26.境界
タークォンの王宮にある、いつもの王子の執務室に集まったのは、王子、イルハ、それからトニーヨ、そしていつもの二人、シーラとテンだ。
シュウレンとタビトは任務を解かれて、各々の仕事場所に戻った。
執務室の隣にある王子がくつろぐ部屋のソファーに、シーラとテンが並んで座り、男三人はこれを囲むように側に立っていた。
二人は出されたケーキを喜んで頬張っている。今日はタークォン名産のサチベリーを使ったケーキだ。
「何があったか説明しろ」
なるべく落ち着いた声を出そうと決めていた王子だが、それでも苛立ちは隠れていない。
しかし顔を上げたシーラは、王子の機嫌などお構いなしに「話すほどのことはないよ」と言うのである。テンなど顔も上げず、ケーキに夢中だ。
「あの二人の男はなんだ?」
「それはタークォンがこれから調べるのでしょう?」
「お前の知り合いではないのか?」
「知らないよ。ねぇ、イルハ?」
イルハが冷静な声で淡々と語り出す。
「殿下、お伝えしておりました通り、あの男たちは二人を付け回していただけで、二人の知る者ではありません」
「知らねぇ奴らがどうしてお前らを付け回すんだ」
「それはタークォンで調べてよ」
「お前らも知っているんだろうが?」
テンは顔を上げて王子を一瞥したが、すぐに顔を戻してまたケーキを食べた。その態度が王子の苛立ちを誘うのである。
タークォンにある限り、王子がこのように失礼な応対をされることはない。妻やイルハがたまに厳しいが、そうは言っても王子としての立場が揺らぐものではなかった。
その確固たる立場が、ただの娘と少年には通用しないのだ。
「知らないよ。だから調べておいて」
「知らねぇ奴とどうして揉める?」
「付け回されたのに、何もしない方が良かったと言うの?」
「ここはタークォンだ。そういうことがあったときは、俺たちに言えばいい」
シーラは食べる手を止めて、にこりと笑うのだ。
「私たちが付け回された。それはタークォンとは関係ないことだよ」
「関係ないことがあるか。ここはタークォンだ」
「分かっているよ。だから真実はタークォンで調べたらいい。ところで王子、ケーキのお代わりはある?珈琲も貰いたいな」
王子から深いため息が漏れたときである。
王子の執務室の重々しい扉が開いた。飛び込んで来たのは、そこそこに上位の警備兵だった。
「人を近付けるなと言っただろうが」
「も、申し訳ありません。しかし、ご報告があります。緊急性があるかと思い、直接に……」
「緊急性があるなら、さっさと話せ」
理不尽な話であるが、警備兵は敬礼すると大きな声で報告をした。
「は!例の場所からほど近い北の雑木林の中で、男の遺体を発見しました」
「何だと?」
王子はすぐにケーキを味わう娘と少年に視線をやった。すでに二人の皿が空こうとしている。この場に相応しくないのに、王子もまたお代わりを頼んでやらなければと、そのようなことを考えていた。
遺体が見付かったことを、一時忘れていたかったのかもしれない。
「遺体の状況は?」
余計なことを考えていた王子の代わりにイルハが口を開くと、何故か警備兵は緊張し、身を固くするのである。
おそらく報告を聞く役目はトニーヨにあったが、トニーヨは青ざめた顔で固まっていた。
「銃創が三ヵ所確認されています。胸部、頭部、それから肩です。顔や足、腕にも切り傷がありましたが、こちらは致命傷となるようなものではなく、銃撃によって亡くなったことは明らかだと言うことです」
「あの銃声は……」
最後まで言わずに王子はシーラとテンを見やった。二人ともケーキの最後の一口を味わい尽くしているところだ。早くお代わりを頼んでやらねばと、王子はまた余計なことを考えた。
王子はしかし、今度は素早く大事なところに意識を戻すことが出来た。すぐに警備兵に視線を戻して指示を出す。
「生きている二人も、死んだ男も、詳しく調べて報告しろ。いいな。それから以降の報告は通信機で構わん。必要があればこちらから呼ぶから、しばらくこの部屋に人を近付けるな!」
「御意!」
報告した警備兵が出ていった直後に言ったのはシーラだ。
「ねぇ、王子。お代わりはなさそう?」
「俺ももっと食べたいんだけど」
