封印の棲家 一
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わたしとルゥクは一緒の馬に乗り、付き添いの者たちと細い山道を慎重に移動している。
【鳳凰宮殿】の内部への入り口が裏にあるということは、ルゥクとホムラが事前に調べてくれた。現在はそこへ向けて、あまり高くない山を馬で駆けている。
「今日は晴れそうだねー」
「あぁ、良い天気だな」
早朝、山の木々の間から見える雲ひとつない晴天に、少しだけ気分は軽くなる。しかし、すぐ近くのルゥクの表情は曇り空のようだ。
「ねぇ、ケイラン。これから宮殿に潜るけど、もしも入ってすぐに危険だと判断したら君は外で―――」
「断る。何度も言ったが、宮殿へ一緒に行くことを決めたのは私だ。誰かさんにはちゃんと言わないと、勝手に物事を決めてしまうからな」
馬の手綱はルゥクが持っているので、わたしは手持ち無沙汰である。ついでに言うと、馬もそんなに速く走れずにいるため、移動に時間が掛かりもどかしい。
暇も手伝って、目の前の馬のたてがみを指でいじりながら、キッパリと嫌味混じりで言い放ってやった。
これで三回。ルゥクが同じようなことを言うので少し苛ついていたせいもある。
「だいたい、何か重要なことになると、お前は私を置いていく傾向が見られる。確かに、足手まといを連れて歩くのは、いささか効率が悪くはなるから……気持ちは解るが……」
「……もう……それはごめんって言ったよねぇ」
一度くらい謝られても、腹の虫は収まらないものだ。今だけは日頃の怨みを込めてねちねちと言わせてもらおう。
「そりゃあ、な……特に今の私は『霊影』も使えない。お前の補佐をするのにも短刀か素手での戦闘になる。それでも何かあった時は一人分の働きくらいはできるのに――――――」
……と、気分良く嫌味をぶつけていると、わたしの首の後ろには温かな空気がぶつかる。
「ケイラン、今日は随分と口達者だよねぇ?」
「……ひゃあっ!? って、やめろ! お前っ、いきなり首……首に息を吹き掛けるなぁっ!!」
「え~だってぇ……いつになく拗ねてるから、今まで構わなかったツケをまとめて払っておかないといけないのかなぁ~って」
ぎゃあああっ!! ツケって何だ!?
背中にぴったりくっつくな!! 何か色々と恥ずかしい気がするっ!!
「……ルゥク様、やめましょう。お嬢様が落馬しそうですので」
「旦那。そういうこたぁ、帰ってから寝所でしてくだせぇ」
馬の速度がそんなに速くないので、真横をホムラとタキが馬なしで並走している。その状態で、現在のルゥクの所業に冷静に突っ込みを入れていた。
「しょうがないなぁ……」
「ふぅ…………」
二人の言葉にルゥクもふざけるのを止め、姿勢を正して馬の手綱を握り直す。
「まぁ、ルゥク様もお嬢様に甘えたくなったんですよねー? トウカ嬢とカリュウ様を見て」
「………………そんなんじゃない」
「……? あの二人が、何で?」
「さぁ、何でやしょうねぇ?」
ニヤニヤとするホムラとタキの様子にムッとするルゥク。
なんだかんだ言っても、この三人は仲が良い。そう思って気が抜けたのかフッと口からため息が洩れた。
「はぁ…………」
「どうしたの?」
「いや、もうそろそろ宮殿か……とな」
「不安?」
「私は、大丈夫だ……でも」
たった数時間前に別れた仲間のことが頭を過る。
…………………………
………………
数時間前。
長谷川の屋敷を出発して二日後。
夜明け前の薄暗い中でも、その目的のものはハッキリと見えた。
北側に高い山脈がそびえ立ち、それを背後にするように、全体的に『朱』を基調とした荘厳かつ鮮やかな建物が建っている。
わたしたちは小高い丘の上から、目の前に広がる光景をじっと見詰めた。とりわけ、トウカにはあの建物が強烈に目に入っているだろう。
「あそこが【鳳凰宮殿】……」
「懐かしい?」
「いえ、まったく。私の帰るべき処は長谷川の屋敷ですので……それに、ついこの間までここは、私を脅かす存在が住まう魔窟だったのですから」
目を細め口を結んだトウカのその表情は、懐古や親しみなどからかけ離れた苦々しいものだった。
「この宮殿を好きにして良いと言われても、私は近寄りもしませんわ」
「そう。じゃあ中で僕らが暴れても構わない?」
「ええ、存分にやってくださいまし。これで伊豫の民が発展の糸口を掴めるのなら、瓦礫になっても文句はございません」
「……さすがに瓦礫にはできないな」
冗談など微塵も感じない本気で“ぶっ壊してしまえ!”と訴えているトウカの瞳に、珍しくルゥクが困ったような顔で笑う。
丘に到着した面々が続々集まってくる。
先に来ている者たちはどこで待機しているのか?
