蛇酊州へ
早朝。空はうっすら紫色から白い光を水平線に浮かべている。
「ふわぁ……さて、行きましょうか」
「ああ、確か……町の北側に馬車を停めていると言ってたな」
昨夜は宿場町の宿屋で部屋を取って、蛇酊へは早朝に出発して向かうことになっていた。
先ほどルゥクとゲンセンも起きてきて、私たちに声を掛けて先にいったのだ。
「でもさぁ、ここって蛇酊に近いのに、何で乗り合いの馬車の一つも出てないのかしら?」
「そうだな。もう蛇酊だってこの国なのだから、行き来も自由のはずなのに……」
蛇酊へ向かう馬車は、この宿場町からもあると思っていた。しかし、実際は蛇酊への馬車はなく、行き来は徒歩か蛇酊の住民に頼むしかなかったのだ。
「元はルゥクを狙ってきたとはいえ、アタシたち運がいいわよ。ま……医術は大陸より遅れてるっていうし、そこはあまり期待は持てないかもしれないけど……」
「『術喰い』を落とす方法はあると思うか?」
「さぁ? そっちもあんまり望めないかもね」
「そうか……」
待ち合わせの場所は道からも外れた平地。
町の北側は店や人も疎らで、少し開けただけの空き地という感じだった。
「おーい、二人とも! こっちこっち!」
茂みの影からわたしたちを呼ぶ声と、ぶんぶんと大きく振る腕が見えた。
「あ、スルガ……おはよう」
「よう、おはよ。みんな揃ってるぞ!」
スルガに案内されて無理やり目の前の茂みを越えると、古い大きな幌付きの馬車が二台停めてある。
「オレたち、あれで来たんだよ。全員で八人。あんたらを乗せていくことも考えて二台……ま、オレは最初、買い出しって言われて来たんだけど……」
そういえば、スルガはカリュウの護衛としてついてきて、ルゥクのことは全く知らなかったと聞いたな。
「スルガって、カリュウの何なんだ? 最初、友達だと思っていたのだが……」
「……うん、友達っちゃあ友達だし、幼馴染みの親友だよ。そんで、オレの父ちゃんはヨシタカの親父さんに仕えてんだ。だから、オレも小さい頃からヨシタカを護るように言われて育った」
「子供のうちからか?」
「ヨシタカの家系は代々、武士を束ねる立場で今の親父さんが十代目。うちも代々仕えてる。だから、オレも継ぐのは当然」
聞けば、蛇酊では武士や職人のほとんどは世襲制で、一族全てが同じ職に就くことも珍しくないそうだ。
「オレも父ちゃんみたいに、親父さん……“首領”の右腕に成れるように頑張らないと!」
そう言ってニカッと笑うスルガは、昨日の無愛想さは見受けられない。昨日は目が合う度に逸らされていたのに……。
「そういえば……さ、ケイランって何歳?」
「ん? 私か? 私は今年で17だが……」
「え!? オレより二つ年上!? 同じくらいかと思った!」
スルガが心底驚いたような表情になる。
やはり……身長でそう、思ったのだろうな……
「……まぁ、よく年若くは見られるが。それが何か?」
「いや、別に。大陸の兵士やってるなんて、すげぇなぁって……そう思っただけだから!」
早口で言うと、そっぽを向かれた。
しかし、どうやら嫌われている訳ではないらしい。すぐにこちらを向いて、少年らしい笑顔になったからだ。
わたしもつられて笑ってしまっていると、馬車の荷台からルゥクが顔を出した。
「……何やってるの?」
「いや、別に何も?」
「ふぅん?」
「…………?」
何だ? そのどこか納得いかないような生返事は?
