10.振り回される人々
シーラとテンは王子の手伝いを続けながら、時折これを休んで街に出掛けるようになった。
まだ王子は心配していたが、イルハはこれに関して容認している。妻が行きたいと言えば、タークォンに限り断らない。妻をタークォンに留めたいと願っていても、この地で縛り付けたいわけではなかったからだ。
そもそもシーラとテンは、ライカル、ユメリエンの旅路前から、二人で出掛けてきた。情報を仕入れるために足を運んだあの店も、二人だけのときにしか行っていない。
だから王子でも、旅慣れた二人が街で困るということは考えていなかった。
王子の心配はそういうところにはなくて、シーラがテンを連れて、そのまま海に出て戻って来なくなるのではないかという心配、いや、それはもう恐れだった。旅の間に、外にあるシーラとテンを垣間見てしまったことで、その恐れは強まっている。
王子はこの対策として、ふ頭の守り人や警備兵たちに、シーラの船を観察しておくように伝えていた。二人が船に戻り、出航の準備を始めただけで、王子の元に連絡が入る手はずだ。もちろん王子はシーラが簡単に彼らを惑わす力を持っていると知っているが、何もしないよりはいいと考えたのだ。
これに関しては、イルハに喜ばれ感謝されてもいいはずだったのに、イルハは何の興味も示さず、王子に対して仕事の話しかしない。王子はこれが憎らしく、シーラたちを手放した暁には、本当にこの無礼な臣下をどうにかしてやろうと考えていた。
そんな王子でも、書類整理の手伝いに来たシーラたちとは楽しく話した。
シーラたちの方が王子よりもタークォンの街に詳しくなりつつあって、どの話も興味深いものだったのだ。
王子がお忍びで巡る店は、多くはない。安全が確保されていて、かつ警備可能な店にしかいかないからだ。王子とて少しは考えていて、直属の警備兵にはどこに行くか事前に伝えている。たまに勝手なことをして嫌がられることはあったが、それでも街の中で危ない地域に足を運んだことはない。危ないと言っても、タークォンは平和な国で、そこまで危険な場所はないのだけれど。
さて、実はトニーヨにも被害が及んでいる。王子は二人が手伝いに来る日は機嫌が良く、二人がいない日は機嫌が悪かったから、これにトニーヨは振り回されていて、いつも二人が王宮にあってくれないものかと願っていた。
このようにして、シーラとテンはタークォンの者たちを悩ませていたが、二人は露ほどに気にしていない。心が海にあるのだから、当然だ。今日も二人は朝から楽しそうに、どこに行くかと計画を練っていた。
「あいつらは、今日も休みか?」
「今日は北の方に行くのだと言っていましたね」
「休日にお前が付き合えばいいじゃねぇか」
「もちろん付き合いますが、二人でも楽しみたいのでしょう。それより殿下、問題がなければ書類のご承認を」
「お前は詰まらねぇな」
「申し訳ありませんが、元より人を喜ばせられぬ人間でして、ご期待には永遠に添えられないかと思います」
「開き直るな。おい、トニーヨ。何か面白い話はないか?」
ちょうど入ってきたトニーヨは、もう顔色が悪い。朝一番に王子の執務室に入ったときに、奥の部屋にシーラたちがいるか、否かを、確認する癖も出来ていた。今日はいないと分かり、どういう状況か理解する。
「面白いこととは……」
「仕事ばかりで退屈だ。ここに来る前に面白いことでも探しておけ」
そんな無茶な命令があるだろうか。トニーヨも仕事に追われ忙しい。それにトニーヨはイルハに負けず、いや、イルハ以上に真面目な男だ。面白い話を提供するというのは、いつもの仕事が容易に思えるほどに、トニーヨにとって困難な命令だった。
「殿下、トニーヨ殿も忙しいのですよ」
「俺も働いている!」