王子は頷き、すぐにケーキと珈琲のお代わりを持ってくるよう指示してやった。執務室付きの給仕係は王子の指示通り、ケーキをホールで用意して、珈琲も大きなポットに入れて持って来た。かと思えば、手際よくシーラとテン用にケーキを切り分けて、新しい皿にこれを乗せて二人の前に置き、さらに新しいカップに次々と珈琲を注いで、五人分のカップをテーブルに置き直した。
それから残りのケーキとまだ珈琲の残るポットを残し、指示通り急ぎ退室していく。
王子はようやく二人の前に座ることにした。テーブルを挟み、シーラとテンと向かい合うソファーにどさっと腰を下ろすと、珈琲を一口含んでから早々に本題に入る。イルハとトニーヨはまだ立っていて、王子の後方に控えた。大人たちは今、ケーキを味わう気分ではない。
「雑木林の死体は、お前らの仕業か?」
テンは何も言わず、眉一つ動かさなかった。シーラにすべてを委ねている。
分かっているかのように、王子だけでなく、イルハも、そしてトニーヨも、シーラだけを見詰めていた。
シーラの口角が上がり、心なしかいつもより澄んだ瞳が王子を捉えると、シーラは口を開いた。
「そうだよ」
はっきり答えたことに驚いたのは、テンである。表情に出さなかったが、シーラがどのようにこの場を収めるのか、楽しく待つことにした。シーラはいつも楽しめと言うのだから。
「この国で殺しは重罪だ。知っているな?」
「そうなんだ。それは知らなかった」
初めて聞いた顔でシーラは言った。そういえば伝えたことがないと、イルハは思い出す。どこの国でも当然禁止されているだろうことについて、あえて説明したことはなかった。
「知らないわけがないだろう。どうして殺した?」
「どうしてって?」
「殺すほどの理由があったんだよな?」
シーラの微笑が、はじめて恐ろしいと感じたのは、王子だけではない。トニーヨは、この娘は誰だろうかと思ったほどに怯えていた。
イルハだけは落ち着いたものである。
「理由があるとしたら、先に撃った。それだけだね」
「それだけか?」
「そうだけど?」
「……あの男たちを生かした理由はなんだ?」
王子は出来る限り冷静を装い、ゆったりとした口調で言った。
一方のシーラの声は、いつもと何も変わらない。
「ちょっとした気まぐれだね」
「気まぐれだと?」
「気が向かなければ、生かしておかないからね」
「気が向かないと、お前はタークォンの法を犯すのか?」
「それは当然だよ」
王子が酷い顔で一度振り返りイルハを見やった。しかしイルハがあまりにいつもと変わらない顔をしていたので、すぐに顔を戻してシーラを睨み付けることにする。
「ここはタークォンだ。タークォンにある限り、この国の法を守れ」
「それは難しいね。どこにあろうと、私は私のルールで生きるんだから」
王子が絶句する間も、シーラは微笑していた。
これがさっき、小さな傷ひとつに怯えていたのと同じ娘だと?王子は混乱と困惑、そして苛立ちを抱えて、シーラを見詰めなければならない。
これまで以上に強い苛立ちが王子を支配していた。何故か。その理由が王子にはまだ分からないが、今日のことのすべてが、王子には気に入らなかった。
「だけど、ここはタークォンだから。タークォンにはタークォンのルールがあることも知っているよ。それで法を犯した私を捕らえたいと言うのなら、それはそれで構わない」
「捕らえられてもいいと言うのか?」
「捕らえようとすることは自由だ。だけど私が大人しく捕まるかどうか、それは私の問題だね」
「……イルハの妻という自覚はあるな?」
シーラがイルハに視線を移した。シーラが笑い掛けたとき、イルハも笑ったことが、王子の苛立ちを増幅させる。王子は振り返らなかったが、シーラの表情からイルハが笑ったことを感じ取ったのだ。
それでも王子が振り返ったとき、イルハはいつもと変わらぬ冷静な顔を示した。
「ちゃんと教育しろと言ったな?」
「申し訳ありません」
イルハは気持ちが込もらぬ声で、淡々と頭を下げる。これで王子の気が収まるはずもない。
「シーラ!お前が好き勝手にしていたら、イルハが困るんだぞ!」
「そうなの!」
とても驚いた様子でシーラはイルハを見詰めるが、イルハが微笑するから、またシーラは笑った。それも嬉しそうな顔でだ。王子がますます苛立つことを知っていてそうしているのではないかと、目の前の夫婦を見ながら、王子はそのように考えてしまう。
