術と伊豫人
わたしたちが蛇酊州に入って三日。
風に潮の香りを感じたかと思って間もなく、竹林の向こうに水平線が見えてきた。
本当に蛇酊の土地には妖獣が多く、最初ほどとはいかないまでも、昼夜問わず襲われることが多かった。しかもここまで壊れた馬車を引っ張り、全員疲労困憊になっている。
カリュウたちの住む村はすぐ近くだ。しかしこの先は坂が多いため、馬車を引っ張る人間を村から呼ぶことになった。
伝令役にスルガが真っ先に手をあげる。
「オレが先に行って父ちゃんたちに伝えるよ! みんな休んで待ってろよー!!」
そう言うと、スルガは猛烈な勢いで走っていった。
は、速いっ!! あの子、戦闘でも素早かったけど、単純に走ると物凄く速い!!
「……スルガは脚が速いな」
「えぇ、蛇酊で一番速いと言っても過言じゃないくらいです。でも……行動も早すぎて、失敗することも多いのが悩みですね。ふふ……」
隣にいるカリュウは困ったように微笑んだ。
聞けば、スルガは早とちりや、命令前に突っ込むことも多かったので、俊敏性を誉められることと、怒られることが五分五分だという。
「武士になるなら、先を見据えた落ち着いた行動が求められます。スルガの行動も一刻を争う時には良いのですが……難しいですね」
「なるほど、その分の落ち着きをカリュウが補っているのだな?」
「えっ? そう思いますか?」
「二人は仲が良いみたいだから」
「はい。物心付く前から一緒ですから……」
二人は父親が親友同士だったので、その繋がりで兄弟のように育ったという。
うん、何かいいなぁ。幼馴染みの親友。
「伊豫の人間はその集落ごとに家族みたいに住んでいますから、人との繋がりは濃いんですよ」
カリュウはにっこりと子供らしい笑顔を浮かべる。
スルガが人を呼んでくる間、全員で休憩を取ることになった。
ここはすでに集落の近くで、すぐ側には人の手が入ったような土地や田畑が広がっている。そのおかげで井戸もあって、休憩するにはちょうどいい場所だ。
お茶を飲もうということになり、湯を沸かすためにルゥクが札で焚き火を作る。その様子を蛇酊の人たちは興味深そうに観察してきた。
湯呑みはその辺りの竹を切って作ったのだが、意外にもゲンセンが器作りに活躍した。
簡単に竹を切り倒し、節ごとに切り分けていくのが早い早い。
よく見たら手刀で竹を切っている。『剛拳』の術を習得しているゲンセンには簡単なことだという。
「ゲンセンは器用だな?」
「まぁ、生活用品は手作りしてたからな」
「そういえば、あんた普段は民芸品とか作って、生活してたって言ってたわよね」
「術師だけで食っていけないから、仕方なくってところだ」
茶の用意をしていると、蛇酊の人が木の実がなっている木を教えてくれた。
「じゃあ、おれが木に登って…………」
「いや、待て。あれくらいなら私が取ろう。『霊影』」
ぞろっと足元の影が動き、蛇のようにうねりながら木の上へ伸びていく。木の上の木の実をいくつか採って下へ降ろす。そして再び木の上へ。
それを繰り返すと、人数分の木の実があっという間に用意できた。
「へぇ、便利なもんだ。これなら梯子も縄もいらねぇな!」
我ながら、こういう時にこの術は使えると思う。
「大陸の人は凄いですよね。この……“術”っていう業、伊豫人は使えないんです」
「あぁ、そういえば最初に言っていたな?」
石や倒木に座り茶を飲みながら、カリュウたちと“術”についての話題が出る。
「今までも、土地の人間に術を伝えようと、訪れた大陸の人は多くいたのですが、伊豫人は誰一人として術を使える兆しがなかったとか……」
「使えなかった? 誰も?」
誰も使えないのはおかしい。
大陸の人間でも向き不向きはあるが、誰かしらは使える人間は出てくるものだ。
