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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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8.海のこどもたち


 すっかり日が昇り、昼食には少し早い時間である。

 心配そうなリタとオルヴェに見送られ、シーラとテンはレンスター邸宅を出発した。

 レンスター邸宅前の石畳の道を南側へとしばらく歩いてから、シーラがパンパンパンと三度手を合わせると、二人は揃って太陽に向けて手を伸ばした。


「のびのびするねぇ」


「なんだろうね、これ」


「退屈でもないけど」


「そうそう。嫌でもなくて」


「だけどなんか違って」


「自由が足りないよね」


「それだね、テン」


 二人は顔を見合わせて笑うと、街の中心部を目指した。大人がいないと言うのは、本当に自由だ。王子が小遣いをくれるから、使えるお金がたんまりとあると言うのも、二人に自由を与えている。


「お昼は何を食べようか?」


「いつもと違う店に行ってみようよ」


「リリーが淋しがらないかな?」


「あんなに毎日行っていたから、平気じゃない?」


 タークォンの街のそこら中に警備兵が立っている。イルハから言われているせいか、警備兵たちはシーラたちを尾行するようによく見ていたはずだった。

 ところが今はもうどの警備兵も二人を見ていない。これがシーラの魔術だ。


「リタたちにお土産でも買って行こうか?」


「それはいいね。何がいいかな?」


「んー。私なら、お酒を買えるかなぁ?」


「オルヴェはブランデーが好きなんだよね。リタには?」


「お花とお菓子はどう?」


「菓子なら、俺の分も買ってよ」


「もちろんだよ。みんなで食べる分を買おう!」


「他にもいいものがあるかな?」


「消えるものがいいよね。残るものは沢山あると疲れちゃうから」


「俺もちょっと意味が分かったよ」


「分かってくれた?」


「うん。オルヴェたちのあの感じ、落ち着かないや」


「嬉しいんだけどね」


「嬉しくても、困ることってあるんだね」


「ねぇ」


「だけどシーラ。ユメリエンのお土産に物をあげていなかった?」


「あれはイルハが買ったものだからいいの」


「何が違うの?」


「私からというのが良くないんだ」


 テンには同じように感じるけれど、シーラが言うなら、そうなのだろう。テンはそれでも首を捻った。


「本はいいんだ?」


「アンナのこと?」


 テンは頷かないが、シーラは笑い声を返す。


「本は消えものと一緒だよ。その人が読み終われば、また別の人のところに渡っていく」


「アンナは大事に取ってあるよね?」


「モンセントの書庫は、皆に解放しているはずだよ」


「そうだったんだ」


「そうなの。だからいくら買ってあげても、アンナが読むだけで終わらないからいいんだ」


「あの自慢していた、ハンカチは?」


 ほら、見て!シーラに貰ったのよ。羨ましいでしょう!

 何度も見せつけられた、刺しゅう入りのハンカチを思い出して、テンは顔を歪める。あのときは本当に反応に困った。何にも羨ましくなかったからだ。物ならば自分の方が随分と買って貰っていた。

 そんなことを言ったらどうなるか。余計に面倒なことになると分かっていたから、テンは黙り、それがアンナを怒らせた。


「あれは特例かな?選んだのは私じゃないし」


「シーラも変にこだわるよね」


「そうだね、変かもね!」


 シーラは笑う。嫌味と捉えることもない。もちろん、テンにそのようなつもりもない。


「アンナもそのうち大人になるから。そうしたら、お酒でも買って行くようになるよ」


「今度はいつ行くの?」


「さぁ、いつになるかな?」


「考えているくせに」


「まだ考えていないよ!」


 テンはむっすりした顔でシーラを見やった。シーラは笑うばかりだ。


「とにかく、色んなお店を見てみようよ!そろそろいいね」


 シーラはパンパンと二度手を叩いた。すぐに警備兵の視線がシーラたちに向かう。もう少し分かりにくく警護したらいいのにと、テンは冷ややかな視線で彼らを見詰めた。


 タークォンにも当然ながら色んな店がある。八百屋、魚屋、花屋、酒屋、菓子屋、それから日用品を扱う店、日用使いではない特別な雑貨屋、観光客向けのタークォンらしい商品が並ぶ店、そのどれもシーラたちには珍しく楽しいものだった。

 リタの買い物に付き合うことはあったからタークォンの店にも多少詳しくなっていたが、いつも行かないような場所に足を運べば、知らない店が沢山並んでいる。


「見て、テン。石鹸屋さんだよ」


「凄い匂いだね」


 店の外にまで、あらゆる匂いの合わさった強い香りが溢れていた。強過ぎて、いい匂いとは言えないものだ。鼻につんと来るし、ずっとここにいたら頭が痛くなりそうである。


「船でも使えそうだね。買っていこうか。好きな香りを選んでいいよ、テン」


「香りなんて、俺は何でもいいから、シーラが選んでよ」


 海に出る前提で語る。二人にとって、それはとても自然なことである。

 けれどもお互いに迷いがあることも分かっていた。冬をどこで過ごすか、まだ二人は相談出来ていない。もちろん、最終的に決めるのはシーラだ。それでもシーラはテンの意見を聞いてくれた。ところが今回は聞いて来ない。シーラ自身、まだ決めていないということだ。


