24.戦利品
「何!」
男とテンの状況に気付き、黒頭巾の男が叫んだときである。
「私も飽きてきちゃったよ、お兄さん。お遊びの時間は終わりとしよう」
ワンピースを気にしていたシーラが顔を上げたとき、右腕から流れていた晒しの先端が、突然に黒頭巾の男目掛けて飛んでいった。それは男の右手首に巻き付き、シーラと男の腕が晒しで繋がった状態になる。
男は慌てて腕を引こうとしたが、晒しの力は強力で動けず、強い力で手首を締め上げられて、ナイフを落としそうになった。
そこで男は左手で黒い衣服の中からさらなるナイフを取り出すと、腕を幾度か振って、この白い晒しをあっさりと切り落として見せた。この男、真っ黒い服の中にどれだけのナイフを隠しているのか。
男は嫌味なほどに手首から切り離されて空に舞った晒しをさらに細かく刻んだ。真っ白い晒しの破片は、花吹雪のように美しく風に乗る。
「所詮は布だ。これでどうにもなるまい」
この男たちは本当に抜けている、とテンは思った。
シーラがどうして体をそのままに飛ばせているか、よく考えたことはないのだろうか?
シーラはあえて、彼らにヒントを与えていたはずだ。そういう風に遊ぶことが好きなのだから。
シーラがにこりと笑ったとき、テンもまた微笑を浮かべていた。テンの目前にある男は、少年の気の緩んだ時を逃さまいと、握り締めていたナイフの先端を伸ばし、テンの腹を狙う。
刻まれて風に流れていたはずの無数の白い布切れが、風の動きに反して空を流れた。
テンの前にいた男のナイフは、虚しく空に伸びていく。
先よりずっと早く移動したテンは、しゃがむ男の後ろに立って、男の首に短刀を添えていた。男にはテンの動く姿がまったく捉えられなかったのである。
男がいよいよ恐怖したことは言うまでもない。
「ナイフを離せ」
テンが言った直後に黒頭巾の男から「ぐわっ」というおかしな声が漏れた。
テンは黒頭巾の男に言ったわけではないのに、こちらの方が先に両手からナイフを落としている。
黒頭巾が風に舞い飛んでいった。男の顔がついに露わになったかと思いきや、今度は真っ白い布に全面を覆われていて、結局顔が分からない。男は必至に両手で顔を掻きむしっていた。顔中に張り付いた細かい白い布を取り払いたいのだ。
細かい布は男の鼻と口を覆い、呼吸を困難にしていたし、目や耳にまで張り付いて、男の視覚や聴覚にも影響を与えていた。男がパニックになるのは無理もない。
「馬鹿な。触れずに使えるだと?そんな報告は聞いていないぞ」
テンが首に短刀を添える男から漏れた素直な声だ。
これにテンは呆れ、シーラは笑った。
「どう調べたのかは知らないけれど、お兄さんたちはいい情報屋さんと付き合っていないみたいだね。この程度じゃ、この国を乗っ取ることは出来ないよ」
男は顔色悪く、ゆっくりと近付いてきたシーラを見上げる。シーラはもう飛んではいなかった。
「せっかくだから、少し脅しておこうか。陸にある常識で、海のものを見たらいけないよ、お兄さん。その場所がどこでも、もう海のものには関わらないことだ。そうしないと、酷い目に合うからね」
元黒頭巾の男の右手に残っていた晒しが、突然に手首を締め上げ、男の右手を上空へと持ち上げた。おかげで男は苦しいのに、右手を持ち上げられた体勢になって、ぴょんぴょんと飛び跳ねなければならない。それでも息苦しさは変わらず、左手で必死に顔の布を剥がそうとしている。
顔の見える男からはすっかりと血の気が引いていた。後ろには魔術の通用しなかった少年が立ち、首にはこの少年の持つ短刀が添えられている。そして目の前には、とても敵わない魔術師の女があった。絶体絶命の状況だ。
「さぁ、話をしよう。お兄さんたちは、この国で何をするつもりなの?」
シーラは明るく問うのである。何でもない世間話をしている口調が、男をさらに怯えさせた。
「待て!待ってくれ!頼む、ここまでだ」
男がナイフを砂に落とすと、すかさずテンはそれを蹴り飛ばし、シーラは身を屈めてそれを取り上げた。ナイフの先を見詰めて、シーラはにこにこと笑っている。
「これは突き用のナイフなんだね。通常のナイフと、魔術用として特別に作ったナイフを使い分けていたわけだ」
よく見れば、ナイフの先端だけが鋭く尖っているが、どちらの側面にも鋭利さがない。物を切るには適していないナイフだろう。