特に蛇酊の人間は大陸の人間と、先祖が近いと云われている。
術というのはある程度、家柄や血筋で決まるところもあるらしいので、近い土地でそれぞれに栄えた民族が、そんなにかけ離れているとは考えられなかった。
カリュウの話に、ゲンセンが眉間にシワを寄せている。
「俺が見る限りたが……蛇酊と大陸の人間は顔つきや言語もほぼ変わらない。何か原因があるのか?」
「分かりません。しかも、術を伝えに来た大陸の人も、この土地にいる間だけ、一時的に術が使えなくなったこともあったそうで……大陸側からはとても恐れられた……と」
「何だそれは……」
「なるほど。“地に見棄てられた民族”か」
「ん? 何だって、ルゥク?」
「大陸側の差別の原因のひとつ。術が覚えられない土地と人間だと決めつけられて、それで伊豫には文化が入りにくくなったんだ」
「その通りです。他の国と比べても、我々は術に似た力もありません」
『術』というのは、人や土地から流れる『気力』を身体で生成、その流れを具現化して使うと云われる。
「……それが形にならないというのは、伊豫人自体に何かあるのか、それともこの土地に何かの要因が……ってことになるね」
「はい。もし、伊豫人も“術のような力”が使えていたら、国全体がもう少し発展していたと思います」
大昔、伊豫の国は国土の半分を大陸に取られた。
そこから百年ほどはギリギリ平和を保ったの関係だったが、今から三十年以上前に脆い関係は崩れ、大陸側が戦争を仕掛けたのだ。
伊豫は最初こそ防戦一方で持ちこたえていたのだが、やはり術が使える大陸側の兵力に負け、十年前に国は大陸と統合することになった。
「う~ん、兵力増強目的にしなければいいか。生活面強化の一環として、試しに術の訓練をしてみる? もし一人でも術が使えれば、大陸人に嫌味を言われずに済むよ?」
ルゥクが普通の紙の札をカリュウに見せている。
火を起こす札だが、攻撃用ではなく焚き火などに使う極弱いものだ。
確かに。兵力の増強となれば、国に反乱の恐れありと見なされかねない。逆に生活に役立てる術であれば、大陸の一つの都市として認めてもらえるし馬鹿にしてくる輩も減るはずだ。
「ありがとうございます。そうですね……今、蛇酊に必要なのは民の生活に関わること。主に医術や労働力です。それを補えるなら、その『術』に挑戦してみるのも無駄ではないと思います」
本当にカリュウは歳の割にはしっかりしている。
父親が兵を束ねる人間だと言っていたから、カリュウも将来は人の上に立つ人間になるのだろう。
しかし、そのカリュウがついこの間まで、ルゥクを狙って近付いてきたのだ。
確か、その理由は…………
「そういえば、カリュウ。あなたは病気を治したい人がいるのだよな? やっぱり、家族なのか?」
「それは……はい……ぼくの『姉』……です」
「お姉さん?」
「はい。ぼくの三つ上の姉上で、二年前から胸を患いまして……」
そう言うと、カリュウは口を堅く結んで俯いた。
大事な家族なら心配して当たり前だろう。
「胸の病気かぁ……症状によっては治療も長くなるわね」
ふむふむと、コウリンが何かの本を開いて探している。
「私たちで手助けできるといいが……」
「そう言っていただけるだけでありがたいです。地元の薬師には『長くない』と言われていて、家族でも半ば諦めてきていたのですから……」
カリュウも必死になるはずだ。
それだけじゃなく、カリュウの家の部下たちもあの様子から、その子を可愛がっているのがわかる。
「ルゥク……やっぱり“回復”は使えない?」
「たぶん無理だね。弱っていたら“毒”にしかならないよ」
ルゥクは茶をすすりながら、なんとも素っ気ない台詞を放つ。こいつなりに情ではなく合理的な考えなのだろうけど、それが何か納得できなかった。
