45.接触
城を囲む赤茶色のレンガで出来た城壁は、裏側で見たあのレンガの壁を思い出させた。
似たような壁であるのに、囲む中身がこうも違っているとは。
しかし今、そのような冷静な比較が出来る状態にはない。
城壁の内部、東側からもくもくと煙が上がり続けている。白かったそれは、徐々に黒みを帯びた煙に変わっていた。肉が焼け焦げたような、嫌な臭いが漂っている。
城壁の前の通りにも兵士たちが並んでいるが、誰も王子たちを見ようとはしていない。その違和が自然とシーラに視線を向かわせた。
シーラとテンは並び、高い城壁を見上げている。
「これは何事だ、シーラ?」
「知らないよ」
くるりと振り向いたシーラは、いつもの明るい笑顔を向けた。いつも通りであることが、これほど奇妙に感じるとは。王子は面を食らいながら、さらに問う。
「この国ではよくあると言ったな?」
「よくあるのは、煙が出ることじゃないよ。この国は、異国の者を追い出すのが好きなんだ」
「祭祀のときなどに、異国人を立ち入らせないとは聞いたことがありますよ」
「そうなんだ。だから、観光の時期以外に来ると面倒で」
「この時期は祭祀が多いのか?これもそれか?」
「これがそう見えているの?」
「いや、見えねぇな。トラブルにしか見えん」
レンガの城壁は美しく積まれ、中が見えない。城壁の上か、高い塔にでも登らなければ、何が起こっているか確認出来ないだろう。
それなのにシーラは目を閉じ、微笑している。まるですべて見えているかのように、時折何かに反応して表情を変えていた。
一方、隣のテンは、とても大人しい。いつものテンであるとも言えるが、時折シーラを見て、何か頷くこともあって、それがまた奇怪な姿として皆の目に映った。二人だけで会話を楽しんでいるように見えるのだ。二人とも言葉など交わしていないのにである。
「ぎゃあああ!」
遠くから、叫び声が聞こえた。
さらに大きな物音が続く。
明らかに城の内部で何かが起こっているが、ここからは距離がありそうだ。
まもなく西側からも白煙が上がり始めた。
トニーヨはすっかり青ざめていた。何か恐ろしいことが起こっているだろうし、ここも危険なのではないか。早く船に戻りたいと思うどころか、国に帰りたい気持ちになっている。
「もっといいところを見たかったんだけれど、これはまだ時間が掛かるね」
「どういうことだ、シーラ?」
「城壁に上ってもいいんだけど、今日はちょっと自信がないからなぁ」
シーラはぼんやりと高い塀を見上げて、「どうしようかなぁ」と呟くのだ。まったく、王子の問いに答えない。
「いいから説明を……」
我慢出来なくなった王子が、苛立った声で言い掛けたところである。
「ここで何をされているのです?」
やけに綺麗な男の声だった。知らぬ男の声に、王子も肝を冷やす。
振り返れば、真後ろに男が立っていた。いつのまに?
長い黒髪をそのまま垂らした男は、年齢が読みにくいが、せいぜい三十代と言ったところか。黒髪に合わせたように、真っ黒い服を着ていた。この国の強い日差しのもとでは、暑苦しい見た目である。
「異国人の方々は国から出るようにとお伝えしておりますが?」
「俺たちも今から出ようと思っていたが、何事かと気になって足を止めただけだ」
王子も他国で揉める気はなかった。素直に従おうと、誰よりも先に答えたはずであったが。それを邪魔するような声がある。シーラだ。
「あなたこそ、ここで何をしているの?異国人なんだから、早く外へ出たら?」
シーラに視線が注ぐ。王子だけでなく、全員がシーラを見ていた。
「お久しぶりですね」
「そうでもないよね?」
「久しいでしょう」
「ついこの間、あった気がするけどね」
知り合いか?
「時間の感覚が違うようですね。私としては、もっと頻繁にお会いしたいところでした」
「それは遠慮するよ。私はとても会いたくないからね」
「それは残念です。されど今日は巡り合えたのですから、お時間を頂けますね?」
声に合わせて、男の長い髪が揺れている。綺麗過ぎる声と共に、風が吹けば飛んでいきそうな儚い雰囲気を持つ男だった。
「今日はとても良くないんだけどなぁ」
空気の質が変わった?
トニーヨは不思議な感覚に辺りを見渡した。何も起きていない。とすれば……。シーラの横顔を凝視るする。
「テン。みんなと船に戻っていて」
「分かった。みんな、行こう」
「は?なんでだ?」
シーラがイルハを見詰めたが、イルハは頷けなかった。そのイルハの腕をテンが掴み、引こうとする。
「船に戻るよ」
少年に促されても、イルハはまだ動けないでいた。頭だけでなく、体も抵抗している。シーラをここに残してはいけないと、全身が警告していた。
ここにいては邪魔なのだろう。それも分かる。自分の無力さもよく知っている。それでも動いてはならないと全身が言っているのだ。
今離れたらもう会えない。理由なくとも、そう思う。だから動けなかった。
しかしその考えも改めることになる。
丸く揺れる影に気付き、顔を上げれば、そこに見たことのある傘が舞っていたからだ。
「やぁ、シーラ。ごきげんよう!」
シーラがふわっと柔らかく笑ったのが分かった。イルハもまた安堵する。不本意ではあるが、ここは任せようと決められた。
「行きましょう。今はこれが最善です。話はあとに」
王子にそっと伝え、イルハも走り出す。一度シーラを見たが、シーラは決して目線を合わせなかった。
なぜ、名を呼ばなかったか。テンが王子とも言わなかったのは、何故か。考えずとも、イルハには分かった。
あれはきっと、あちら側の男だ。そして間違いなく、ただの男ではない。魔術師、それも一級の。
イルハにはしなければならないことが山積みだ。もはや、考えているだけでは済まされない。




