術喰いと魂喰い
「おい……ルゥク。大丈夫か?」
「……………………」
ゲンセンに血を与えたルゥクは、真っ青な顔をして微動だにせずに地面に座り込んでいた。自ら刀を突き立てた首の傷からは、まだ血が止まらずに流れていく。
「ルゥク……動けないなら支えるから……ほら、手を……」
「……………………」
目は開いているが、一点を見詰め続ける。
まるで、話したり動いたりするのを恐れている……そんな感じまで伝わってくるようだった。
呼び掛けているわたしの少し後ろで、回復したゲンセンとコウリンが黙って様子を見ている。
「……嬢ちゃん……すいやせん、ちょいと……退いてもらっても……いいで、やすか……?」
「……あ、あぁ」
カガリに支えられたホムラが、ルゥクの正面にしゃがみ顔を覗く。さすがに大怪我を負って余裕はないだろう。ホムラの口元からは何も読み取れない。
「旦那……その様子なら、あっしも貰いやす……」
「……………………」
ルゥクが微かに頷いたように見えた。
「じゃあ……失礼、しやす……」
ホムラはルゥクの襟元を掴むと、首の傷のある所へそっと口を近付ける。
「え!? な……ホムラ!?」
「きゃっ……ちょっと!?」
わたしとコウリンは思わず声を出してしまう。そんなわたしたちに、カガリは苦々しいような表情を向けてきた。
「……銀嬢も三つ編みも、黙って見てろです。あにさんは前もって、ルゥクさまに許可はもらっているです」
「……許可?」
「“血”の回復の力です……」
ホムラは今、ルゥクの血を……?
以前、ルゥクが死にかけた時に、ルゥクの師匠だった人が血の力で治した話を聞いたことがある。
今度はルゥクがゲンセンにそれを使い、ホムラも少し分けてもらっているのだ。
ホムラはすぐに、口の血を拭いながら立ち上がる。
それと同時に、ホムラの体から蒸気のようなものが上がり、その下にあった火傷や切り傷は跡形もない。
着物だけがボロボロになっているだけで、ホムラは完全に回復したようである。やはり、さっきのゲンセンと同じだ。
「ふぅ……いつまでも、こればっかりは慣れねぇでやすな……」
ホムラが呟いた時、地面に座っているルゥクの体がグラリと傾いた。
「ルゥク……!?」
倒れる寸前で抱き止める。
ルゥクは完全に意識を放棄していた。
「気絶している……大丈夫なのか、これ……うわっ……すごい熱……!」
旅を始めて一ヶ月以上だが、こんなに顔色を悪くして弱ったルゥクを、今まで見たことがない。
「ゴウラに無理やり『喰わせられた』せいでやすね……」
「喰わせられた?」
ホムラの口元が横にぎゅっと締まる。
「詳しい話は、旦那をここじゃない所へ……。あ、あと、大きい旦那」
「な、何だ?」
「体の痛みがもうないなら、そこの泥川でも何でも、顔や手それに特に口の中……『旦那の血』を流した方がいいでやすよ」
「へ……?」
「……あっしは毒や劇物には慣れてやすが、普通の人間は『旦那の血』がクセになってしまうことがあるんでさ…………そのせいで、助けた奴から何度か襲われたらしいでやすから……」
「う…………」
ホムラの言葉にゲンセンは慌てて、川の方へ向かって行った。
この日、わたしたちは日が落ちる前にこの場を離れた。
気を失っているルゥクをホムラが背負い、ゲンセンの家に戻る。
家へ戻る途中、ゲンセンはユエの亡骸を近くの寺へ託し、後日、手厚く葬ってもらうことになった。防御の術が得意だったカガリのおかげで、コウリンの無事はもちろん、ユエもキズつかずに守られたのだ。
「……ルゥクが良くなるまで、いくらでも家を使ってくれて構わない」
