象徴の消失
お読みいただき、ありがとうございます。
今回はルゥク視点です。
「あふ…………」
夜明けが近いため外は明るくなってきたようだ。
ほんの少しの白んだ空気の気配で、僕は目が覚めてしまう。
この時間に起きるのは屋敷で飯炊きなどをしている下人だけのはずだが、部屋からそんなに遠くない廊下にポツポツと人の気配がする。おそらく、屋敷内を夜通し見回っていた兵士か何かだ。
なるほど、タキが言っていたのはこれか。
招待された客人扱いではあるが、懐を探ろうとすれば容赦はしないだろう。良い客人であるうちだけ、僕らは安全を確保される。
良い客人の条件は『なるべく屋敷に留まり大人しくすること』と『利益をもたらすこと』なのだ。
仕方ない。ここは彼らの縄張りなんだから。
でも、久し振りに熟睡していた。
迂闊にも何の注意も払わずに眠りこけてしまったのだ。いつもの僕ならば、例え酒を飲んでも疲れていても、そこまで眠りが深くはならない。
それなのに、昨夜は何となく体が重く感じて布団から起き上がる気力も湧かなかった。
……毒を盛られたわけではない。部屋に眠り香が焚かれた形跡もなし……か。
通されたこの部屋は、板の間に草で編んだ敷物が全体の半分くらいを占めていて、そこに布団を敷くように成っていた。
伊豫の文化らしいのだが、なかなかこの草の敷物が良い香りがして心地良く、布団も程よく柔らかくて暖かい。
ぐっすり眠れたのも、部屋と布団のおかげかな……?
そういうこともあるかと、もう少し布団に入っていようとした時、隣で寝ていたゲンセンが目を覚ました。
「ふ~……ふわぁ……あー、よく寝た……」
「あぁ、おはよ」
「よう、やっぱ良い布団は最高だな……」
「そうだね。寝過ぎで頭痛いよ」
「ははは、なんだそりゃ……よいしょ……っと」
「…………ん?」
一瞬だけ、起き上がって伸びをするゲンセンに違和感のようなものを覚える。
「あ? どした? 人の寝起きの顔……あんまり見るなよ……」
「いや……見詰めるつもりはなかったんだけど…………」
僕は見詰めた理由を見付けようとする。
「君の顔って、そんなに質素だったっかな……って?」
「何言って…………」
「………………あ」
わかった。
ゲンセンの顔を隅々まで見たことはなくても、付き合いのある人間ならすぐに分かる部分。
それを教えようと、部屋を見回して奥の壁に掛かっていた『鏡』を取ってゲンセンに突き付けた。
「ゲンセン、君の顔の傷……いや“術師のアザ”が消えてる」
ゲンセンには頬から首元にかけて、赤黒い大きな二本の傷のようなアザがあった。
それが“一本”になっているのだ。
「えっ!? うわっ、なんだこりゃ!?」
「残った一本も普通の傷跡だね……」
消えたアザのところに残っているのは、皮膚の色がそこだけ変わったようなただの傷跡。
「そういや……元々、アザのあった場所は、昔大怪我をした時の傷があったんだ。いつの間にか“術師のアザ”がその上に被るように浮き出てきてなぁ……」
「生まれつきじゃなかったんだ?」
「あぁ、ユエみたいに子供の頃からあったわけじゃない」
“術師のアザ”のほとんどは生まれつき持っている者が多い。後からアザが浮かんでくるのは、相当な修行と努力を重ねた結果だ。
「……消えるってこと、あるのか?」
「自然に消えるってのは聞いたことないね…………僕が術を喰ったら消えてるけど」
「え…………まさか、お前…………」
「何の意味もなく、気軽に“術喰い”は使わないよ」
「…………だよなぁ……」
「「う~~~ん…………」」
二人で鏡を覗き込んで唸ってしまう。
昨日の時点でこの部屋にも屋敷にも、おかしな所はないように思えたのに……。
「もしかして……」
「ん?」
「“アザ”が消えたの、君だけじゃな…………」
「ルゥク――――!! ゲンセ――――ンっ!!」
ドタドタドタドタドタドタッ!!
