2.言葉の重さ
「今日は人が多いね、シーラ」
タークォンが建てた堤防に入ったところから、注目されていることが分かった。ふ頭の守り人が珍しく手を上げていたし、警備兵も同じように船に向かって手を振っていた。こっちに来いというように。
「来いと言われると、行きたくなくなるのは、なんだろうね?」
「え?戻るの?」
シーラの船がくるくると堤防の内側を旋回する。陸からは、遊んでいるように見えただろう。船の向きに合わせて彼らが走るから、ある意味で海からも彼らが遊んでいるように見えていた。守り人と警備兵は、船を迎える勝負でもしているのか。
「なんだか捕まったらいけない気がしてきたなぁ。もう少し海にいようか?」
「俺、お腹が空いたんだけど」
「それは私もなんだけどね。まだ缶詰はあったよね?」
「ここまで来て、リリーやリタの料理を食べられないのはきついよ」
白い帆を掲げた船は、くるくると海の上を踊り続けた。シーラの決心がつかない。
「イルハに会いたいんでしょ?」
「そうだけど……なんだかなぁ」
「いつでも逃げられるんだから、気にしなくていいよね?俺、お腹が空いたんだって」
「うーん。仕方ないなぁ。端っこに止めよう」
「あの人たちのところじゃなくていいの?」
「待ち構えられるとねぇ」
それでシーラはわざとふ頭の一番南側の空いたところに船を泊めた。海上で急旋回して移動した形だ。それがあまりに早い移動だったから、ふ頭の守り人と警備兵たちは急いでふ頭を駆けることになる。彼らは何か急用でもあるのだろうか?船から見ると、あまりに滑稽な姿に見えた。
船を停泊してから、すぐに陸に上がるわけでもない。二人はのんびりと片づけをしながら、船から持ち出す荷物をまとめていた。守り人も警備兵も船の側に集まろうとしていたが、二人には至極興味がない相手だ。彼らは二人が船から降りるときを待つつもりの様子だが、どうも揉めていて、場所を争っている。何をしようとしているのか?一度テンが船縁からこっそり岸を覗いたが、言い争っていて船を見上げている者もなかった。
「シーラちゃん!テンちゃん!」
叫び声がして、二人とも手を止めて、甲板に飛び出し、今度は堂々と船縁から身を乗り出した。
「リタ!オルヴェも!」
船に近付いてきたリタが泣いていることが分かった。シーラとテンは顔を合わせて、それから笑う。
「早く降りよう」
テンはもう荷物をまとめていた。それより船に残す荷物を隠していたという方が正しい。大きな袋を肩に掛けて、いつでも船を降りられる状態にある。
それなのに、シーラはまた甲板の上の小屋に戻っていく。
「ごめん、テン。先に行って」
「どうしたの?」
「お土産を持っていきたいから……」
「俺が持つよ?」
「いいから、先に行って。ほら、テンがお酒を持っていたらまずいでしょう?」
「シーラも駄目な国だよね?」
笑って誤魔化したシーラは、さっきからずっと自室で何かを探していた。
「どこへやったかなぁ」
「探し物?」
「そうなんだ。だから先に降りて、リタたちと話していてよ」
「分かった。見つからなかったら、俺も探すから言ってね」
振り返りもせず、シーラはガサガサと机の上に並んだ本を手で滑らせていく。余計に部屋が汚くなっているように見えて、テンはちょっと呆れたが、気にせず船を降りることにした。
テンが船縁に手を置いて、それを支点に、勢い飛び降りたときには、リタとオルヴェは酷く慌てたが、テンは無事に着地して二人から熱い抱擁を受けることになる。
「無事で良かったわ、テンちゃん!」
「どこもなんともないかい?」
「シーラといれば大丈夫だよ」
「もうずっと待っていたのよ。毎日ふ頭に来ていたの」
「毎日!」
「年寄りは暇なのだよ。坊ちゃまは仕事で忙しく、ちょうどいい運動にもなって……」
「先に家に戻ってください」
知った堅い声に、三人は自然と体を離して、顔を見合わせた。
そんな三人を見ようともせずに、さっと脇を越えて、船に乗り込む男がある。
その後ろ姿を、リタとオルヴェは幸せな笑みを浮かべ見送った。テンは相変わらずの無表情ではあったが、ほんのりと喜びを滲ませている。誰も気付いていないだろうが、海でタークォンが見えてからのテンは機嫌が良かった。いや、シーラは知っていたかもしれない。
「おかしいなぁ。どこに置いたんだっけ?落としていないと思うんだけど」
机の前でゴミの山、いや、荷物の山と戦っていたシーラのお腹に手が回された。イルハが後ろから抱き締めたのだ。
「待ちわびましたよ」
無事を確かめるように、イルハは力強くシーラを抱き締めた。
知った温もり、知った匂いが、これほど懐かしく、胸を満たすとは。
「イルハ、前から抱き締めて。私もくっつきたいの」
少し緩んだイルハの腕の中で、シーラはくるりと反転し、イルハの胸に抱き着いた。
「ただいま、イルハ。会いたかったぁ」
ただいまという言葉に、イルハの胸に温かいものが満ちていく。シーラの温もりがそれをさらに加速させた。
「おかえりなさい。無事で良かったですよ」
「大丈夫。何にもなかったよ」
シーラが顔を上げれば、自然とイルハの顔も落ちる。会えぬ時を埋めるように、いつも以上に長いキスだった。
顔を離した二人は、同じような優しい顔で笑っているが、本人たちは気付かない。まるで鏡だ。
「何か探し物ですか?」
「そうなの。どこに置いたか分からなくなっちゃって」
「一緒に探しますよ」
「もういいの」
「大事なものでは?」
「今はイルハの方が大事だもの」
シーラが胸に顔を摺り寄せるから、イルハはシーラの背中を抱きながら、頭も撫でた。もう絶対に離さないし、離さないでいいようにすると心に決めている。それがどんなに無茶で無謀であろうとも、必ずそうしなければならない。
頭で考えていただけでは何も出来ないことは、もう嫌というほど知らされてしまったから。
そんなことだから、二人が船を降りるまでにかなりの時間が経過していた。
ふ頭にはすでに人気がない。
守り人や警備兵たちが寄ってこなくなったのも、イルハが現れたからだろう。シーラを妻にしたからと言って、タークォンでのイルハの立場が変わるわけではない。
そしてもちろん、リタたちは気を使って消えたのだ。レンスター邸宅では、シーラとテンの帰宅を喜び合うために、はりきって準備がなされているところだろう。これにテンも加わっているに違いない。




