疑惑と沈黙
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ケイラン→コウリン
“ルゥクが浮気をしている!”と、憤怒していたコウリンだが、もう辺りが暗いことと、夕食の用意ができたと言いに来たチヅルさんに話途中で引きずられていった。
「話は後でだな。夕飯時にする話じゃなさそうだし……」
「あぁ……後で私が部屋で聞いてみる」
しかし、風呂と夕食をいただいた後、コウリンがチヅルさんに空いている部屋を借りれるか、と聞いていた。
二人で静かに聞こうとしたのに、コウリンはそれでは収まらなかったらしい。
ある畳敷きの部屋。
「……今から『緊急会議』を始めます」
「おーっ!」
「「「……………………」」」
行灯の灯りが揺れる中、上座に座るコウリンがいた。
その向かい側には、わたしとゲンセン、スルガ、カリュウが横一列に座っている。
「はい、議長! 何が『緊急』なんですか!?」
「スルガ! 静粛に!」
「「「……………………」」」
とりあえず、スルガが愉しそうなのが一番の謎だ。
「おい、カリュウ……お前のとこの屋敷で何があったんだ?」
「すみません……今から、それが議題になると思います……はぁ……」
年齢にそぐわない、カリュウの疲労っぷりが痛々しい。
「…………コウリン」
「なに? ケイラン」
「『議題』とは、先ほど言っていたルゥクの件か?」
「そうよ! ったく、あいつったら―――」
「ならば先に言っておこう……」
コウリンの言葉を遮るために、わたしはここで息を吸う。
「私はルゥクの恋人ではない。よって、奴がどこでどんな女と睦まじくなろうとも、私から見ればそれは決して浮気ではないし、あいつがどんな顔でも一応、男なのだから、好みの女性がいれば仲良くしたいと思うのも致し方ないと考えるのだが………………どうだ?」
「「「「……………………」」」」
一息で言ったわたしに対して、コウリンだけでなく他の三人まで無言になって固まった。
「ケイラン……気持ちは分かるが、穏便に……な?」
「ご、ごめん……オレ、はしゃぎ過ぎた……」
ゲンセンと、さっきまで元気だったスルガが、恐れおののくように、こちらをそろそろと見てくる。
何だ? わたしは可笑しなことは言っていないが?
「ほら、今の訴えに文句があるのなら、私にハッキリと言ってもらおうか……」
「え~と……その……ごめんね……?」
コウリンが珍しく静かになった。
部屋の中が重い沈黙に包まれようとした時、
「申し訳ありません! ケイランさん!!」
「え? カリュウ……???」
訳が分からないことを言うコウリンはともかく、何故かカリュウが土下座で謝ってきた。
「本当なら、今日はコウリンさんと一緒にルゥクさんも戻るはずでした。ですが……うちの姉がルゥクさんのことを気に入ってしまって、無理やりとどまるように……と」
「お姉さんが?」
「はい。ルゥクさんは一度、ここへ帰ると言っていたのですが……姉がルゥクさんが帰ったら“食事をしない”と、泣いて訴えてきまして。そのせいで父や他の者が、ルゥクさんを引きとめてしまい…………本当に、すみません!!」
「…………」
……ルゥクも帰ろうとはしていたのか。
「そっかぁ……桃ねぇちゃん、ルゥクのこと気に入っちゃったかぁ~……そんなら、しばらくは放してくれないな……」
スルガはカリュウのお姉さんをよく知っているようだ。
「お姉さんってどんな人? 病弱なら人恋しくなるのは、よくあることなんじゃないか?」
「まぁ、確かにちょっと“寂しがりや”なところがあるかな? 特に具合が悪い時とか」
「そうか……」
わたしも子供の頃は、少しでも熱が出て寝かされている間に、誰かが側にいてくれると安心したものだ。
そう考えると、カリュウのお姉さんがルゥクを離さない気持ちも…………
「“気持ちも解る”……とか、思っちゃダメよ、ケイラン」
「へ?」
コウリンがうつむきながら、膝に置いた手をぐっと握っている。
「アタシやゲンセンはまだ、あんたたちとは付き合いが浅いけど……あんたはルゥクのこと、アタシたちよりは理解してると思ってるわ」
「いや……私だってあいつのこと、全部は分からな……」
「ルゥクが引き止められたくらいで、あっさり留まるの……おかしいと思わない?」
「あ…………」
そうだ。ルゥクは他人に懇願されたからと、自分の予定を曲げたりするような奴じゃない。
ましてや、会ったばかりの自分へ、あからさまな好意を向けてくる女の子の言うことなんて……
