葛藤<いたみ>の果て
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
最後の方に少し視点移動があります。
ルゥク→コウリン
この『蛇酊州』へ来て術を封じられてから、僕はいつもより身体の中の『魂喰い』の存在を感じることとなった。
『魂喰い』は僕にとっての【呪い】だ。
しかしそれが解けない間は、僕はこの呪いと向き合わなければならない。
生命を根こそぎ食い荒らす『魂喰い』…………これを札に通して行うと、余分な命まで獲らずに済む『術喰い』という術になる。
僕の“不死”はこれを命の基にするわけだが、こいつと付き合っているうちに色々とわかったことが多い。
まず、僕が喰った『術』のこと。
他人からどれくらいの量を奪うか、それによって術への理解度が違う。
完全に術の土台となる部分から喰った場合、僕はその術を完璧に理解することができた。つまり、修行もなしに喰った術でも、僕はすぐに使うことが可能だったのだ。
それは僕と術の“相性”などもお構い無しで発動できる。
上手く使いこなせるかどうかは別だったけど、喰ってしまえばその術の仕組みや気術の流れ、技の掛け声なんかもスルスルと僕の中へ落ちてきた。
だから、僕は解らない術はとりあえず“喰って”みるのだ。
そうすれば、どんな難解な術でも理解してしまえる。身に付いていれば恐ろしい力も、なんと頼もしいものになるのか……と。
愉悦さえ感じていた頃もあったが、ある日ふと、心に小さな疑念が湧いた。
――――術を身に付けるためには、生まれ持っての才能か膨大な修行が必要だ。何故なら、それらは術を制御し操るために必要な『手綱』だからだ。
では、その『手綱』を持たずに術を手に入れた者は?
今まで僕が術を与えた術師は、すぐに自分の中にある才能や努力に置き換えて『手綱』を用意できた。十年前、ケイランも苦しみの末に術を自分のものにしたのだ。
だが、僕は別物だった。
『手綱』とは別の代償がある。
少しでも油断すれば……――――
…………………………
………………
ひんやりとした水晶の感触が、左手の傷に吸い付くように伝わってくる。
「………………結界を、壊すだけ……」
自分にだけ聴こえるくらいに呟いて、僕は意識を左手に集中させた。
――――――術喰い……!!
敢えて『魂喰い』ではなく『術喰い』と、心の中で誰かに命じるように叫んだ瞬間、手のひらを何かで貫かれたような衝撃が走る。
「っっっ!!」
例えるならば、手のひらの傷口を広げながら大蛇が身体に無理やり入ってくるような。
痛みを通り越して全身、中身を何かに乗っ取られそうな不快な違和感に襲われる。それは徐々に腕から肩へ向かう。
――――くそ……『魂喰い』を使うと、いつも意識を持っていかれそうに…………
ここで負ければ、僕は自分の意思も理性も持たない化け物になるのだ。
違和感が肩から首へ広がった時、
ビシィッ!!
軽い振動と共に水晶にひびが入ったらしい音。左手の辺りからビキビキと音は上に移動していく。
『術喰い』が結界である水晶の壁の気力を喰っているせいだ。
術として保てなくなるくらい喰ってしまえば、各地に散らばっていた結界と同じ様に壊れるだろう。
目だけを前に向ける。そこでは、先ほどまであんなに斬り合いをしていた嵐丸が、水晶の壁を見上げて呆然としていた。彌凪も嵐丸の隣で立ち尽くしている。
――――もう……少し、あと少しで割れ…………
「っ……!?」
肩から首を圧迫しながら、それが頭と胸へとじわじわと進行してくる。まるで『魂喰い』が吐き気と悪寒に紛れて、僕の思考を奪いにきている感じだ。
――――駄目だ。頭の芯がぼぉっとしてきた……
術が封じられていなかったら、僕は必ず『白い札』を壁につけて『術喰い』を使っただろう。
いつも札を通して行うのは、僕が喰う前に余分な気力を濾しとる作用があるため。そうしなければ、僕の身体や精神に一気に気力が流れて大きな負担が掛かるからだ。
ゴウラの手下であるフブキと戦った時、化け物二体を相手にして『術喰い』では威力が弱く倒すのは不可能だった。だから『魂喰い』を使った。
あの時も意志を強く持てばいけるかもしれないと思ったが、結局は膨大な気力の流れに負けて、『魂喰い』を使った少し前からゴウラを斬りつけていたところまで記憶が飛んだ。
その間にどのくらい時間が経ったのか、どう移動したのかはまったく憶えてない。
完全に僕が化け物に乗っ取られていた証拠だ。
ビシビシビシビシッ……!!
