『影』の感情<こころ>
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“ごめんなさい、許して……許して……”
わたしを売り渡す日。産みの母親がわたしの髪の毛を撫でながら、苦しそうに泣いていた。
“『銀寿』の娘とは縁起が良いな”
人買いの商人のところにいた時、買いに来た客たちがわたしの髪の毛を見てそう言っていた。
金髪や銀髪の人間は大陸ではとても珍しい。
わたしはそれだけで奇異の目に晒されることも多かったし、この髪の毛のせいでよけいな苦労もした。
――――わたしの……?
急に頭の中に過去の光景が浮かんだ。
「先ほど貴女は……私に『王家の者か?』と尋ねたが、この髪の毛が関係あるのか……?」
「いいや。別にお主が王家の者かとかそういう話ではない」
彌凪はハッキリと否定した。当たり前だ、わたしは大陸の小さな村の出身だからな。そんな出生の秘密などありはしない。
「妾の周りは王族以外でも銀の髪はたまに見掛けてのぅ。見た通り妾も……そして妾の姉上も銀色じゃった。まぁ、それでも千人に一人くらいの割合かもしれぬが……」
千人に一人なら、大きな町へ行けばそれなりに見掛けるだろう。多くはなくてもまったく見ないという数ではない。
それなら、わたしもあまり目立つことは……………………いや、そうじゃない。
「大陸へ行った銀髪の者は多い。もしかすると、お主はそんな伊豫人の…………」
「………………悪いが、もう話は終わりだ。私は貴女と悠長に立ち話をしている暇はない……」
背後ではルゥクが、嵐丸と息をつく暇もなく激しい攻防を繰り広げている。
嵐丸や彌凪は術を使わずに、体術や体力戦になることを分かって待ち構えていた。普段使っていた術が使えない分、長引けばルゥクの不利だと思う。
「ふふふ……そう、急くでない。久々に嵐丸以外との会話を楽しみたいのじゃ」
内心焦るわたしを制し、彌凪は話を続ける。刀は下ろしたまま、攻撃の意思は感じられず穏やかな口調だ。
「かつて【伊豫の国】はこの半島全てと、大陸に地続きになっている場所から大陸の一部まで領土でな。我が姉はその大陸側の北の領地へ嫁ぐはずじゃった」
「……………………」
彌凪の姉を連れた団体は嫁ぐ家へ向かうその途中、武装した賊に襲われて連れ去られた。どうやら、従者の中に賊を手引きした者がいたようだ。
「さっき、大陸へ行った銀髪の者が多いと言ったが、ほとんどの者は拐かされた平民じゃ。もしかすると、お主はそんな伊豫人の子孫かもしれぬ……」
「………私が伊豫人の?」
あながち、出鱈目でもないのだろう。
「姉上が売られそうになった理由も、美しい銀髪のせいじゃったと…………後にフウガ殿に教えてもらった」
その当時、大陸では“銀寿の少女”が高値で取り引きされていたせいだと……彌凪の顔が一瞬だけ強張る。
花嫁の一行が襲われたことで、その時に姫は死んだものとされた。そして、国内で起こった事件だからと内輪で解決しようとしたそうだ。
だが、花嫁が行方不明になり、結婚の話が御破算になったことに相手の家は必要以上に激怒した。
彌凪の姉が嫁ぐはずの家は、大陸と【伊豫の国】との貿易や政治などの橋渡しをしていた大陸由来の一族である。王家の姫を嫁がせて縁を深くさせるのが目的だった。
しかし、その姫が急に嫁げないのは『大陸側への敵対の意思がある』と、相手が大陸の王へ訴え出たのだ。
「あとの歴史はお主も分かるかもな? そこから大陸は【伊豫の国】へ宣戦布告をしてきた。そこで伊豫は、領土の一部である北部を大陸へ差し出すこととなった」
そこはほんの少しだが、わたしも学校の教科書で習っている。
伊豫人が北の領土をあっさり渡したのは、中枢である半島の南部を守るためでもあったそうだ。
「……当時幼かった妾を、姉の代わりに嫁がせるという案もあったが相手がそれを拒否してのぅ。今考えれば、初めから姉を拐わせ難癖をつけ、領土を奪うのが目的だったのかもしれぬ」
「そんな…………」
思わず口から声が漏れた。
そんな子供じみたやり方が、まさか国単位で罷り通ったことに軽く目眩がする。
…………あれ? 目眩?