小娘への苛立ちが、その夫である臣下へと向かい始めた。
このタイミングでイルハが口を開いたことは、王子にとって最悪なことである。
「殿下。妻の気まぐれであろうと、二人の男は生きていて、おかげで聴取を行うことが出来ます」
「だから、なんだ!」
「事実を言ったまでです。タークォンで起きた問題ですから、我らがこれを調査して真実を突き止める必要があることは、妻がどうあれ変わらないことで、これからそれが可能な状態にあることは幸運なこととも言えるでしょう。さらにこちらは何の痛手も負っておらず、これもタークォンにとっては幸運なことではないでしょうか」
妻のおかげだと言われたようで、王子は腹が立って仕方がない。問題を起こしたのは、その妻ではないか。
苛立つ王子に、目の前の少年は冷ややかな視線を送る。
イルハがいたからこれで済んだのにとテンは捉えているし、タークォンのために生かしてやったのにシーラを怒鳴る王子を理解出来ないでいた。王子はむしろイルハを褒めるべきではないかとテンは思うのだ。
それでやっぱりこの国はどうしようもないとテンは感じた。問題が簡単に起きたことこそが、この国の問題だ。俺たちを責める前に、この国にはすべきことが沢山あって、こんなところで話している場合ではないだろう。あの程度の男たちを自由にさせているこの国の法に何の意味があって、シーラを責めるのだろうか?警備兵は何のために存在している?法で守られた国であることを誇るなら、あの男たちが存在しないように出来なかったことを恥じた方がいい。
すべて語ってやりたいと思ったのは、テンがこの国を気に入っていたからだが、テンはまだ気付いていなかった。けれども、そんなテンの気持ちを察したかのように、シーラが言う。
「ねぇ、テンはどう思う?」
「何のこと?」
「私たちがしたことで、イルハを叱る意味が私には分からない。夫婦だとしても、それぞれに別の人間なのにね」
テンはしばし考えているうちにあることを思い出して、それを回答に重ねることにした。
「タークォンもユメリエンと一緒だったね」
「なんだと?」
「ユメリエンで王子はそうじゃないと言ったのに。結局一緒だね」
テンがそっけなく言ったとき、トニーヨは目を見開いてテンを見ていた。少年から思わぬ言葉が出て驚いたし、それ以上に考えさせられたのだ。おかげでトニーヨも幾分か落ち着きを取り戻した。
「殿下……その……」
「なんだ?」
王子の問いは怒声であったが、トニーヨはそれでも言った。
「確かにテン殿の申した通りになります。罪を犯した者の家族に責を与えることは……」
王子が睨んだから、トニーヨはそこで言葉を止めた。どうして王子に意見したのだろうと自分を恥じたが、少年が意見をしているのに、自分がしないというのはおかしい気がしたのだ。大人として少年に手本を見せたい気持ちもあった。
王子もちゃんと分かっている。テンとトニーヨが言うことは、もっともだ。けれども妻がおかしなことをしたときに、イルハの生まれ持ったタークォンでの高い地位が揺らぐこともまた確かだった。妻一人どうにもならない男が、宰相の立場に就くことなど許されない。
「とにかく、タークォンで起こったことだ。お前らも聴取するぞ。すべて語れ。いいな!」
王子が怒鳴ると、シーラは肩を竦めてテンを見やった。幾度かの間隔の空いた瞬きがテンに合図を送る。テンは笑いそうになって、慌てて顔を引き締めた。イルハはこれを見ていたが、あえて口に出すような男ではないから、テンも気付けない。
「まずお前らの武器を出せ!」
「王子。私は魔術師だから、武器なんて持たないよ?」
「銃撃したじゃねぇか」
顔を引き締めたテンは、それでも声が明るく踊ることを止められなかった。
「俺が撃ったんだよ」
トニーヨは固まるし、王子もテンの言った意味を理解するまでしばらくの時間が掛かった。テンは何も難しいことを言っていないというのに。
それでテンはとても愉快な気分になって、さらに厳しく顔を引き締めていなければならなくなる。
シーラといると面白いや。テンは思い、シーラを見やるも、シーラはのんびりと珈琲を飲んでいた。目が笑っていることに満足して、テンも真似するように珈琲を飲む。苦いけれど、テンはこの味が嫌いではない。だからミルクを与えるリタの気遣いが苦手だった。