スタァ――――――ンッ!!!!
縁側の障子が勢いよく開かれると、小脇にケイランを抱えたコウリンが息を切らせて立っていた。
「な……なんだ、朝から!?」
「何だじゃない!! ケイランがっ…………て、ゲンセンも顔のアザ……!!」
「「………………」」
ちょこん……。
「…………『霊影』が出てこないんだ」
借りてきた猫のように大人しくなったケイランを真ん中に、僕らは布団の上に座り込んで悩んでいた。
「あのさ、アタシはアザ持ちじゃないけど……術ってアザが無くなると使えないのよね? その証拠にケイランの『霊影』は出てこないし……」
「…………分からない」
出てこない……もし、まだ体に気術として残っているなら、無くなったというよりは『封じられた』と言った方がいいかもしれない。
「ケイラン、ちょっとごめんね」
「あ、うん……」
ケイランの額やアザがあった場所に手を充てて、体内の気力を探って見る。
「術……身体の奥にはある……気配がする」
「そうなの。完全に“無い”訳じゃないの」
「あぁ、コウリンも診たんだ」
「そりゃあね……」
これは本来は術医師がやる診断方法だから、彼女は最初に診てはくれていたようだ。
「ゲンセンは? あんたはどうなの? 身体に何か不調とかない?」
僕と同じ方法でコウリンはゲンセンを診ている。しかし、首を傾げて「よく分かんないな……」とため息混じりで言った。
「体は何ともない。でも俺は元々、ケイランやルゥクみたいな術の使い方してねぇから、ちょっと外で試してみねぇと分かんねぇな……」
「そっか……」
拳術士は身体の動きから術を使うから、普通に表に気術を具現化して放出するわけではない。
「おーい! 何かあったのかー!!」
ドタドタドタドタ……
縁側の廊下をのしのしとスルガが歩いてきた。
「なんだよ? みんな集まっ……ん?」
スルガの視線がケイランの顔で止まる。
微かに口を動かした後、ゲンセンの方を向く。
「ケイランもおっちゃんも、何で“模様”なくなってんの?」
「うん、それが分からなくてね」
術師のアザをよく知らないスルガは、たぶん刺青か何かだと思っていたようだ。軽く経緯を話すとう~んと唸っている。
「何かよく分かんないけど……色々やるなら、父ちゃんに訊いてからにしてくれ。でも、その前に飯にしよう。母ちゃんたちが朝飯を用意してたし」
「あぁ、ありがとう」
スルガは先に行くからと部屋を出ようとしたが、手前で立ち止まって振り返りケイランの顔を再び見る。
「……? 何だ?」
「いや、別に……昨日の夕飯と同じ部屋だから、着替えて早く来いよ!」
「うん、わかった……」
フイッと顔を背けて出て行く。
「スルガ、どうかしたのかな?」
「まぁ、いいじゃない。ご飯なら着替えてこないと!」
首を傾げながらも、ケイランはコウリンに引っ張られて自分たちの部屋へ戻っていった。
「とりあえず、俺たちも着替えて行くか」
「そうだねー……」
着替えをそろえながら、僕はさっき部屋に入ってきた時のスルガを思い出す。
皆は気付かなかっただろうけど、僕にはスルガが何と言ったのか唇の動きで判った。
あの子、アザの無いケイランを見て「……かわいい」と呟いたのだ。
思えば、宿場町で初めて会った時にスルガはわざとケイランから顔を背けていた。耳を真っ赤にして、態度もどうしたら良いのか分からなかったみたいに。
その翌日は慣れたみたいだけど、馬車の中ではチラチラと彼女を見ているのが、分かりやすくて可笑しかった。
どうやら、スルガはケイランに対してかなり好意的なようだ。
本来ならこちらが動き易いよう、その好意を利用しない手はないのだけど…………
「何か、おもしろくない……」
「ん? 何が?」
「色々と」
「???」
胸にもやもやとしたものが残っていた。
…………………………
………………
昨夜、宴会を行った部屋で並んで食事をする。
