目的進路 一
お読みいただき、ありがとうございます。
今回から新章です。
ゆっくり更新ですが、お付き合いくださると嬉しいです。
人というものは独りで生きていると思っても、決して独りにはなれぬ生き物だ。
例えその場に独りだとしても、何処かに“他人”を感じている。
自分の着ている服に、住む家に、口にする食物に、そして己の内にある感情に。
そして“他人”というものはある種の異物だ。
己の内に入り込み、時間を獲られ、縄張りを掻き回される。
一番いいのは、その“他人”を感じながらも距離を取り、顔を合わせなければ己の平穏は破られることはない。
でも、ある時に気付くのだ。
“他人”にも特別がいる……と。
時間を費やし縄張りを放り出して、内に引き込んででも側に置きたいと思う者。
その“他人”にも同じ思いになってほしいあまりに、人は賢者にも愚者にもなってしまう。いや、殆どは愚者だ。
だが、愚者になればそれが叶うなら、人は迷わず愚かなことをするのかもしれない。
…………本当に叶うのならば……だけど。
……………………
…………
夜中。冷たい風にふと、僕は目覚めた。
目に入るのは消えない程度に焚かれた炎。それがなければ、この森の夜は一歩先も暗闇で覆われているはずだ。
火を囲んでいるのは四人。
僕の足元近く焚き火の側に、何回も大あくびをしている大柄な中年男性。
『ゲンセン』は眠そうにしながらも、真面目に見張りをしているようだ。彼は時々、行商人などの護衛で旅をしたことも多く、周囲への警戒は怠らない。
それと、僕からその炎を挟んだ木の根元、そこで二人の女の子が寄り添って眠っている。
濃い茶髪を三つ編みにしている娘は『コウリン』。
幼い頃から医者や薬師だった家族と国中を転々とした彼女は、こんな野宿程度は日常茶飯事らしい。女の子としては珍しく、テキパキと寝床を用意してすぐに寝付いた。
ゲンセンとコウリンは、旅を始めてまだ一月も経っていない。
そして、そのコウリンのすぐ隣、短い銀髪で小柄な女の子。
見掛けはとても可愛らしいが、これでも国の中心の王都で兵士をしている。三ヶ月ほど前、僕はこの娘と一緒に旅立った。
彼女は僕を目的の地まで、無事に送り届けるのが任務である。
その『ケイラン』は、先ほどから眠ったり起きたりを繰り返しているらしく、落ち着いた様子がなかった。
いつもならもう少し、長く睡眠を取れているのだけど……。
そう、ケイランは真面目過ぎる娘だ。
「………………」
……僕は少し寝たから、もういいかな。
僕は起き上がって、火の番をしているゲンセンに声を掛けた。
「ゲンセン、見張り代わるよ……」
「ふぁ……何だ、まだそんなに時間経ってねぇぞ?」
「いや、いいよ。僕はそんなに長い時間、眠っていられる体質じゃないから」
僕の眠りはいつも浅く短い。
例え見張り中に居眠りをしたとしても、周りの気配ですぐに起きられるようになっている。
「……じゃあ、頼むわ。ちょっと沢で顔洗って、ついでに枝でも集めてくる……ふぁ……」
「気を付けてね」
「おぅ……」
暗い森をサクサクと進んで、すぐにゲンセンの姿は見えなくなった。彼もだいぶ場慣れしているので、夜の森で迷ったりはしないだろう。
火の番をするため、ゲンセンが座っていた場所へ代わる。
「………………」
小枝を火にくべて強さを調節していると、隣でもぞもぞと動く気配がした。
「…………ねぇ、ケイラン? 起きてるよね?」
「………………………………なんだ、ルゥク?」
毛布から顔の上半分だけ覗かせ、ケイランはブスッとした様子で返事をしてくる。
彼女はここしばらく、僕に対してこんな感じだ。
「…………まだあの事で怒ってるの?」
「何の話だ…………怒ることはない」
何の……と言った割には即答である。
「お前が私を謀るのは、いつものことだ……」
「謀るって…………別に、君を騙していた訳じゃないだろ。ただ、言う機会がなかっただけで…………」
「……………………」
ごろん……と、彼女は無言で僕に背を向けた。
これはいつもと違う怒り方だと痛感する。
…………参ったなぁ……。
僕はため息をついて、昨日の出来事を思い浮かべた。
………………………………
………………
――――――前日。
とある町の飯屋にて。
「……さて、役所で証明ももらったし……」
僕は役所から手渡された“訪問証明書”と呼ばれるものを、丁寧に畳んで仕舞う。
ちょうど運ばれてきた、茸と山菜の蕎麦のどんぶりを引き寄せてすすっていると、向かいのコウリンが腕組みをして僕を見ていた。
「それを各地でもらっていくわけなのね?」
「うん。そうだよ」
「なんか、面倒くせぇな……」
コウリンとゲンセンは「ふーん」という感じで、特に表情も変えずに聞いていた。
ここまでの道中で僕が“術喰いの術師”であることと、『影』の仕事を辞めようとして『国家反逆罪』で“死刑命令”が下っていることは、ゲンセンとコウリンには詳しく話している。
二人は全部話しても何も言ってはこなかった。
そりゃ……あれだけ巻き込んだら驚かないよね。
コウリンは饅頭を食べながら、今度は僕から取り上げた地図を広げて見ている。隣のケイランは茶を淹れてコウリンに説明していた
「仕方ない。決められた場所を全て訪問しないと、ルゥクは処刑場へ入れないことになっている」
