刻名と褒美
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
サクサクと短く生えた草の上をあるく。
忘れそうになるが、ここは洞窟の奥だ。大きく空いた真上の穴から射し込む陽の光が、この場所を優しく照らしている。
「伊豫にはずいぶんと滞在したな……」
「まぁね。あとはハクロやセキトに任せれば大丈夫だよ」
今は昼前。
わたしとルゥクは【鳳凰宮殿】の奥、母久漣さんたちの屋敷を訪ねた。今日でわたしたちは、ここを離れることになったからだ。
「ようこそ、いらっしゃいました。さぁ、どうぞ」
「お邪魔します」
「お、いらっしゃい。久しぶりだね」
「あら。今、お茶をお持ちしますね」
「どうも……」
中へ通されるまでに、この屋敷の人間に会ったのは母久漣さんを入れて五人ほどだ。
来客用の椅子にルゥクと並んで座ると、向かい側に母久漣さんが腰掛ける。
「ふふ、年寄りばかりで静かすぎて、少し退屈していたところだったのですよ」
「確かに静かですね。いつもは彌吹ちゃんや蔦丸くんたちが、真っ先にお出迎えしてくれてましたから……」
数日前。先生……領主の提案で、ここに住んでいた子供や比較的若い兄弟たちは、長谷川や小野部の屋敷へ住まいを移した。
彼らはこれから、今の伊豫のことを学んだり、王族や武士としての鍛練を積んだりと、自分たちのできることを模索していくという。
ここにいるのは母久漣さんをはじめ年長組たちで、主に土地の気力の操作を担って、領主を裏から助けるために宮殿に残ったというのだ。
父や先生は、母久漣さんたち伊豫の王族を保護する代わりに、それぞれの役割を与え、一緒に土地を建て直すことを約束したそうだ。
母久漣さんはいつもの薬草茶と、お茶請けにここで採れたという棗を甘露煮にしたものを出してくれた。
「出発前に、お二人が訪ねてくださって嬉しいわ。あなた方は父と母の恩人でもありますから……」
「いえ、私たちは何も……」
わたしとルゥクは直接ではなかったにしろ、結果として彌凪と嵐丸を死に追いやっている。
仇だと思われても仕方ないのに、恩人にされていることが申し訳ないな……。
「…………いいえ。お二人は恩人です。封印を解いたお二人も、封印を施したフウガ様も、この【伊予の国】のことを想ってなされたこと…………違いますか?」
まるで、わたしの考えを読んだように答えた母久漣さんは、どこまでも優しく微笑んでいた。その笑顔には彌凪の面影がある。
「ありがとうございます」
「……感謝します。我が師フウガも、そう言っていただけるなら報われると思います」
わたしのあとに続き、先ほどから極端に口数が少ないルゥクが礼を述べた。会釈のあと、ルゥクは母久漣さんを真っ直ぐ見詰めて口を開く。
「…………あの、母久漣様。ひとつお願いしたいことがあるのですが、聞いていただけますか?」
「ええ。何でしょう、ルゥクさん」
いつになく真剣な顔で、何をお願いするのだろう?
「墓が…………この敷地の奥に、あなた方の兄弟の墓が在るとお聞きしましたが?」
「はい。ここで産まれて死んだ兄弟たちの墓があります。墓標には名も記されておりますし、先日は父と母も刻みました」
「その墓に一人、名前を入れてほしい人物がいます。もちろん、伊豫の王族です」
「まぁ。どなたですか?」
「………………『瑞熙』といいます」
“ミズキ”という名に、わたしは聞き覚えがない。
「瑞熙さん、ですか……」
「彼女は彌凪の姉で…………師匠と懇意にあった女性です」
ルゥクのお師匠さまと親しい女性…………そうだ、確かルゥクが言っていた昔の話に、そんな女性がいたと聞いたことがある。
「そうですか。母の御姉様が…………亡くなられたのはいつ……?」
「それが、亡くなったのがかなり昔で…………僕も子供だったせいで彼女の墓の所在が曖昧なのです。できればわかりやすい所に彼女を偲ぶ墓が在ればな…………と」
わたしが聞いた話と違う。
その女性が亡くなったのは……“敵対する隣国の姫”として連れていかれたから。おそらく処刑され、まともな墓など建てられてはいないと思われる。
ルゥクは母久漣さんの手前、嘘をつくことにしたのだろう。
