明けぬ迷走 三
チチチ…………。
戸の隙間からうっすら光が差して、外では鳥のさえずりが聞こえ始める。私はボーッとした頭で上半身だけ起こした。
眠ったかどうかよく分からない…………。
一睡もできなかったわけではないと思うが、『眠りに落ち目覚める』という過程が曖昧で目は覚めてはいるが、頭の中が覚醒していない。
隙間からの光から見るに、起きるにはかなり早い。
野宿で早く目が覚めるとは違い、何となく身をもて余してしまう。また布団に入っても、今は二度寝ができる気がしなかった。
早いけど、起きて着替えるか……。
座ったまま、枕元に今日着る服を置いていたので、私は寝間着を脱いで服に手を伸ばし、取ろうとした服を掴んだ瞬間――――
「あっ、ケイラン起きてる? おはよー!」
「…………っ!!!?」
衝立を引き戸のように横に滑らせて、ルゥクが顔を出した。
上半身裸の私は、一瞬何が起こったのか理解できぬまま、その場に凍り付いた。
「……………………………………うん」
ルゥクは目線だけを何度か上下させて、何を納得したのか大きく頷き、黙ってそのままそろそろと衝立を元に戻して引っ込んでいく。
今…………何が起きた…………?
着替えしようと……服を脱いだら、ルゥクが…………。
「――――――――!!!?」
ヒュッ! と、自分の息を飲む音を聞いた。私は声にならない叫びをあげ、慌てて服を引っ付かんで着込んだ。
じわじわと顔に熱が上がって、耳まで熱くなっていく。
怒るべきところなのに、怒りよりも羞恥心の方が勝って手で顔を覆った。自分の心臓の音がうるさい。
ぎゃああああっ!! って、いうか何か言え!! 気まずいだろおおおっ!!
自分でも思った以上に動揺している。
この後、この家の人が食事に呼びに来てくれて何とか正気に戻ったが、出発までルゥクの顔をまともに見ることができなかった。
ちょっとおまけ。
前日の夜は鍋と串焼きだったが、朝食はそれの残りを雑炊にしたもの。
淡白かと思いきや、意外に脂にコクがあって美味しかった。想像だけで遠ざけてはいけないと学びました。
ついでに道中のおみやげに、昨晩燻製にしたものと塩漬けをもらいました。旅の食糧は大事にします。
村ではしばらくトカゲ料理が続くそうです。以上。
「えーと……今朝はごめん……まだ怒ってる?」
「……………………」
村を出てから少し離れた街道まで、私たちは無言で歩いていたのだが、やはり気まずかったのかルゥクが謝ってきた。
私が顔も見ずに黙っているので、相当怒っていると思ったのだろう。
正直言うと朝の着替えの件より、昨夜の寝る前に話した内容の方が、気持ちの中で再び一番気掛かりなことになっていた。
ルゥクが『影』だったことだ。
別にルゥクがそれだとしても、私には関係無いはずなのだが、私の恩人だった人の『その後』が気になる。
うしろ暗い仕事らしいから、普通の人生を送ったとは考え難い。しかも例え辞めようとしていても、ルゥクと同じで「辞めるなら死ね」と、言われたかもしれない。
生きている保証は無い。
おそらく『これ』が、あの人の行き着く先なのだろう。
「もしかして…………君の『恩人』のこと考えてる?」
「え……?」
「顔に出てる。ほら、一応国の兵士なんだから、そんな顔して歩かない」
「………………」
手ぬぐいを差し出されて、私は自分が涙目になっていたことに気が付いた。自覚したら鼻の奥がじぃんとして痛くなってきた。
「泣いてないし……大丈夫だし……」
「泣いてるし、大丈夫じゃなさそうだから。ほら!」
ばふっ! と、手拭いを顔に押し付けられた。
情けないが涙を流すよりはいい…………。
私が手拭いに顔をごしごししていると、パチンと止め金を外すような小さな音が聞こえた。
「…………『爆』」
チュッドオオオオオオンッ!!
「「「ぎゃあああああっ!!」」」
「っっっ!!!?」
びっくりした――――っ!!!? 何っ!? 今の!!