「――――さて」
まるで本題に入るかのように、ふぅ……と彌凪は息をついてわたしの方をじっと見詰める。
「お主、大陸ではその髪の毛のせいで、厄介な目に遭ったであろう? 大陸人にはよほど珍しく見えるうえに、あの者らは金銀が好きと見受けるからのぅ……ふふふ……」
彌凪の笑い声は乾いていた。まるで大陸の人間を嘲笑うように。その笑いに、わたしの勘が働こうとする。
――――…………なんか、変だ。
胸に去来する小さな違和感。
「………………大陸の商家では、金や金の髪の人間が家族いると縁起が良いとされている。私の親は武人だから関係ない」
頭を過る不安を押し退けるために、わたしは義父ハクロの笑顔を思い浮かべた。しかし、その姿も彌凪の次の言葉に書き消されそうになる。
「お主は良い親に巡り遭ったのぅ………………だが、貧しい地域で銀髪など産まれようものなら、喜んで我が子を売る親もおると聞いたが? お主の親は本当に大丈夫か?」
「そんなことはない……私の親は……」
あれ……親………………。
ぼんやりと頭が霞に覆われたように、視界も聴覚もあやふやになった。それを自覚した途端、息が苦しくなって足がふらつき始める。
「ぐっ…………かはっ……」
「ふふ……」
その場に崩れそうになるのを必死で踏ん張り顔を上げたが、纏わり付く靄がなかなか離れてくれない。
「……少し休んでおれ。お主は妾の姉上に似ておるから、実はあまり戦いとうないのじゃ。だから、少しばかり仕込ませてもらった」
「何を……」
まずい。何か薬でも盛られたか…………きっと話を始めた時に何かしていたはずだ。
視界がぼやけてはっきりしない。これではまともに戦えないだろう。それでも目を凝らして彌凪の全身を見ると、腰の当たりから細い煙が出ている。
帯に小さな箱型のものがぶら下がっていた。
薬の“香”か…………いつの間に焚いたのだろうか……?
“休憩”と言ったのはやはり時間稼ぎ。彌凪のやり方は大陸の『影』と同じ。
つまり、わたしは彌凪に欺かれたということ。
「ははっ……」
「……どうした? 降参して戦いを止めるか?」
「わたしは……よく騙されるから…………」
「自嘲か。悲観することはないぞ、お主が素直だということなのだから…………」
「悲観じゃない……」
「…………うん?」
確か……“話し合いをする『影』はいない”って言われたな。
まるで、ゴウラにしびれ薬を針で射たれた時のよう。あの時もわたしは油断して奴の話に耳を傾けてしまった。
――――“少しでも『影』に背中を取られれば、痺れ針のひとつやふたつくらい、瞬き一回くらいで仕込めるもんだよ”
そのゴウラの声が頭の中に響く。
一瞬でも背後を取られたら終わり……だから今回は周りこまれないように気をつけたつもりだ。それでも術中に嵌まった。
これで解ったことは、彌凪は背後を取らなくても相手を止められる方法があったということだ。
よし……まだ終わらない。
わたしの『特訓の成果』はこれからだ。
ぼんやりと見える彌凪の輪郭を見据え、自分の位置を確認する。
わたしたちがいるのはこの空間のほぼ真ん中。
後ろにはルゥクたち。
前方、彌凪の後ろはわたしとルゥクが歩いてきた、山へ抜ける通路。
そして、わたしの右側は…………
「っ……」
「ほぅ……まだ動けるか…………っ何を、するつもりだ?」
「………………」
一瞬だけだったが、わたしが右側に顔を向けると彌凪の声に微かに緊張が走った気がした。わたしはそれを敏感に捕える。
右……?
