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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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17.ピザ屋の定休日


 熱々のピザを頬張るシーラとテンの目の前に、ラジーが座っている。店内には他に客がない。

 ラジーはたった今開いた本を、空いた後ろのテーブルに重ねていく。本はすでに高く積み上げられていた。


「さすがに今は亡き国のことは知らないか?」


「どこの国?」


「クランベールという国だ。十年ほど前に別の国になったと聞く」


 テンは顔を動かさず、視線だけでシーラの横顔を見やった。シーラは動じずにピザを食べている。テンもまたすぐに視線を戻し、ピザを咥えた。

 今日のピザはいつもと違う。二人が船から持ち込んだ牛肉の缶詰を使ったピザだ。タークォンで肉料理を食べられることには、テンは特別に喜んだ。

 ララエールでは羊の肉をよく食していたから、成長期のテンにとってタークォンの魚介料理は少々物足りないものであっただろう。だから食べる勢いがいつもよりさらに早い。それに負けないように、シーラも今日はピザを食べる手を止めなかった。


 シーラとテンが黙々と食べている間、店内は静かなものである。あとはラジーが本を繰る音が聞こえ、それからラジーが二人の食べる邪魔をしない程度に気を付けながら、本の内容について問い掛けた。

 シーラが説明する間もテンは食べ続けていたから、シーラも行儀悪く、まだ口にピザがある状態で話すこともあった。気を抜くと、あっという間にピザが消えそうだったからだ。


 今日、この店は開いていない。

 ラジーは元から不定期に店を閉める男だが、今日店を閉めたのは、もちろん目の前の二人と付き合うためだ。

 ラジーの表情はこれまでになく明るい。ぶっきらぼうな物言いをする男だが、表情は豊かであって、それが今日は増している。


 今日のシーラは指先まで巻かれていた細い晒しを席についてから外し、手や指に巻いていた分を手首にぐるぐると巻き付けた。おかげで手首はバンドを巻いたように分厚い晒しの層が出来ている。

 前に来たときにピザのソースで晒しを汚してしまったから、気を付けることにしたようだ。

 イルハの休日にこの動作がなかったのは、何も巻いていなかったからである。テンはまだこれに慣れず、シーラのまっさらな手を見ては何度も驚いていた。どこの国でもシーラは決して晒しを外すことがなかったのに。それだけイルハに対しては、気を許しているということなのだろうか。それともやはり何かの考えがあって、あえてそうしているのか。


 テンは沢山のことを考えながらも、ピザを食べることは辞めなかった。本当に美味しかったのだ。


「クランベールのことなら、よく知っているよ!小さい頃の記憶だから、ちょっとあやふやだけど」


「それはいい。何を書いてあるかはさっぱり分からんから、絵を見てくれ。丸い何かの菓子のようだが、覚えはあるか?」


 ピザのチーズとソースで手が汚れているシーラのために、ラジーは本を開き、シーラに見せつけた。


「これはパンだね。クランベールは麦を栽培していたから、パンの種類も豊富だったんだ。この丸いパンは柔らかくて、少し甘みがあって、子どものおやつにもよく食べられていたんだよ」


「なら、これもパンか?」


 ラジーはページを繰って、少し先のところをシーラに見せ付けた。


「これもパンだね。この長いパンは、スープに浸して食べるために作られていたんだ。ユメリエンにも硬いパンがあるでしょう?それよりもっと硬くて、そのまま食べるにはちょっと大変なパンでね」


「ユメリエンのパンは確かに硬いと聞いたことがある。それよりも硬いとなると、とても食べられそうにないが、そんなに硬いパンが美味しいのか?」


「硬いパンをスープに浸すと、ちょうどよく柔らかくなって、美味しいんだよ。タークォンでもパンを浸して食べる食べ方はするよね?」


「あぁ。タークォンも冬になるとパンにシチューを合わせる料理が増える。だが、硬いパンは喜ばれないな」


「食べたことがないだけじゃない?とっても美味しいよ」


「それはあるな。硬いパンを作って貰えないか聞いてみよう」


「もしかしてルックとサリーに頼むの?」


「あぁ。あの店は提案すると喜んで試作してくれる。うちで作ってもいいが、パンならあの二人に任せた方が成功する可能性が高いんだ」


「パンも仕入れたりしているんだ?」


「今はしていないが、料理が増えたら仕入れたいとは言ってある」


「そっかぁ。今はピザとリゾットのお店だものね」


「冬の前には、もっと料理を増やしたい。そのために聞くが、この本は読めるんだな?」


「読めるけど、意味が分からない言葉もたくさんあるよ」


「それは俺が解読する。そのまま読んでくれ」


「分かった。あとで読もう。まずは食べさせて」


「そうだな。熱いうちに食べてくれ。今日はいくらでも食べていいぞ。次は……これもパンか?」


 ラジーの持つ本には、またしても丸い物体の絵が描かれていた。クランベールの言葉は、ラジーには難解で彼はまったく理解していない。いつか読みたいと願い、蔵書に加えたが、パラパラと挿絵を眺めたあとは、そのまま棚に放置されていた。