一番大きな音が背後で響く。
――――ここで意識を失ったら……?
弱気な考えが過った途端、それを『魂喰い』が察知したかのように身体の左側が激痛に襲われた。
「ぐっ……!!」
「ぷは…………ルゥク!」
――――あ……。
苦しさに思わず声をあげ、さらに腕が緩んだせいでケイランが顔を上げてしまった。
「ケイラン……」
「お前……顔、真っ青だぞ!!」
ケイランが両手で僕の両肩を掴み、真っ直ぐに覗き込んでくる。しかし、すぐに目線が僕の横へと逸れた。
「そうか……『術喰い』で水晶の壁を壊して…………でも…………札は……? あ………………」
「……………………」
壁に付けられた僕の左手を見て、彼女が小さく息を飲むのがわかる。
おそらく、ケイランも今僕が使っているものが“いつもとは違うもの”だと気が付いたのだろう。
「…………『魂喰い』の術……本当は使いたくなかったけど…………」
「………………わかった。私は伏せていればいいな?」
そう言うと、ケイランは唇を噛みながら下を向いた。
……僕が『顔を上げるな』と言ったから。
僕の肩に置かれた両手から微かに震えている。しかし、それが判るのは、僕の身体の感覚が戻っていたからだ。
違和感はまだあるが、僕を潰しにくるような痛みは消えている。
ビシビシビシ…………
ひび割れる音は一向に止むことなく、四方に広がっていく。
なるほど………………そうか。
ある考えに至り、僕はそれを実行することにした。
「ケイラン……ちょっと良い?」
「え? な…………うわっ!?」
右手をケイランの左頬に添えて、彼女の顔を僕の顔の前に固定する。
「へ? うえっ!? あ、あ、まっ……待てっ! なっ……!!」
「…………何、動揺してるのさ?」
「う…………え?」
面白いくらいに慌てふためく彼女を鼻で笑ったあと、僕は情けないお願いをしなければならない。
「お願い、僕のこと……見ていてくれる?」
「へ……?」
『見るな』と言った次は『見ていろ』とお願いしている。
そう、僕は『魂喰い』を使うところを見られたくない。
意識がなくなるからだけではなく、目の前の人を殺してしまうかもしれないからだ。だが、必ずしも人払いができる状況だけじゃない。
仲間が巻き込まれるからと、使わないでいられるならそれでもいい。
でも、もしも……どうしようもない事態になれば?
使わなければならない状況で、使うことに怯めば……僕は『魂喰い』に意識を持っていかれるはずだ。
それは、誰もいないと安心してしまっている場合も同じではないか?
つまり、僕は少しも油断してはいけないのだ。
さっき、急に身体の痛みがなくなったのは、ケイランが見ていると思うことで、僕の意識が『魂喰い』に少しでも勝ったからだろう。
「僕のこと、見張ってくれる?」
「見張る……?」
「今は僕を見て。君が見ているなら油断しない。意識を失くして化け物になんてなりたくないから…………」
大きく見開いた灰色がかった瞳を見ていると、僕は不思議と落ち着いてくる。
「ルゥク……」
「ん?」
僕の名を呼ぶ彼女の口の端が上がった。
「……私の任務を忘れたか? 私はお前の護衛兵だ。お前を見張るのが仕事だ」
「…………あ……ごめん、忘れてた」
「忘れるな…………」
仕事とは別にしてほしくて、わざと忘れた振りをする。
「まったく、いい加減な奴だな」
ため息と共に肩に乗っていた彼女の両手が、僕の顔を包むように頬を触れた。台詞は怒っているのに、目の前には笑顔が在る。
「見ているから早く終わらせろ。皆、待っている」
「うん……そうだね」
両方の頬と右手から温かさを感じながら、再び左手に意識を集めていく。
ますます強くなった左手への違和感を、今度はすんなり受け入れて身体中へ流してやる。
「――――『魂喰い』っ!!」
今度は声に出す。
負けない確信があるから。
ビシィッ!! ――――ガシャアアアンッ!!