「リタへのおみやげはこれもいいね!」


「そっか。消えるね」


「そうそう。どんな香りがいいかなぁ」


 店員の若い女性は、賑やかな娘と少年をきちんと客として扱って、丁寧に対応してくれた。シーラたちに声を掛けたあとに、手のひらに収まる四角い石鹸の香りを二人に嗅がせてくれる。


「ご年配の女性でしたら、こちらの石鹸がおすすめですよ。特別な薬草を使っておりまして、香りもいいんですけれど、お肌がしっとりと潤う石鹸なんです」


「石鹸でお肌が潤うの!」


「そういう薬効のある葉を煮込んで、石鹸に合わせているんですよ」


「はぁ。凄いね、テン」


「シーラの怪我にも効きそうだね」


「怪我なんかしないよ!」


 子どものようにシーラが口を尖らせると、テンは肩を竦めるのだ。どちらが子どもか分からない。


「お怪我にもいい石鹸がありますよ」


「怪我にいい石鹸まであるの!」


「シーラ、船用はそれにしよう」


 たまにシーラよりテンの方が年上のようなときがある。シーラが「えー、怪我なんかしないからいいよ」と言うのに、テンはその石鹸の匂いを嗅いで、「いい匂いだよ、シーラ。どう?」とシーラに買わせようとした。


「わぁ、本当だ。いい匂いだね」


「これにしようよ。お姉さん、本当に怪我にいいの?」


「そうよ。この石鹸にはね、怪我の治りが早くなると言われている薬草を使っているの。殺菌効果もあるのよ」


「シーラにはこれがいいよ。それでリタには、さっきの石鹸でいいんじゃない?」


 淡々と決められて、シーラはちょっと詰まらなそうだ。もっと楽しみたかったのである。


「ねぇ、お姉さん。他にどんな素晴らしい石鹸があるの?」


「ここにある石鹸は、五十種類を超えているんです」


「そんなに!」


「ですから、目的に合わせてお選びいたします」


「目的って?」


「たとえば、疲れを取りたいとき。ちょっと気分を明るくしたいとき。そういった目的に応じて、おすすめする石鹸が変わるんです」


「わぁ、凄い。石鹸って奥が深いんだね、テン」


 テンはもう退屈していた。この店の石鹸は凄いと思うが、そこまで興味を惹かれない。それにお腹が空き始めている。


「よく眠れるようになる石鹸もありますし、あとはそうですね。たとえば……」


 店員の女性は、長く詳しくこの店にある石鹸について説明してくれた。シーラは熱心に聞いていたが、飽きたテンは店の外に出て陽射しを浴びる。タークォンも暑いが、ユメリエンやライカルに比べたら涼しいものだ。シーラが何もしないのは、苦しくなるほどに暑くないからである。

 いい国だと思う。それでもここは故郷ではない。

 丸みを帯びた石造りの家々は、触れるとひんやりしていて、この国にちょうどいい。ユメリエンのように暑苦しいことはなかった。

 冬はどうなのだろう。冷たい石は寒くないのだろうか。テンもまた、冬を知らない。


 通りを行き交う人はそれなりにある。婦人の一部は布で顔を隠しているが、まったく隠そうとしない女性もあった。高貴な身分の妻がそのようにするのだとシーラから聞いていたから、あの人たちは夫が偉い人なのだろうと悟る。

 この時間は女性の方が多いようだ。男たちは仕事中だろうか。けれどもちらほらと老人や若い男が通りを過ぎ行くこともあった。そういえば子どもがいない。幼い赤子が母親に連れられているところは見るが、テンほどの年頃の子どもは見えなかった。どこにいるのだろうか。

 警備兵は通りに配備されているのか、角に立ってテンを見ていた。テンは視線を合わせないようにして、彼らも観察する。あのような仕事に意味があるのかと、テンは不思議でしょうがない。


 通りを行き交う人々を観察していたテンの目に、ある男が留まった。タークォンの服装をしているが、何か違う。

 どこが、と問われても説明はつかないが、男はこの通りで浮いていた。四十くらいだろうか。何が違うのか、じっくり観察してみたが、やはり分からない。見た目はまさにタークォンの人間だ。