そう言って、一晩中、家の縁側に独りで座っているゲンセンに、わたしもコウリンも声を掛けることができなかった。
色々な事が起きすぎた日が終わり、夜が明けてから全員少し落ち着いてきた頃。
「何で、こうなったのか……知っているんだな?」
ルゥクは布団で寝かせている。首の傷はすでに血が止まっていたが、念のため普通に手当てをしておいた。
たまに汗を拭いてやりながら、わたしは部屋の隅で壁にもたれているホムラに話し掛けた。
コウリンはゲンセンのいる縁側の近くに座って、わたしやルゥクから距離をとって黙ってこちらを見ている。一応、巻き込まれた身としては、話だけは聞いておきたいようだ。
ホムラは自分の横にぴったりと付いて座っている、カガリの方へ顔を向ける。
「……カガリ、手前が旦那を最後に見た時は“化け物”は何体でやしたか?」
「一体だけ。でも、領主が“妖鬼”になる前に、変な死体が屋敷内に散らばってたから、他にもいたかもしれない……です」
「じゃあ、二体でやすね。一体だけじゃ、旦那はここまで酷くならねぇでさ……」
保護眼鏡でホムラの視線はよく分からないが、ルゥクの方を見てため息をついている。
カガリからルゥクと離れる前に起きたことをおおまかに聞く。
「私たちが戦った化け物も、“魂喰いの実”に憑かれた者だと思う。ゴウラがそれを作って、領主はさらにその上の化け物にされて、それとルゥクが戦った……で、いいのか?」
作り方の違いか、人間の質かは分からないが、ゴウラが作った『化け物』の種類は何体かいる。
単なる死人か、妖鬼か、それとも“実”を蓄える化け物か。
奴らは明らかに動きや役割が違っていた。それこそ、ムツデのように人間らしいのもいたからだ。
「実はあっしも、細かいことは話してもらえてねぇんですが……嬢ちゃんは、旦那の“不老不死の基”が何か気付きやしたか?」
「たぶん……言い難いことだけど、“ルゥクの術喰い”と“実の化け物”は……根本的に『同じ』なんだと思う」
ルゥクはだいぶ普通の人間に見える。
でも、能力は同じところだ。
術師から術を喰う。
人間や化け物から生命を喰う。
解り易く言うと、ルゥクは“術喰い”も“魂喰い”も使える術師。相手の気力や生命力を『喰う』力だと思う。
「ルゥクの旦那は“実の化け物”の命を、根こそぎ奪うことができやす。あっしらも目の前で見たことありやせんが……。だからこそ、国はゴウラみたいな奴に、旦那をぶつけさせているんで……」
普通の人間では手に負えないから、通行証を盾にとってまでルゥクに戦わせる。
「カガリは? 術を見たことは?」
「あちはない。あにさんが見たことないなら……誰もルゥクさまの“魂喰いの術”は見たことないと思うです……」
「魂喰いの術で奪った命がそのまま『不死』の素になるんだな?」
「「………………」」
二人とも俯いて黙ってしまった。
…………おそらく、当たっている。二人はルゥクに関して勝手に言わないのだろうから、沈黙とは図星だということ。
これが“不死”の正体なのか……?
ゴウラがルゥクを生かす為にしたこと。
つまり、わざわざ魂喰いの化け物を作って育てて……ルゥクに魂喰いの術で『喰わせた』のだ。
無理やり喰わせられた……というのは、不死を望まないルゥクは、わざと化け物と戦わせられ魂喰いを使わなければならない状況にさせられた……と思っていい。
そうすれば、ルゥクはまたその分生きていける、そういうことだったのだろう。
普通の人間よりも長く、強い存在として生かす。
しかし、ただ化け物を倒せる能力なら、そんなに悲観することではないのでは……?