蛇酊では食事を卓に並べずに、人も椅子ではなく床に座り、一人一人箱のような盆が置いてあった。そこに料理が一人分用意されているのだ。
食事は主人が、予定の人数がそろったのを確認してから食べ始める。今日は僕たちの他にはスルガとその両親、そしてサガミ老がいた。
「そんなら、この屋敷の裏に兵士用の訓練場があるけ、好きに使うといいぞ」
「ありがとうございます」
食事をしながらヤマトさんに事の次第を話すと、今日は屋敷の周辺なら出ても良いと許可が降りた。
本当は今日にでもカリュウの家へ向け出発して、そのお姉さんとやらの症状を診たいところではあるけれど、ケイランとゲンセンのアザが消えたことによる影響を探る方が先だろう。
「皆さん、今日の朝餉はお口に合うかしら? 大陸のご飯とはだいぶ違うときいたのですけど……」
ヤマトさんの隣で飯をよそってくれる、中年のふくよかな女性がニコニコと尋ねてくる。
この女性は『千鶴』様。スルガの母親で屋敷の婦人でもあるのだけど、蛇酊では身分のある女性でも家事をする。昨日から僕らの食事の用意は、このチヅルさんが率先して行っているらしい。
「えぇ、美味しいです。おかずの種類も多くて楽しいし、私の実家の味付けにも少し似ています」
「そぉう、良かったわぁ。大陸は朝昼関係なく“粥”が多いって聞いたのだけど、本当ならそちらの方が良かったかしら?」
「いいえ、こちらではこちらのご飯をいただけるだけでありがたいので、我々のことはお気になさらず」
「アタシもこっちのご飯美味しいし、気に入っちゃっいました! 後片付けも手伝いますよ!」
「あらあら。大丈夫よ、ゆっくりしてて」
さすが、人見知りの特にない女性陣。
ケイランもコウリンも、すっかりチヅルさんと仲良くなっている。
「ルゥク様もゲンセン様も、おかわりはいかがですか? こっちの漬物はチヅル様のお手製だそうですよ!」
女物の着物に白い作業用の割烹着を身に付けたタキが、当たり前のように盆を持って隣に座っていた。
「タキ、君……本当にここで働いているんだね」
「はい。皆様がこちらにしばらくいらっしゃるなら、ここで働かせてもらうのが習慣を知る近道です。それに、気難しい問題を解決するためにお役にたてるかと思いまして……」
タキがニヤッと含んだ笑みを浮かべる。その時、
「うぉ~い! タキちゃ~ん、わしに茶を淹れてくれんかのぉ~」
「はぁ~い、ちょっとお待ちくださいね、サガミ様ぁ♡」
朝から鼻の下を伸ばしきったサガミ老が、湯呑みを片手にタキを呼んでいる。
昨日、あれだけ僕らに対して頑なだったサガミ老は、何故かタキだけはえらく気に入ったようで、朝から自分の周りから離さないらしい。
タキの正体を知っているスルガは、でれでれと締まりのない祖父に向かって呆れた顔をしている。
「その人“男”だよ。じいちゃん」
「はぁん!? こんな愛らしい男がおるかい!! 皆でわしを謀ろうとしおって……のう? タキちゃん?」
「うふふ、どうでしょうねぇ?」
タキに聞いたところ、ちゃんと採用される際に自分が“男”だと言っていたみたいだけど……
「じいちゃん……“認識の才”鈍ってんのかなぁ……」
「“認識の才”?」
「あぁ、“才”っていうこの辺の人間の特殊技能だよ。“認識の才”は少し鍛えればどんな格好してても、男と女の見分けくらいはすぐできること。皆の術ほどすごくはないけど、伊豫人の特徴だって言われてる」
「ふぅん……」
そういえば、蛇酊に来てから僕は女に間違えられてはいない。スルガにも最初から『兄ちゃん』と呼ばれていた気がする。
「ケイラン。食事が終わったら、すぐに僕たちの術を試してみよう」
「そうだな……」
蛇酊には滞在したばかり。しかし、この事態は考えもつかなかった。
あんまり問題が起きないといいけど…………
アザの消えたケイランが俯いて食事をしている。
いつも元気な彼女が弱気になっていることに、僕だけでなくコウリンやゲンセンも慎重に成らざるを得ないようだ。




