夢現<ゆめうつつ>の境界 二
――――――十年前。
ハクロの屋敷、客間。
「…………ルゥク、あんたがあの娘に術を与えたな? あの顔のアザは生まれつきじゃないな?」
「うん、まぁ…………」
まるで尋問である。
先ほどから卓の向い側に座った、ハクロの目つきが恐ろしいほど険しい。
客間の戸が開いているので、使用人が何度か往復していくのが見えた。手に持っているのは、水差しや盆に乗せた汁物、苦い香りを漂わせる漢方など。
「この辺の医者にはだいたい診せたが、今日明日にも熱が下がらないようなら、回復は諦めろと言われた……」
「そんな……」
「普通の症状じゃない。どうしてこんな小さな子が苦しまなきゃならん?」
明らかにハクロは僕を責めている。
何の躊躇もない「あの娘が死んだらお前のせいだ」と、言わんばかりの怒りを含んだ声色だ。
「術は? 付与しただけだな?」
「そうだよ。付与だけ。強化はしないどころか、少し弱めに与えたよ。その方がすぐに使えると…………」
僕は彼女に『術』を与えた。
本来、術を身に付ければ、肉体の強化や補助などにもなり、術師は普通の人間よりも丈夫になるはずなのだ。確かに多少具合いが悪くなる者もいたのだが、ここまで倒れることはなかった。
それなのに、術師になった彼女は死にかけている。
「……………………」
僕は頭の中でぐるぐると考え、それでも分からずに困惑した。そんな気持ちが態度に出たのか、ハクロが僕を見てため息をつく。
「何でこうなったのか分からない……って顔をしているな。それなら、ちぃっとばかし頑丈なあんたにも解るように、一から説明してやろう」
胸の前で腕を組み、ハクロは冷酷なまでの静かな表情で僕を睨んだ。
「……あんたは“不死”だ。その自覚はあるよな?」
「そりゃ……一応……」
「そして、あんたの血は与えられれば、術の付与、強化、回復……それも、今にも死にそうな奴さえ全快するという、とんでもなく強力なものだ。中には血の味が忘れられずに襲ってくるという、危険な薬物にも似た作用もありやがる。解るな?」
「わ、解るよ。いちいち確認するな」
再び大きくため息をつくハクロ。片手で額を押さえる。
彼の額の真ん中には翼の形に近いアザがあった。
「俺があんたに術を貰ったのは、たしか13才の時だったか……これのおかげで、身寄りもなく独学で術を学んでた俺が、軍に所属できた上、将軍にもなって、綺麗な嫁さんまで貰ったわけだ」
「将軍に上り詰めたことと、ジュカのことは君の行動の賜物だけどね。僕は手出ししてないし」
「茶化すな。俺が言いたいのは、付与された年齢と俺の体の丈夫さだ。あの娘、七つくらいだよな? 体も小さいし、あんなに痩せているんだぞ? 解るな?」
「解る……つもりだけど……」
「いいや、解ってねぇな! 急に与えられた力ってのは諸刃の刃だ。しかもそれを持たせたのが、幼くか弱い女の子ときた。あんたの血に耐えられるかどうか、ちゃんと考えて与えたのかってことだ!?」
「……いや…………」
「人間ってのは、あんたが思うよりも“生き死に”が個人で違うもんなんだよ!」
「……………………うん」
正直、この年になってハクロに説教されることになるとは思わなかった。でも、やはりこれは僕の体力や気力の目測誤りだ。
あの苦しそうに寝台に横たわっている姿をみたら、何の言い訳もできない。
「こんなことで死にかけるなんて思わなかった。悪気はなかったんだ」……なんて口走ろうものなら、ハクロは本気で僕を殴り飛ばすだろう。
……こいつ、全力出したら僕を殺せるくらいは強くなったもんなぁ。
そんなことより、ケイランの様子が気になった。
「ハクロ、僕もあの娘の……ケイランの看病を手伝ってもいい?」
「あぁ、もちろんだ。あんたには少し、弱い人間を知ることを勧める。ただし、札や血の力は使うな。体にこれ以上負担を掛けたら死ぬからな」
「わかった……」
寝室へ行き、やつれたジュカに代わって、ケイランの様子を見ることになった。
ジュカや使用人から、薬草の飲ませた時間などを聞いて看病を引き継いだ。
そして、ここからはひたすら普通の看病をする。