ふと、こんな考えが浮かんだ。
「ルゥクが使っている『術喰いの術』と何が違う? 同じなのなら、この力だって単なる相手を倒す術の一つとして…………」
「嬢ちゃん……これ以上は、旦那に聞いてほしいでやす」
「…………ルゥクさま、あの時も『見られたくない』って言っていたです。手伝うことも許してくれなかったです……魂喰いは……使いたくないんだと…………」
「そう、か…………」
言葉を濁す二人に、わたしもそれ以上は聞けない。
わたしの側で、ルゥクは苦しそうに眠っている。きっと、わたしにはまだ言えない事が、こいつには山のようにあるのかもしれない。
「ルゥクはこのまま寝かせていて大丈夫なのか?」
「前にも、旦那のこの状態を見たことがありやして…………旦那は今『気力過多』でさ。『気』が抜けるまで寝かせておいてくだせぇ」
気力過多? つまり、気力切れとは真逆で動けなくなっているのか。
「理屈としては……気力を出せばいいはずなのです。でも、無理に術を使って、余計に寝込んだことがあったです…………」
無理に限界を超えた気力が入っているためなのか、さらに無理に気術を使うと、体と気力の均衡が保てなくなるのだ。
カガリもその場に居合わせたことがあったらしい。
何を思い出したか、大きな瞳に涙を溜めて泣くのを堪えている。
ホムラもカガリも、何かしらルゥクの事情を分かっているみたいだ。
――――“たった十年のケイランちゃんが、横から入って全部持っていったんだよ”
不意に、ゴウラの言葉を思い出して、何故か悲しいような気分になる。
「あの……嬢ちゃん。あっしは一度、自分の『隠れ家』に行って着替えてきやす。明日の昼には、この家の近くまで戻りやすので、旦那が寝てる間は移動は控えてくだせぇ」
ホムラが徐に立ち上がり、申し訳なさそうに言ってきた。
怪我こそは治ったが、ホムラの着物はあちこちボロボロ。当たり前だ『雷光』の雷を受けたのだから。
でも、頭巾と保護眼鏡が壊れてない。あんな中でも顔を隠せているのがすごいなと思ってしまう。
「カガリ。悪ぃが『タキ姐』に今の状況を伝えて、余計な奴に干渉される前に、近くまで来てもらえるように頼んでおいてくれねぇか?」
「……あい、あにさん。いってくるです」
カガリはすぐに立ち上がって、近くの戸から素早く出ていった。
「……タキねえ?」
「あっしの姉弟子でさ。いつもは旦那の周りに、あっしとカガリ、それとタキ姐の三人がいるでやす。今はちと使いで近くにいやせんでしたが……」
意外に多いな……ルゥクの弟子。
さっきから、後ろでコウリンが腑に落ちないような、不機嫌な表情で口をへの字に曲げている。
ついこの間だが、一応コウリンもルゥクに弟子入りしていたんだっけ……。タメ口で遠慮もなかったから忘れていたが。
そこからすぐに、ホムラも外へ出ていった。
それを見て、コウリンが静かに家中の雨戸を開ける。
「…………ねぇ、ケイラン。あんた、熱冷ましの札くらいは使えるわよね? それとも、気力はまだ回復してない?」
「いや、札を使うくらいなら大丈夫……何かあったのか?」
「うん……アタシちょっとゲンセンと買い物に行ってくる」
「「えっ?」」
わたしの驚いた声に、ゲンセンの声が重なった。
「ここから一番近い市場ってどこ? 分かんないから案内してよ。みんなのご飯、作ってあげなきゃ!」
「いや……その、俺は…………」
ゲンセンは明らかに困っている。
「人間、動けるなら動いて、食べて休むのが基本よ。アタシは医者だから、不健康にされるのは嫌なの。ほら、行くよ! あんたは地蔵じゃないんだから!」
「………………」
コウリンはわざとゲンセンを動かしているのだ。
昨日からずっと動かず、休んでもいないから。たぶん、ゲンセンにもそんな彼女の遠回しな気遣いが伝わったと思う。
「分かったよ、案内する。荷物持ちくらいすればいいんだな?」
「うん、お願い。じゃ、ルゥクのことは任せるわね」
「あぁ、気をつけて…………」
コウリンとゲンセンも出掛けたので、家にはわたしとルゥクだけが残された。
しぃん……と静まり返った中で、ルゥクの浅い呼吸が聞こえてくる。
コウリンにもらった熱冷ましの札を早速使い、額の手拭いを冷たいものに取り替える。
ルゥクの頬に触れながらポツリとこぼす。
「お前とは十年の付き合いなのに……」
でも――――
ゴウラは五十年、ルゥクを見てきたと言っていた。
ホムラやカガリは常にルゥクの手助けをして、わたしなんかよりずっと側にいたのかもしれない。
それで? わたしは?
呪いを解いてやりたいと思うのに、ルゥクのことを何も知らないのだ。
ゴウラの話が本当なら、ルゥクはわたしのことを知っていた。こっそり家に出入りして父に会っておきながら、十年もわたしとは会わずに何も言ってこなかった。
「……狡いぞ。十年間、隠れて見ていたなんて」
下を向きながら、思わず口から不満が出る。
「君には……僕と関わってほしくなかった……」
「え?」
「なのに……兵士なんかになって…………」
「ルゥク!?」
驚いて顔を上げると、弱々しい声の主は苦笑いしながら、わたしの目をしっかり見ていた。




