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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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21.置き去り


 真っ白い砂煙が立ち上り、浜辺を隠してしまったとき、雑木林は騒然となった。

 それぞれに決められた配置に付き、待機していた警備兵たちが、任務を行えなくなったことに対して、一斉に狼狽したからだ。

 この国の警備兵たちの程度が心配にもなったイルハだが、こうなることなど想定済みだった。臣下としての忠義を示すために報告したことを後悔はしていないが、主君を説得出来なかったことには強い後悔を感じている。

 このように警備兵を並べても無意味だと進言していたし、もっと離れたところで待機させておき、すべてが終わってから現場に向かわせるべきだと王子にははっきりと伝えていた。ただ邪魔になる存在でしかないと分かっていたからだ。イルハはそこに自分自身も含めている。

 それなのに王子は、どうしてもシーラたちを観察すると言って聞かなかったし、警備兵を使うようトニーヨに指示を出した。王子は本気で、後方から二人を援護するつもりでいたらしい。


 砂塵は雑木林に届くことはなく、咽る者もなかった。

 風が止まると、砂はあっという間に元の場所に収まり、何もなかったかのような静かな浜辺がそこに広がっていた。浜辺に打ち寄せては引いていく波の音だけが続き、辺りには人影もない。


「消えちまったじゃねぇか!」


 雑木林から浜辺に出てきた王子から怒声が飛んだ。

 隣に控えるイルハは、無礼にも冷ややかな瞳で主君を見やり、淡々と伝えるのである。


「こうなると、お伝えしたはずです」


「上手く諭せ!妻だろうが」


「それが出来る相手であったなら、妻にはしていませんね」


 ここで笑ったのは、のそのそと雑木林から出て来たシュウレンだ。タークォン一の魔術師とうたわれるこの老人は、王子に命じられて渋々とこの茶番に付き合っていた。


「海の方々をどうこう出来ると思わん方がいいですわい」


 王子はすこぶる機嫌が悪く、シュウレンには何も言わなかった。


「如何様にいたしましょうか?」


 トニーヨがおずおずと王子に指示を求めると、王子は何故かイルハを睨むのだ。

 雑木林にはトニーヨの指示を待つ沢山の警備兵たちが潜んでいた。シーラたちにとって、潜めているとはとても言えなかったけれど、一応彼らは身を隠している。


「どうする気だ?」


「おそらく西に移動しただけでしょう」


「まだ浜辺に居るのか?」


「北の浜辺で遊ぶように伝えましたからね。しかし我らが移動すれば、また逃げられるでしょう」


「この機会を逃すのか?」


「そもそもこれは我らが対処すべき案件です。身内養護の意はありませんので、そのようにお聞き願いたいのですが、妻は好意でタークォンに協力してくれていますが、その妻の秘密を暴こうとするならば、好意がこれからも続く保証はありません」


「お前のためなら、いつでもどこでも動くんじゃねぇのか?」


「そのように甘い妻に見えるでしょうか?」


「そうなるように、なんとかしろと言っているんだ!」


「何とかした結果として、今回の協力を得られたものと考えています」


 王子がカッと目を見開いたが、その怒りは何故かイルハから逸れた。


「……シュウレン!」


「なんですかな?」


 王子の大きな呼び声にも、老人は穏やかな微笑みを崩さずに反応する。


「お前がいれば、どうにかなるな?」


 老人は気持ちよく笑いながら、それほどいい回答をしなかった。


「一方はどうにかなりますわな。あれは相手も分からぬ小者ですわい」


 ここでイルハの冷たい視線がシュウレンに向かった。顔に無数に入る深い皺は、長く海の上で強い日差しを受け続けて来た影響だろうか。

 けれどもシーラはそれほどに日焼けをしていない。いつも船上でさんさんと陽の光を受けていたら、真っ黒に焼けていても良さそうなものだが、シーラの肌は健康的な色味ではあるものの、日焼けをしているように感じさせるような肌色ではなかった。そういえばテンもそれほど焼けてはいないが、どうなっているのだろう。妻のお得意の魔術で日焼けも制御しているのかと、イルハは想像しながら、シュウレンに前から聞きたかったことを問うことにした。


「妻の魔力をよくご存じのようで。まるで一度経験したかのようですね」


 老人はまた気持ちよく声を上げて笑った。


「海のものには関わらん方がいいと、若い頃に学び過ぎるほどに学んでおりましてな」


「では、ユメリエンで妻と共に過ごしていたのは、やむを得ぬ事情があったからということですね?」


「聞く相手が違うじゃろうに。のぅ、タビト」


 むすっとした顔のまま、タビトは頷きもしない。ずっとシュウレンの隣にいたが、彼は今日この場に呼ばれてから一度も声を発していなかなった。

 それは機嫌が悪いせいではない。確かに王子に呼び出されてからというもの、機嫌は良くなかったが、シュウレンの声にも反応出来ないほどにタビトの意識が他に向いていたからだ。タビトは今、必死に魔力を追っている。先は複数のところから発せられる魔力が、西に流れていくところまでは追い掛けられた。まだ浜辺にも残り香のような魔力が漂っていて、遠く西の方からも明らかに強い魔力がぷんぷんと溢れ、ここまで流れて来ている。正直、こんなところで言い争っているよりも、早く現場に向かいたいタビトであった。