 テンは時折シーラを盗み見るように、横目で確認している。シーラはいつもクランベールの話を普通にしていた。けれどもそれは自分も同じだから、驚きはない。

 それよりも気になるのは、シーラはクランベールの本を読まないのかということだ。集めて回っても良さそうなのに、そういう姿も見たことはない。

 

「これはお菓子だよ!パンに似ているけど、サクサクした生地で、中は空洞なんだ。そこにカスタードクリームを詰めて食べるんだけど、これがとっても美味しいんだよ」


「もしかしてシュークリーム?」


 テンが言うと、ラジーはとても驚いた。クランベールが亡国になったとき、テンはまだ赤ん坊ではなかったか?


「ララエールにもあったんだよ」


 テンが補足すると、ラジーも納得し、落ち着いた。

 シーラは自分の祖国について何も言わないが、テンは祖国がララエールであることをラジーにあっさり明かしている。人に隠すようなことだとは思っていない。


「ララエールとクランベールは近い国だったから、似たお菓子も多いんだよね。シュークリームはよく揉めていたなぁ」


「あれでしょ?どちらの国のシュークリームが美味しいかって話」


「そうそう。ちょっと違って面白いんだよね。私はどちらも好きだったけどなぁ」


「どう違うんだ?詳しく言ってくれ」


「形は似ているんだけど、生地は違うよね?」


「俺はクランベールのシュークリームを食べたことはないけど、聞いたことはあるよ。ララエールのシュークリームはふんわりしていたのに、クランベールは硬いんだよね?」


「そうだね。生地は硬めで、サクサクしていたよ。それに確か、中のクリームも違って……ラジー、ララエールの本はどうしたの?」


「菓子の本だな。さっき、あとでと言って……」


 ラジーが後ろの席に積み重ねた本を崩さぬように気を付けて、下の方から一冊の本を抜き取った。すぐに振り向き、ページを繰っていく。


「どれだろうな」


「あとで見てあげるよ」


 テンも読み書きくらいは出来る。共通語とララエールの言葉なら問題はない。


「あとで本を確認するとして、そのクリームの違いはなんだ?」


「色が違ったから、ララエールはミルクのクリームなんじゃないかな」


「白かったということか?」


「うん。あと何か……そうだ、黒い粒が入っていた気がするよ。本当に小さい粒で、食べても感触はないんだけど」


「そうだね。ララエールのシュークリームの中身には、黒い点々があった」


「それはバニラじゃないか?」


「それだよ、ラジー。ララエールはバニラもよく採れるからね」


 テンの得意気な顔を見て、シーラは優しく微笑んだ。テンは恥ずかしくなって、顔を背ける。


「どちらも作ってみたいな」


「すぐに作れるものなの!」


「分からんが、どちらの本も読めるとなれば、似たものは作れよう。材料があれば、完璧に再現することも出来るが」


「材料かぁ」


「なければタークォンにあるもので代用することになるな」


「ねぇ、ラジー。この国って面白いよね。獣肉は食べないのに、卵も食べるし、ミルクも飲んで」


「肉でなければ、いいんだろう」


「ミルクって、牛のミルクも飲めるの?」


「禁止されているな。店に出す分は、チーズも山羊のものにしているぞ」


 テンはついこの間、王子たちと共にライカルとユメリエンで過ごした時間を思い出した。

 牛のミルクを使った料理もあった気がするが、気付いていないということだろうか。普段から山羊のミルクで当然だと思っていたら、これは牛のミルクかもしれないなどと疑う考えが生まれないのか。

 そもそもケーキなどにミルクを使っているという考えもないのかもしれない。

 カイエーンは大丈夫かなぁ?と、少年は勝手に心配してしまった。カイエーンとは、タークォンに戻ってからは一度も会っていない。


「お店に出す分ってことは、ラジーは気にしないの?」


「さっきピザを摘まんでいたのに、聞くか?」


 シーラは楽しそうに笑った。テンもつられて笑いそうになって、奥歯を噛んだ。シーラは笑ってはいけないなどと言ったことはないが、テンはなるべく感情を出さない方がいいと考えている。