「こういうの浮気…………じゃないにしても、ルゥクらしくないと思わない? それに、アタシ見たのよ……」
「何を……?」
「初めてトウカさんを見た時のルゥクの顔。まるで一目惚れみたいに目を離さなかった……その後だって、アタシが容態を診るはずだったのに、ルゥクがほとんど進めちゃったのよ」
「………………」
らしくないと言えば、ルゥクらしくないのだろう。
わたしがこれまで見てきた限りでは……だが。
「アタシ、明日にはまた、薬を持ってあっちへ向かうけど……ケイランも行ってみる?」
「え……? でも、私はトウカさんには呼ばれては……」
最初の時も、ルゥクとコウリン以外は拒まれていたし。
「構うことないわよ、会わなければいいんだから。カリュウ、良いでしょ?」
「ええ、もちろん。ケイランさんも滞在されるなら、ぼくから父に話を通しますので」
「……だって。どうする? あっちの町、甘味処もあったからケイランと一緒に行ってみたいんだけど?」
「甘味……うん、行きたい……」
なら、一度行ってみるかな。
ここでも良いが『気力操作』の訓練ならどこでもできるし、やっぱり他の場所も見てみたいのが正直なところだ。
もちろんルゥク抜きで……だ。
「よし! じゃあ、明日の朝に出発ね! そうだ、ゲンセンとスルガは?」
「いや、さすがに俺までは……ちょっと……」
「馬車移動だもんねぇ……」
「………………う……」
馬車が苦手なゲンセンは思い切り顔を背けた。
「ゲンセンが行かないならオレもいいや」
「そう。じゃあ、ゲンセンのことはお願いね!」
「おう! おっちゃんの世話は任せとけ!」
「…………はいはい、世話になるよ」
ため息をつきながらも馬車に乗らずにすんで、ゲンセンはホッとしたような顔をしている。
話がまとまり各々解散になろうとした時、障子の向こうに音もなく人影が立った。
「お嬢様、タキです。入ってもよろしいですか?」
「ん、タキ? あぁ……何だ?」
「失礼致します」
スッと障子が開かれると、黒装束に髪の毛をきっちりと纏めた、男らしいタキの姿があった。
「申し訳ありません。今のお話、聞かせていただきました。お嬢様が行くのなら、オレも別行動で長谷川の屋敷の方へ向かいたいと思います」
「タキはルゥクに用事はないのか?」
「いえ、ルゥク様に直接の用事はありません。オレはお嬢様の護衛と周辺の情報収集に専念させていただきます」
「わかった」
「はい。では、オレはこれで…………あ、そうだ。スルガの坊っちゃん?」
「ん? 何、タキ兄ちゃん」
「明日の朝、サガミ様が起きられたら、“タキが戻ったら、サガミ様の琴を習いたいと思っているので、一式お借りできるでしょうか?”と、この通り伝えておいてほしいのですが……」
「琴……? じいちゃんから教わるの?」
「はい。とてもお上手だとお聞きしました」
「そうだっけ? ま、いいや。んじゃ、そのまま伝えとく」
「坊っちゃん、ありがとうございます。では、お嬢様……先にあちらへ向かいますので……」
「あ、あぁ……気をつけて……」
タキはニッコリと微笑むと、静かに障子を閉めた。そして、そこにいた人影は、瞬きする合間に消える。
やっぱり『影』なんだよな……。
ルゥクもホムラも、そしてタキも。
そうだ。『影』であるルゥクが、そうそう迂闊な行動はしないだろう。
もしかしたら、ルゥクは何か考えがあるのかもしれない。あいつが何かを謀っているのは、いつものことではないのか。
「ケイラン……大丈夫?」
「え? 何が?」
「や……なんか、深刻な顔しているから……」
「そう? 別に何でもないけど」
「…………うん。なら、いいけど」
何だか険しい顔をしていたようだ。
……とにかく、あちらに行ってルゥクに何を企んでいるのか、確かめないと気が済まないな。
わたしはあいつの護衛の兵士なんだから。
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翌日の夜明け。
アタシはケイラン、カリュウと一緒に馬車で丸一日掛けて、長谷川邸のある町へ向かう。
そして次の日の早朝。
「あ、見えた! あの町なのか?」
「うん。やっぱり大きいよね」
「一応、蛇酊州では中心の町になりますから……」
小野部邸があった村はどこかゆっくりしている印象だけど、この町はとても活気のある賑やかな場所だと最初の日も思った。