そう思って、キョロキョロと辺りを見回していると……
「………………皆さーんっ!!」
「あ、カリュウ!」
「ヨシタカ!!」
丘を少し下りた拓けた場所に、馬にのってカリュウが現れた。わたしたちを見付けて馬から降りてすぐに駆け寄ってくる。
カリュウの姿を見たトウカは、今までわたしが見たことがないくらいの、輝きを放つような笑顔をもって彼を迎えた。
「姉上! いらしていたのですか!?」
「えぇ。私……あなたにどんなに逢いたかったか……!」
「え、わわわっ……! 姉上、皆さんが見ておりますのでっ!!」
すでに、姉弟ではなく許嫁だというのが知られているので、トウカは遠慮なくカリュウに抱き付いている。当のカリュウは、年頃の男の子らしく耳まで真っ赤になっていた。
一旦、皆と話をしたいからと、カリュウはトウカを引き離す。そこへ少し遅れてスルガがやってきた。
「あ! ヨシタカー! 久し振り!!」
「スルガ………………って、どうしたの!? その顔!!」
「あぁ、これ?」
現れたスルガの顔を見てカリュウは驚く。
スルガの顔半分、頬っぺたから赤黒く腫れ上がっていたからだ。
「何、怪我したの? 大丈夫?」
「ん? 大丈夫大丈夫!! これは“漢の勲章”だから!!」
「………………へ?」
「後で見せてやるよ!!」
「わ、わかったよ……」
どこか誇らしげな態度のスルガの言葉に、意味がわからないのか引き気味のカリュウ。
…………うん。スルガには自慢できる話だろう。根性を見せたものなぁ。
その事情を知っているわたしたちはウンウンと頷く。
「おい、スルガ。サガミ様が呼んでるぞ?」
「うん! 今行くー!!」
「…………あれ? ゲンセンさんも頬が……?」
スルガを呼びにきたゲンセンの頬も少し腫れていた。
「俺のは………………こいつの“とばっちり”だ」
「はぁ……?」
「「「………………」」」
まぁ……確かに、スルガの一応の師匠はゲンセンだからな。
すっかり、ゲンセンはスルガのお守り役になってしまってる。コウリンとトウカもそう思ったのか、ゲンセンに向けて哀愁の視線を向けていた。
「はいはい! のんびりしないで作戦会議するよー!!」
話の流れをぶった斬るルゥクの声が響いた。
…………………………
………………
再び馬上。つい物思いに耽ってしまった。
「…………皆は大丈夫だろうか? ゲンセンは良いとして、スルガが無茶しなければいいけど」
「大丈夫じゃない? 一人で戦うんじゃないし」
できれば、スルガの“勲章”が使われない方が状況はいいのだが。
「僕たちは僕たちのことに集中。終わらせて早く皆のところへ帰ろう」
「…………うん。そうだな!」
“帰ろう”
この言葉がこいつの口から出たことが、些細なことなのに嬉しかった。
山の頂上付近。
途中の水辺で馬を降りて、ここから徒歩で向かう。
この辺りは大きな岩がゴロゴロしている上に、倒木や草木の蔓が繁っていて歩きにくい。人が登ってくることも皆無なのだろう。
「着きやしたよ。ここでやす」
ホムラがある岩の前で止まった。わたしよりも大きな岩だ。
男五人でその岩を横へ転がすと、そこにぽっかりと人が入れるくらいの洞窟が現れる。パッと見た感じは自然にできた洞穴のよう。山の中を下っていくようで、奥は光が一切届かない漆黒の暗闇が続いていた。