彼女に直接術が駄目なら、熱冷ましの札も使えない。なので、たらいに入った水を術で凍らせて使用することにした。
かなり熱が高い。僕は久し振りに熱というものを感じる。
氷水で冷やした手拭いを額に置き、汗を丁寧に拭いてやった。
「……これが続いたら、君は死ぬのか」
こんな当たり前のことを忘れるくらいに、僕は人間から離れてしまっていたのだ。
初めて会った時、この子はハキハキ喋っていたのでか弱い印象がなかった。しかし今、改めて彼女を見ると、普通の子供より一回り小さく細い。
そういえば、貧しい農村の出身だと言っていた。口減らしに人買いに売られたとも。
商人の屋敷に幽閉されていた時、食べ物には困らなかっただろうけど、健康的な生活を送ったとは思えない。
――――『私は大人になったらお母さんたちに会いに行くんだ。ちゃんと生きていけたって伝えに行くの』
自分を売った実の親をほとんど恨まず、彼女が言ったことが頭の中で響いている。
「…………会いに行くなら、死んじゃダメだよ」
ここを乗り切って体も良くなれば、きっとこの子は自分の生まれた村を知りたいと言うだろう。
その時は、僕が出身地を探してあげてもいいかもしれない。ついでに彼女の親の顔を見てやろうと思う。
「…………ん?」
汗を拭いていると、彼女の枕の下に何か挟まっているのに気が付いた。
「これ…………」
それは板の札である。しかも、僕が使っているものだ。
どうやら屋敷で拾われていたらしい。間違って気力を込めずに落としたものだろう。持っていても何も起こらないし、今はただ、綺麗な模様のある板だ。
「…………」
少し札を見つめた後、僕はそれを枕の下へ戻す。
本当なら回収するのだが、何となく取り上げてしまうのが躊躇われた。これは、ケイランの唯一の持ち物だから。
看病を初めて丸一日が経つ頃。
奇跡的に熱が下がってきて、ケイランの容態も安定してきた。
彼女の意識が戻る前に、僕は再びジュカと代わり部屋を出る。
そっと廊下を歩いていると、玄関の近くにハクロが立っていた。
「あの子に顔は見せないでいいのか?」
「見せたらきっと、僕があの時会った『影』だってバレるよ」
もし、会うことがあるなら、もっとずっと後。
彼女から僕の記憶が薄れた頃に。
できれば、すっかり忘れてしまうことを願う。
「そうか。それと、ジュカとも話したんだが、あの子はうちで引き取ることにした。あいつ、すっかり情が移ってしまってな……前から、娘が欲しいって言っていたし」
「……そう、そんなオチだと思ったよ」
何日もつきっきりなら当たり前だよね。
僕がケイランと話した時の様子も教えていたから、ジュカはその話だけでも彼女が気に入っていたという。
「せっかくだし、もう少しゆっくりしていっても良いんだぞ?」
「そういう訳にも……あ、そうだ。ねぇ、ハクロ」
「うん? なんだ?」
「ちょっとお願いがあるんだけど……」
屋敷の中庭が見える部屋。
ハクロと僕をよく知る使用人だけがここにいる。
「散髪するって…………何で俺?」
「いいの。はい、鋏入れて」
僕の髪の毛は長い。腰まである。
それを今、思いきって切ることにした。
ハクロに鉄製の散髪鋏を渡して椅子に腰掛ける。
「いや……でも、他人の髪の毛を切るのは、難しそうで…………」
「別に坊主にしろとは言ってない。肩くらいでバッサリやってもらえば……」
僕の言葉に、ハクロは苦いもの噛んだような顔をしてボソリと呟く。
「いっそ、坊主の方が楽なんだが…………」
「肩 ま で!! 一太刀だけでいいから!!」
危ない。こいつ不器用なうえに大雑把だった。
ハクロにはちょっとだけ切らせて、あとは使用人に切り揃えてもらおう。
何で自分でやらないかというと、これはけじめをつける『儀式』なのだ。そのまま断髪ってやつだね。
――――『あなたの髪の毛もとても綺麗だった。次に会ったら明るい所でちゃんと見せてね』
ケイランには、この長い髪を覚えられている。
少しでも切ってしまえば、まともに顔を見ていなかった僕のことを、すぐに見付けたりはできないだろう。
…………じゃあ、何で札を置いてきた?