「存じています。今日もお願いします」
「ったく。お前ら、もっと仕事を減らすように考えろ」
「減らして回るなら、そうしています。まずはこちらの書類から……」
トニーヨは顔を引きつらせながら、順を待った。近頃トニーヨは、ますますイルハを尊敬している。
同じ頃、レンスター邸宅では、出掛けるシーラたちを見送ったリタとオルヴェが、オルヴェの淹れた珈琲を飲みながらリビングで一息ついていた。
「大丈夫かしらねぇ」
「なぁに。坊ちゃまが問題ないと言うのだから、今日も大丈夫さ」
「ブランデーも買って来てくれて、大丈夫だったのかしら?」
「もう買わなくて平気だと言っておいただろう。それに何かあっても、坊ちゃまが助けてくれるさ」
「二人でいる方が楽しいのかしら?」
「二人が仲良しなのは素晴らしいことだよ」
いつも心配するリタを励ますのが、オルヴェの役目だ。
「ねぇ、あなた。テンちゃんを学問所に入れなくて本当にいいのかしら?」
「そうだねぇ。早い方がいいけれど」
テンはもう十二歳。タークォンの子どもたちと一緒に勉強するには遅過ぎる年齢だ。この国では、十歳から十五歳まで親元を離れて学問所に入る。学問所には寄宿舎があって、そこで子どもたちは共同生活をする決まりだ。
だからタークォンの子どもは普段、街に出て来ない。学問所は街から離れた場所にあるからだ。
リタたちは、テンを養子に迎えて、学問所にも入れたいと願っていた。
学問所を経験していないと、タークォンらしい人間には育たないのではないか。学問所を経ていない子どもはほとんどいないから、大人になって仕事を見付けるのも大変だろう。何より学びをせずに大人になって、あとで苦労するのでないか。リタは近頃テンのことが心配で仕方がない。
しかもテンは、養子にはならないと宣言している。学問所でタークォンの子どもたちと交流し、仲良くなれば、これが変わるのではないかという期待もあって、リタたちは先に養子に出来なくても、学問所には入れたいと願っていた。
「シーラちゃんもテンちゃんもいずれは出て行ってしまうのかしら」
「何度も戻って来てくれて、シーラちゃんは坊ちゃまと夫婦にもなられたんだ。これからはずっとタークォンに居てくれるのではないかい?」
オルヴェはリタを励ましながら、自分も励ましていた。
「テンちゃんもこの国で相手を見付けて、ずっと居て欲しいわ。そのためにも早く学問所に入った方がいいわね」
「学問所に入らなかったとしても、仕事なら殿下が与えてくださるだろうし。シーラちゃんも殿下の元で楽しく働いているんだから、問題ないさ」
「そのシーラちゃんも、そろそろ街で働けるんじゃないかしら?」
「どういう仕事がお好みだろうね」
「元気があって、人と話すことが好きだから、どのお店でも働けそうね」
「本が好きだから、書店も良さそうだ」
「リリーのお店でも働けそうだわ」
「それはいい。美味しい料理を食べられて、シーラちゃんも幸せだろう」
リタたちはシーラの勤め先も探してやりたいと思っていた。イルハの妻だから、家に籠っていればそれでいいのだが、海を知るシーラには退屈だろう。働いていたら、退屈せず、タークォンに居られるようになるのではないかというのが、リタとオルヴェの考えだ。
すっかりくつろぎ、長い休憩のあと、リタとオルヴェは仕事に戻った。シーラとテンが戻りたくなる家を作ろうと、近頃は仕事を頑張り過ぎている。
美味しい料理を用意して、綺麗に部屋を整えて、心地よい寝床を準備して、シーラとテンの帰りを首を長くして待つ二人だった。海のもの特有の人間に魅了されていることに、二人は気付いておらず、これをタークォンらしく染めようとしている。二人はずっとタークォンにあるから、タークォンらしく生きる幸せしか考えられない。




