明けぬ迷走 二
朝とはうって変わって、昨日の道中は訳の分からない輩にも会わず、平和に旅をしていられた。
予定の半分くらいまで進んで、その間に私たちに向かってきたのは森の茂みから出てきた『獣』だけだった。
ここで言う『獣』というのは『妖獣』のことだ。
『妖獣』とは、普通の動物に何かしらの理由で、その土地の淀んだ『気』が入り込んでしまったものだ。性格は狂暴になり、姿かたちも化け物のようになる。こうなると、なかなか元の動物には戻らない。
この国に限らず、普通の動物ではない妖獣には各地方で悩まされていた。そのため、旅をしている術師は途中の村や町で妖獣の退治を依頼されることもある。
そして今日、私とルゥクは山越える途中の村で『ひと仕事』することになった。
「ハイ、これで終わり。『爆』っ!」
ドォオオオオオンッ!!
村のすぐ近くの森の側、ルゥクと向き合っていた巨大な影が宙を舞った。ルゥクが放った札が辺りに爆発音を響かせた。
私は耳を塞いで木の陰で爆風をやり過ごす。
相変わらずこいつは爆発の術が得意なようで、さっきからこの術ばかりを連発している。
風が止み、爆発の煙がもうもうとその場所を包んでいたが、それも晴れるとそこにはトカゲがひっくり返っていた。
ただ、そのトカゲの大きさはその辺にいる牛の倍以上の大きさだった。トカゲの表面はさっきの爆発で焦げているが、他にも尖った岩が何本も胴体に刺さっている。
いつの間にか爆発の直前に土を動かす札でトカゲの動きを止め、それから爆破したようだ。傍目には爆発の札しか使ってないように見えている。
うーん……やっぱりルゥクは『札の術師』の中でも、それなりに強いのではないだろうか……?
実は札の術師は最弱の術師、などと言われている。ちょっと練習すれば子供でもつかえるからだ。
しかしルゥクのように次々と札を繰り出し、実際の戦闘で使える人間はそういない。
「うぉおおっ!! すっげぇ!!」
「さすが術師様だ!」
「お兄ちゃんすごーい!」
場が収まったのを見て、物陰に隠れていた村人たちが一斉に出てきて歓声をあげた。この村ではしばらく前から、さっきのトカゲの妖獣に畑を荒らされ悩まされていたそうだ。
私も出てきてルゥクの近くまで寄っていく。
ちなみに今日のルゥクは、山越えをするための服装だ。いつも長い着物を着ているが、今はピシッと帯で締めた厚地で丈の短い着物だ。肩までの髪の毛も後ろに軽く束ねている。
いつもよりは若干、男らしくはある。うん。
「このトカゲは群で動くから、たぶんこの周辺はこいつらだけだと思いますよ。今の爆音で熊とかもしばらくは近付かないはずなので、その間に村の柵の強化と荒らされた畑の立て直しをした方が良いですね」
「おぉ……そこまで考えてくださいましたか。いやぁ、ありがたい。本当に助かりました。あんなものが度々来たのでは、我々は飢え死にするところでしたよ……」
長老らしき老人がルゥクに話し掛けながら、村の方へ視線を移した。トカゲは他にも二体いて、全部ルゥクが倒した。
村の入り口付近には同じように焦げたものが転がっている。
なるほど。ただ爆発させてただけじゃなかったのか……。
意外にルゥクは色々考えて術を使っていたようだ。
「本当に助かったなぁ。ここを通る旅人なんてあまりいないし、近郊の街まで行って役所に言っても、ここは後回しだからな。もう少しで作物が全滅するところだったよ」
そう、ここはまだ国境に近い場所であり、この村は森の中にぽつりとある。正直、国内で妖獣退治をしている術師はあまり来ないだろう。私たちもきっと、この先の街が立ち寄る指定場所にされていなければ、この村にはかすりもしなかったはずだ。
この村も旅人自体珍しいようだった。私たちが村に入ると村人たちが珍しそうに見てきたのだから。そして私の頭巾から見えた頬のアザで、私を旅の術師だと思いトカゲ退治を依頼してきたのだ。
でも…………私を見て術師だと思ったくせに、村人が依頼を頼んでいたのはルゥクだった。兵士としてはちょっと複雑だな……。
「術師様、それで……こちらは僅かばかりですが、お礼になりますので……」
そう言って長老は何か包みのようなものをルゥクに差し出した。中身は謝礼金だと思われる。
「いいえ、けっこうです。僕たちはたまたま通りかかった旅の者で、正式な妖獣退治の術師ではありませんので……」
「しかし……」
「……では、今夜の宿を提供していただけますか? それならこちらもとても助かるので」
「ええ、ええ、それならば直ぐにでも……」
ここの村には宿屋が無かった。確かにこの村、旅人が寄るには不便そうだもんな……。でも近くに他の村は無いし、連日野宿よりはずいぶんマシで………………ん?