「あいつの脚なら、もう親方がいらっしゃっても良さそうなもんだが……」
「たぶんそろそろじゃねぇか? すぐに人数集まるかは分からないし……」
そろそろ半日が経とうという頃。
お使いに行ったスルガを心配する声が、ぽつりぽつりと聞こえてくる。
「少し遅いですね…………ここからなら、歩いても二刻くらいです。俊足のスルガが走っていったなら、そんなに遅くなることはないはずなのですが……」
「だとしたら……遅くなっている理由は行った先の状況、だね」
「え……?」
「囲まれてる」
「えっ!?」
ルゥクがそう言った瞬間、
「全員、武器を地面に置いて両手を上げよ!!」
少し高くなっている場所にズラッと、弓を構えた男たちが姿を現す。それに続く形で、今度は隙間を埋めるように槍を持った者たちが立つ。
その中、正面にいる槍を持った一人が前に進み出てくる。
全身に大陸ではあまり見ない鎧を纏った白髪頭の老兵士のようだ。
「“不死のルゥク”と名乗る奴はどいつだ!! 貴様はもう囲まれておる!! 我らの仲間を解放し、大人しく縛についてもらおうか!!!!」
「「「…………へ?」」」
思わず声が出た。私以外にも眉間にシワを寄せて、みんな不思議そうな顔をしていた。
何か誤解しているのか? もう和解しているから、今更敵意を向けられる意味が解らない。
「何だ? あのじいさん、急に出てきて……」
「アタシたち、敵だと思われてるのかな」
緊張感とは違う、なんとも言えない微妙な空気が流れた。
「うちの兵士だよな?」
「迎えの仲間……じゃないよな?」
「え? 何、今更戦えとか無理」
私たちだけでなく、近くにいた伊豫の面々も「何いってるの?」と、言いたげな表情である。
敵対していた話はとっくに終わっているし、道中は和やかに進んで来たので、みんなすっかり仲良くなってしまっていた。そのため、今更感が凄い。
あまりにもヒソヒソと言われためか、老兵が眉間にシワを寄せて首を傾げた。
「………………? ルゥクという奴の一行、だな?」
あ、場の空気に勢いが殺がれたみたい。話をするなら今のうちだ。
「いや、確かに私たちはルゥクの一行だが…………何で囲まれたのか分からない。私たちは和解しているし、協力してここまできたのだが?」
「何を言うっ!? お前たちが若……嘉隆様を人質に………………」
「はい? どうしましたか?」
「若っ……ぐっ!? ごほっごほっごほっごほっ!!」
怪我人が乗っていた馬車の中から、カリュウがひょっこりと出てくるのを見て驚いて咳き込んでしまったようだ。
「若!! ご無事で!?」
「これは一体、何の騒ぎだ? ぼくは何ともないぞ」
「し、しかし、報告では『馬車が敵に破壊され、敵にやられた多くの怪我人がその馬車に詰め込まれ、動けない嘉隆様のために人手が欲しい』と……!!」
…………まぁ、さらっと聞くとその通りだ。
ただ、詳しい内容としては『妖獣に馬車が破壊され、妖獣にやられた多くの怪我人を馬車に乗せて他は歩き、疲労したみんなのために助けが欲しい』……となるな。
『敵』と言われているのが何か、それが気になるところだが……
「……『僕が馬車を破壊して、僕が多くの怪我人を馬車ごと人質にして、カリュウを足止めしている』……と、聞こえるけど?」
「うん、聞こえる……」
ルゥクがやや遠い目をして薄く笑っている。
「これはお前の日頃の行いか……ルゥク」
「それは酷いよ? ケイラン」
やはり誤解があったようだ。
しかし、この老人は何者だろうか?
その時、ビュッと体の横に圧を感じた。
「じいちゃん!!!! 何やってんだよ!!!!」
老兵と私たちの間に、風のように割って入ったのはスルガだった。