「何の話をしている?」


 王子が苛立った声を張り上げるも、シュウレンもイルハも正反対ながら冷静に対応する。


「妻が良くして頂いているようで、お礼を伝えようと思っただけです」


「お礼をされる覚えはないわい。それよりこの場はどうなさるおつもりで?」


「この国の問題だ。不信な者があれば、俺たちで捕えるべきだろう。シュウレンが筆頭で動き、あいつらを捕えろ。いいな?」


「良くはありませんなぁ」


「出来ると言っただろうが」


「お嬢さんとの間には入りませんぞ。いえ、入れませんと言った方がよろしいかのぅ」


「それでいい。俺も行くから、俺たちも守れ。これでいいな、イルハ?」


 イルハは主君の命にも、容易くは同意しない男である。


「シュウレン殿。本当に問題ないと思われますか?」


「問題はなかろうが、お嬢さんがせっかく場所を変えてくれたのに、また大人数でぞろそろと追い掛けるようなことを良しとはしませんなぁ」


「あいつは俺たちに見られたくなくて、逃げたんだろうが」


 老人の笑い声は、静かに続く波音と合間って、穏やかな雰囲気を作る。それが王子の心には響かない。


「ここで行えば、お仲間が警備兵たちに手を出しておりましたぞ」


「仲間だと?」


「あれと共に移動してくれて助かりましたわ。わしも歳じゃからのぅ」


「仲間がどこにいたと言うんだ?分かっているなら、何故言わん?」


 シュウレンの顔付きがほんのりと変わったことにイルハは気付いた。笑顔であるが、目の奥に陰気が滲んでいる。この老人、やはり食えないとイルハは思った。


「長くこの国に世話になっておる身として、殿下にもご忠告申し上げましょう。魔術師を相手にする際、斯様に多くの魔術を使えん者たちを動かさんことですわ。臣下の命を大事に想う気持ちがあればですがのぅ」


「……おい、イルハ。トニーヨ」


「は」


 イルハとトニーヨが軽く頭を下げて指示を待つ。


「警備兵は元の仕事に戻せ。俺たちだけで移動する。シュウレンは最後まで俺に付き合え。それからこれが終わったら、魔術師の対策を本気で考えろ。いいな!」


「御意」


 とはっきり答えのはイルハだ。トニーヨは困惑していた分、遅れて頷いた。

 まだ王子の命に困惑していたトニーヨだが、今出来ることとして、急ぎ上位の警備兵に指示を出し、雑木林に潜む警備兵たちを解散させた。

 警備兵の一人から王子の警備はどうするのかと問われて困ったが、王子が大きな声で「こっちは構うな!」と怒鳴るから、トニーヨも王子の警備は自分たちで行うから気にするなと伝えて、全員をこの場から立ち去らせた。これで王子警護の全責任がトニーヨに預けられた形だ。元から責任は副長官であるトニーヨに存在していたが、現場のことで知らないという言い訳が通用しなくなって、トニーヨにとっては気が重い事態である。


「この浜辺も無防備なものですなぁ」


 王子とトニーヨが話している間に、シュウレンが静かにそう言ったのはあえてだろう。イルハは頷き、「とは言え、海軍兵や警備兵を配備したところで、何にもならないでしょう」とシュウレンと同調したような静かな声で返した。


「海から来るものの対策ならば、お嬢さんに聞いてみたらどうじゃ?」


「助言を引き出すことが出来たとしても、対策をするのは我らに違いありません。そのことで少々のご相談がありまして。あとでお時間を頂いても?」


「わしはいつも同じ場所におるわい」


「問題ない時間を聞いているのです」


「ほとんどのとき、一人で過ごしておりますわ。一応上司はおりますが、滅多に来られませんからなぁ」


 イルハは頷き、王子を追い始めた。王子がさっさと浜辺を歩き出したからだ。トニーヨが慌てて王子の後を追っている。


 西へ向かう王子たちの後ろを歩きながら、シュウレンはタビトにそっと伝えた。


「もう少しこの国に留まっておくとよろしい。タークォンも面白くなってくるわい」


「何が起こっているのでしょうか?」


「この国がずっと長く平和でいられるという幻想がようやく崩れようとしているんじゃわ」


「それは……」


「どの国も変わらんのじゃよ。わしらにとっては、同じようにこの世にあるひとつの国じゃ。国というのはいつも変わっておる」


「変わっているとは?」


「この瞬間、瞬間に、どの国も変わっておるんじゃよ。わしらにとってはどれも変わらぬただの流れじゃが、国にあり続けることでそれが大きく見えるときがあってのぅ。タビトにも腕試しのチャンスが降ってくるわい。腕を磨いておくことじゃ」


 タビトは顔を引き締め、前を向いた。先より強い魔力があるところから溢れている。間違いなく、あの娘がその場所で戦っている。

 魔術師の戦いなど、訓練以外で経験したことがないタビトは、明らかに興奮していた。静かに振る舞っているが、先から胸が躍って静まらない。退屈な日常が覆る可能性が出て来たことは、タビトにとっては朗報に違いなかった。たとえそれがタークォンにとって良くないことであっても、それほどまでにタビトはタークォンという国を愛していない。


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