夢現<ゆめうつつ>の境界 一
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
今回ルゥク視点です。
――――早く、ケイランのところへ向かわないと。
気ばかりが焦って、僕は領主の屋敷でフブキや化け物と向き合っていた時。
懐にしまってある、ケイランたちの場所が分かる札に気力を込めてみる。すると、近くにいるらしく札は仄かに熱を発した。
ゴウラがケイランと接触しているらしい。
でも、おそらくホムラも駆け付けるだろうしカガリも行った。近くにユエもいれば、ゲンセンも戦うから時間稼ぎにはなる。
大丈夫、こいつらの首を落としてすぐに僕も向かえば…………
しかし、僕の考えは少し甘かったのだ。
フブキに加え、目の前には『妖鬼』の二体目も現れた。さらに、ケイランのところにも化け物が一体、ゴウラにくっついて行ってしまっているらしい。
「ククク……フヒャヒャヒャッ!! 楽しいなぁ、ルゥク!! ここは大人しく、お嬢様からの『贈り物』を受け取った方が早く済むぞ!?」
「…………ふざけるな、この変質者ども。この『贈り物』とやらは、倍以上にしてお前らの体に叩き返してやるよ」
体裁を繕わなくなったフブキの笑い声が癪に触った。でも、それ以上に僕にも余裕は無くなっていく。
本当は使わずに済めば良かったのだけど……
『魂喰いの実』に憑かれて化け物になった者は、打撃や斬撃でも倒せるには倒せる。しかし確実に首を落とすか、何度も致命傷を与えるなど二重三重に畳み掛けないと、なかなか倒れないのだ。
そんなのとまともに正面からぶつかれば、体力や精神力、気力の消耗が激しい上に、時間も掛かり油断も誘い易い。
おそらくケイランの霊影の術では、そこまで重い攻撃を連続では使えない。彼女の気力の底もある。
だから、僕も形振り構ってはいられないのだ。
使うしかない…………“魂喰いの術”
簡単には死なない化け物を、短時間で完全に倒すにはこの術が必要だった。悔しいが、一度ゴウラの『贈り物』とやらを受け取らないといけなくなる。
それなら、僕に贈ったこと……後悔させてやりたい。しかしあの、人の話を聞かない女は、僕がこいつらの相手をしただけで喜ぶのだろうな。
半ば意地になっているのが分かった。
僕は両手に握っていた刀を左だけ納め、手袋を取って素手にしておく。
「さぁ、行ってこい!! 化け物ども!!」
「ぎゃああああっ!!」
「ぎぃいいいいいっ!!」
フブキの声で二体同時に僕へ飛び掛かってきた。
僕は右手の刀を後ろへ引き、左手を前へ突き出して――――
――――と、領主の屋敷で覚えているのはここまで。
次に記憶が繋がったのは、僕がゴウラを刀で滅多刺しにしていたところだった。
「やめろ、ルゥク!! 頼む、もう……もう、やめ……」
ケイランの声がすぐ近くで聞こえて、ほんの少し攻撃を緩めた時、刀身を目の前にいたフブキに押さえられた。
刀の切っ先には真っ赤に濡れたゴウラが笑っている。
それを見た途端に頭から血が引いて、僕は腰にしがみついているケイランごと後退した。
よく見るとフブキの肩から胸に、ばっさりと斬られた痕があったので、たぶんこれ以上は戦わないと思う。
ゴウラがフブキと愉しそうに会話をしているのを、倒れそうになりながら眺めた。その間に体がどんどん冷えて、息苦しさが襲ってくる。
「……ルゥク、大丈夫か!?」
ケイランが僕を支えながら呼び掛けてくることに安心して、危うく意識を失いそうになった。
頭痛と吐き気がものすごい。
ぼんやりしているうちに、ゴウラとフブキが去り、周りが静かになる。しかし僕が来るまでに、ケイランたちはかなりの痛手を受けていたようだ。
コウリンとカガリは無事だったようだけど、ユエが死亡し、ホムラは重傷。雷に撃たれたように、黒焦げになって倒れているゲンセンはもはや虫の息だった。
「……ケイラン、ちょっと……ゲンセンの近くに、寄って…………」
「あ……あぁ、分かった……」
死んでいないのならば…………治す。
十年前までの僕なら、きっとゲンセンを死なせただろう。
でも、生きていたのだからと、死なせることが無性に惜しくなった。
…………また、安酒のことで馬鹿話がしたいな。
ふと、そう思ってしまったのだ。
だからケイランの腕を借りて、滑るように彼の横に座り込む。
腕…………いや、首の血管の血流量くらいじゃないと足りないか…………
“不死”の血はどんな者でも治せる。
かつて師匠が瀕死の僕にしたように。
流した血と共に少しだけ気力が抜けたのか、首の痛みが勝って吐き気と頭痛が和らいだ。ついでにホムラにも力を使ったら、完全に力が抜けて意識を放棄した。
……………………
…………。
薄く目を開けると、どうやら僕は布団に寝かされている。
「お前とは十年の付き合いなのに……」
ぼんやりとした頭に、ケイランの声が聞こえた。
「……狡いぞ。十年間、隠れて見ていたなんて」
下を向いて、正座した膝の上で拳を握っている彼女は、何時もよりも声が震えているように感じる。
…………あぁ、やっぱりケイランには、何事も黙っていたら怒るんだな。気にしなければいいのに。
僕の頬に彼女の指が触れている。
また気力切れのせいなのか、指先はひんやりと冷たい。
「君には……僕と関わってほしくなかった……」
そうだよ。僕に関わるとろくな目に会わない。
「なのに……兵士なんかになって…………」
何故か可笑しい気分になって、ちょっと笑いながら言ったと思う。頭が上手く働かないから、表情を作るのも億劫になっている。
