13.ダブルデート
「たまには馬車に乗ろうか、イルハ!」
シーラが明るい声で言ったとき、イルハは呆れた顔で主君とその正室の後ろ姿を見ていた。
キリムはレンスター邸宅を出る前から布で顔を隠しているが、声の質で苛立っていることは分かった。王子はと言えば、顔にも不機嫌さを表し、声色も酷いものである。
「だから言ったんだろうよ!」
「歩いてみたかったんですの」
「それはいいが、足が痛ぇならもっと早く言えよ。怪我になる前に、馬車に乗せたぜ?」
「早く言ったら、歩けませんわ」
「どうせ歩けなくなるんだ。無理をしたって、ほんの少しの距離しか変わらねぇだろうよ。こういうときはすぐに言え」
キリムは普段ほとんどの時間を後宮の中で過ごし、たまに出掛けるときにも馬車で移動する。王子とお忍びで街に出るときも、近くまでは必ず馬車に乗っていた。
だからキリムは長く歩くための靴を履いたことがない。今日もまた、美しく、足に合うだけの靴を履いていて、少し歩いただけで靴擦れを起こしてしまったのだ。
「キリム!私も馬車に乗りたいよ。馬車から街を見るのも楽しいからね」
キリムは王子をきつく睨んでから、歩み寄ってきたシーラの腕に絡まった。それで今度はイルハが少々ムッとする。愛しい妻と手を繋ぐことも我慢していたというのに。
「ごめんなさい、シーラ」
「馬車に乗るのも好きだからいいよ。それよりキリム。手当をしよう。ちょっと待っていて!」
シーラが側の花屋に駆け込んだ。すぐにシーラは店の外に出て来て、「二人はこのまま少し待っていて!」と伝えると、キリムを連れて店の中に戻っていく。
「なんだぁ?」
「手当をして頂けるのでしょう」
「花屋でか?」
「靴擦れの手当てならば、どこでも出来るものですよ」
「誰でも出来るものだったのか」
王子もキリムも怪我をすれば、王宮や後宮にいる医者が飛んでくる。どんなに小さな傷でも医者が診てくれたから、医者の他に手当てをする人間がいるとは思っていなかった。医者がどうしてもいないとき、たとえばシーラのように海にあれば、自分で手当てをする人間はいると分かっていたが、この国では怪我をすれば皆が医者を使うと信じていたのだ。
イルハは興味深く主君を観察する。長く仕えているが、街に出ることが好きな王子でも、やはり王家の人間であったのだと改めて実感した。
「王子!今度は歩きやすい靴を用意してあげて!」
店を出てきたシーラは言った。キリムはまたシーラの腕に絡まっている。
「歩きやすい靴とは、どういうのがいいんだ?女性ものの靴の良さなんて、俺は知らねぇぞ」
「靴屋さんで聞いたらいいよ。キリム、もう大丈夫?少しは歩けそうかな?」
「大丈夫ですわ。痛くなくなりましたもの」
「だけど今日は無理をしたらだめだよ」
「そうしますわ。次は一緒に歩いてくださるわね?」
「もちろんだよ。キリムと歩くのも楽しみだもの。いい靴を用意しておいて」
それから四人は、馬車に乗って新しく出来たというデザートの店を目指した。
王子は出来るだけ馬車をゆっくり動かすように命じたが、それでもあっという間に目的地に着いてしまう。店は街の中心部にはないせいか、それほど混雑しておらず、四人はすぐにテーブル席に案内された。おやつ時にはまだ早い時間だったのが良かったのかもしれない。
「パンナコッタなの!」
メニューを見た途端に、シーラが叫んだ。
メニューには、合わせるソースが一覧になっているだけで、この店で提供されるデザートのすべてがパンナコッタだったのだ。あとは珈琲か紅茶を選べるだけである。
「なんだ、知っているのか?」
「さすが、シーラね。どの国のお菓子なのかしら?」
「違うよ!タークォンで食べたんだ!これはタークォンのデザートじゃなかったんだね?」
「タークォンのものではありませんよ。どこで食べたのですか?」
イルハも興味を持って、シーラに尋ねた。シーラはとても凄いことが起きたように頷く。
