15.デザートの秘密
ラジーの店に到着したのは、お腹を空かせるために、馬車を使ってタークォンの方々を観光したあとだった。
「今日はあの子はいないのか?」
店に入り勝手に空いた席に着くと、しばらくして注文を取りに来たラジーは、シーラに気安く語り掛けた。誰と来ているかなど、目もくれない。
予想より若い男でイルハは驚いたが、一人でピザ屋を立ち上げ、これを営んでいるとしたら、立派な若者であろう。
「今日のテンは出掛ける気分じゃないみたいでね。また別の日に連れて来るよ!ラジーのお店はいつも繁盛しているね!」
「有難いことにな。ピザでいいな?」
シーラが同席する者たちを順に見やった。答えたのは王子だ。
「任せるぜ」
「じゃあ、とても大きなピザをお願い!今日は大人が四人だからね!」
「とてもは無理だが、なるべく大きく作る。足りなかったら、追加で頼め」
ラジーは笑いを堪えながら言った。ラジーから話し掛けたのも、この騒がしい客を気に入っているからだろう。この店では、混雑時に長く放置される客も多いというのに。大体しびれを切らした客の方が、厨房に向かって声を掛けて、自ら注文を伝えている。それで成り立っているから、ラジーも客が来てすぐに顔を見せない。
シーラの声は店内によく通るから、厨房にいても誰が来ているのか分かるのだろう。
「おかわりもいいけど、あとでリゾットも食べたいからね。ねぇ、お酒はどうする?」
「お前なぁ」
王子の視線はイルハに向かう。イルハは何も起こっていないという顔で、王子に真顔を向けた。
「外で飲ませたことはありませんが、誰かの許可があればなんとかなるでしょうね」
シーラが期待一杯の瞳で王子を見詰めれば、王子からため息が漏れた。
「好きにしろよ。というか、お前はテンと二人でもこうなのか?」
「ここでは飲まなかったよ?」
「他では飲んだと?」
シーラはイルハに視線をやった。ブランデーの店のことだろうと、イルハは理解し、テーブルの下でシーラの太ももに手を置いた。
「妻もよく気を付けているようですので。多めに見て頂けないでしょうか?」
「俺は咎めん。お前の仕事だ」
「身内には甘い、未熟な男だったようです。精進いたしますが、こればかりは変えられそうにありません」
王子もこれには笑ったし、シーラとキリムも質の異なる笑い声を重ねた。外では布で顔を隠していたキリムだが、店に入ってからはそれも外している。
「じゃあ、ラジー。ピザに合うお酒も貰える?」
「いい酒がある。待っていろ」
「わぁ、楽しみ!」
シーラとラジーはとても親しげだが、これでもまだ一度会っただけである。テンを連れてあちこちの店に足を運んでいるところだから、まだ同じ店に何度も通うまでの日数を過ごしていなかった。
ラジーはすぐに酒と四つのグラスを持って、シーラの元に戻った。
「アルニアの葡萄酒だ。ピザによく合うが、先に飲んでいていい。今日は時間が掛かるから、ナッツでも食べていてくれ」
「葡萄酒がピザに合うんだ?」
「葡萄酒のなかでも、合う味を選んでいる。デザートも食べていくか?」
「それなんだけど!ラジーに聞きたいことがあるの?いい?」
「それはいいが、デザートは食べないのか?」
「今日は食べてきたから、どうかなぁ?」
「なら、酒をサービスしてやろう。好きに飲め」
「わぁ、いいの!沢山飲んじゃうよ?」
「その代わり、沢山食べろ」
「もちろん!沢山食べるよ。ねぇ、イルハ」
イルハはひっそりと頷くだけだ。
シーラと話す男は、この世にどれだけいるのだろうか。嫉妬はないが、複雑な気持ちはあった。それでも夫になれたのはイルハだけだと考えると、イルハには他の男たちに嫉妬する理由はない。そう考えても複雑な気持ちになるのは、イルハがタークォンで生まれ育った人間だからだろう。本来なら妻を家の奥に隠し、他の男と語らせない。目の前の主君もまた、この慣習を破っているのだけれど、それはイルハ自身には関係なく、イルハの考えに影響を与えるものではなかった。イルハを変えるのは、いつもシーラだ。
グラスに注いだ葡萄酒を味わいながら、四人はピザが焼けるときを待った。
「いい香りがしますわね」
「ピザの焼ける匂いって、とても素敵だよね」
「この香りだけで、葡萄酒も美味いな」
他の客たちも同じように葡萄酒を飲んでいて、店内には笑い声が溢れていた。
