44.はじまりの狼煙
テンが入りたいと言ったから、大衆食堂を思わせる気楽な料理屋に足を運んだ。昼食時はとうに過ぎていたが、店内には食事を取る者も多い。
とても騒がしい店だった。人の声だけでなく、食器とカトラリーがカチャカチャと鳴る音があちこちから響く。タークォンのように音を出さずに食事をするという慣習はないのか、むしろ音を出す方が正義とでもいうように、店員が食器を置くときにも大きな音が鳴った。これはタークォンの面々からすると、無礼であり、耳障りな音である。
お茶と共にお喋りを楽しむ婦人の集団もあった。独特な高い笑い声は、これまたタークォンであまり聞かない笑い方である。そういう意味では、シーラもタークォンでは目立つ存在だったが、甲高くキンキンとしたユメリエンの女性たちの笑い声は、タークォンの男たちに良い印象を与えなかった。
国の違いは庶民を見た方が分かりやすい。王子がようやく気付いたことだ。
王族との付き合いでは、見えなかったことが見えてくる。やはり王宮に籠っていてはいけないのだと、自分の日頃の行いを正当化してもいた。今回のこの自由な旅も正しかったと思っている。
王子たちは大きな長方形のテーブルを囲んでいた。
テンを筆頭に、イルハ、カイエーンは辛い料理を堪能し、シーラと王子、それからトニーヨは、それぞれにデザートを楽しんでいた。ユメリエンは豚肉料理が中心のようだが、魚料理を食べないわけではないらしい。朝は豚肉というのが、暗黙の了解なのだろう。この店では、魚料理もよく注文されていた。
王子はしかし、不服である。
「こればかりというのも、飽きるな」
この国はデザートと言えば、一種類の焼き菓子しか食べないのか。パウンドケーキしか選択肢がないのだ。それも朝と同じく、酒に浸けたフルーツたっぷりのそれか、ナッツ入りのものか、二種類しかない。他に甘いものを求めるならば、果物を食べるしかないらしい。
デザートを食べたいと言えば、何種類でも用意される。そんな暮らしをしてきた王子だから、同じものばかりでは詰まらなかった。
「辛いよりずっといいよ」
シーラは昨夜から食べているというのに飽きない様子で、パウンドケーキをよく食べた。ここでも手掴みで頬張っているが、片手には買った本がある。シーラがこのような行儀の良くない姿をタークォンの面々に見せることもあまりないから、よほど本が気に入ったのだろう。
しかしこれがさらに王子を詰まらなくさせている。
「何の本を読んでいるんだ?」
「ユメリエンの作家さんの本だね」
「面白いのか?」
「まだ読み始めたばかりだよ、王子」
邪魔するなと言いたそうなシーラに、王子はついに不機嫌に顔を歪めた。料理を味わっていたイルハがひっそりと微笑して、仕方ないと主君を助けることにする。
「シーラ。あとで読んだらどうです?船でなら、時間がたっぷりあるでしょう」
「あとでも読むけど。開いちゃったからね」
「食べるときは、食べることを楽しみましょう」
「んー、あと少しだけ」
「無駄だよ、イルハ。シーラは読み出すと止まらないから」
言ったテンは、料理に夢中で忙しく、シーラを見ようともしない。だから王子の相手も出来ない。
これは仕方ないと、イルハは王子の相手をすることにした。イルハとて、食事の気を抜くと、全部テンに食べられてしまうから、少々忙しいのである。
「こちらのお店はお気に召しましたか?」
「あぁ、こういう店はいいぜ。ライカルもそうだったが、地元の者が集う店の方が楽しめる」
王子は改めて、店内を見渡した。母親に連れられた小さな子どもの姿もあれば、恋人同士らしい若い男女の姿もあった。客層の幅が広い。
「ホテルのレストランとは大分雰囲気が違いますね。あの辛くない料理屋ともまた違う感じがします」
トニーヨが言うと、イルハも頷く。
「これまでの店は、ユメリエンの者が通わぬ場所でしたね。ホテルにも異国の者しかいないようでしたし、ユメリエンの者たちは辛くない料理には惹かれないのでしょう」
「国内で移動する者もあまりねぇのかもしれねぇな」
「それはどこの国も同じようなものでしょうぞ」
カイエーンが言えば、突然シーラが口を開いた。本を読んではいるが、聞いていたらしい。しかし、まだ本に視線を向けたままで、動いたのは口だけだ。
「そうでもないよ。国内の移動が多い国もある」
「そうなのか」
「そうだねぇ」
結局シーラはあまり聞いていないのだ。シーラの生返事には、王子は少々苛立ったが、すぐに諦めた。
「国内を動き回る仕事と言えば、運送屋か?」
タークォンにも畑の作物を運ぶ者たちがいる。街の外には広大な畑が広がっているが、そこで採れた作物は街でなければ売れないからだ。当然、異国に輸出するにしても、街に面したふ頭から出荷される。
「我が国の運送屋は短い距離を中継し荷を運ぶので、さほどの移動距離にはなりませんね」
「他国では長い距離を一人で運んでいるということか?」
「その可能性もありますが、他の仕事も考えられるでしょう」