しかしシーラの晒しを刻んだナイフは、確かに通常の使い方が出来る、よく切れるナイフであった。
「それ、貰える?」
テンが突然に言った。これにはシーラが目を丸くして、それから笑い出す。
「こんなものも欲しいの?」
「珍しいからさ」
言ったテンは無表情のまま、男の首に短刀を添えていた。
「それなら、この人がまだ沢山持っていそうだから。いいものを選んだらいいよ」
シーラとテンの視線が上がった。
先より上空にあった元黒頭巾の男の顔がようやく確認出来るようになっている。いつの間にか白い布は男の顔から消えていた。しかし男はすでに気絶していて、口からは泡を吹いている。それで結局、いつもの顔付きはどんなものかと窺い知ることが出来ない。
男は右腕だけで空に吊り下げられた状態にあって、右腕以外のすべての部位はだらんと情けなくぶら下がっていた。それがゆっくりと砂浜に降りていき、やがて体ごと崩れ落ちる。そのまま落とさなかったのは、シーラの優しさだ。
細切れとなった白い布は風に乗って運ばれることなく、黒頭巾の男の周りに散らばっていた。これが意識のある方の男を警戒させている。次は自分の番ではないか。それ以前に首には短刀を突き付けられているわけで、男はずっと命の危機にあった。それで顔色は戻るところを失っていた。
「あの本はそんなに大事だったんだね、お兄さん」
シーラはゆっくり意識ある男に歩み寄りながら問い掛ける。
男は青白い顔でシーラを見上げるも、テンが後ろにいて短刀の先を首に当てているのだから、それ以上の身動きは出来なかった。
それに致命傷ではないにしても、足も背中も怪我をしている。この男に一人でこの場を切り抜ける力はもうない。すると男の運命は決まっていた。
男もそろそろ腹を決めたようで、顔色は悪いままだが、表情は先よりずっと穏やかなものに変わっていた。
「あれを理解したんだな?」
「そうだとしたら?」
「……警告してやる。余計なことをすると、命はない」
「お兄さんが言える立場にあるの?」
「俺たちなど下っ端もいいところだ。どうせここで捨てられる」
「それなら私が助けてあげようか?」
「俺を助けることなど出来ん。いいか、俺たちの背後にあるものを知ろうとするな。今ならまだ、俺たちの失敗だけで終わらせられる。俺たちより強い者に本を買われたことこそが、俺たちの悲運だった。本を失った理由は、俺たちの運が悪く、俺たちが弱かったという、それだけのことになる。本は取られたが、それで何か起こるわけではない。相手はこの意味を知るはずもないし、理解出来るはずもないんだ。ただ手を出したから、やり返された。俺たちが弱いから、ここで命運が尽きたのだ。これで終わりにしておけ」
「何を求めるか、求めないか、そして何を終わりにおくか、それは私たちの自由でしょう?」
「そうだ。お前たちは自由そのものだ。自由に何でも決めたらいい。それでも俺は言う」
男はなおも語った。シーラたちが何も聞いていないというのに。
「白状すると、俺はずっと自由に憧れて、この仕事に辿り着いたんだ。片田舎の街で最初から決められた仕事に就き、決められた相手と結婚して、これまでの人たちと同じように決められた人生を歩むのは御免だった。先がすべて見えていて、楽しくもないと分かり切った人生をはじめから与えられている辛さなど、お前たちには分からないだろうな。俺はそれを受け入れないことで、自由を選んでやったんだ。だから街を出て、魔術師に師事し、この仕事に就いた。俺はようやく自由になったと思っていた矢先のことだ。国を出てから、俺は気付いた。もっと自由な生き方がいくらでもあることを知ったんだ。俺はどこで何をしたって、いつも不自由にあると分かってしまった」
男はなおも朗々と語る。シーラとテンに何かを訴えかけるように。
「お前たちは知らず、幸せなんだぞ。自由に生きられる幸運を噛み締めろ。それをこんな下らぬきっかけで手放すことはない。お前たちの存在は国の問題に顔を突っ込むものではないな?この件は忘れ、海で自由に生きてくれ。それこそが、不自由な俺たちの救いになる。自由な生き方がこの世にあると知っているだけでも、いくらかの希望を見出す奴がいるだろう。変えられると知っているだけで、十分なんだ。俺がそうであったように。俺は確かに、あの田舎街を出ようと決めて、魔術を習っていた頃までは幸せだった。だからお前たちは、あんなものには関わらず……」
