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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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9.ピザ屋と書店


 ピザの店に入ったところから、シーラの持っていた石鹸屋の袋から何の匂いも香らなくなった。それをどうやってしているかは知らないが、テンにはシーラの仕業だと分かっている。さっきまでは外にあっても、隣を歩くシーラからぷんぷんと強い匂いが香っていたのだから、店に入ってこれがしないのはおかしい。


 四人前はありそうな大きなピザを、シーラとテンはあっという間に平らげた。

 この店のピザは、手ごねの生地にお手製のトマトソースをたっぷりと塗って、その上に貝や魚、それに香草を散らし、最後に極上のチーズをこれでもかと乗せて、石窯で焼いたものだ。トマトソースにはガーリックが効いていて、さらに香草のさわやかな香りはいいアクセントとなり、口の中ですべての具材と調和した。石窯でじっくり焼き上げていることで、魚介の旨味もぎゅっと凝縮されている。

 さらに二人はこれだけで足りず、リゾットも注文した。リリーが作るリゾットと違い、これも同じトマトソースをベースにしていて、貝のリゾットには違いないが、ニンニクがよく効いた素晴らしい味である。

 シーラとテンは話すのも忘れて夢中で食べたから、これもあっという間になくなった。


「お兄さん、とても美味しかったよ!ご馳走さま!」


 厨房にいる料理人に聞こえるように、シーラは大きな声を出す。

 厨房の入り口にかかる暖簾から、若い男が顔を見せた。注文も、料理を運んだのも、この男だ。


「気に入ったか?」


「とっても気に入ったよ!また来るね!」


「嬢ちゃんたちは、急いでいるか?」


「うぅん、まったく。ねぇ、テン」


 テンは無表情で頷いた。笑顔を振りまくシーラとは対照的だ。


「それならデザートをサービスしてやるよ。紅茶でいいか?」


「わぁ、嬉しい!紅茶も大好きなの!」


 この店にも通うようになるのだろうなぁとテンは思った。各国にシーラのお気に入りの店がある。ユメリエンは特殊だったからそういう店がなかったけれど、他のどの国でもシーラにサービスをしてくれる店が沢山あった。


 タークォンには、一人で切り盛りする店が多いのか。男の他に店員はなく、男は他の客用のピザを焼くのに忙しかったせいで、シーラとテンにデザートが届いたのは、それから大分経ってからだった。


「わぁ、これはなぁに?」


「見たことがないか?」


「うん、初めて見たよ!」


「まぁ、食べてみな」


 ガラスの器に乗った白いゼリーのような塊に、ベリーのソースが掛かっている。おそらくタークォンにしかないサチベリーのソースだ。


 シーラはスプーンで白い塊に触れた。柔らかく、つるんとしたそれは、スプーンの上で踊る。

 口に運べば、シーラの瞳はすぐに輝いた。


「美味しいよ、お兄さん。とても美味しい!」


「それは良かった。パンナコッタと言って、生クリームを固めたものなんだ」


「パンナコッタ!可愛い名前だね」


「そうか?そっちの子はどうだ。気に入ったか?」


 テンは頷くが、食べることに忙しい。美味しかったのだ。


「この子はテンって言うんだよ。私はシーラ。そのままに呼んで」


「シーラにテンか。俺はラジーだ」


「ラジー?よろしくね!」


「おう、シーラ、テン。おかわりはあるから、沢山食べていけよ」


「おかわりしてもいいの!やったね、テン!」


 テンがすっと空いた皿を差し出す。


「おかわり」


 ラジーは軽快に笑った。少年の食べっぷりが気持ちよかったのだ。こういう愉快な客はあまりない。

 昼食時を過ぎ、店内の客が減ると、ラジーは厨房から出て来て、シーラたちによく話しかけた。


「二人はどこの国から来たんだ?」


「私たちが外から来たって分かるの?」


「タークォンの服を着ていても違いがあるぞ」


「やっぱりそうなんだ」


 テンの脳裏に先の男が浮かぶ。あの男も、自分たちと同じような旅人なのだろうか。


「それで、二人はどこの国のものだ?」


「私たちは海のものだよ。ねぇ、テン」


「海か。それはいいな」


 ラジーは海のものに対して、何の常識も偏見も持っていなかった。よく知らなかったのだ。


「それでこの国を観光中か?」


「まぁ、そんなところだね。ラジーはどこか素敵なお店を知っている?」


「美味いパン屋はどうだ?」


「わぁ、どこどこ?」


「北の方だ。地図を描いてやろう」


「それは助かるよ!あとで行ってみようか、テン」


「結構距離があるぞ」


「それならまた別の日に」


 シーラはそれから、ラジーとかなり話し込んだ。テンはパンナコッタを三度もおかわりし、ラジーとシーラに大笑いされたけれど、無表情でこれを掻き込んだ。かなり気に入ったらしい。


 店を出てから、二人は気になっている店のうち、近いところから回ることにした。


 途中、書店にも入った。以前からシーラが本を売ってきたあの店だ。

 二人が顔を見せたとき、店主はシーラのことを忘れていたが、シーラと話している途中でようやく思い出した。いつもシーラがこの店に顔を出すときには、イルハが付き合っていたから、記憶と重ならなかったのだ。