突然の爆音に手拭いから顔を上げると、目の前の森に道が出来ている。周りの木々は焦げて折れていて、それに混ざって何人かの男たちが倒れていた。
「まったく……村を出てからずっと付いてきたんだよ。気配くらい隠せ、バレバレだから」
ルゥクがパンパンと、服に着いた埃を払っていた。
あ、いつも来ていた奴もいる。
会うのは三回目だ。でも名前も知らないし情も無い。
「とうとう、今日は言葉も交わさなかったなぁ……」
「…………こいつらに初めて会ってから、まだ何もされたこと無いのに…………何か気の毒だ…………」
ぴくぴくと動いているので大丈夫だろう。四回目、あるんだろうか? だんだん面倒になってきたし相手にするの嫌だ。
…………そういえば、こいつらが何でルゥクを狙っているのか、ちゃんと聞きたいのだが…………。本人たちが寝ているし、ルゥクに聞いてもまたはぐらかされるだろう。
「護送の時はいつもこうだったのか?」
「うん、毎回人は違うけどほぼ一緒。いやぁ、僕恨まれてるなぁ」
「…………本当に『恨み』か?」
「何で?」
「お前がコイツらに、余計な事を話される前に倒しているように思えるから。それに『影』というのは人に恨みを買うようなヘマをするのか?」
そうだ。ルゥクが本当に『影』なら他人に顔や名前を覚えられたりはしない。
ルゥクが狙われているのは恨みじゃない。もっと別の理由、それこそ捕まえた者が得をする理由だ。
睨むようにルゥクを見ていると、ルゥクはため息をついて無言で先を指差す。場所を変えろ、ということのようだ。
私たちはもう少し進んで森を出た。小高くなっている岩の道をさらに登ると、下に見える先の平原に次の街が見える。この場所は見通しが良く、こちらの姿もすぐに見つかるが、人が近づけばすぐに分かる場所だ。
ルゥクが札から竹で作られた水筒を出した。それを私にひとつ手渡し、近くの岩に腰掛ける。休憩するみたいだ。
「……さっきの話。雑魚たちは雇い主からの懸賞金目当てで、僕に何も感情は抱いてない。それはだいたい分かるよね?」
「やっぱり懸賞金か。あいつらが主から礼金がどうの、と言っていたから。でも、何で懸賞金が掛けられているのか、私はそれが聞きたい」
ルゥクは少し黙って何かを考えている。
再びため息をついた後、複雑な笑顔で私を見てきた。
「辞めるなら死ね……って言われたけど、ただじゃ死ねないみたい。君だったら仕事を辞めるために自ら死ぬのと、捕まって変態貴族たちのおもちゃにされるの、どっちがマシだと思う?」
「え…………? おも…………」
「僕を辞めさせないために、情報を金持ちに流した奴がいてね。それを聞いた暇な貴族たちが、僕に変に執着しちゃったんだよ」
…………執着? 確かにルゥクはこんな顔だが……。
「恨みじゃなくて、気持ち悪いくらいに愛されてる……かな? あはは……」
「お前…………」
笑えない。それは生き地獄だ。
『影』として生きるか。
他人の道具になるか。
処刑されるか。
今のルゥクにはこの選択だけだったようだ。
つまり……死んだ方がマシ。と、考えている。
「でも……お前、なにも自分から処刑されたり、無理に死ぬこともないじゃないか。生きていれば……もしかしたら『影』を辞められる日が来るかもしれない……」
「本当に、そう思う?」
「う~ん……だって、ルゥク……まだ若そうだし……他にも道があるかも…………」
ちゃんと自分なりの考えを言わなくては……と、私が言葉をひねり出そうとしている姿を見て、ルゥクは目を細めて微笑んでいる。
「僕の上司にあたるところから『任務中以外の生活、護送中、捕獲後はルゥクに何をしようと罪に問わない』って、御触れまで出ている。しかも僕がその辺で死んだら、その死体をどう扱っても何も言われないらしいよ。だから捕まえるのは生死問わずって奴もいたかな?」
「な…………!?」
死んだ人間でも欲しがるとは……。
そういう輩の精神が解らない。
それを国が容認しているなんて…………。
世の中には私の想像なんて及ばないくらいの、人間の悪意が存在するようだ。
先ほどからルゥクの顔は笑っているが、それがただ顔に張り付いた癖であるというのが、今ここで解ってしまった。
私より少し年上だと思われる彼は、まるで絶望に慣れているようにも見える。
「…………『影』ってそこまでの仕打ちを受けるのか?」
「いや、僕は特例。処刑されるくらいなら、死ぬまで『影』を続けようとする奴がほとんど。逃げ出して生き延びた奴もいるけど」
もし私なら、殺されたり自分で死ぬのは嫌だ。『影』を続けるか……いや、逃げる方かも。
「…………私なら、生きたい。それだけ」
「…………何で?」
ぽつりとこぼした言葉にルゥクが尋ねてきた。
私は思わずその場に立ち上がる。見ているルゥクの顔は無表情だった。
「だって、どう考えても死んだら何も無い。永遠と思える事でもずっとなんて続かない。だったらいつか来る変化を待って、来なければ自分で作る……!」
「…………………………」
「……………………は……」
うぅ…………しまった。つい熱くなった。
ひたすら、じぃっ……と見られるのが若干恥ずかしい。私、また変な事を言ったのだろうか?