パァァン。大きな音が鳴り響いた。出所は、雑木林の中だ。
直後にパン、パン、パンと三度銃声が鳴った。かなり大きな音だったから、シーラが両の耳を押さえている。
雑木林から獣が草の中に落ちたような鈍い音が聞こえ、バサバサと鳥が複数羽上空へと飛び立ったことが確認出来たが、それっきり雑木林は元の静寂に戻った。
いつの間にか抜かれていたテンの左手は、またズボンのポケットの中に納まっている。
テンの前にいる男が前のめりに倒れていた。男の鼻と口を押えた幾枚かの小さな布が、風に舞い飛んで行く。
それからテンは右手に持っていた短刀を懐に仕舞うと、男の横に落ちた小さな銃弾を拾い上げ、銃弾に付いた砂をふっと息で払ってから、まじまじとこれを観察した。
「俺の知らない国だ」
テンは言い終えると、銃弾をポケットに仕舞った。
シーラは何かに納得した様子でにこにこと頷いて、それから男の所有していたナイフの向きをくるりと変えて、ハンドルの方をテンに向けて手渡した。
テンは当然の顔でこれを受け取って、ナイフを隅々まで観察しながら口を開く。
「両の側面を磨いた方がいいね。色んな用途に使えた方が便利だ」
「今度、鍛冶師に頼むとしよう」
「この国にも鍛冶師くらいいるよね?良さそうな人はいないの?」
「うーん。同じ魔術を使うなら、最も良さそうな人たちがいるけど」
シーラは思わせぶりなことを言って、テンの赤毛をいつも通り撫で回した。
短くなった右手の晒しも、すでに腕に巻かれ収まっていた。もちろんシーラが手を使って巻いたわけではない。
撫でられるテンは視線を横にずらしながら、さらに聞いた。
「他のも貰っていいんでしょ?」
「もちろん。どちらの男も、あと何本か持っていると思うよ」
「あっちの銃は?」
シーラが遠く視線を移し、雑木林を見やる。瞬間、悪寒がテンの体を突き抜けた。
テンは魔力を知らないが、ある意味で魔力を知っていた。海の魔術師の多くがこの嫌な気配を時折発するから、これが魔力というものなのだろうと認識している。
しかしテンには不思議なこともある。陸の魔術師にも幾度も会ってきたテンだが、彼らから同等のそれを感じたことがないのだ。そういうときは、ちょっと体がピリッとするくらいのもので、それは魔術を使えない者から感じる殺気ともさほど変わらない。目の前に倒れる二人の男も同等だった。
テンは魔術を知らず、海の魔術師の恐ろしさに触れている。
「まだいるなら場所を変えようよ。王子たちが来ちゃうよ」
「今日はもう何も起きないよ。あちらは手を出す気がないだろうからね」
「どうして?」
「今日終わりになれば、目的が達成出来ない」
「シーラは目的も知っているの?」
「知らないけれど、私たちが目的ではないでしょう。さてと。そろそろ時間切れだ。テンの欲しいものはあとで回収することにしようか。ナイフは今、選んでいいよ」
シーラが手を前に伸ばすと、両腕から白い晒しが解き放たれた。それは対をなし、美しく空を舞って、雑木林の中へ消えていく。
テンも左手をポケットから出して、両手で倒れた男たちの服の中を探り、ナイフを取り出した。ぽいぽいと砂浜に置かれたナイフは六本になり、テンは懐から皮袋を取り出すと、これらのナイフを無造作にその中に突っ込んで、それを堂々と腰にぶら下げる。
「選ばないの?」
「使えないものも、鍛冶師に直してもらうから」
シーラは優しく笑うと、「それはいいね。素材も良さそうなナイフだったから」と言った。
テンはシーラを見上げると、さらに質問を重ねた。聞けるうちに聞きたいことを聞いておこうと思ったのだ。
「この人たちはどうなるの?」
「それは私たちが考えなくていいことだよ」
「タークォンに任せるということ?」
「どちらがどうするか、それもお任せだね」
「シーラはタークォンを助けるつもりじゃなかったの?」
「まさか。私は海のものだ」
シーラが言ったあと、ようやく砂浜に人影が確認出来た。
王子たちが焦って走り寄って来るのは、銃声が聞こえたせいだ。結局彼らは何も見られなかったわけである。