タークォンには成人した後に酒を飲んではいけないという法はない。戸外で飲むことが許されていないだけだ。
「それで、デザートがなんだって?」
ラジーが焼ける範囲で最も大きなピザを運びながら聞いた。ピザは大皿からもはみ出している。
「わぁ、美味しそう!とてもいい匂いだね!」
「うちのピザはいつも美味い。デザートの話はいいか?」
「あ、そうだった。そうなの。あのね、ラジー。近くに新しくデザートのお店が出来たでしょう」
「あぁ、あれか。あれは俺が教えた」
「そうだったの!だから同じ味だったんだ!」
「問題ないか?」
「待って。ラジーはどこであのデザートを知ったの?」
「俺か?俺は各国の料理本を集めていて……」
「料理本!!!」
シーラが途端に興奮した。
「どこの国の料理本なの?」
「色んな国だ。かなり多い」
「ねぇ、見せて!良かったら、それを見せて!」
「食べ終えたら、厨房に入ってこい」
ラジーの誘いはあっさりしたものだった。他人を厨房に入れたがらない料理人も多いが、ラジーにはそれがない。
「わぁ、いいの」
「まずは食え。冷める前に食べ終えろ」
「そうだね!食べよう、みんな!」
料理などしないシーラなのに、どうして料理本に興味を示すのだろう。
イルハは不思議なものを見るように、妻を見やった。そういう未だに分からないところも、愛しいと思う。
「失礼ですが、私も見せて頂いても?」
「シーラの夫か?」
「えぇ。そうです。先日は妻がお世話になりまして」
イルハは淡々と言ったのに、シーラは何故か頬を赤らめた。これが可愛く見えたのだろう。イルハはほんの僅かなとき、シーラに優しく微笑みかける。王子はこれを見て、うんざりしたように顔を顰めた。
「何も世話はしていないが、いい男だな。別にいいぞ」
「いい男だって、イルハ。やっぱりイルハは素敵だって分かるんだね!」
知らぬ男に褒められても嬉しくないが、シーラからの言葉に変わると、それも変わる。
しかし、イルハは気になった。この男は自分を知らないのか。
とろけたチーズがたっぷりと乗ったピザを急いで食べ終えたシーラは、勝手に厨房に入ると、リゾットを注文した。
ラジーは石窯の前でピザを焼く作業に忙しくて、「右奥だ。勝手に見ろ」と叫ぶ。イルハもシーラの後を追って、厨房に入った。王子とキリムは客席に残り、葡萄酒を楽しんでいる。
石窯を越えて、洗い場も越えると、奥に繋がる細い廊下があった。廊下の先は自宅だろうか。この廊下の右側の壁に棚が並んでいて、かなりの数の本が棚に収まっている。
シーラは目を輝かせて、棚の隅々まで確認していった。左上から右下まで、体ごと移動しながら棚を眺めていく。一方、隣のイルハは体を動かさず、視線だけを動かして、本の背表紙を確認していった。
「見て、イルハ。シャランソの本まであるよ」
「これは驚きましたね。ノーナイトやカコエサインの本もあります」
「料理の本ってどうなんだろう?」
シーラが棚から一冊抜き取って、ページを開いた。挿絵が多く、それから数値の記載が多い。共通語の本ではあるが、料理をしないシーラには言葉の意味が理解出来ず、シーラは首を捻り、しばらく黙った。
その間にイルハも棚の高いところからノーナイトの本を抜き取り、開いてみる。以前ノーナイトの言葉を解読出来たイルハだったが、料理を表現する言葉には疎く、これまた理解するのにかなりの時間を要しそうだった。
「これ、ノーナイトで食べたお菓子のことだよ!甘じょっぱくて、美味しいんだ」
シーラがイルハの開いた本を覗き込んで、叫ぶ。
「その甘じょっぱい菓子は、この通り作れば再現出来るのでしょうか?」
「そういうことなの?」
「料理本ですからね」
「料理本って、さっぱり何を書いてあるか分からないね」
「それは、あなたが料理をしないからですよ」
「そうだよね。共通語でもさっぱりだった。料理をしないと理解出来ないのかな?」
シーラはとても楽しそうだ。
「そんなこともないでしょう。それ以前に、その国にしかない手法だとすれば、料理をする人にも分からない可能性がありますよ」
「そんなこともあるの?」
「当然だ。俺もほとんど分からない」
手が空いたのか、ラジーも廊下にやって来た。
「ラジーにも分からないんだ?」
「俺は異国の言葉も知らん。ほとんどは読めないぞ」
「そうだったの。それで料理が出来るなんて、凄いね」