「運送屋以外に、移動する仕事とは何でしょうか?」
再び一同がシーラに視線を向けたとき、ドンッという大きな音が鳴った。短くも、心臓を揺らす鈍い音だ。
「なんだ?」
慌てたのは王子だけではない。カイエーン、トニーヨだけでもない。店内にいるユメリエンの者たちも口々に「何事だ」「どうした?」「凄い音だったわね」と動揺した声を発している。
この店の中で落ち着いていたのは、シーラとテン、それからイルハくらいではないか。
イルハは怖いくらいに、冷静だった。
シーラは本を読んでいるし、テンはなお食べている。
再び大きな音が鳴る。ゴゴゴゴ…というそれは、今度はもっと鈍く、低く、長い音で、体の深いところまで振動が伝わった。
「何が起こっている?」
様子を見てくると、店の外に飛び出す者もあった。
すぐに外から声がする。
「大変だ。城の方から、煙が上がっている!」
大慌てで店から飛び出す者たち。怯えた顔でその場に留まる者たち。冷静を装い、会話を続ける者たち。反応は様々だ。
「私も見て参りましょう」
カイエーンも椅子を引いて立ち上がったが、王子が「俺も行くぞ!」と言うのでとても困って固まった。
「何があったか分かりませんから、まずは私が確認して参りましょうぞ」
「面倒だ。俺も行く。おい、行くぞ、シーラ。テン」
シーラが渋々と本を閉じて、顔を上げた。
「まぁ、そうだね。追い出される前に見に行こうか」
「なんだって?」
ウーウーウーウー。今度の大きな音は人工的な音である。サイレンだ。
『国内にいる異国人に告ぐ。ただちに出国せよ。まもなく海上を封鎖する。国内にいる異国人に……』
同じ言葉が延々と繰り返された。外のどこかに放送用のスピーカーがあるのだろう。
最初は黙って聞いていたシーラが、からからと乾いた声で笑い出す。
「もう追い出したいみたいだね。今回はやけに早いなぁ」
客も店員も区別なく、店の者たちの視線が、王子たちのテーブルに注いでいた。その視線はどれも友好的なものではない。
四十くらいの男の店員が王子たちの元へ近付いてきた。
「あんたら、勘定を済ませて、早く出て行ってくれるか?」
至極迷惑そうに伝えたから、王子は眉間に皺を寄せたが、イルハがさっと勘定を済ませてしまう。使うのは、共通紙幣だ。表には太陽、裏には月の絵が描かれているそれは、どこの国でも使うことが出来た。
「これで足りますね。では、行きましょうか」
「ねぇ、お兄さん。今支払った分は、テーブルの上のすべての分だよね?まだ食べたいから、残ったものを包んでくれない?」
シーラがにこやかに言うと、テンも「これもお願い!」とまだ手付かずの皿を差し出した。
男は面倒くさそうな顔をしたが、揉めたくなかったのだろう。男の視線を受けた若い女の店員は、何も言わず、さっと残りのパウンドケーキと料理を包み、渡してくれた。
「ありがとう!美味しかったよ。また食べに来るね!」
シーラは明るく言ったが、男の店員は手を払うようなしぐさで皆を追い出した。若い女性の店員だけは笑顔で会釈をしてくれたけれど、他の店員だけでなく店内にいる客までも、シーラたちにいい顔を向けず、さっさと出て行けと言っている。
「さて、どうしようか」
通りに出て、シーラは呑気に尋ねるのだ。イルハもまた平然とした顔で、この会話に付き合った。
「まだいられますか?」
「追い出したいんだから、出ようとする船は止められないよ。入りにくくなるだけだ」
レンガの道には、異国の者たちが溢れている。一斉に店を追い出されたのだろう。ふ頭に向けて走る者もあった。
「おい、シーラ。これはどういう状態だ?」
「ユメリエンでは、こういうことはよくあるんだよ」
「よくあるのか?」
「この国は秘密主義だからね。さて……私たちは城を見に行くけど、王子たちはどうする?」
城の方向は、ふ頭とは反対だ。今、道を堂々と逆走するのは、目立ち過ぎるのではないか。
「行くなら、付いて来て。来ないなら、船に戻るといいよ」
「シュウレン殿たちも船に戻っているでしょうか?」
トニーヨが心配そうに尋ねた。船に戻ろうと、ここにいる者だけでは船の操縦が出来ない。
「これだけ騒ぎになっていれば、戻るだろうよ」
「まだ戻らぬとしても、我らは船にあるしかありませんなぁ」
男たちの会話を聞こえないとでもいうように、シーラは歩き出す。皆が歩む方向とは、反対に向かってだ。
ユメリエンではあまり見なかった兵士たちが、通りに集まり始めていた。異国人に対してふ頭へ向かうよう誘導している。まだ観光したりないと、店の前で足を止める若者に注意をする兵士もあった。
それなのに、逆走を始めたシーラとテンに何か言う者がいない。いや、通りの真ん中で話し合う、王子たちに対して何か言う者もいないのだ。
何が起こっているか、王子やトニーヨも理解し始めていた。この娘、本当に只者ではないのだと。
王子の足が自然とシーラを追えば、他の男たちはついていくしかない。シーラとテンを先頭にして、人の流れに逆らい進むと、確かに遠くに白煙が見て取れた。