…………そういえば、ルゥクの奴は今朝、「今夜は屋根の有るとこに寝たいなぁ」とか言ってたな…………。よく考えたら、この先の街に行くのに、別にこの村を通らなくても行けたはずでは……。
「…………この時期ってこの辺はトカゲの妖獣が発生しやすいんだよ…………この村、しょっちゅう襲われているみたい……」
「え…………」
「今夜は温かい食事と布団で休めるよ」
ルゥクがニヤリとして、私に向かってボソッと言った。
まさかこうなるの期待して、ここに立ち寄ったのか? いやいや、いくらなんでも……………………やりそうだな、この男。
余談だが、このトカゲは焼いてから煮込むと旨いそうだ。村の主婦たちが包丁を片手に、解体して分けようと群がり始めた。
ルゥクも村の男の人たちとどこかに行ってしまったし、物陰に隠れてばかりで何もできなかった私は、せめてトカゲの解体作業でも手伝おうと婦人たちに近づいた。
「あぁ、お嬢さん、ありがとねー。今日はアタシの家に泊まっていきな。美味しいトカゲ料理作ってあげるよー」
「………………はい、お邪魔します……」
やっぱり食べなきゃダメかな? 鶏肉だと思えば大丈夫なのかな?
「ねぇねぇ! ちょっといい?」
「はい?」
トカゲと向き合おうとしていた私に、数人の村の女の子たちが後ろから話し掛けてきた。
「あなたのお兄さん、強いのねぇ……それにすごく素敵だし…………」
「ねぇ、お兄さんは恋人とかいるの?」
「え……? あ、いや、いないと思います……けど……」
ここであらためて心の中で確認をする。
この私、ケイランは国の兵士で今は任務中である。
そして、そこで自由に行動している男、ルゥクは処刑場まで護送中の死刑囚であるのだ。
ルゥクと私は『囚人と兵士』だが、さすがにこれは言えないので、一応『旅の術師の兄妹』ということにした。最初は夫婦に間違えられたが、私が全力で否定してそうなった。
ルゥクが囚人とは知らない村の娘さんたちは、うっとりと他の村人と話しているルゥクをこぞって見つめている。
あー……一応見た目の造形は悪くないわけだし、夢見がちな村の女の子はああいう顔した男が好きなのかもなぁ…………。
しばらく質問責めにあったのだが、とりあえず適当に答えてその場は凌いだ。しかし、私が言うのも何だが、女子というのは何で本人には聞かないで、私から全部聞き出そうとするんだ?
いくら兄妹でもそんな事まで知らない、という事までぐいぐいと聞いてきた。
どうやら、今度からは上手い言い訳が出来るように、細かい設定なんかを決めておいた方がいいだろう。
私は後でルゥクに相談してみようと思った。
「そうだね。暇な時にでも決めようか?」
就寝前。昼間のことを何気なくルゥクに話すと、意外にも真面目に聞いて考えている。これからの旅の道中を考えると、案外必要な事なのかもしれない。
――――と、それはさておき……。
「…………何でお前は私の横で寝ているんだ?」
私たちはこの村でも、少し大きい家に泊めさせていただけることになった。夕飯をごちそうになった後、気が付いたら同じ部屋に案内されていたのだ。
「え? ああ、兄妹だから部屋は一緒で大丈夫です。って、言っただけだよ」
ルゥクは悪びれもせず、にこにことこちらを見ている。布団は二歩くらいの隙間を空けて、平行に二組敷いてあった。
あああもう! ちょっと考えろ!! 兄妹だってこの年で布団並べて寝ないと思うよ!?
