横恋慕
※残酷表現があります。ご注意ください。
ゲンセンはムツデの拘束から逃れようと藻掻いたが、どういうことか奴はびくともしない。
「くそっ……お前はさっき、俺とユエが止めを刺したはずだ! 動けるわけが……!!」
「…………動いているがな?」
黒い頭巾の隙間から、血塗れの口元がニィッと笑うのが見えた。
「おれがその辺の『普通の人間』だと思ったか?」
「なっ!?」
ほぼ全身を黒い布で覆われているムツデは、自らの首もとの布をいとも簡単に引きちぎる。
首には何か血管が浮き出たような皮膚が覗き、そこには胡桃のようなものが付いている。それは殻の隙間から目玉が、ギョロギョロと辺りを見回していた。
「魂喰いの実……」
実に取り憑かれながらも、自我を保っている。
「さぁ! ゴウラお嬢様、こいつの処刑を!!」
「ムツデ、そいつ放さないでね。きゃはは!」
どうやら、ゴウラは爆発を起こしたりユエに化けたりして、ムツデが回復するのをまっていたようだ。
「は、放せ!! 卑怯なっ……!!」
「え? だって、ボクは受けてたつとは言ったけど、ボクが一人で戦うとは言ってないよ?」
「この……!!」
「あぁ、そうだ。どうせなら完璧にしないと、ねぇ?」
ユエの姿のゴウラは、羽交い締めにあっているゲンセンを愉快そうに見つめる。
「ゲンセン!! 今、助け……」
許せん、あいつら!!
わたしは地面から体を起こして、霊影に全身の有るだけの気力を注ぐ。
ムツデがゲンセンを捕まえているなら、ゴウラだけでも叩き伏せて…………
その時、ゴウラがさっきから持っていた魂喰いの実を掲げる。そしてそれを口に運び、思い切り噛み砕くのが見えた。
「あ……」
その光景が、いつか見たルゥクの姿に重なる。
あの時のルゥクは、黒い札を口の端に咥えて噛みきっていた。
「あれは……」
あの動作は、まさか。
ユエの顔を狂喜に歪ませて、片手を高々と掲げ…………その手の甲には、見たことのある“アザ”が浮かぶ。
ビリッ……!!
周囲の風が弾けたと思った瞬間、
「下れ!! 『雷光』!!」
――――――それは、ユエさんの……!?
激しい光の柱が辺りを飲み込む。
音はしたと思うが、体に受けた衝撃の方が強くて聞き取れなかった。
ざわぁ…………
――――――…………風の音だ。
「う…………」
たぶん、わたしが意識を飛ばしたのほんの少しだったはずだ。
それなのに、周りには地面と煙以外はほとんどない。
風景が一変していた。
地面は平らにならされ、草木も凪ぎ払われている。
木々で見えなかったはずの川も、すぐ近くを流れているのが分かった。ただし、土砂崩れが起きて所々塞き止められているあげくに、川魚が何匹も浮かんでいるようだが。
ゲンセンは? コウリンやカガリは?
見通しが良くなったはずなのに、離れていた三人の姿が見当たらない。
倒れている自分の体に痺れはあるが、先ほどのゴウラの毒針ほどではないので、上体を起こそうと試みた。
あれ、重い…………?
「え……?」
わたしは咄嗟に霊影で周りを囲って防御したつもりだったのだが、どうやらそれだけでは助からないと判断されたようだ。
ホムラが完全にわたしを庇う形で、上に倒れていたのだ。
「ホ……ホムラ!? おいっ……!!」
「………………嬢ちゃ……無事でやす……か?」
ゴホッと噎せたホムラの口から血の塊が吐き出される。
何とか体を起こして見えたのは、着物がズタズタに裂け、焼けただれたホムラの背中だった。
「だ……大丈夫で、やす……直撃じゃ……ありや、せんし……」
「ホムラ……でも、これ…………うぁ……」
ホムラを起こそうとして体を掴むと、ヌルっと粘度の高い血が手の平にまとわりついた。
わたしはコウリンのように医術に明るい訳ではないが、ホムラの怪我が相当なものだと一目で判ってしまう。
何で皆、わたしのことを庇う?