 気のせいかと、テンは首を捻り、なお男を観察していた。そのうち、男の姿が見えなくなる。


「お待たせ!」


 後ろからシーラの明るい声がした。


「買えた?」


「うん。リタにはさっきテンが言ったのを買ったよ。あとはイルハとオルヴェにも良さそうな石鹸を買ったんだ。次はテンの気になるお店を探そう!」


「別になんでもいいけど」


「お姉さんに聞いたんだけど。魔法のためのお店があるらしいよ」


「そんな店があるの?」


「魔法を使えるようにする物が売っているんだって。だからこの国は魔法を使う人が沢山いるみたい」


「へぇ。面白そうだね」


 シーラはどうして、石鹸屋の店員とそのような話が出来るのだろう。テンにはとても不思議だった。

 いつもシーラは、あらゆる国で、まったく関係ないところから情報を引き出していく。情報屋を使わずとも沢山のことを知っているのは、シーラの話術によるところもあるのだろう。けれどもテンは真似が出来そうにない。

 取り繕っていなくても、テンは人懐っこい少年ではなかった。シーラには懐いていてこれなのだから、元から少年らしくない少年である。


「それからお花屋さんとブランデーのお店も聞いておいたからね。美味しいブランデーばかり扱う、特別なお店が北側にあるんだって。あとで行ってみよう!」


「捕まらないでよ?」


「そのときはイルハが助けてくれるよ!」


「それならいいけど」


「あ、そうだ。テン。あとで本屋さんにも行きたいんだ」


「イルハの家に沢山あるんじゃなかったの?」


 テンは本に興味がないから、あの蔵を覗いたこともない。

 部屋に置かれた子ども向けの本でさえ、触ろうとはしなかった。楽しくないものを用意されても、まったく嬉しくないのだ。


「沢山あるから退屈はしないんだけど。ほら、また新しい国の本が入っているかもしれないし」


「あぁ、そういうこと。それなら、食事のあとで行こうよ」


「そうだね。お腹も空いてきちゃった。あぁ!料理屋も紹介して貰えばよかった!」


 シーラのこういう抜けたところが、テンは気に入っていた。完璧でないと分かるのが嬉しいのだ。


「そこらの人に聞いてみたら?」


「それはいい考えだね!そこのお姉さん!ちょっと教えて欲しいことがあるんだ!」


 シーラは通りを歩く女性を引き留め、美味しい料理屋がないかと聞いた。そうしたら女性は足を止めて、二人が普段何を食べているか聞き出し、食べたことのない美味しい料理屋を紹介しようと、真剣に考えてくれた。すると、「どうしたんだい?」とさらに声を掛けて立ち止まる人が増えていき、二人はタークォンの人たちが相談して決めたお店に足を運ぶことになった。

 それは街の中心部から少し南に入った通りにある小さな料理屋で、魚介のピザを出す店として人気があるという。


「ピザかぁ。いいね」


「タークォンって麦粉の料理が多いよね」


「ねぇ。どこの麦粉を使っているんだろう」


「タークォンのじゃないの?」


「タークォンは米の栽培はしているけれど、麦は作らないみたいだよ」


「へぇ。気候が合わないのかな」


「どうかな。それでリゾットとか、炊き込みご飯が多いんだ」


「だけどパンとかケーキもよく食べているよね」


「どこかの麦粉を仕入れているんでしょう」


「青の大海かな?」


「んー。あちらの麦粉は近頃なかなか出回らないからねぇ」


「なかなか海を越えられないから?」


「そうだろうね。私たちみたいなのが運ぶことになるし、それだと高くつくでしょう?」


 店まで距離があったから、おしゃべりが続く。


「ねぇ、シーラ。戦争って終わるよね?」


「さぁ、どうかな。いつかは終わるかもしれないし、ずっと続くかもしれないし」


「ずっと続くことなんてあるの?」


「歴史上、二百年も戦争を続けた記録があるからね」


「二百年も戦っていたら、どこにも人がいなくなりそうだよ」


 シーラはこのようなところで笑うのだ。テンは慣れているから、別に驚かない。


「戦争中と言っても、ずっと撃ち合っているわけじゃないんだよ」


「戦わない戦争があるの?」


「ララエールだって、開戦してからずっとスピカートンと衝突していたわけではないでしょう?」


「そう言われたら、そうだったかな」


「睨みあったり、牽制し合ったり、化かし合ったり、そういうことも含んで、平和以外は全部戦争中になるんだ。休戦協定とか、和平を結んだとき、あるいは国が亡くなったときに、戦争は終わるんだよ」


「クランベールは終わったものね」


「だけど結局スピカートンが戦争をしているから、あの地は戦争中だね」


「何であんなに揉めるんだろうね?」


「私も知りたいところだよ!あ、テン。この店じゃない?」


 看板にピザの店と表記があった。小さく目立たないが、とても分かりやすい看板である。

 二人は躊躇することなく、知らない店に入っていった。


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