「彼女もこの土地に帰りたかったでしょう。きっと自分の妹たちと一緒の墓の方が、彼女も寂しくないと思います」
そう言ったルゥクを見ると、その横顔からは不自然なほどに感情が読み取れなかった。
母久漣さんとしばらく他愛のない話をして、そろそろ予定していた出発の時間になり屋敷の外へ出る。
「またいつか、お二人で伊豫へお越しください。私たちはいつでも歓迎いたします」
「……ありがとうございます」
「………………」
“またいつか”……この言葉に一瞬だけ、ルゥクは眉をひそめたが、すぐに無言で頭を下げていた。
次にこの土地に来る時は、ルゥクの『術喰い』を解いていたい。できれば、やりたくない『影』も辞めさせてやれれば良いと思う。
そうすればルゥクもこの土地へ、気兼ねなく来ることができるかもしれない。
母久漣さんたちは、わたしとルゥクから見えなくなるまで手を振ってくれた。
…………………………
………………
【鳳凰宮殿】を出発して翌日の夕方前。
みんなと待ち合わせていた長谷川家の屋敷へ到着した。
「もう、やっと来たわね!」
「来たわねー!」
「きたー!!」
屋敷の門をくぐると、コウリンとその後ろに彌吹と蔦丸がケラケラと笑って立っていた。長谷川の屋敷では、伊豫の王族の子供たちの世話を引き受けることにしたのだ。
「そういえば、トウカの治療は?」
「うん。原因も分かったし、アタシができる範囲はもうない。あとは生活改善と周りの介助だけね」
コウリンはここしばらくは、トウカの病気の治療に向き合っていた。トウカの胸の病は、本来彼女が持つ体内の気力の流れが原因であり、術を使う術医師の治療で充分治るものだった。
術医師は先生が同行させて連れてきている。これからも、根気よく治せば発作もなくなるという。
「さっき、スルガとゲンセンも到着したの。とりあえず、夕餉までくつろいでもらって構わないってカシさんが言ってたわ。アタシは薬箱の整頓をしようと思うけど、ケイランはどうするの?」
ゲンセンは数日前に小野部の屋敷へ、スルガと王族の若者たちを送りにいった。スルガは実家で旅の準備するためだ。
だから二人とも、長谷川の屋敷では出発までは特にやることもなく、屋敷の中で休んでいることにしたそうだ。
この屋敷には明日の朝までしかいられない。
わたしも旅の用意はこちらに移動してくる時に済ませている。出発前に軽く点検するだけでいいだろう。
「私も……ちょっと疲れたから休んでようかな」
ふと、庭の方に目がいく。ここから庭の綺麗な花が見えた。
そういえば、初めてこの屋敷へ来た時、カリュウに庭を勧められたっけ…………あの時はルゥクとトウカのせいで、ゆっくりなんてできなかったけど。
花を見ながら、庭でボーッとするのもいいかもしれない。来た頃に比べると、外の空気もずいぶん暖かくなったように思うし。
…………そう、独りでボーッとするつもりだったのに。
庭を見渡せる長椅子に腰掛ける。
わたしの隣には何故かルゥクもいるのだ。
ルゥクも特に予定もなかったのだろうが、何もわたしについてくることもないのでは……?
心に微妙な気まずさ。わたしは顔を逸らしているのに、ルゥクは逆にこちらを向いてくる。
「…………ねぇ、なんか怒ってる?」
「……なぜ、怒らなければならないんだ」
「いや、だってなんか……この距離感……」
「……ピッタリくっつくこともないだろう?」
わたしは長椅子の端っこにいる。ルゥクとの距離は人ひとり分くらいか。
じっと見てくるルゥクに少し落ち着かず、思わず口から軽い怨み言が零れた。
「…………私は何も考えずにいたかったのに…………」
「僕が隣にいても、何も考えずにいられるじゃない?」
「無理だ。お前がいると色々考える……」
「色々って? 例えば?」
「………………………………………………」
この長椅子は以前、ルゥクとトウカが座っていたものだ。
演技とはいえ、二人が睦まじくしていた姿。それを思い出したら、何だか腹が立ってきたのは…………まぁ、事実である。
「ねぇねぇねぇ?」
「~~~~~~っ…………」
なんか、いつにもましてしつこいなっ!!
お前はわたしに何か聞き出さないと気が済まないのか!?