 シーラがテンに指示したこと。それは陸では陸にいそうな普通の少年であれというだけである。

 テンにとっての普通が、無表情の口数少ない少年になるのだから。シーラはこれが可笑しくて、よく可愛がっていた。基本的にはテンの好きにさせている。

 だからラジーの前でテンが笑ったところで、テンは誰にも咎められないのだけれど。意地でも陸では、いや、他国では笑いたくないテンであった。それに、慣れたことでもある。


「私たちの前でそんなことをして大丈夫?」


「シーラもテンも訴えないだろう?」


 テンは思わずシーラを見た。

 シーラは言わないと知っているが、シーラの夫はこの国の法務長官である。

 この店も心配だなぁと、テンは思った。


「当然だよ。どう生きようが、その人の自由だもの。国の決まりなんて知らないね」


「それなら気にするな。さっきの干し肉も使っていいか?」


「もちろん。持ってきたものは全部使って」


「これは助かる。今日はゆっくりしていけ。あとで腹が空いた頃にもう一品作るぞ」


「わぁ、楽しみ。嬉しいね、テン」


「まだ食べられるなら、俺もいくらでも協力するよ」


 この調子だから。今日は街の見物も出来ていないが、シーラもテンもラジーとのおしゃべりを楽しんでいたし、腹も満たされ幸せだった。


「この本はどうだ?どこの国かも知らないが」


 ラジーはまた別の本を取ってシーラに表紙を見せた。


「ノーナイトだよ。ノーナイトは、塩辛い料理が多いんだよね。お菓子でも、甘さにしょっぱさが加わるんだけど、それが塩とはまた違った、独特の味わいなんだ。だから甘さにも合っていてね。前に聞いてみたんだけど、特別な調味料があるんだって。私は料理が出来ないから買わなかったけど、お土産で買っていく人も多いみたいだね」


「調味料が特殊となると、再現は難しいな」


「タークォンでは仕入れていないの?」


「日持ちするものであれば、あるかもしれん。あとで店を見て来よう」


「もしかして、貿易商のお店?」


「貿易商かどうかは知らんが、輸入食品の店だ」


「そっか。この国からすると輸入だね。貿易商から仕入れている店かな。そのお店はどの辺にあるの?」


「興味があるなら、これから行くか?」


「一緒に行っていいの?」


「問題ないぞ。テンもどうだ?」


「そうだね。また食べるなら少し動きたいや」


 シーラとテンの二人だけれど、二人がお腹を空かせていると言うから、ラジーはまたしてもこの店で焼ける最大のピザを作って提供した。

 それもラジーは共に食べようと考えていたからなのだけれど、そのほとんどがシーラとテンの胃袋に収まっている。


「二人はもうお腹がいっぱいか?」


「そんなことないよ。ねぇ、テン?」


「うん。食べようと思えば、いくらでも」


 こんなにピザを食べても、まだ食べられると言う。二人はラジーをよく笑わせた。


「菓子でも持って行って、外で食べるか?これから行く店の近くに、いい公園があるぞ」


「素敵!今日は天気も良くて外で食べるには最高だね!どんなお菓子なの?」


「試作品だが、今日はタークォンらしい菓子だから、期待外れかもしれん」


「私たちにはタークォンのお菓子だって珍しいんだから!どんなものなの?」


「サチベリーのジャムをもっと煮詰めて、パイ生地に包んで焼いてみたんだ。この間、気になることを言っていただろう」


「もしかして、リンゴのパイのこと?」


「それだ。おそらく形は違うだろうが、似たものを作ってみた」


「サチベリーのジャムも美味しいものね!きっとパイに合うよ!楽しみだね、テン。早く、ピザを食べ切ろう!」


 切り分けたピザは残り二枚。シーラとテンがそれぞれ大皿から手に取って、自分の皿に移し、食べ始めた。シーラはとても幸せそうな顔をするし、テンもまた、表情がなくても美味しさを感じていることは食べっぷりからよく伝わって、ラジーは満足した顔をしている。


「出掛ける前に、パンの作り方だけでも読んでくれ。それから食材を仕入れるために……あぁ、どれから始めるか……」


「分かっているよ、ラジー。本を何冊か読んでから行こう。ねぇ、テン。まだ時間はたっぷりあるんだから、それでいいよね?」


 テンはただ頷いた。今日はテンも楽しんでいる。


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