしてくれるの?」


「それは……」


 お前に頼みたいと言えなくなる王子であった。自国の問題を、海から来た異国の娘一人に託せと?さすがにおかしな話だと王子にも分かった。


「彼らは海にないことは間違いないよ。だから、大丈夫」


 シーラの声はいつもより優しく響いた。イルハが妻を見る目にも熱が籠っていることに、トニーヨは気付き、耳が熱くなる。この夫婦、何故照れないのだと、トニーヨは訝しく思った。見ている方が恥ずかしくなってくる。


「裏で糸を引く者たちはどうです?」


 シーラがびっくりした顔でイルハを見詰めた。今度は夫に愛しい視線を向けなかったから、トニーヨは少しの驚きを持ってシーラを見詰める。人の妻を堂々と見ることに慣れてしまったことを、トニーヨはもう忘れてしまっただろう。タークォンには、身分ある男は妻を隠して人目に触れさせない慣習があって、人の妻をまじまじと眺めることは無礼な行いであった。初めの頃はどう接していいかも分からなかったというのに、トニーヨは今、シーラを見詰めることに抵抗がない。


「何か知っているの?」


「いいえ、そういう者がいたら、という話です」


 シーラは優しく微笑むと、それから少しだけ目の輝きを失った。不穏な空気というものを、トニーヨも感じ取る。

 これは夫婦喧嘩なのか?いや、違うよな?と王子も訝しそうにシーラとイルハを交互に見詰めた。


「……そうだねぇ。そういう()()がいたら、とても面白いと思う」


「面白いことなら、あなたは率先して参加するでしょうか」


「助けないよ、イルハ」


「分かっています。言ってみただけです」


 ハラハラした落ち着かない気持ちで、トニーヨは夫婦の会話を聞いていた。本当に夫婦なのだろうかと疑念が生じる。夫婦とは何でも語り合う仲になるものだとトニーヨはこれまでそれを信じて疑わなかった。

 ほんの少し前まで恥ずかしいほどに熱く見詰め合っていた二人なのに、今は他人のようだ。これは一体どういうことなのか、トニーヨにそれを突き止められるはずもない。


「殿下、取り急ぎ内部で対応するとはしても、同時に妻を雇ってみてはいかがでしょうか?」


 今度のシーラはいつも通り笑っていた。


「何のお仕事?」


「助言役などはいかがです?」


「一国のために助言なんてしないよ」


「あなたならどのように捕らえるか、そういう話を楽しくするだけで構いません」


「それを言っても、何の助言にもならないと思うけど?」


「どうしてだ?」


 王子が夫婦の会話に口を挟むと、シーラとイルハが同じように王子を見詰めた。似たような顔をしやがって、と王子は心の中で悪態をつく。


「それは私だから出来る話になるからね」


「えぇ。妻以外には無理でしょうね」


「それなら、どうしてお前はシーラに問うんだ?」


「そこからヒントを得るだけです。彼らの魔術を知れば、出来る対策も絞れます。現状は情報が少な過ぎますので」


「ふむ。確かにそれは一理あるな」


 一理どころではないとイルハは思った。この国の情弱さもどうにかしなければ。信頼出来る情報屋を増やすか、あるいは……。

 妻を利用したくはないイルハだが、妻ほどに頼りになる存在がいないことも確かだった。シーラはそこらの情報屋より情報を抱えていそうだし、シーラ自身も海の情報屋との付き合いがあるだろう。紹介は無理でも、妻を通して話を聞くことは出来るのではないか。買った情報をどう扱おうとそれは個人の自由のはずだ。


 言葉が止まったところで、トニーヨは尋ねた。どうしても気になったのだ。


「あの……。話を戻して申し訳ないのですが、今日捕らえた者たちが考えて入国していたと分かるのはどうしてでしょうか?」


 シーラはイルハを見詰めた。妻と目で合図などせず、イルハは口を開く。


「殿下が外遊に向かいましたね」


「あ……」


 トニーヨは青ざめ、それで頷いた。


「どういうことだ?」


「殿下に付き添い、どれだけの兵士が外に出たかということです」


「まさか、兵士の数が手薄となるときを狙ったということか?」


 トニーヨがそこでもっと重大なことに気付いた。


「お待ちください。それはつまり……」


「えぇ。内部の情報を外に漏らす者がいるということですね」


 王子はシーラを見やったが、シーラは笑いながら首を振った。


「タークォンの情報を売ってはいないよ。安心して」


「本当だな?」


「本当だよ。それに売るなら、もっと悪いことをしそうな人たちに高く売り付けるね」


「お前なぁ」


 シーラは笑い声を上げて、さらに言った。


「それにね、王子。タークォンをどうにかしたいと思っている人たちがいるなら、その人たちは私から情報を買うより、私を使った方が早いよね」


「お前……」


「そういうことだから、心配いらないの」


 海らしい冗談だろうと、トニーヨは自分を納得させた。


「だけどね、王子。情報なんて、どんどん漏れていると思った方がいいよ」


「やっぱりお前が漏らしたんじゃねぇのか?」


「嫌だなぁ。そんなことはしないけど。情報は漏れている前提で動いた方が安全だってこと」


「殿下、妻の言い分はもっともです。世界中に情報屋が存在しておりますし、海に国を閉ざしてでもいない限りは、あらゆる情報は国外に漏れていると考えた方がいいでしょう。そのうえで、出来る対策をしておくべきです」