右側が明るい。
そうか、初めにそこに疑問を抱けば良かったのだ。
「…………私は、騙される方がいい」
「なぬ?」
『影』は人を欺くのが得意だ。
“嬢ちゃんには解りやせんね”
いつだったか、ホムラにわたしは『影』の気持ちは一生かかっても解らないだろうと言われた。
だから『影』を知ろうとしたが…………わたしにはやはり、奴らの気持ちが解らなかった。
それならば、わたしはこのままでいい。
――――騙されてから判ることがあるのだから。
わたしは右側へ、光が強い方へ向くと思い切り走り出した。
「っ!? なっ……待てっ!!」
突拍子もないわたしの行動に、断然有利だったはずの彌凪から明らかな焦りの声が出る。
――――よし! 『当たり』だ!!
「うぐっ!?」
ドシャッ!!
内心喜んだ瞬間、わたしは水晶の壁に激突して倒れてしまった。
「痛てて……」
視界がぼやけていたせいで、水晶の壁への距離感が掴めずまともに突進してしまったのだ。
うぅ……鼻をぶつけた……痛い。
ぶつかった壁に寄りかかり立ち上がる。ぴったりと背中を水晶の壁に付けて彌凪を見ると、彼女は少し戸惑った様子で立ち尽くしていた。
「…………どうした? わたしはもう追い詰められ、さらにふらふらで動けないが?」
駄目押しで挑発を試みる。
「そう…………じゃあ、こちらへ来るといい。降参ならば、そんなところに…………へばりついていることはないじゃろう?」
「……………………」
耳に意識を集中させると彌凪の動揺が判る。
「ここ…………この水晶の向こうに、何かあるのか?」
「……………………」
眉間にシワを寄せてわたしを睨むと刀を構えて沈黙した。それは『何かある』という答えに他ならない。
「…………貴女もだいぶ素直だな」
「こちらへ…………妾はまだ、お主と話がしたい……」
「…………これ、この壁…………」
わたしは背中を付けたまま、短刀を振り上げて水晶に突き立てる。
ギィンッッッ……!!
余韻のある音を立てるが、水晶には少しの傷も付かなかった。その様子を見た彌凪はほんの少しホッとしたような表情になる。
くそ……何かあるのはわかるのに……この水晶の壁はどうやって壊せばいい?
彌凪が一歩、また一歩と近付いて、刀を思い切り振り抜いた。
ギャリッ!!
耳障りな音と共にわたしの短刀が、手から弾かれて飛んでいく。
「万事休す……だの。あとはお主を動けなくさせれば、妾の勝ちで良いな?」
「…………まだ……」
まだ勝負はつかない……と言おうとした時、頭上に水晶の壁を伝って人影が現れる。
「残念だけど、まだ負けないよ」
ズドンッ!!
「―――っが!!」
「嵐丸っ!?」
勢いよく嵐丸が床に叩き付けられた。
その肩には、ルゥクの刀が深々と突き刺さっている。
彌凪はわたしから目を離して慌てて彼に駆け寄っていき、その直後、わたしの目の前にはルゥクが落ちてきた。
「何、体張っているのさ? 自分を囮に相手の反応見ることないだろ。それが『特訓』の成果なの?」
「……ルゥ…………むぐっ!」
ばふっ! と、ルゥクは片手でわたしの頭を自分の胸に押し付ける。がっしりと抱き締められる形になり、わたしは視界と、ついでに嗅覚を完全に遮断されてしまった。
「ハイハイ。僕の匂いで悪いけど、鼻の奥の『薬香』が薄まるまでじっとしてな。あれ、弱いけど幻覚作用があるんだよ。君だけに効いてるみたいだし」
「むぐーっ! ふぐふぐっ!!」
ちょっ……!! 息は吸えるが押し付けるな!!
肩から頭に掛けて、片腕でありながらもルゥクの馬鹿力で押さえられ、身動きが取れなくなる。
ついでにルゥクの着物越しに息を吸わされているので、こいつの匂いを嗅いでいるという事実に女子としては些か気恥ずかしさがある。
でも、旅の間に嗅ぎ慣れた匂いだ…………ほんの少し落ち着くのは、ルゥクが無事だったからだろう。
「…………むぅぐ……」
もう大丈夫だと言って顔を上げようとした時、
「ごめん、もう少しこのまま。『終わり』まで、顔を上げないほしい……」
「…………?」
終わり? 何の?
やけに真剣で余裕のない声が、わたしの耳元に囁かれた。