苛立って言い返そうとした時、
「ったく、お前は………………あ、そうだ。前から思ってたことがある。ちょっと聞きたいのだが……」
「うん、何?」
そのトウカ繋がりで思い出したことがあった。
「何で、ルゥクはトウカが伊豫の王族だと気が付いたんだ? カリュウや皆、それを隠していたのに……」
「え?」
「コウリンから聞いた。トウカを一目見て固まってたって。初見で解ったのか? なんで?」
「え………………え~と……」
珍しくルゥクがあからさまに困った顔をした。
「実は……それほど確信はなかった。ただ、その…………トウカがそっくりだっから…………」
「へ? そっくり?」
「…………瑞熙に……」
「……………………」
ルゥク曰く。
容姿の一部や性格など違う点は多々だが、顔は生き写しのようだという。
「その瑞熙さん似のトウカに合って、お前は伊豫の問題に首を突っ込んだ訳だ…………」
「別に……そういうことじゃ…………」
「責めるつもりはない。結果として、色々な人が助かったし、彌凪と嵐丸も解放できた。突っ込んで良かったじゃないか…………私は良かったと思っている……」
「…………………………」
ルゥクが少し驚いた顔をして、そのまま黙って顔を逸らした。
ザアザアと風が吹いて、庭の木が一斉に葉擦れの音を響かせ花びらを散らしていく。
「大事、だったのだろう? その瑞熙さんは。お師匠さまにとっても、ルゥクにとっても…………」
「そうだね。うん、大事だった」
“大事だった”……ルゥクがすんなりと認めたことに少し驚く。
「今思うと…………僕の『初恋』だったのかなぁ……」
「――――――へっ!?」
ポツリと“初恋”という予想外の言葉がルゥクから出て、思わず変な声をあげてしまった。
「ほら、子供って、自分の世話をやいてくれるお姉さんに憧れを抱くもんじゃない? たぶん、僕もそうだったと思う」
「あ……あー、そう、お姉さんね……」
「…………ん? どうしたの、ケイラン」
「い、いや、べっ……別にっ…………」
「……………………」
危ない危ない。いつもと違う態度に妙にドキリとしたじゃないか。
わたしが密かに呼吸を調えていると、一瞬だけの沈黙の後に含んだような声が聞こえる。
「…………僕も子供だったから。甘えたい年頃だったんだよきっと。うん、だから安心していーよ? うんうん……」
こちらを見てニヤニヤとしながら言うルゥクの様子に『あ、これはわたしの反応を楽しんでいるのではないか』と本能が告げていた。
「お前はひとをからかうことを………………せっかく、今回は伊豫のために頑張ったのを誉めてやろうと思ってたのに――――……」
「………………誉める、ねぇ……?」
急にクイッと、アゴに手が添えられて顔を上向きにされる。
「っ…………!?」
「じゃあ、誉めるならご褒美くらいは欲しいんだけど?」
「ふぇっ!?」
いつの間にか長椅子の距離が詰められ、ルゥクの顔と体がものすごく近くにあった。
「えっと……へ? な……?」
「僕たちって頑張ったじゃない? 君へのご褒美はこの間、みんなで甘味に行ったことだけど……君から僕へのご褒美がまだだよ?」
ご、ご褒美……? え? ご褒美?
まさか、この体勢からのご褒美……って?
脳裏にかすめたのは、しばらく前にあった『事故』と『外国式の誓い』である。
ぎゃあああああああっ!!
待て待て待て待てまてぇえええええっ!!
わたしとお前は、そんなことをご褒美にする間柄じゃないだろぉぉぉぉぉっ!?
ご褒美にならない! 絶対にならない!!
「ぬ~~~~~っ!!!!」
迫り来る『脅威』に、思わず目と口を固く閉じた。
あ、まずい。これって目を閉じたら駄目なやつでは…………
だが、その途端にアゴから押さえていた手が離れる。
ドサッ。
膝から太股に、突然重みがかかった。
「え…………ルゥ…………」
「ふわぁ……ご褒美、これでいいや。ちょっと『枕』になって。眠い…………」
「へ?」
目を開けると、わたしの膝を枕にルゥクが寝転んでいる。これは俗に言う『ひざまくら』というやつだ。
これは少し恥ずかしいが…………まぁ……膝を枕に提供するくらいなら……長椅子にそのまま寝るのは寝心地悪そうだし。でも、なんかムズムズする……。
「あの……ルゥク?」
「…………………………」
寝たのか?
「……………………ねぇ、ケイラン?」
「え? あぁ、何だ?」
あ、まだ起きてた。
「君、スルガに求婚されたって…………本当?」
「ああ、その話か。いや、それは断った」
「なんで?」
「なんでって…………そりゃあ、お前がいるのに受けることはできないだろう?」
「………………へ?」
「ん?」
「………………」
「………………」
この変な間で、わたしの言い方が悪かったのだと気付く。
「いや!! 別にお前のため…………いやいや! 私は『護衛の任務中』だから断ったんだ!!」
危ないっ!! 別の方に解釈されるところだった!
「ふーん、そう。そっかぁ。ふふ……」
「…………?」
何故かルゥクの声色は機嫌が良い。そしてそのまま、静かな寝息をたて始めた。
…………こいつも疲れていたみたいだな。
たまにルゥクの頭に飛んでくる花びらを取りながら、手櫛で髪を整えてやる。
太股が温かくてむず痒いがこれくらいは我慢しよう。あとは誰も庭に来ないことを祈るしかない。さすがにこんな場面を誰かに見られるのは恥ずかしい。
その後、幸いにも誰も庭に来ることはなく、日没がくるまで、わたしはルゥクの『枕』を務めたのであった。
次回で三章の本編が終了。
あとは三章の番外編になります。