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海の神々へ捧ぐ音(なろう版)  作者: 春風由実
第三章 警鐘

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1.退屈な日常


「まだ戻らねぇのか!」


 王子の執務室に、王子の苛立った声が飛んだ。ちょうどイルハが書類の束を抱えて現れたところである。


「どこかの海で遊んでいるのでしょう」


「落ち着いたものだな。もっと焦っているかと思ったぜ?」


「騒ぎ立てて戻る妻なら、そうしていますが」


 イルハの落ち着きようが、王子には理解出来ない。

 ユメリエンで別れてから、もうひと月も過ぎているというのに、少しも騒がないのはおかしいのではないか。


「お前ら、話し合っていたのか?」


「いいえ、何も」


 王子たちを乗せた船は、ユメリエンから先に出航していた。テンには、あとで落ち合おうと伝えていたが、結局海で会うことはなく。あれっきりだ。

 計画通りであれば、ユメリエンを経った後に軍船と合流し、これに乗り込んで、王子は堂々とタークォンの王子としてユメリエンに再上陸を果たすはずだった。

 ところが計画が変わった。軍船に一報が入り、ユメリエン行きがなくなったのだ。ユメリエンの王家が王子との面会を断ってきたからである。

 どうもユメリエンはそれどころではないらしい。タークォンに対して詳細を説明しなかったが、また日を改めてお詫びをするという旨を伝えるに留まった。

 まさか王子があの場にいたとは思っていないだろう。

 そのユメリエンからは、まだ何の書簡も届かない。正式な連絡が入らないままである。


 それでユメリエンを出た一行は、結局軍船に戻って、タークォンに帰国した。

 ユメリエンからタークォンまでは、軍船がいくら飛ばしても二十日も掛かったが、その間にシーラの船が過ぎゆくこともなかったのである。

 だからあの場からシーラの無事を確認出来ていない。


 本当ならせめてユメリエンを立つときを合わせたかった。王子たちはシーラが船に戻るのを待つと言っていたが、シュウレンがこれを断り、さっさと船を出してしまったのだ。

 だからユメリエンのふ頭には、テンを残したシーラの船だけがぽつんと残っていたのである。


 これでイルハが心配していないわけがないだろう。むしろ自分を責めていたし、邸宅に戻れば二人の使用人からも責められる始末だ。シーラのことを考えないときなどなかった。

 もう手放さないと決めていながら、あの男にシーラを預けたことをどれだけ悔やんでいたか。

 けれどもイルハは仕事も忙しかった。ずっと妻を想い、憂いてばかりもいられない。


「それより殿下。不在時に滞った仕事が山ほど溜まっています。急ぎご承認いただかなければならない書類からお持ちしましたので、お目通しを」


 うんざりした顔で王子がイルハを見やっても、イルハは涼しい顔で書類の説明を始めるのであった。

 王子が「やれやれ」と言ったのは、イルハが出て行き、重たい執務室の扉が閉まった時である。


 しかし、閉まった扉は再び開き、イルハと交代するようにトニーヨが入ってきた。


「ご承認いただきたい書類をお持ちしたのですが」


「茶にでも付き合え」


「はい?」


「イルハが詰まらん。少し珈琲でもどうだ?」


 トニーヨも忙しいのだが、主君の誘いを断る強さもない。

 それで隣の、王子がくつろぐためだけに存在する部屋に移動して、ふかふかのソファーに座り、一杯の珈琲を頂戴することになった。


「あいつらはいつ戻ると思う?」


「まだお戻りでなかったのですね。ご連絡もないのですか?」


「あいつらは、無線機も使っていないだろう?連絡が取れねぇから、どうにもならん」


「イルハ殿もご心配ですねぇ」


「平然とした顔をしてやがるぜ」


「いつもご立派ですからね」


「どこがだ?」


「私などであれば、心配事が気になって仕事に手がつかなくなりそうですが。イルハ殿は帰国してから随分と働いていらっしゃるかと」


「ったく。休んでいいと言っているんだぜ。お前も好きにしていいぞ」


「お気遣い有難いのですが、私も仕事が溜まっておりましたので」


 ここで休んでしまうと、かえって自分を追い込むことになる。トニーヨも慣れない旅の疲れは感じていたが、帰国後に休まず働き始めたのはこのためだ。

 噂に聞いたところだと、海軍省副長官のカイエーンは、帰国後から長期休暇を取っているらしい。これを聞いたとき、トニーヨは酷く呆れたし、張り合う気持ちが生まれたせいで、休みを取らず頑張ることが出来るようになった。ある意味、良かったのではないか。


 執務室に面した扉が開いた。またイルハかと、王子は嫌な顔を向けたが、そうではなかった。

 現れたのは、一警備兵である。


「ご報告です!ご依頼の船が到着したとの連絡がふ頭の守り人から入りました」


「なんだって!」


 王子が勢い立ち上がるときに、テーブルの端に足がぶつかった。その振動で、珈琲がカップから溢れ、ソーサーに少し零れる。トニーヨはちょうどカップを手に持っていたから、難を逃れた。


「おい!イルハには伝えたか?」


「別の者がお伝えしているはずです!」


 にやっと笑った王子は、トニーヨに言う。


「おい、行くぞ」


「はい?」


「迎えにいかねぇつもりか?」


「……このようなときに、ご一緒してよろしいので?」


「……それもそうだな。明日にしてやるか」


 王子は改めてソファーに座り直すと、零れたことも気にせず、珈琲を飲み始めた。

 自然、顔がにやける。やっと面白くなっていく。つまらない日々が変わる。


 そう、王子は退屈していたのだ。いつもの日常に戻ったことがたまらなくつまらない。

 トニーヨが微笑していたのは、同じ理由があったのではないか。旅は刺激が強過ぎた。


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