ユエもホムラも……ルゥクだって、わたしを盾に取られて嫌なことを引き受けていると、カガリが言っていたじゃないか。
「残ったのは、私だけのわけ……」
広い荒れ地に、コウリンとカガリの姿を見付けることができない。
ホムラを横に寝かせ脚を引きずって立ち上がると、白い煙の中に変身を解いたゴウラが立っている。その足元には黒く煤けた大きな塊があった。
「…………そんな」
わたしとホムラがゴウラの『雷光』直撃を避けたのなら、それをまともに受けたのは誰か?
それは、ゴウラの目の前にいたゲンセンである。
ゲンセンはムツデに捕まえられていて…………ユエの『雷光』と比べ物にならないくらいの強力な雷を、ゲンセンが避ける術はなかった。
黒い塊の半分がムクリと起き上がる。
……っ!! ゲンセンが……!?
「――――ゴウラ……嬢、さ、ま…………」
ふらふらと立ったのはムツデのようだ。全身焼け焦げ、動けるのが不思議なくらいの重傷を負っているのに。
地面にはムツデと同じくらいの大きさの塊が残る。認めたくはない。きっと倒れているのは…………
「あ~、疲れたぁ! この『雷光』って調節が難しいなぁ。ちょっと強くしたら、気力もだいぶなくなっちゃった」
無傷のゴウラがあくびをしながら伸びをした。
近くに黒焦げのムツデがいるのにも関わらず、そちらを見ずにわたしを見付けて笑顔をこぼす。
「アハッ! ケイランちゃ~ん! 良かったぁ、ちゃんと生きてたねぇ。偉い偉い♪」
「貴様……なんて、ことを…………」
殺したユエに化けただけでなく、その『雷光』の術まで使ってゲンセンを…………ホムラを、コウリンやカガリまで……!!
でも、これで解った。
ゴウラは……“術喰い”なのだ。
ルゥクと全く同じなのかは分からないが、相手の術を喰って自分のものにする。
「貴様は“術喰いの術師”……ルゥクが一番嫌悪しているものだ」
「ふふ……そうだね。まぁ、ボクは少し違うけど……だいたいは同じだと思っていいよ」
あっさり認め、ゴウラはさらに続けた。
「ボクとルゥクはね、今から五十年前に出会ったんだよ。ルゥクが『影』としてお勤めをしていたのを偶然見掛けたんだよ。とても……綺麗でねぇ……」
「五十年…………?」
どう見ても、ゴウラの見た目は二十代前半に見える。
“不老不死”……いや、“遅老半不死”だったか。
「ボクはすぐに恋に落ちた。ルゥクほど美しい男はいない……その辺の女なんかよりも、遥かに整った顔貌、どんな術師も怯む術の強さ、人を殺す時の鮮やかさ……。何を取っても綺麗だった。他の男なんてただ汚ならしいだけだ」
「………………」
今ここで、ゴウラの話は偉く場違いな気もするが、それが全ての根源だという気もする。
「ボクはルゥクを振り向かせたくて、沢山調べて少しでもルゥクに近付こうと、ボクも『不死』の体になった……そうすれば、永遠に彼を追っていられる……」
ゴウラは自分の腕を撫でながら、懐かしむような顔をした。
「ケイランちゃんも女の子なんだからさぁ、ボクの気持ちもわかるんじゃない? 誰だって、好きな人の横に並びたい……って、一緒にいるだけで幸せって……」
熱っぽい表情は、それだけを見ると普通の乙女そのものだ。しかし、わたしは奴の言動に寒気しか感じない。
「でも、ルゥクは…………」
「昔のルゥクは『不死』の身体を十分に生かしていて『影』で彼に敵う奴なんていなかった。本当に全て順調で、完璧だったんだよ。あの時までは――――」
スゥッと熱が消えて、ゴウラの顔は冷たさが表れた。
「ルゥクが『影』を辞めたいと言って、死のうとし始めたのは今から十年くらい前。急に普通の人間に戻ろうと、無様な死を探し始めた。原因は……調べたらすぐに分かったよ…………」
ゴウラはどんどん無表情になっていく。
「原因は……ケイランちゃん、当時たった七才のキミが、簡単にルゥクを陥落させた」
「へ……?」
「それまでボクを含めて、人というものにほとんど興味がなかったルゥクが、暇があればある屋敷に通うようになっていた。王宮の術師兵団、元将軍の『李 白鷺』の屋敷に、ね……それはついこの間まで続いていたよ」
父上? つまり、わたしの家だ。
わたしはルゥクに、ずっと見られていた?