「長谷川の屋敷はこの町の東の方です。今の時間ですと、朝市もやってますね。早く着きましたし、寄っていきますか?」
「あ……いや、屋敷へ向かってくれて構わない。コウリンも薬の仕込みとかもありそうだし」
そう言って、チラリとアタシを見るケイランはどことなく落ち着かない。
いい気持ちはしないわよねぇ。恋敵のいる場所に乗り込むんだから…………と言ったらまた、全力でルゥクとの仲を否定するんだろう。
この間の『緊急会議』の時も、怖いくらいの殺気を出して「恋人じゃない」と言ってきたもの。
それは、術を封じられているはずなのに、ケイランの背後に『霊影』が見えた気さえしたのだ。
この娘がもし、本気で怒るようなことがあれば、口や手がでる前に『霊影』が出てくると思う。
そこまで否定されると、ちょっとだけルゥクに同情する。だからと言って、他の女に走るようなら許さないが。
「アタシは急がなくてもいいけど……やっぱり、心配だから屋敷に向かう?」
「……別に心配してない」
素直じゃない言葉とは裏腹に、顔にはありありと『不安』の二文字が浮き出ている。
はぁ……この際、ルゥクのことをハッキリさせりゃいいのに……。
あれこれ考えているうちに馬車は長谷川邸に着く。
「わぁ、カリュウの家は立派だな」
「ありがとうございます。ケイランさんのことを父に言ってきますので。待っている間、暇なら散歩に裏の庭でもどうぞ。けっこう自慢の庭なんです」
「あ、じゃあアタシが案内するわ。少しなら分かるから」
「うん……」
まだ着いたばかりで、気分も落ちてるケイランには散歩がちょうど良いかもね。
屋敷の西側へ回って、白い砂利で造られた庭を抜ける。
竹で出来た柵を過ぎると、色々な形の木や岩が置いてある広い庭に到着した。
「少し休んでいこう。遅ければ呼びにきてくれるだろうし」
「そうだな」
何度か歩いたことのある裏庭は、天気の良い日はとてもキレイだ。
たぶんカリュウの判断で、何の心の準備もなしにうっかり屋敷に入って、ルゥクとケイランが鉢合わせたりしないようにしたのかもしれない。
本当にカリュウは気遣い屋だな。
出来の良い弟と、病弱を盾にする我が儘な姉。
アタシの中では姉の評価が急落したため、カリュウの評価が跳ね上がってしまった。
あの二人、本当に似てないなぁ。
そういえば、見た目もすっきりして賢そうな可愛さのカリュウとは違う。トウカさんはどちらかというと、可愛いよりはしっとりと艶のある美人。
う~ん…………トウカさんが少しでもカリュウと似ていたら、こんなにやきもきしなかったかなぁ。
「ねぇ、ケイラン。今日の仕事が終わったら…………ん?」
となりにいるはずのケイランに話し掛けたが、気付けば離れた植え込みの所で立ち尽くしていた。
「ケイラン、どうし……」
「………………しっ……」
静かに、と口に指を当てたケイランの視線を辿る。
「……あ…………」
ケイランが見ている少し先。
庭の植木の間に置かれた石の長椅子に、ルゥクとトウカさんが並んで座っていた。
何を話しているかは分からないが、トウカさんは実に楽しそうにルゥクを見詰めながら話している。
ルゥクも聞き役に徹しているらしく、微笑みながら頷いている様子に嫌がる素振りは……まったくない。
二人を知らない人間が見たら、美男美女の恋人同士が談笑しているように見えるだろう。
話しているうちに、トウカさんは悪戯っぽい笑みを浮かべて、ルゥクの腕にしがみついた。ますます密着する二人。
………………最悪だ。こんな場面って……。
そろりとケイランの方を向く。
ケイランはまだ、じっとルゥクたちを見ている。
その顔は、限りなく無表情だ。
「ケ……ケイラン? あの……」
「………………………………」
たっぷりの沈黙で見詰めていた後、無表情のまま口を開く。
「………………終わりにする」
「へ……?」
「この話はこれで終わりだ。私は、ルゥクには何も聞かないし、何も言うことはない」
ちょっと待って……それって…………
「すまないが、私は町を一通り見てくる。夕方までには戻ってくるから、カリュウにそう伝えておいてくれ……」
「ケイラン……!?」
踵を返して、ケイランは足早に屋敷の庭から出ていってしまった。
「なに……この展開……」
十八年の人生。
アタシはこんな目に遭ったことはない。
行ってしまったケイランを連れ戻すのがいいのか?
すぐにルゥクたちの前に出て、思いっきり罵倒してやるべきか……?
「どうしろと…………」
アタシの勘が『どちらにも動かない』という選択を勧めてきた。