「大丈夫なのか!? 何か……水とか飲むか?」
「……大丈夫だよ。ほっとけば治るから」
「いや……でも……熱もあるし…………」
「…………忘れないでよ。僕は“不死”だよ」
ぐぅっと、ケイランが顔をしかめた。
眉間にシワを寄せてこちらをじっと見る。
「また……何か聞きたいことがある、の?」
「話していても、体は平気なのか?」
「うん……気が紛れてちょうどいい……」
僕の言葉に、ケイランは少し不機嫌そうに口を結んだ。
拗ねた顔も可愛い。
こういう彼女を見るのも久しぶりに思える。
「以前、父上と……父のハクロとは親しくはしていないと言っていたのは…………嘘、なんだな?」
「…………何で?」
「ゴウラが言っていた。お前が屋敷に出入りしていた……と」
「あの女の言うこと、信じるの?」
ケイランはじっと僕の目を見つめて、困った小動物のような顔をしていた。
「…………違う。お前が本当のことを言うなら、どんなことでもお前を信じる。十年の間、父の所へ来て私のことも見ていたんだな?」
じーっ。
返答待ちの潤んだ瞳が必死に見てくる。
この子……今までよく男に襲われなかったな。
二人きりの部屋で、僕の体が何ともなかったら危なかっ………………いや、今はちゃんと答えよう。
息を整えて、なるべく淡々と語る。
「李元将軍……君の父上のハクロとは、六十年来の付き合いでお互いによく知っている…………ハクロの立場上、表では僕との繋がりは隠さないといけなかったけどね……」
「六十年…………」
さすがに驚いたようだ。
それでも僕は、そんな彼女に構わず話を続けた。
「……十年前のあの日、術を与えて倒れた君をハクロに預けた。あいつは真面目で、妻のジュカも面倒見のいい子だったから、君の引き取り手が見つかるまで、と。ほんの数日のつもりだった」
ケイランが元気になったら、良い里親を探してほしいと頼んだ。
術を与えられた反動で、あの時のケイランはぐったりとしていたが、普通の人間なら一日から三日もあれば元に戻るはずだ。
「そう……思っていたのに、一週間後に何となくハクロの屋敷へ行ったら……君は死にかけていた……」
「………………」
「君は何とか瀕死の状態からは持ち直したけど、その後も度々倒れていたよね」
「ああ、あの頃は体調の良い時に少しずつ、術の訓練をして……まともに霊影を操れるようになるまで二年掛かった。それ以外にも体力があまりなかったから、普通の小学に初めの頃は通えず、家に教師を呼んで勉強していたな……」
「知ってる……全部、見てた……」
「そうか……」
十歳から四年間入る小学を、ケイランは最後の一年間しか通えなかったことも知っている。
「その後……術師の訓練を本格的に始めて、それから士官学校に。今は……入隊一年が過ぎた辺りだったっけ?」
「本当に、全部見ていたのだな……」
「そうだね。君の好きな茶菓子持って行くくらいはね……」
「あぁ……そう……」
「驚かないね……?」
「そんなオチだと思っていた」
オチって…………喜劇じゃないんだから。
どうやら、今さら何を言っても驚く処がないらしい。
それならば、もう一つ。
僕は彼女に白状しなければならないことがある。
「あと……君に謝らなきゃいけないんだけど」
「何を?」
「僕は……君がハクロたちに引き取られたすぐ後、君の生まれ故郷の村を調べてそこへ行った……ハクロやジュカにも、調べてほしいと言われていたから…………」
「え…………?」
ケイランの出自を調べるのは簡単だった。
彼女を囲っていた豪商から、繋がりのあった人買いを辿っていけばいいだけだったからだ。
普通では調べられない経路だったけどね。
「でも……君の村はその時には……もう……」
「知っている。二年前に訪れたと言っただろう。私が売られてすぐ、飢饉と疫病で滅んだと聞いた。実際の村の跡地を目にするまでは信じられなかったが…………」
「ごめん。知っていたのに……すぐにはハクロたちに言えなかったんだ……」
「謝らなくていい。疫病が流行っていたのなら、私が行くわけにはいかなかっただろうから……」
「うん………………うっ……」
「ルゥク? どうした、大丈夫か?」
頷こうとした途端に再び頭痛が襲ってくる。目眩が酷くなってきて、思わず固く目を閉じた。額から汗が出て、意識が飛びそうになるのを必死で堪える。
「すごい汗だぞ……ちょっと待って……」
ペタペタと濡れた手拭いで顔を拭かれた。
ひんやりと心地良い。
これ…………あの時と逆だな……。
小さなケイランが、苦しそうに寝ていた時のことを思い出す。
『あの時』は札の術を使うことが許されず、根気よく汗を拭いたり薬を飲ませたりしたんだっけ…………。
拭かれている間、僕は大人しくしていたのだが、手拭いを持つケイランの手が傷だらけだということに気付く。
よく見ると、あちこちに擦り傷や切り傷がある。気力切れで顔色も悪いので、尚のこと気になってきてしまう。
「ケイラン、腕とか……怪我が…………」
「ん? あぁ、たいしたことない。これくらいなら、薬を塗っておけば大丈夫だ」
「……………………」
…………まったく。君って人は、変なところで大雑把なんだから。小さな傷でもこんなに有ったら、痕が残ったりするだろうに。
「……………………」
小言を言ってやろうと思ったのに上手く声が出ない。
仕方ないなぁ…………怪我と気力切れなら、使ってもいいかな?
「………………と……」
「え? 何だ?」
女の子なんだし、少しは気にしなよ……。
僕はケイランに近付くために、少しだけ体を起こし手を伸ばした。