時々、こういう事を言うと、同僚の兵士たちから「若いなぁ」とか「そんなの世間じゃ通用しないよ?」とか「女の子はいいなぁ」とか、軽く馬鹿にされるのだ。
こちらを見上げていたルゥクは、顔を逸らしてフゥ……と、ため息をついた。
「………………若いなぁ」
「う………………」
「世の中、なかなかそうはいかないよね……」
「あぅ………………」
「女の子はいいよね。前向きで」
「ぐぐっ…………」
こいつ……人の心が読めるのか?
見事に言われたくない事を言われ、私は精神的に撃沈された。ここまでまとめて言われると、もう何も言えない。
「だから、その、私が言いたいのは…………」
死ぬことがマシなんて思わなくてもいいんじゃないか?
…………と、そう言おうたした。その時だ。
「てめぇ!! 今度こそ許さねぇ!! ぶっ潰す!!!!」
出た。見知った顔だ。
四回目あった。しかも当日中に。
ぞろぞろと……と言っても、五人だ。やっぱり段々参加人数減ってきているな。この男以外は構成員が入れ替わっているみたいだし。コイツも無駄なんだから止めればいいのに。
「あのな……悪いことは言わないから、もう諦めて帰った方がいいぞ。そんなにボロボロで……金以外に得が有るわけじゃ無いだろ?」
「うるさい!! “不死のルゥク”を目の前に帰れるわけないだろ!!」
ん? “しなず”って……?
初めて聞いた言葉に、私は首を傾げた。
男は顔を真っ赤にして、私たちを睨み付ける。たぶん帰る気は全く無いだろう。ルゥクの術で四度吹っ飛ばされない限り。
「いい加減にしとけ……そのうち死ぬぞ?」
「黙れ、女兵士! あんたもコイツがいなくなれば、すぐにでも王都に戻って…………」
ヒュンッ!
風を切る音がした。
「……………………」
男が急に黙る。時を止めたように硬直して、一点を見たまま動かなくなった。
「おい…………?」
男の様子がおかしい。
そう思った時、いつの間に移動したのか、男の斜め後ろに立っているルゥクの後ろ姿が目に入った。
ルゥクの手に握られているのは札ではない。
それは初めて会った日から腰に携帯してはいたが、ルゥクが使うのは初めて見た。
細くまっすぐで、長くも短くもない。この国ではそんな造りは珍しいかもしれない。
両刃で真っ白な――――――刀。
ヒュッ……。
何かを振り落とすようにルゥクは刀を振り、静かに鞘に納めた。カシン、と小さく金属のぶつかる音が響いた。
「ひとつ……この旅で決めている事がある……」
ルゥクが男に振り向きながら言う。
「どんな雑魚でも……僕の命を狙ってきた奴だ」
ぐらりっと男の体が傾いて、その場に崩れた。倒れた拍子に男の体から何かが外れて、私の足元に転がってきた。
私は『ソレ』と目が合った。
身に起きた事を理解していない表情の『生首』。
「…………四度目以上は殺すことにしている」
ルゥクの言葉には何の感情も無い。
その場にいるのに気配さえも曖昧になっている。
太陽の登る真昼の空の下において、そこに立つ者の姿は暗い。
ルゥクの姿……それは『影』そのものだった。