水晶の壁
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
今回はルゥク視点です。
※戦闘描写に残酷なシーンがあります。ご注意ください。
僕が『不死』になったのは今から百五十年…………いや、まだそこまで経っていなかったと思う。
あの頃はまだ子供で、師匠の考えていたことの半分も理解はしていなかった。
まだ『不死』というものを知らなかった頃、師匠が数ヶ月も仕事を休んで何処かへ行っていたことがあったのを憶えている。それも、何度も。
その度に、子供一人で留守番をするのは心配だからと、僕は師匠が懇意にしている女性のもとへ預けられた。
「ご飯、いっぱい作ったから食べてね!」
手拭いで頭を覆った一人の女性が、忙しなく台所から料理を運んできた。
彼女はニコニコと僕の目の前に山盛りのご飯を置く。
育ち盛りだからと、まるで母親のように世話を焼いてくれる人だ。
母親……というより、六歳くらいしか離れてないから姉という方が合っているかも。
「ねぇ、師匠がどこ行ったか知ってる?」
確か預けられて三回目の時だったか。すっかり打ち解けて仲良くなっていたから、彼女に師匠の留守の理由を遠慮なく聞いていた。
「んー? そうねぇ……私の故郷の様子を見に行ってくる……って言ってたわ……」
「…………故郷って?」
「ここからかなり東の【伊豫】って国よ」
「……【伊豫】?」
その時、僕は初めてその国の名を聞いた。
「なんで師匠だけ? 『瑞熙』は帰らないの?」
「……………………」
彼女…………瑞熙の故郷なら、何でそこへ連れていってあげないのか? 師匠の行動に首を傾げた時、瑞熙は寂しそうに笑ってこちらを見ていた。
「フウガ様は私が故郷に戻ったら、危ない目に遭うのが分かっていらっしゃるのだと思うわ……」
「……危ない目? 故郷で?」
その頃の僕は、彼女の言わんとしていたことがよく解ってはいない。
この時すでに【伊豫の国】は大陸から、残っている半島の領土を狙われている。
領土の一部を奪うのに瑞熙が使われたのだ。
彼女が生きていると知られれば、彼女を貶めた大陸の者たちに殺される――――そういうこと。
それを知った師匠は【伊豫の国】の内側と通じ、彼女の故郷をこれ以上荒らされない方法を施しに行ったのだ。
「さぁ、そんなことはいいわ。片付かないから、早くご飯食べてね!」
「うん……」
瑞熙がふいっと横を向いた時、頭を覆う手拭いの隙間から“白銀”のような髪の毛が見える。
…………いつ見ても綺麗な髪だなぁ。
子供心に師匠にも自分にとっても、彼女は『特別』なんだと感じていた。
…………………………
………………
そして現在、僕はそのかつての【伊豫の国】で師匠が掛けた『術封じ』を解こうとしている。
「っ……!!」
ギィンッ!! ガギィッ!!
幾度となく打ち合い、受け流し、攻防を繰り返し、僕は嵐丸の攻撃についていく。
嵐丸は先ほどから…………最初からそんなに口数は多くなかったけど、更に無口になって攻撃に専念して僕に隙を与えないつもりのようだ。
そんな攻撃を受けながらも、僕は別のことを考える余裕があった。
――――おかしい、何を企んでいるのか。
この二人が各々、僕とケイランに分かれて一対一で仕掛けてきた時から、何かが心の隅に引っ掛かっている。
「…………ねぇ。ここまで戦えたなら、僕たちは君たちの“試練”とやらに『合格』じゃないの?」
「……………………」
一瞬、嵐丸の攻撃が緩み、僕はその隙に彼の刀を弾いて距離を取る。壁の近くに突き出た、大きな水晶の柱の上に跳び移り嵐丸を見下ろす。
「君はもう、僕には勝てない。君なら判るだろ?」
“奇襲が得意な『影』は戦いが長引けば不利”
それはあくまでも『影』が他の戦士と対峙した場合。同じ年月、同じ『影』であれば…………
「僕は君の攻撃に“慣れて”しまった。君に奥の手がなければ……僕は負けない」
「…………そうか」
相手が同じ『影』ならば、戦いを観察し自分の戦闘経験から“癖”を照らし合わせ、瞬時に殺せる隙を伺う。つまり、戦いの中で相手を上回ろうと“成長”するのが『影』なのだ。
すでに嵐丸の動きは見切った。
百五十年間、彌凪しか稽古相手がいなかった嵐丸は、素早ささえ慣れてしまえば攻撃は単調である。同じ年月、様々な戦いを経てきた僕とは圧倒的に経験の差がでるのだ。
…………ケイランは封印が解けるのならば、二人を殺すつもりはなさそうだし。僕だって彼女の前で殺したくはない。
「もう封印を解きなよ。君たちと不必要に争うつもりは―――」
「“不死”よ…………話はそれだけか?」
嵐丸が僕を見上げて、刀をこちらに向ける。
「姫様が言っていたはずだ。姫様か俺を倒して封印を解け…………と。お前は、俺を殺して封印を解かなければならない」
「まだそんな………………ん?」
ふわり。鼻に微かな香が触れた。
「なん…………」
どこかで嗅いだことのある香。
――――――この匂いは……薬香……?
匂いの出所に目を向けると、動きを止めて立ち尽くすケイランの姿が見えた。話している彌凪の腰には、携帯用の小さな香炉がぶら下がっている。
あああーっ!! 何で素直に話を聞いてるのさ!?