「凄くない。出来ないから、ピザとリゾットとパンナコッタしか出せないんだ」
「本当はもっと作りたいんだ?」
「出来ればここを多国籍の料理屋にしていきたい」
「それは凄い!タークォンに居ながら、色んな国の料理を楽しめるなんて面白いや。だけどラジー、こんなに沢山の本をどうやって集めたの?」
「本屋に通うだけだ。料理本など、いつ入るか分からないからな」
「それは分かるよ!本屋に行くたびに、新しい本に出会えて楽しいよね!だから本屋って、日を開けず通いたくなるんだ」
「シーラも異国の本が好きか?」
「私にとってはすべてが異国の本だから、全部面白いよ。そうだ、ラジー。今度どこかの国で料理本を仕入れて来ようか?」
「それは是非とも願いたいな。金を出すから買っておいてくれ。輸送費も含めていい」
「お金より、料理をご馳走してよ!」
「それでいいなら、いくらでも食べさせてやるぞ」
「やった!それなら、料理本は忘れないようにしなくちゃね。ねぇ、ラジー。パンナコッタはどこの国のお菓子なの?」
「あれはセーレンダールの菓子だ。知っているか?」
「セーレンダール!あの牛がそこら中にいるセーレンダールなの!」
「ピザもセーレンダールの料理本からヒントを得たものだ。そのままではないが、改良して、タークォンに合うようにしている」
「そうだったの!」
「あなたはセーレンダールにも?」
「何度かあるよ。うんと若い頃の話だけど」
シーラの言う、うんと若い頃とはいつなのか。テンの年頃には、すでに海にあったシーラであるから、そのときもうんと若い頃と言えようが、あえて言っているのなら違う気がするとイルハは思い、シーラに熱の籠った視線を向けた。
「行ったことがあるのか。うちのピザやパンナコッタは比べるとどうだ?」
「それが食べた覚えがないんだよね。ピザなら別の国でもよく食べるんだけど。ラジーのピザって、どこの国とも違うよね」
「ピザ自体は、タークォンにもありますよ。この店のように、チーズを使ったピザは初めて食べましたけれど」
「そうだろう。そのチーズこそ、セーレンダールの食べ方だ」
「我が国のピザは何かのソースだけを使う店が多いですね」
「そうだったんだ。タークォンで他のピザを食べたことがないから、ピザはない国かと思っていたよ」
「今度、食べに行きましょうか」
「わぁ、いいの」
「シーラ。俺も聞きたい。セーレンダールで何を食べた?」
「それが、あまり覚えていないんだよね。もっと別の何かを頂いた気がするんだけど。何かミルクの冷たいデザートを食べた気がするんだ。それはパンナコッタじゃなかったよ」
それはもしや。位置的にもそうか。
イルハは一人納得し、シーラを見やる。シーラはラジーとの会話をただ楽しんでいた。シーラは自分の過去をどう捉えているのだろう。
「冷たいデザートとすると、あれかもしれんな」
「知っているの!」
「試行錯誤中だ。出来たら食べさせてやる」
「わぁ、楽しみ!イルハ、また来よう!」
「すぐには出来ないぞ」
「出来たときでいいよ!ねぇ、イルハ。また来ようね!」
「えぇ。通わせて頂きましょうか」
イルハもこの店のピザは気に入っていた。
ほんのひととき、シーラとイルハは見つめ合う。シーラはとても嬉しそうだ。
けれども、また本に興味を戻された。
「ねぇ、ラジー。セーレンダールの本はどこ?」
「それならこの辺だと思うが……」
ラジーは自分でも蔵書を把握していないらしく、ありそうな棚を物色するが、まったくそれらしい本が見当たらない。シーラはこれに笑った。
「ラジー。忙しいのでしょう。勝手に探すから、私たち、もう少しここで見ていてもいい?」
「それはいいが、次はお前たちのリゾットだ。作っていいな?」
「もちろん!出来たら食べるから言って!」
「そうしてくれ。熱いうちが一番美味い」
ラジーが消えてからも、シーラとイルハは長く棚の前にいた。リゾットが出来上がるまでずっとだ。
それで結局、この店でもパンナコッタを食べることになった。王子たちも本当に同じ味か確かめたくなったからである。
それで四人は、この夜長く、この店で葡萄酒を堪能しながら、シーラからセーレンダールを含めた、各国の料理の話を聞くことになった。時折ラジーが現れては、話に加わっていく。ラジーは国を出たことがないと言うが、異国の料理にだけはとても詳しかった。