「「あっ!!」」
嵐丸と彌凪が揃って声をあげた。
大きな亀裂から壁は砕けて落ちる――――……と思われたが、大きく割れて倒れるはずの壁は、崩れた途端に霧のように四散して消える。
「壁が…………」
「うん。壊れた……ね?」
それを見ていた時、僕の手のひらの下……ケイランの左頬の変化に気付く。
「あ……頬に……」
「え?」
「…………アザが戻ってる」
正直、女の子であるケイランの顔にこれは無い方が良いのかもしれないが、無ければ無いで物足りないと思うほど馴染んでいたもの。
――――『霊影』の術のアザだ。
どうやら、この瞬間から術は戻ったらしい。
お互いの手を離した時、一瞬にして水晶の壁は消え失せ、背後から突風が吹き付けてきた。
何かの爆発が起こったような強風に、飛ばされそうになりながらもその先を確認するために踏ん張る。
「うっ……!!」
「っ……!!」
咄嗟にケイランを掴んで引き寄せたが、二人でも風に押し負けそうだ。
「――――――っっっ!!」
しばらく目を開けられないほどの風を叩き付けられたが、それが次第に収まってきた。しかしまだ、少しだけ風によって舞い上がっていた土煙が視界を邪魔する。
すぐに目を凝らすと、その土煙の向こうに何かが動いていた。
――――あれは……?
あれは『封印』じゃない。
僕の直感がそう告げる。
「のぅ、不死と娘…………ずいぶんと急かしてくれたな…………」
「え?」
「何?」
不意に、彌凪が僕たちに語り掛けてきた。
「伊豫の地の気力は解かれた。お主たちは術とやらが使える。だから今すぐに、妾と嵐丸を………………殺せ」
「なっ―――――」
彌凪の不穏な台詞に、ケイランがすぐに何かを言おうとした瞬間、
『ぎぃやぁああああああっっっ!!』
空気と地面をいっぺんに揺るがすような、凄絶な叫びが土煙の向こうから聞こえた。
++++++++++++++++++++
もうすぐ夜明けだ。
東の空が白みだし、薄暗いながらも周りの景色が見渡せる。
離れた場所の【鳳凰宮殿】の輪郭も、先ほどよりもだいぶ分かるようになってきていた。
「…………待つだけって退屈ね」
「えぇ、でもケイランたちも頑張っております。私たちも頑張って暇に耐えましょう!」
「ケイランたちの頑張りと並べちゃ駄目だと思う……」
風と夜露避けに簡単に張られた天幕の下、アタシとトウカさんは火鉢で暖をとる。
トウカさんの隣ではカリュウとスルガが仮眠をとり、少し離れた焚き火の周りでは、ゲンセンとヤマトさんが見張りがてら話をしていた。
「コウリン様、お茶でも飲みますか?」
「うん。でもトウカさん、少し眠ったら? 身体にも良くないし……」
「我慢できなくなれば眠りますわ。何だか落ち着かないので……」
「そう……」
そう言って、トウカさんが水を入れた鉄瓶を火鉢に置こうとした時、いきなりガバッとスルガが勢いよく体を起こした。
「きゃっ!」
「え!? どうしたの!?」
「……………………聞こえる」
スルガが【鳳凰宮殿】の方を睨みながら、カリュウを揺り動かして起こしている。
「ヨシタカ、起きろ!」
「うん…………スルガ?」
「なんか…………――――――来る……!!」
「「「え?」」」
ゴォオオオオオオオッ!!
スルガの声に反射的に身構えた瞬間、ものすごい突風が吹き抜けた。
アタシたちは地面に伏せるのがやっとで、目の前では地面に固定したはずの天幕が、紙のように吹き飛ばされているところだった。
「な、何っ!!」
『ぎぃやぁああああああっっっ!!』
そして、風が止むと今度は地鳴りのような叫びが【鳳凰宮殿】の方角から響き渡る。
「一体、何が起こってるの……」
――――ケイランとルゥクは?
アタシが宮殿の方へ目を向けると、再び夜がきたかと思うような『真っ黒な影』がこちらへ迫って来ていた。