「君は確かイルハ様のところの」


「シーラだよ。シーラと呼んで。今日は本を買いに来たんだ!未成年でも一人で本は買えるよね?」


「もちろんだよ。どんな本をお求めで?」


「このお店は色んな国の本を扱っているの?」


「異国の本の品ぞろえでは、この国のどの書店にも負けない自信があるね。うちは貿易商から直接仕入れることもあるんだ」


「この店でとても珍しい本ってどれ?」


「そりゃあ、前にお嬢さんが持って来たノーナイトの本なんか」


「シーラって呼んでよ。それで、他には?」


「他と言うと?」


「ここにある本が書かれた国を全部言ってみて!」


 面倒くさそうな顔を見せた店主だが、丁寧に国の名を羅列していった。どうもシーラと話していると、頭にイルハの顔がちらつくのだ。それで無下には出来なくなる。


 店主がつらつらと国名を語っていたら、途中でシーラが嬉々として叫んだ。


「シャランソ!シャランソってあの冬の国の!!」


「お嬢さんはよく国を知っているねぇ」


 店主は頑なにシーラと呼ばないので、シーラも諦めたらしい。もう名前を呼ぶように言うことはなかった。


「冬の国には行けないの!ねぇ、その本はどこ?」


「最近入ったんだよ。高いけど、全部見るかい?」


「大丈夫。お金はあるの。全部見せて!」


 店主が「あれ、この辺に置かなかったかな」と言いながら、店の奥の棚を物色し、「あった、あった」と呟きながら、すぐに戻って来た。


 シャランソはノーナイトと違い小国であるし、万年冬の海に閉ざされて国交もないから、この国でシャランソについて学ぼうという者がまずいない。しかも国固有の言葉で書かれていたから、買ったところでまず読める者が存在しなかった。店主としては、買い取るかどうかも迷った本である。

 どうしてもと言われ、渋々と安値で買い取ったものの、売れない本に場所を取られるのも嫌で、早く売りさばきたいと考えていたところだ。

 そこでこの迷惑な本に喰い付いた娘がいれば、店主は商売人らしいことを考える。

 本を受け取ったシーラの瞳は、明らかに輝いていた。


「凄い、本当にシャランソの本だよ、テン!」


 テンはまったく関心を示さずに、ぼんやりと本が並ぶ棚を眺めていた。読みたい本があるわけでもない。


「そいつは珍しいからねぇ。本当に高く付くよ」


 シーラが嬉々として本をめくる間に、テンはシーラの隣に戻り、それから店主が持ってきた残りのシャランソの本をひとつ取って表紙を眺めた。装丁の違いはテンにも面白いものである。シャランソの本の表紙は布地で出来ていて、鮮やかな刺繍が入っていた。変わった本もあるものだと、テンは思い、ひっくり返して裏面を眺める。そこで、店主の顔が青くなった。


「ねぇ、おじさん。これ、安いよね?」


「どうしたんだね?」


 店主は青い顔のまま知らぬ顔をするが、テンは追求の手を緩めない。


「ここに価格のシールが付いているよ」


「あ、本当だ。え、こんなに安いの!」


 テンの手元を覗き込んだシーラは、感嘆の声をあげた。


「それは…それだけで…」


 テンが急いですべての本の裏表紙を確認する。


「全部安いね」


 シーラも自分の開いていた本の裏表紙を確認して、また歓喜した。


「こんな値段でいいの!」


「それはうちの店の値段ではなく、元の持ち主が買ったときの値段かと……」


「おじさん。いくらで買ったか、イルハに伝えるよ」


 テンがぼそっと言えば、店主は態度を翻した。シーラはそんなことをしないと言い掛けたが、テンがこそっと目配せしたので、黙っておくことにする。


「全部買って頂けるなら、そこからさらに負けましょう」


「わぁ、本当!」


「いつも珍しい本も沢山売ってくれるからね」


「ありがとう!今度またノーナイトの本を買って来るよ」


「本当かい?」


「あとはどこの国の本がいいの?」


「これは有難いね。ノーナイトは最高だが、カコエサインも最高だ。今ならスピカートンの本も良く売れるね」


 二人とも特別な反応は示さなかった。

 それどころか、シーラはにこりと微笑んで、「寄ることがあったら、買っておくね」と言う。いちいち反応するほどには、時間を空け過ぎている。


「沢山買ったねぇ」


 シーラは結局、シャランソの本を五冊と、他にタークォンとコーレンス、アルニアの本を買った。イルハの蔵には並んでなさそうなジャンルの本を選んだが、さて、どうだろうか。


「俺が持つよ。貸して」


「重たいよ?」


「これくらい平気だよ」


 店主は本の束を紐で結んでくれた。それをテンが抱えて運ぶ。こういうテンが可愛らしく見えて、シーラはテンの優しい提案を受け入れることが多い。あまりに重いとき、それからここがタークォンでなければ、堂々と魔術を使っていただろうけれど。


 通りを歩き、また違う店を目指そうとしていたシーラとテンが同時に振り替えった。

 それから前を向いたテンが小声でささやく。


「俺に任せてよ」


 シーラはテンを見てにこりと微笑むと、片手でテンの赤毛を撫で回した。


「まだ何もしなくていいよ」


「するときは俺にさせて」


「はいはい。次の店に行こうか!」


「シーラ。そっちじゃないよ。この角はこっち」


「え?そうだった?」


 オルヴェが地図を見ながら説明してくれていたから、テンは街の構造を理解している。そこに、街の人たちやラジーが教えてくれた店の場所を的確に記憶していた。

 一方のシーラは、目印のない海であれだけ方位に詳しいのに、陸ではよく迷った。だからこういう場面でテンはとても頼りになるし、テンを船に乗せてからというもの、シーラも不得手な部分ではテンに甘えるようになっていて、陸の地図を頭に入れていない。

 ここタークォンでも、シーラの方向音痴は健在なようだ。シーラの場合、困ったらすぐに人に聞くから、地図を覚える必要がない、というのはシーラがいつもする言い訳だ。テンはこうやって言い訳をするシーラが好きだった。シーラの役に立てる場所が見付かって、嬉しかったのだ。


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