たぶん、ちょっと深刻さを装ったような話をされて、立ち止まって真剣に聴いてしまったのだろう。
そこがあの娘の良さでもあるけど…………重大な欠点でもある。
「…………あの娘は“不死”ではないのだろ? あの香を嗅ぎ続ければ戦うのは不可能になるぞ」
「僕に何をしろ……と?」
「あの娘が殺される前に、俺と決着をつけることだな」
そう言うと、嵐丸は水晶の柱を一気に駆け上がってきた。正面から間合いを詰めるやり方は、もはや時間稼ぎなどではないと訴えているよう。
“自分を殺せ”……と挑発しているつもりか? 僕らを試すだけではないのか?
「くっ…………ケイランっ!」
「よそ見は、しないでもらおう……!!」
ギィンッ!! ズザッ!!
嵐丸と彌凪の“目的”が分からない。しかし、そんなことを考えながら戦っている間に、ケイランがふらついているのが視界の隅に入る。
まずい、薬香が効いてきたか……!
ケイランのもとへ駆け付けようとするが、嵐丸の攻撃が先ほどよりも遠慮がなく、少しくらい傷付けられようとも防御を捨てて向かってくるのだ。
嵐丸の攻撃が変化している。まったく読めない攻撃ではないが、僕をケイランの方へ行かせないようにしているのが分かった。
なぜ、そこまでして?
大人しくするわけでもなく、殺すつもりで殺されにきている。矛盾しているのは何故?
嵐丸の刀を捌きながら、頭の中は止めどなく湧き出る疑問でいっぱいだった。
そうこうしているうちに、ケイランが片膝をついた。薬香が回ってきているのだろう。
完全に座り込む前に助け――――…………え?
スクッ! ズダダダダダダダダッ!!
走った!? ケイランが走った――――!?
なんと、倒れかけたケイランは無理やり立ち上がり、水晶の壁に向かって自棄糞のように走り出したのだ。
「――――うぐっ!!」
ビタンッ!! ベシャッ!!
やはり、あまりよく見てなかったせいか、ぶつかって転んでいる。ついでに鼻をぶつけて悶えているようだ。
水晶の壁に寄り掛かりながらも、なんとか立ち上がっているので怪我をした様子はない。
ホッとしたところへ、嵐丸の刀が頬を掠めた。
「嵐丸! 君たちは何がしたい!? 僕らが強ければ君を倒して封印を解くだけだが、弱かったらどうしていた!?」
「強ければ構わない!! 弱かったらここから叩き出すまでだ!! 封印を解く資格が無いだけだからな!!」
――――封印を解く。
強さに関係あるのなら、もう勝負はつくはずなのに終わらない。一体…………これ以上、何が…………
ふと、彌凪がケイランの行動に戸惑っている姿が目に入った。
水晶の壁に、背中をついて立つケイランは怪訝な表情を浮かべている。
……………………?
ここだけ見ると、まるでケイランの方が主導権を握っているようにさえ見えた。
――――『封印』『不死』『水晶の壁』『番人』……それと、各地にあった『封印の楔』………………どうやら、僕は肝心なことを見落としていたらしい。
「………………まさか」
「っ!! 待てっ!!」
ある考えが浮かんで、僕は刀を引っ込めてケイランと同じく水晶の壁へ向かう。案の定、嵐丸が焦りを表に出して追い掛けてくる。
ぼんやり光る水晶の壁は硬く、ちょっとやそっとじゃ壊れそうもない。だから僕が柱を蹴って乱暴に駆け上がっても、表面にヒビなどが入る心配もないのだが…………
「……この壁、壊したらどうなるんだろうね!?」
「このっ……!! 降りろ!!」
嵐丸の刀の切っ先を寸で避けるが、僕はその刃を左手で握り締めた。勢いがついた刀は素手を容赦なく切り裂いていく。
「う……!!」
「なっ!?」
避けたはずの僕が、わざわざ手を犠牲にしてくるとは思わなかったのだろう。嵐丸は動揺したことで隙ができる。
僕は嵐丸の刀を握り、動きを止めた彼の肩に自分の刀を思い切り突き刺した。
「ぐぁあああっ!!」
「…………君って『隠密』の割には素直だよね。君の姫様と似てる」
自分の刀から手を離し、嵐丸を彌凪の前へ蹴り落とす。目の前に落ちてきた嵐丸に彌凪は慌てて駆け寄った。
僕もすぐにケイランの側に降り立ち、彼女を右腕で抱き締めて薬香をこれ以上嗅がせないようにする。
背の小さな彼女は、僕の胸にすっぽりと収まってふがふがと文句を言っていた。
顔…………このままなら、ケイランに見られないで済む……。
深く息を吸って、僕は水晶の壁に背中を付ける。静かにケイランの耳元へ口を近付けて囁いた。
「ごめん、もう少しこのまま。『終わり』まで、顔を上げないほしい……」
「…………?」
もぞもぞと動かれて少しくすぐったい。
そう、終わらせるまで。
「嵐丸! 彌凪! 僕は今からこの壁を壊す。君たちを殺したりする前に」
「「っ……!?」」
二人の顔が一気に青ざめた。
嵐丸たちはこの壁を壊されたくない。もし壊されるなら、自分たちを殺してからにしろ……と言いたかったはず。
なぜなら…………
「『封印の本体』はこの向こう。君たちと繋がっているものは、この壁の中ってことだよね? この壁は……『封印の楔』と一緒だ」
師匠が仕掛けた『封印』とやらが、どんなに面倒なものか…………相手してやろうじゃないか。
べちゃっ。
どくどくと血が滴ってくる左の手のひらを、水晶の壁に押し付ける。
「この水晶の壁の“術”……喰わせてもらうね」
きっと、この壁の術は札には収まらない。
だから手から直に喰うしかないのだ。
今から使うのは『術喰いの術』じゃない。
魂を根こそぎ喰う『魂喰いの術』だ。