「あの……しかし……」


 トニーヨが自信なく言い掛けると、イルハは頷く。


「分かっています。我が国はそれ以前のところにあるでしょう。厳しい法が国内の者たちを守っていたとしても、異国の者たちには通用しません。これはユメリエンと同じところです」


「法を整備するだけでは駄目だということだな?」


「えぇ。法があったとして、それがこの国にない者に対して効力を持つためには、相手より強い力を持っていなければなりません」


「魔術師が足りていねぇんだな」


「シーラ」


 シーラは再び酒を飲もうと、コーレンスではない酒瓶に手を伸ばしていたところだった。夫の真剣な声に顔を上げると、夫の真っ直ぐな視線を受け止めることになった。


「あなたのような魔術師はどれくらい存在していますか?」


 シーラはにこりと微笑むと、「そんなにいたら、大変だね」と返すのである。自嘲も謙遜もないし、夫側にもそれがない。


「では、国にある魔術師のうち、あなたのような魔術師に対応出来る魔術師はどれくらい存在していますか?」


 シーラから微かな息が漏れた。トニーヨが笑ったシーラの顔に、イルハに似た冷徹さを感じたのは初めてだった。いつものシーラと変わらない顔に見えるのに。


「そんな人がいるなら、会ってみたいものだね」


 これで十分だった。イルハは頷き、「殿下、取り急ぎ我々は、妻を目指す必要はないと思われます」と淡々と言うのである。


 王子はソファーの肘掛けに左肘をつき、手を顎に乗せ、呆れた顔でシーラを見ていた。自信たっぷりじゃねぇか、と。それでフリントンの綺麗な顔を思い出していたところだ。本当のところ、あの男とこの小娘はどれくらい強く、そしてどの程度の差異があるのか。まさかシーラの方が強いとかはねぇよな?と面白い考えに至った自分にも呆れていたところだ。あの男はあちこちから首に賞金が掛けられている男だぞ。さすがにそれはない。たかだが二十歳にも満たない小娘だ。海で一人で生きてきたとしても。あのような男……そういやあの男は何歳なんだ?と思考が関係ないところまで移ろいそうになったが、イルハのおかげで意識が目の前に戻った。


「こいつらみてぇのは、自由にさせておけと?」


「そうではありませんが、いずれ対策するとしても、今すぐに出来ないことに頭を悩ませていても何も変わりませんので」


「我が国ですぐに対応出来ることがあるということでしょうか?」


 トニーヨは素直に言っていた。出来ないなどと、警備省の上にある自分が言ってはいけないことを知っていたが、しかしトニーヨ自身出来るとは思えなかったのである。


「警備兵に魔術を覚えさせるというのは厳しいでしょう」


「そう簡単に魔術を覚えられても困ることになるぜ」


「そうなった場合には、国内の法整備にも力を入れなければなりませんが、今は必要ないと考えた方がいいですね。可能性として、あまりに低い」


「やはり出来ぬ者には教えられませんよね」


 魔術は生まれ持った才能に依るところが大きい。というのが、世界共通の認識だと言われている。海のものがどう思っているかは知らないが、多くの国ではそれはもはや常識だった。全員が使えるわけではないし、たまに突然に使える者が生まれることもあったが、代々使える家というのも存在していたから、世界各国で魔術師は遺伝的な才能でなれるかどうかが決まるのだろうと捉えられている。


 三人が熱心に話す間、シーラは料理を眺めていた。やはり食べる前に手を合わせて、それから並んだ皿から自分の皿へと好きなものを移していく。


「お前の魔術、前のように教えて貰えるな?」


 顔を上げたシーラの目が丸い。ちょうど口に料理を運んだところだったから、すぐの返事はなかった。


「王子は物を動かしたいの?」


「俺だけじゃない。イルハやトニーヨにも教えてくれ」


 シーラがびっくりした顔でイルハを見やった。しかしイルハが微笑を返すから、シーラはほっとした顔で笑い返す。


「殿下、あのように魔力を流して貰うだけでは、魔術は覚えられないかと」


「なんだと?お前は俺を揶揄ったのか?」


「違うよ、王子。私は教え方が分からないから、あれくらいしか出来ないんだ」


「お前はどうやって習ったんだよ」


「覚えていないんだもの」


「教わったんだよな?」


「気付いたら、使えていた感じだよ」


「気付いたら使えるものじゃねぇだろうよ」


「そういうものでなくても、使えたの」


 こいつから学ぶのは無理そうだと思い、王子は考えを改める。


「これも魔術省に掛け合うぞ。守り人や警備兵だけでは駄目だ。魔術が分かる者も街に配備する」


「そうだよ。シュウレンにお願いすればいいのに」


 シーラが言ったとき、イルハの口角が一瞬動いた気がしたトニーヨだが、冷静なイルハの顔を見ていたら気のせいだったことに気付く。


「殿下。シュウレン殿に話を通せるでしょうか?」


「ふむ。掛け合ってはみるが」


「殿下が直接お出ましになられない方が宜しければ、私が内密に伝えますが」


「いや、俺も話してぇところだった。あいつも通すから、気にするな」


 話が決まっていく。

 タークォンが内部から変わり始めていた。


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