「ラジーのところで食べたばかりなの!」
「この店からは割と近い場所ですね。通じているのでしょうか?」
「あとでラジーに聞いてみよう!」
デザートはすぐに用意された。パンナコッタを食べ始めたシーラはまた騒ぎ出す。
「ラジーのところで食べたものと同じ味だよ!」
「同じ料理なら、同じ味じゃねぇのか?」
「同じ料理でも、作る人で違うものなのに!これはラジーが作ったのかな?」
「逆にラジーとやらがここで仕入れた可能性もあるぜ」
「それもそうだね。やっぱりラジーに聞いてみよう。ねぇ、イルハ。そっちの味も貰っていい?」
シーラはすっかり興奮していた。面白いことが起こったと喜んでいるが、目の前のデザートにも夢中である。
それからキリムが世界のデザートについて聞いたから、シーラは熱心にこれまで食べてきた世界各国のデザートについて語っていった。
「リンゴって知っている?甘く煮るととても美味しくなるんだけど、それがね、パイ生地とクリームによく合うの。リンゴのパイはお気に入りで、私もそこへ行くと、毎日何枚もそのパイを食べちゃって……」
シーラの話を聞いていた王子の視線が、何気なく移ろいで、店の奥へと彷徨う。
店員の女が目に入った。ちょうど二つ先のテーブルにパンナコッタと珈琲を運んだところだ。慣れたものだなと店員の動きを感心していた王子の目が見開かれる。
女が失敗をした。
テーブルに置かれるはずのカップが、女の手から早くに離れ過ぎたのだ。女が慌てて掴み直そうとするも、間に合わない。
傾きながら落ちるカップ。まもなく珈琲が溢れ出るだろう。
酷い音が鳴ると予想して、王子は身構えた。客の男もまた溢れた珈琲で火傷をしないように、瞬間的に身を引いている。
ところがおかしなことが起こった。
傾いていたカップが、水平となって、柔らかくテーブルの上に着地したのだ。
何も零れず、大きな音も鳴らなかった。少なくとも、王子には何の音も届いていない。
店員の女も、客の男も、しばらく茫然として珈琲が並々と入ったカップを眺めた。
王子だけは急いでシーラに視線を移す。シーラはそのテーブルを見ていないし、まだキリムに他国のデザートの良さを熱く語っていた。
店員の女も、客の男も、軽く首を捻って、それぞれに通常に戻っていく。口には出さないが見間違いだろうという共通した結論に至り、店員の女は「ごゆっくり」と伝えると、他の席の給仕に向かった。客の男は珈琲を味わい、何もなかったことを再確認している。
シーラではない?
とすれば、この店には他に魔術師がいると?
それもおかしいのではないか。
王子はシーラを凝視する。
強い魔術師はその者から溢れ出る魔力を読めると聞いた。この店に魔術師が存在していたら、シーラも落ち着かなくなるのではないか。それにイルハが気付いていないこともおかしい。
「王子はいつから食べるようになったの?」
シーラの声に王子は現実に引き戻される。
気のせいだったのだろうか。あれはやはり見間違いか?
「あぁ、なんだ?」
「聞いていなかったの?スコーンという菓子とパンの中間みたいな美味しい焼き菓子の話だよ」
「スコーンなら、後宮でも食べるぜ」
「それを今、キリムに聞いたところなんだ。あの国の人から貰ったんだってね?」
「あぁ、貿易商の献上品だ。それが美味かったから、似たものを作らせている」
「食べにいらしたらいいわよ、シーラ。用意しておくわ」
「わぁ、素敵!タークォンでもスコーンが食べられるなんて。イルハも一緒に食べようね」
「私は後宮には入れませんよ」
「イルハ殿の分もご用意して、シーラにお渡ししますわ」
「それならイルハのお家でリタたちと一緒に食べよう」
「またお邪魔してもよろしいかしら、イルハ殿?」
「当然です。お気に召すままに」
王子はまだシーラを疑う目で見ている。今のがシーラではないとしたら、一体なんだ?