スルガは「こっちこっち!」と、ルゥクが乗っている馬車に手招きをする。
「こっちにはあなた方とぼくが乗りますね。あとスルガも」
「おう! ヨシタカに何かするなら、オレは黙ってないからな!」
「しない、しない」と、全員が首を横に振る。もうひとつの馬車には、二人以外の蛇酊の面子が乗り込むようだ。
因みに、タキは馬車の後ろから馬で追ってくる予定だという。
「最初の道は揺れるから、俺がいいと言うまで黙ってろよ! 迂闊に話してたら、舌を噛むぞ!」
「はいよ! じゃあ、出発!!」
御者の男にスルガが言う。
本当に走り始めは道ではない場所を抜けるので、どこかに掴まっていないと投げ出されそうだった。
しばらく馬車は走っていき、上下左右に激しく揺れていたのも徐々に収まっていく。
ガラガラ…………ガラガラ…………
車輪の音が規則的になってきた頃、御者が荷台のみんなに『しゃべっても大丈夫』と言ってきた。
「「「……………………」」」
しかし、またしばらく静寂が続く。
「うぐ…………」
「………………うぷ、気持ち悪い……」
「う……アタシも……みんな、漢方……飲む?」
「「「飲む…………」」」
コウリンが乾燥した薬と水を配り、みんなで口の中で噛んで飲み下す。何となく、胸がスッとした気がする。
激しい揺れに、わたしやコウリンだけではなく、ゲンセンやカリュウ、スルガまでもが顔色を悪くしていた。
この場で何ともないのはルゥクだけのようだ。わたしの背中をさすりながら苦笑している。
「はいはい、大丈夫? 膝枕しようか?」
「……いらん。というか、何でお前は元気なんだ?」
「普段からの鍛練……かな?」
「鍛練…………」
鍛練で馬車酔いしないのか。それなら、ゲンセンあたりも平気なはずだが…………
「俺……馬車苦手なんだよ……ぐぇ……」
旅に慣れているはずのデカイ図体が、荷台の隅の方にへばりついている。コウリンに背中をさすられて、本気で具合が悪そうだ。
「……スルガとカリュウも大丈夫か?」
「はい……ぼくたちも、あまり馬車には乗り慣れてませんので……うぅ……」
「オレたち……ここまで来るのも、たまにだし……うぶぅっ…………」
最近まで、蛇酊の民が領地をふらふら出歩くことはなかったという。
「う……私もその鍛練とやらをやってみたい……」
「何言ってんの、それは『影』の拷問に耐えるための訓練だよ。逆さ吊りにされて振り回されるとか、水車に括られて何日も回されるとか……」
「ぐぅ……や、やめろ……わかった」
想像したら、また吐き気が来そう……。
下手な呟きは余計に悪化させられるらしい。ゲンセンとは別の荷台の隅にもたれ掛かって、大人しく寝ていた方が良さそうだ。
目を閉じて横になろうとした時、
「ケイラン、こっちに頭乗せていいよ」
「えぅっ……?」
ルゥクの声と同時に引っ張られ、ぽすんっと自分の頭が収まり良く布の上に乗る。
これ、この体勢は……たぶん『膝枕』だ。さっき断ったが、されるがままに頭を置いてしまった自分がいる。
うぅ、なんか情けない。でも……ちょっと楽だな……。
温かいのが心地好く、もう少しだけなら良いかと自分に言い聞かせて眠ることにした。
あれ? ルゥクってこんなにガタイ良かったっけ?
すぐにうとうとしかけたが、そんなことが頭を過る。
旅を始めたばかりの頃、一度だけルゥクに膝枕をされたことがあったのだが、その時の脚の感じと何か違う気が…………
「……ケイランに何やってんの?」
「…………ん?」
ルゥクの声が足元から聞こえた。
「『見ての通り、膝枕してあげてるんだけど?』……で、やすかねぇ……」
「んん!?」
ガバッ!! と瞬時に起き上がると、ルゥクではない『膝枕の主』と目が合う。
「……ホムラ!?」
「へぇ。お久し振りでやすね、嬢ちゃん」
頭から足先まで全身黒装束。大きな保護眼鏡を掛けていて、唯一露出している口許はにんまりと上につり上がっている。
わぁ……急に来るの相変わらずだな。ホムラを見るのいつ振りくらいだったか?
最後に会ったのは……ゴウラを退けた時だ。
ホムラはわたしを庇って、ゴウラの術を受けボロボロになったが、ルゥクの血の回復で治ってすぐに全快していた。
あの時の怪我は術によるもので、通常の切り傷や打撲なんかと違い治りにくい。普通であれば、未だに治らずにいるくらいのものだ。
あらためて“術喰い”の回復の力の強さを思ってゾッとする。
『影』は毒物や劇物に慣れているから、ルゥクの血も平気だと……そう、言っていたはずなのだ。もし、半端に弱っている人間なら……どうなるのか?