そんな私の考えは顔に出ていたようだ。ルゥクは少し呆れたような苦笑いを浮かべている。
「きっと『夫婦』なんて言ったら、布団くっついてたね。これ、まだマシなんじゃないの?」
「う…………」
「あとね、僕らが別々だと、もうひとつ部屋を用意しなきゃいけないだろ? それって泊める側はけっこう大変だと思わない?」
「………………うん」
なんだか職場の先輩に、大人の常識を教えられた気分だ。それに今日はルゥクが全部やってくれて、私には何も言えない。
二人ともやれやれ……と、普通に布団に入って寝ようとしたが………………あ、ダメだ。危うく何事も無く一日を終えるところだった。
私は部屋の中においてあった衝立を引っ張ってきて、私の布団とルゥクと布団の間に立てた。
「これだけはしておく!」
「…………別にいいけど」
これが有ったからといって、物理的に何かあったら特に何の役にも立たないが、まぁ、気分の問題だ。
これで、寝顔をずっと見られていた、などという嫌がらせを回避できるかもしれない。野宿で目が覚めた時にじっと見られていたりするのが、地味に心臓に悪いのでやめてほしいんだよね…………。
「じゃ、明日は早めに出るから、もう寝ようか。おやすみ」
「あ、うん。おやすみ……」
衝立の向こうでルゥクが布団に潜る音が聞こえた。
私も眠ろうと横になって目を閉じた。その時、昼間に村の女性たちに質問責めにあったことを思い出した。
『お兄さんって何の仕事しているの?』
『何歳?』
『どこで術を覚えたの?』
次々とされた質問に、私は適当に答えた。どうしても突っ込まれる時は『離れて暮らしていた』とか言って誤魔化すと曖昧な返事で相手も引き下がる。
私だってあんなに本人に聞いてないのに…………。
一番の疑問が浮かんだ。
『国家反逆罪』と、ルゥクは罪状を言っていたけど、何だか罪に罰が合っていないような気がしていた。
「…………どうしてルゥクは死刑になるんだ?」
思わず小声で発してしまった。
少しの沈黙の後、見えない所から声がした。
「……『仕事を辞めたい』って言ったら『死んだら辞めさせてやる』って、上から言われたからだよ」
「…………え? 仕事……?」
死んだら……って……え? どういう……?
「『影』は死ぬまで辞められない」
「――――――!?」
『影』。
その言葉は昨日、ルゥクが否定していたものではなかっただろうか…………?
「…………何で? 違うんじゃ…………」
「違う、とは言ってない。最初から肯定をしてはいけない。でも、君は納得してなかったから、答えることにした」
口調は切るように短く、固く、淡々としていた。
「言ったはずだ。普通に仕事をしていれば『影』には会わない。『影』は他の『影』には会わないのだから」
声はいつもより低く抑揚がない。まるで答える言葉が決まっているように。
ルゥクと会ってまだ四日だが、初めて聞いたその声色に、私は一切の身動きがとれなかった。言葉のひとつひとつに殺気が込められている、そう……感じてしまったからだ。
「君の『恩人』を探すのは、止めた方がいい。彼が『影』なら、もう、生きている保証はない」
『君の命も保証できない』
遠回しに言われた冷たい言葉は、見えない刃となって首に突き付けられた。これはルゥクが『影』である証拠。
「…………………………話はここまで。おやすみ、ケイラン」
「おや…………すみ……」
急に金縛りが解けた。
いつの間にか引いていた血が、全身に戻っていく音がした気がする。
衝立のせいでルゥクの顔は見えない。
いや…………見えなかったから、ルゥクは話したのではないだろうか?
明日はどんな顔をして起きたらいいのか…………?
私は自分が眠ったかどうか分からないうちに、気が付けば朝を迎えていたようだった。