そう考えた時、内心寂しく思った。
髪を切ってまで忘れてほしいと思いながらも、置いてきた札を見て時々思い出してほしい気持ちもある。
「……僕も……面倒臭い奴になったなぁ」
「ん? 何の話だ」
「いや、こっちのこと」
髪の一束が持ち上げられ、じゃりっという振動と共に、もやもやとした頭が少し軽くなった。
………………
…………………………
そして現在、看病されているのが僕の方になっている。
僕の顔を拭くケイランの手は傷だらけで、気力切れもあって顔色も良くない。一晩中、僕の様子も看ていて寝てもいないはずだ。
「ケイラン、腕とか……怪我が…………」
他にも多数……。
「ん? あぁ、たいしたことない。これくらいなら、薬を塗っておけば大丈夫だ」
「………………」
彼女もけっこう大雑把な面がある。血が繋がっていないのに、こういうところがハクロと似ているかもしれない。
女の子なんだから、もう少し自分の体のことを考えてよ。僕のことなんて放っておいていいから…………
寝かせておくだけで僕は回復はする。君と違って、熱が下がらなくても死んだりしない。ちょっと苦しいだけ。
「……ない……と……」
それよりも君の体を治さないと……
「え? 何だ?」
今なら『血の力』を使っても平気だろう。
でも手元に刃物とか無いから……簡単でいいか。
それなら、もっとケイランに近付いてもらわないといけない。
僕は体をやっと起こし、ケイランの襟元を掴んで引き寄せた。
++++++++++++++++++++
「………………と……」
ルゥクが何か言いかけたので、わたしは少し頭を下げて顔を近付けた。体も起こそうとしているので、何事かと慌ててしまった。
「え? 何だ?」
ぐぃっと、急に胸ぐらを掴まれ引っ張られる。
その力でわたしは体ごと下へ――――
――――な!? 倒れる!?
「ルゥ…………――――っ!?」
「……………………」
………………………………。
一瞬、理解が遅れた。
ルゥクの顔が、ものすごく…………近い。
いや……近いのではなく、完全にぶつかっている。
…………お互いの“唇”が。
「……………………」
しばらくした後、掴んでいた手と近すぎる顔が離れ、わたしはやっと解放された。
わたしはその場に硬直し、ルゥクは布団に静かに沈んでいる。
「…………え? あ、あれ……? え…………?」
自分でも何をしていいのか分からなかった。
今の…………
「っっっ!! ル……ルゥク……っ!?」
急に我に返ってルゥクを見ると、
「くか――――――――っ」
あああっ!? 気持ちよく寝ているんじゃないっ!!
「今っ、お前……起き……っ……!!!!」
起こそうと顔を見たとき、ルゥクの唇の端が切れて血が出ていることに気付く。
「…………あ」
自分の唇にも血が付いていた。
しゅうっ…………
体からちょっとだけ、湯気のようなものが出てきたのを見て、わたしは全てを理解する。
「回復の力…………だった……」
…………やり方が……他になかったのか?
すっかり体から傷や痛みが消えたのに、わたしの顔からはしばらく熱が引かなかった。