元々は宮殿内部からの脱出口だったようだが、この先の部屋は建物の中から入られないように塞がれてしまっている。つまり、ここからしか“術封じ”の源泉には辿り着けないということだ。
「本当にこれ?」
「これだね。ほら、ここに“板の札”がある。その証拠に、これ以上入れないよ」
「あ、本当だ。何か見えない壁がある……!」
足下、他の石と区別が付きにくいが、平べったい灰色の板が入口の両脇に置いてあった。よく見ると、その表面には薄く色が入っているように思える。
その札同士を結んだ線から手を伸ばしてもぶつかるような感覚がある。何が発せられているのかは知らないが、これが『結界』だということなのは解った。
「これを…………」
ルゥクが左の小物入れから白い札を取り出すと、小刀で自らの手のひらを傷付け血を塗り付けている。
「ごめん、皆ちょっと離れて……」
しゃがんで血の付いた札を地面に置いて手をかざす。
わたしを含め全員、ルゥクの後ろ十歩くらい離れてそれを見守った。
「…………“解除”……っと」
パキィイイインッ!
まるで小さな爆発が起きたように、両脇にあった札が真っ二つに割れる。その代わり、ルゥクの血の付いた札が真っ黒に染まっていくのが見えた。
白い札が黒く染まる光景。
「これ…………『術喰い』……?」
「そう。結界の気力を“喰った”。この結界はこれで解除になるんだ。これが伊豫のあちこちにあった……正直、王族に全てを解きに行かせるのは不可能だと思うよ」
聞けば、結界は各地に二百はあった上に、崖の途中や沼の真ん中、地中に埋まっていたりもしたそうだ。
つまり、この結界を全て解けるのは、ルゥク以外にいなかったということ。
「師匠……僕が来るのを見越してたんだろうなぁ」
割れた札を広い上げ、ルゥクはその札の模様をじっと見つめた。札は一枚一枚、術師が自ら作るらしく、札には個人の特徴が表れるという。
結界を解除するうちに、ルゥクはそれが師匠の札だと気付いたのだ。
「ルゥク、行こう。この奥の“術封じ”を解かないと、この国は何も始まらない……」
「そうだね………………ん?」
――――ゴォオオオオオッ!!
「うわっ!?」
「……っ!!」
足を踏み入れようとしたその時、洞穴の奥から突風にも似た“気の塊”吹き抜けた。
「な…………?」
「………………」
あまりに突然のことに一瞬呆けたが、目の前を確認して背筋に冷たいものが走る。
洞穴の奥から入り口へ向かって、岩の壁が徐々に明るくなっていくのだ。
まるで、客人をもてなすように――――――
「歓迎……されてる?」
「されてるね。向こうさんは、こちらが来るのが分かったみたいだねぇ…………さて……」
カチ……パキン……。
結界の力を吸いとった札を、ルゥクが口に咥えて割る。割れた黒い札は一瞬だけ、蒸気のようなものを上げて地に落ちて白くなった。
札の術を喰ったのだ。
「――――行くよ、ケイラン」
「ああ。じゃあ……いってくる……」
「へぇ。お気をつけて……」
「ご武運を……」
行くのは、わたしとルゥクだけ。
皆に見送られながら、ぼんやり光る洞穴の道を下へ下へと進んでいった。