「うわっ!? 誰ですか!?」
「こ、こいつ! いつの間に馬車に!?」
カリュウとスルガが、ホムラを見て悲鳴に似た叫びをあげた。
「そんな……さっきまでこんな人は……馬車も止めてないのに……!?」
「曲者か!? 名を名乗れ!!」
「あー……二人とも驚かせてごめん。こいつ、僕の手下みたいなもんだから……」
「ヒヒヒ……ずいぶん賑やかでやすね」
どうやらカリュウとスルガの反応が楽しかったらしい。ホムラのにんまりが濃くなっている。
「いや、でも、この人どこから……」
「あっしはずっと“幌の上”に乗ってやした。揺れが少なくなったので、こちらに移ってきたんで」
「あの揺れを幌の上で耐えたのか……!?」
「楽しかったでやすよ?」
「何、ひとりで遊んでいるんだよ……」
「「「……………………」」」
馬車内のルゥク以外が全員、顔をひきつらせて押し黙った。
だって……何か怖いもの。
ん? まてよ……今、ホムラはなんて言った?
「それよりも、ずっと幌の上に……って出発の時には居たのか?」
「いえ、昨日にはタキ姉とあそこに居やしたよ」
「昨日? じゃあ、この子たちのいきさつも全部見ていたのか?」
「見てやした。ついでに、嬢ちゃんが昨日『旨い』と言っていた皿の料理はあっしが作りやした」
「っ!? ホムラ、料理できるのか!?」
なんてことだ。聞けば昨日、みんなで食べた料理のほとんどが、ホムラとタキが手掛けたものらしい。
ホムラはにんまりしたまま、首を真横に傾げた。まるで『それが、何か?』と言いたげだ。
「そんなに大仰なものじゃありやせんし、移動や潜入なんかで食い物くらい扱えないと、一人前の『影』とは言えないでさ」
「ふーん……」
私は思わず振り返り、ルゥクをじっと見詰める。
「師匠の方は、食材から『対人用猫いらず』を作るのに……」
「いいの! 人間には不向きもあるの! 純粋に『影』としての素質は、僕よりもホムラの方があるんだから!!」
ぷぅっと頬を膨らませ、ルゥクはぷつぷつと拗ねてわたしの横で座って小さくなってしまう。
いや……だって、初めてお前の料理食べた時、心の底から“不味い”って思ったし。ある意味、あそこまでのものは才能と呼べるのではないか。
「嬢ちゃん、別に良いんでやすよ。あっしは旦那に敵わない事の方が多いんでやすから」
「そうか……?」
そういえば、タキも含めてホムラのことも、わたしはよく知らない。いつか知る時がくるのだろうか?
ぎゅう。
「…………ん?」
考え事をしていると、わたしの両脇にルゥクとホムラがぴったりと貼り付いていた。
「何? 二人とも……窮屈なのだが……」
「いや、狭いから」
「大きい旦那が完全にそこでのびてやすので」
確かに。大きな馬車とはいえ、七人が乗り込んでいるとけっこう狭い。そのうえ、ゲンセンが馬車酔いに勝てずに倒れている。
「ルゥクもホムラもちょっと離れろ」
「何で?」
「どうせ密着するなら、コウリンの隣に移動したいのだが」
「え~、君がどけたらホムラとくっつくことになるじゃん」
「なりやすねぇ……」
「なってもいいだろ?」
「「え~~?」」
え~~? じゃない、師弟で仲良くしてろ。
「今なら揺れも少ないし……よいしょ……」
ちょっと立ち上がって移動しようとした途端、
――――――ガッタンッ!!
「うわぁっ!?」「――――へっ!?」
べしゃあああっ!!
馬車が大きく揺れて、急に止まった。
わたしは思い切り前に突っ込み、正面にいたスルガを下敷きにして倒れ込んでしまう。
「う…………いてて……」
「す、すまん!! スルガ、大丈夫か!?」
「へ…………う、うわわわわわわっ!!!?」
一瞬呆けた後、スルガは猫のように飛び退いた。
「大丈夫か!? どこか痛めたりとか……」
「ししし、してねぇーし!! 平気だしっ!!」
顔が真っ赤である。本当に大丈夫なのか!?
馬車が急に止まったことにカリュウが不審に思い、御者の男に話し掛けた。
「おい、どうした? 急に止まったりして……」
「若、前を走っていた馬車の様子が……!!」
「何……?」
前方、もう一台の馬車が道の真ん中で停まっている。数人が馬車の外に投げ出されて倒れているのが見えた。
「……っ!? 妖獣だ!! 前の奴らが襲われてる!!」
「妖獣だと!!」
こんな昼間から出るなんて!!
すぐに馬車を降り、わたしたちは前方へ走った。