「全部? ははぁ……これは相当かかるわねぇ……」
「うん。全部効率良く回っても、何ヵ月も掛かるねぇ」
そうなのだ。国中をぐるぐる回って集めていく。
「……えっと、次に近い場所は…………とりあえず、早く食事を済ませて出発しないとな」
「…………う~ん……次の場所ねぇ……」
ケイランは地図が汚れないように横に避けた。コウリンは卓に置かれた地図に目を落として、眉間に深いシワを寄せている。食事中なのに気もそぞろのコウリンに、隣のゲンセンが呆れたように声を掛けた。
「おい、早く飯食え。昼前に準備して出ないと、今日中に目的の地点までいけないぞ?」
「分かってるわよ。でもさぁ…………何で、刑場まで急ぐの?」
「…………え?」
コウリンの口から発せられた言葉に、真っ先にケイランが動きを止めた。粥の椀を手に目を見開いている。
「いや……でも、任務が…………」
「だから何で? ルゥクを殺したくないなら、刑場にまっすぐ向かわなくてもいいんじゃないの?」
「うぐ…………いや、それは決まり…………が?」
チラッとケイランは僕の方を見る。
「決まり、だよな?」
「別に? 決まってないよ」
「…………へ?」
「だって国は僕のこと、真面目に処刑する気ないもん」
国は簡単には死なず、永いこと国の裏側を知っている僕を手放すつもりはない。
できれば死ぬことを諦めさせて、ずっと『飼って』いたいはずなのだ。
そのため、僕の情報を余計な貴族や商人に流し襲わせる。小悪党をあぶり出すのにも使われていると言ってもいい。
三杯目の蕎麦を食べ終わった時、みんなを見回すとゲンセンとコウリンが地図を広げて質問してくる。
「なぁ、この旅は遠回りしてもいいのか? ルゥクの“術喰い”を落とす方法も探しているんだろ?」
「そうしたら時間稼ぎできるじゃない。それとも、次の指定場所に行くまでに日数とか決まっているの?」
同行しているこの二人も、特に旅を急いではいない。
ゲンセンは身内の敵を取るため、僕を狙ってくる『ゴウラ』を待っているし、コウリンはケイランと仲良くしたいので少しでも一緒に旅をしたいのだ。
そう…………この旅に期限はない。
「少しくらいは寄り道もいいはずだよ。国を出たり、あまりにも指定の地点に行かなければ、他の『影』が追ってくるかもしれないけど。基本的には特に期限は決められてないから…………」
強いて不利なことをあげれば、指定場所で“訪問証明書”をもらう時に、国から給料と一緒に路銀が支給されるので、引き延ばせばその間は旅の資金が減る一方になるということ……だけだ。
そこまで言った時、ケイランが黙ってこちらを睨んでいるのに気付いた。
「ケイラン、どうしたの? 黙り込んで……」
「……聞いてないぞ。刑場までの期限がないこと」
「言ってないもん」
ケイランが息を吸う。
「じゃあ、なにか。私は馬鹿正直に処刑場まで…………お前を死なせるために効率良く進もうとしていたというのか?」
「まぁ……そうなる、かな? でも、君は任務を守っているんだから…………」
「…………………………………………」
たっぷりの間のあと、ケイランが怖い顔でさらに僕を睨み付けた。
「お前は……私のこと、なんだと思って…………」
「え?」
「――――――もういいっ……!」
思わず立ち上がってしまいそうになったケイランは、一瞬だけ泣きそうな顔をして静かに椅子に座り直す。
「…………………………」
そこからは食事が終わるまで無言であった。
完全に僕に対して怒っている。
ゲンセンとコウリンはもの言いたげに、僕たちを横目で伺っている。二人とも「お前のせいだから」と目で僕を責めているのが分かった。
…………責められても困る。
ここから、彼女は僕に最高に無愛想な態度をとっているのだ。丸一日経っても機嫌を直してはくれない。
…………………………
………………
現在。
たくさん小枝を拾っているのか、ゲンセンが戻ってこない。
コウリンは一度も起きずにぐっすり寝ている。
しばらくすると、怒りながらも睡魔に勝てなかったケイランの寝息が聞こえてきた。
「…………ふぅ……」
思わずついたため息と共に、可笑しさが込み上げて口の端が上がる。
寝息が聞こえるくらい近くにいる。
僕はこの娘とは距離を取らねばならないのに。
――――――私のこと、なんだと思って…………
最近、思い出話に絆されてしまっていた。すっかり彼女の隣で“普通の旅人”というぬるま湯に浸かってしまっている。
君は兵士で、僕は囚人。
君が僕を生かそうとしても、それが僕にとっては死よりも辛いものになるんだ。
僕が生きることは、誰かの死を招くものだから。
“術喰いの呪い”は解けないと思った方がいい。
もし、呪いを解くことがこの娘を傷付けるものなら、僕は死ぬことを選ぶ。
それが、最初の目的なんだから…………そう自分に言い聞かせてみる。
「君のことは…………」
“処刑場へ入るための通行証”
いっそ無感情に割り切れたら良かったのに。
その時、すっかり寝付いたケイランが、こちらへコロリと寝返りを打ってくる。
「くー…………」
「……………………」
頭では一生懸命に死を考えているのに、僕の目は彼女の平和そうな寝顔しか映してなかった。