十年間、ルゥクはわたしのことを分かって……
「……ボクはさぁ、ルゥクを生かしたいんだよ?」
「………………」
「何で、ケイランちゃんは旅を続けるの? そんなにルゥクを死なせたいの?」
「なっ……何を言っている!! 私はルゥクの“術喰い”を落として、納得のいかない処刑を止めさせるため……」
「でも、“術喰い”を取り除いたら、ルゥクは病気や怪我なんかでいつか死ぬ」
「……それは」
「ケイランちゃんが今回の旅を止めて、ルゥクも次の旅を求めなければ……処刑なんてされない。知っているよね?」
そうだ。この刑場への旅は本人が望めば止められるのだ。国はルゥクが『影』を続けていれば、本当は生かしておきたいはずなのだ。
「黙っていれば、ルゥクはずっと生きていけるんだよ? それこそ普通の人間なんかよりも、ずっと優れた存在として、何の不自由もなく」
「…………優れた存在って……化け物としてか?」
「人間が見たらそうなるけど、それでも死なない方がいいでしょ?」
死なない方がいい? 確かに……それは……
気力が切れかけているせいか、思考がおかしくなりそうになる。だが、その場に崩れそうになった瞬間、わたしの脳裏にはこれまでのことが浮かんできたのだ。
『ルゥクさまが望む生き方も死に方も、一切させる気がないのです!!』
これはカガリが言ったこと。ゴウラは自分の勝手でルゥクを生かそうとしている。
『確かに僕は死を望むけど、それまでの道中は楽しみたいんだ』
そういえば、一緒に菓子を食べていた時にルゥクが言っていた。
『君が本当に呪いを解いてくれたなら、人間として残りの命を生きる』
………………。
「…………ざ、けるな……」
「うん?」
「――――ふざけるなっ!!」
ブワッ!!
背後に黒い影の柱が数本、わたしの声に霊影が反応したのだ。
「ルゥクが……あいつがどんな思いでこの旅をしているのか、貴様は考えようともしていない!!」
ルゥクはただ死にたいんじゃない。
ましてや、このままの状態で生きていくつもりもない。
「『優れた存在』なんてものはいらない!! あいつは『普通の人間』に戻ろうとしている!! それの何がいけない!?」
歪んだものを直して、ささやかな生を送ること。
本来あったものに戻ること。
――――それが、望みならば……
「貴様のやり方は死なせないだけで、ルゥクを苦しめているのが分からないか!?」
心に思ったことを次々に叫んだため、なんかまとまりがないとは思ったが、それでもゴウラには言ってやろう。
「他人が正しく生きようとしているところに、横やりを入れるな……!!」
ハァハァと息が切れて、もう叫べない。
くそ……もう少し、肺活量が欲しい。
「…………横恋慕したのは、ケイランちゃんだよ」
ゴウラがうつむきながら、ボソリと言う。
「五十年……ボクはルゥクが好きで、ず~っと見てきたんだ。ルゥクはボクに振り向いたりはしなかったけど、それでも…………五十年、五十年だよ?」
シャラン…………
手の平ほどの針が数本、ゴウラの両手の指の間に鈍く光る。
「それを……たった十年のケイランちゃんが、横から入って全部持っていったんだよ。だったら、キミごとルゥクを連れていくしかないじゃないか…………」
ギッと上げられた顔は笑っているが、絶対に話を聞かないものだと目を見て判断できてしまった。
「ルゥクがキミを気に入っているなら、一緒に“不死”になればいい。ボクのやり方なら誰でもなれる…………ムツデ」
「は、い……」
わたしとゴウラが話している間、後ろで静かに佇んでいたムツデはふらりと近付いてくる。全身火傷だらけだったムツデだが、この少しの間で表面が僅かに修復されていた。
「ケイランちゃん、連れて行くから――――…………あ、ムツデ」
「は、い」
「後ろ」
ヒュンッ!
細い棒が、空を凪ぐような音がした。
ゴトンッ!! ……ゴロ……ゴロ……ドサァッ!!
一瞬で首が落とされ、ムツデの身体は地面へ沈む。
「…………あ……」
ムツデのいた場所の後ろに見えたのは、白く光る刀と黒い人影。
「あぁ、やっと来てくれた。待っていたんだよ」
「……………………」
刀の血を振り落とし、ルゥクは静かにゴウラを睨み付けた。




