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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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23.正体


 黒頭巾の男はその場に立った状態で、ナイフの切先をシーラに向けた。動くつもりはないらしいが、そのナイフの先端だけはぐんぐんと前へ伸びていき、一直線にシーラの首を狙った。

 シーラは左足を引いたが、距離が近く、とても避けられない。


 と思われたところで、シーラの体が後ろに飛んだ。もちろん魔術だ。


 ぐんぐんと細く伸びていくナイフと、後ろに飛び続けるシーラの体は、次第に距離を詰めていき、あわや、というところでシーラの体がぐんと速度を増した。


 後ろに飛び続けるシーラと、動かぬ黒頭巾の男の手から伸び続けるナイフが、距離を詰めたり、離したりするだけの時間が続く。

 何故かシーラは、他の方向に体を避けない。上でも横でも別方向に飛んでしまえば、ナイフはシーラに届かないだろうに。

 テンは呆れながら、目の前の男と対峙しつつ、遠く離れていくシーラを横目で何度も確認した。

 男たちのナイフは明らかに真っ直ぐにしか伸びない。他の使い方は出来ないのではないか。

 テンは執拗に自分を狙うナイフを素早く駆けるだけで避けることが出来ていた。ナイフが予想外の方向には曲がらないからだ。

 だから、シーラは遊んでいる。

 気付いたテンは、小さくため息を吐いていた。


 もはやシーラの顔は遠く、確認も出来ないが、テンの考えを証明するかのようにいつもの陽気な声がテンの耳に届けられる。


「お兄さん、これはどこまで伸ばせるの?」


 良く通る大きな声に、黒頭巾の男の低い声も怒声のように返された。


「いくらでもだ」


 ナイフは手芸用の針ほどの細さになっている。限界ではないのか。

 テンの口角が上がった。もういい頃合いだ。


 テンの表情に動きがあったのと同じとき、シーラの右腕から突然白いものが伸びた。晒しが解かれたのだ。しかし黒頭巾の男にはシーラの表情はおろか、この白い物体も見えていないのではないか。

 シーラもまたテンと同じように笑っていた。


「凄いね、お兄さん。まだ伸ばしたら、どうなっちゃうのかなぁ?」


 独り言のように小さく言ったシーラは、手に僅かに晒しを巻き残した状態で、解いたそれを例の船のロープのようにぐねぐねと宙に浮かせ、また笑った。

 急に晒しが、空に向かってピンと張られ、真っ白い長剣のようになる。


 シーラの飛ぶ方向が変わった。

 真横にほんの少し移動したかと思えば、もはやナイフと呼んでいいかもわからない針金のような金属棒の横を平行して飛び、一直線に黒頭巾の男の方へと戻っていく。

 もちろんシーラは一度も足を砂浜には付けていない。何も使わず空を飛ぶ魔術師がここにいたのだ。


 それでシーラの腕からピンと天に向かって張られた晒しは、何度か横から針金を叩きつけた。

 シーラがそれほどの勢いをつけずとも、簡単に折られていくそれは、欠片となって音もなく砂浜に落ちていく。細くなり過ぎたナイフは、男からの魔力が届かない状態になると、軽く風に舞うほどに貧弱な武器となった。


 黒頭巾の男の手元ギリギリのところまで針金を折ったシーラは、男を越えて男の後ろでぐるっと旋回飛行すると、それから男の前に回り込み、男から最初と同じ距離を取って砂浜に降り立った。降り立つときには、風も起きず、僅かの砂も舞い上がらず、奇妙なほどにそれは静かな着地だった。


「聞いている。物を動かす魔術であろう」


 黒頭巾の男が低い声で言った直後だ。男の左手からもナイフが伸びた。


 シーラの腹に突き刺さるかと思ったナイフは、シーラのワンピースを引っ掻け、空に向かう。

 シーラが寸でのところで、斜め後方に飛んだからだ。


 が、シーラの顔色がとても悪い。


「リタが用意してくれた服なのに……」


「次こと突き刺してくれる!」


 ナイフは一度縮み、元の形状となって黒頭巾の男の左手に収まった。

 黒頭巾の男はそのナイフを右手に持ち変えると、またしてもシーラを狙いナイフを伸ばす。右利きなのだろう。

 

 ぐんぐん伸び行くナイフが届きそうになると、今度のシーラはあっさりと宙を真横に移動してこれを避けた。

 すると男もナイフを引き戻し、またシーラ目掛けて勢いナイフを伸ばすが、シーラは右へ左へとぐねぐねと宙を舞い、これを容易く避けてみせる。


 黒頭巾の男が次第に苛立ったことには、シーラがワンピースのほつれた部分を気にしていて、まったく男の顔もナイフも見ていなかったからだ。それもシーラの右腕から解かれた白い晒しは、シーラの動きに追従して流れるばかりで、シーラが晒しに魔力を込めていないことは誰の目にも明らかだった。

 命を狙おうという男を前に、一切の興味も示さない小娘を突き刺しにしてくれようと、黒頭巾の男はナイフを急速に伸縮させるも、ナイフの先端はいつもシーラの体を捉えず、空を突き刺すばかりである。


 その間も、テンはまだ砂浜を駆けていた。

 顔が見えている方の男も走り回るテンを突き刺そうと、何度もナイフを伸ばしている。これにしくじり、ナイフはいつも砂浜を突き刺すのだ。これはもう何度目だろう。

 テンは器用に弧を描きながら、低い体勢で砂浜を駆け、機会を待っていた。こちらの男も次第に苛立っていたのが分かったからだ。

 何度突き刺しても、ナイフの先端はテンの体を捉えず、いつもナイフは砂に埋もれるのだから、それはイライラするだろう。自分の周りを飛び交う虫を、いつまで経っても捕らえられないのと同じだ。


 苛立ちのせいで、男が腕を振る勢いも増した。それで男が伸ばしたナイフで砂浜を力いっぱい突いたときである。魔術だけで行えばよいものを、腕からの余計な勢いがついたせいで、ナイフの先端は今まで以上に深く砂に潜ってしまった。

 それで抜くまでに先より時間が掛かる。

 その瞬間を逃すテンではない。


 ナイフを逃れたときの勢いからさらに加速して、テンは男の脇を駆け抜けた。抜け様に身を屈めて男の足を短刀で切り付ける。

 今度は男のズボンだけではなく、肉を切った感触がはっきりとテンの腕に伝わった。


 男が突然の痛みに慌てて足を引くと、僅かに体勢が崩れた。倒れるほどではないが、ぐっと力を込めて、立て直さなければならない。


 テンは男の持つナイフの向きを確認しながら、通り抜けた男の脇から後方に回り込み、短刀を振り上げた。

 男の背中から血しぶきが飛ぶ。男は慌てて背中を抑えようとするが届かないし、これで立て直していた体勢を元に戻せなくなった。

 男は後ろ手を付いて崩れ落ちた身を支えると、しゃがんだ状態に留まった。男のズボンにも血が滲んでいるし、背中も酷いありさまだ。


 テンは伸びたナイフが避けられる距離まで離れ、男の正面に移動すると男からの次の動作を持った。右手に血のついた短刀を持つテンは、顔色ひとつ変えていない。左手もこれまでずっとズボンのポケットに入れたままである。


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