忘れじの悲嘆 二
「ルゥ…………」
視界の端。
わたしの背中を突き飛ばした人影が、一瞬だけルゥクに見えた。飛ばされながら体を反転すると、その人物をはっきり目にとらえる。
――――違う、ルゥクじゃない。
「ユエ、さん……!!」
「っ……」
ユエの顔が驚いたような表情だったことから、自分でも無意識に突き飛ばしたものだろう。
表情が、驚きから苦笑いに変わった。
わたしは地面に半身を擦りながらも、体勢を倒さずに踏みとどまって顔を上げる。
ユエさん!? 何…………
「ユ…………」
ヒュッ…………ズドッ!!
鈍く重い音がした。
「あ…………」
自分も含めた周り全体の時間が止まった。
先ほどまでわたしがいた地面の上には、バラバラにした化け物の肉片が散らばっていて…………欠片ひとつから、何かがまっすぐ伸びている。
赤黒い縄のようなものが、ユエの胸を突き刺し背中まで貫通していたのだ。
ドクンッと、それが脈を打ったように震えると、ユエから何かを吸い上げる。
「う……あ…………」
ユエが呻き声をあげて、膝を地面に突き倒れ伏した。
「――――――ユエっ!?」
「……ユエさん!!」
起き上がったわたしよりも早く、ゲンセンがユエの元へ駆け寄り、ユエの体に刺さったものを引きちぎり投げつける。
それと同時に縄は肉の欠片の中へ吸い込まれるように収まり、コロリと地面に転がって動かなくなった。
ゲンセンはすぐにユエの体を抱き起こし、頬に手を当てながら呼び掛けている。
わたしがユエの元へ着くと、コウリンとカガリも走ってきた。
「おい!! ユ……ユエっ!! 大丈夫か、しっかり…………おいっ……!!」
「……ゲン…………ごめん……」
一瞬のことだったのに、青白いユエの顔からは生気が感じられない。
「ごめん、ちょっと退いて!!」
コウリンが懐から紙の札を取り出してユエに当てる。札から発せられた淡い光が、胸の傷を治しているのが分かった。
良かった……術が効いているなら治る。
しかし、安心しているわたしの横で、コウリンが目を見開いてその場に硬直した。
「何で……刺されただけじゃないの……?」
「コウリン?」
ユエの傷は治ったのに、コウリンは震えながらユエの手や首に何度も触って首を振る。
「気力切れどころじゃない…………気力が、無い……」
「無い……? そんなわけ……」
「ユエっ!! ユエぇっ!!」
「………………」
必死にユエを呼ぶゲンセンの姿を見て、何が起きたのか頭がついていかなかった。
浅く呼吸するユエの視線は、ぼんやりと目の前のゲンセンを見ているだけ。
そんな……さっきまで普通に動いていたのに。
「気力が無いって、なんで……?」
「…………怪我を治したのに、体から気力の流れを感じないからよ」
気力は生き物の命の流れ。
『気力が無い』
この状態は通常、自然ではあり得ない。どんなに気力切れになっても、生きている限りは体に気力が流れ、生命そのものを維持させる基になると言われている。
それが無いとは、体から血液が消えた状態と同じだという。
「コウリン、何か……気力を回復させるものとか……ほ、ほら! 私が飲んだ漢方とか…………」
「無駄………………気力というのは、減った分を自力で増やさなきゃいけない。漢方薬は気力の量を増やしやすいように手伝うだけ。全く無いものをどうやって増やす……?」
「でも、試しに使ってみることは……」
「きっと、そんな猶予は…………」
――――もう、ユエの時間が無い。
コウリンが下唇を噛みながら俯いた。
それでも、コウリンの手には漢方薬の袋と、何かの札が握られている。たぶん、それらが効かないと解っていても、握らずにはいられなかったのだろう。
茫然と見下ろすしかないわたしとは違い、コウリンは立ち上がって、わたしとカガリの腕を引っ張る。
ゲンセンとユエに話をさせるようだ。
ユエを抱き抱えるゲンセンの後ろ、二歩ほど引いた場所で見守る。
「ユエ……?」
「ゲン……セン、あの、ね…………」
弱々しくユエが笑おうとして口の端を微かに上げた。
「……私……ゲンセンと暮らして……楽し……かった。また一緒に旅とか…………」
「あぁ、そうだな……じゃあ、治ったら……」
「………………」
「ユエ?」
急に黙ってじっと顔を見てくる彼女に、ゲンセンは不安げに名前を呼ぶ。それに応えたように、ユエの片手がゆっくり上がりゲンセンの顔に触れた。
「わた、し……ゲンセンのこと……好き」
「え……?」
「もちろん……家族として……」
――――それは……本当だけど、嘘だ。
きっとコウリンもそう思ったはずだ。
ユエは少しだけ嘘をつく。
ゲンセンを困らせないように。
「俺は…………」
「ありが……とう……」
「…………ユエ?」
ぱたり。
ユエの手が静かに下りる。
彼女の目や口は、二度と開くことはなかった。
「「………………」」
わたしもコウリンも、その場から動けないでいる。
目から流れる涙もろくに拭えず、ただ突っ立っているだけだ。
ゲンセンも黙って項垂れている。肩が小刻みに震えているのが分かり、今は声を掛けることはできないと思った。
最初に狙われたのは……わたし、だ。ユエさんはわたしを庇って――――…………
「嬢ちゃん!! 周り、払えでやす!!」
「――――え?」
不意に上から降ってきたホムラの声に、現実に引き戻された。
泣いている暇はない。ゴウラとホムラが戦っているのだ。
『周り、払え』
何を……?
わたしは重い頭を動かして周囲を見回す。
「なっ!?」
わたしやコウリン、カガリ、そしてゲンセンたちの周りを、地面に転がった黒い拳ほどの塊が囲んでいる。
その全てに“魂喰いの実”が食い込んでいた。
「り……霊影!!」
ズドドドドドッ!!
影の先端を刃にして、魂喰いの実に突き刺していく。
全部で二十くらいだと思う。
しゅうしゅうと湯気を立てて、実に付いていた黒いものが剥がれて消えた。穴の空いた実はコロリと地面に転がり、それ以上は何も無いように見える。
一気に霊影を使ったことで、気力の消耗が激しく目眩に襲われたが、何とかその場に踏ん張った。
今の感触は…………
実を突き刺した時に感じたものが、化け物を裂いたものに似ていたのだ。つまり、あれは化け物の欠片で、そのひとつひとつに“魂喰いの実”が付いていたということになる。
じゃあ……ユエさんを刺したものは……。
化け物の一部分、それが襲ってきたのだ。
あんなに沢山の実を、体内に保有していたのだろうか?
魂喰いの実は生き物を化け物にして、その身を依り代に他の者の命を取ろうとする…………死人の化け物を倒していた時に分かったことである。
『お前は“根っこ”から引っこ抜いてやるよ』
いつか、ルゥクが敵にいった台詞を思い出した。
わたしの目の前で“術喰いの術”を使った時、確かにそう言ったのだ。
術を木に例えているのなら、命はその土台。
土台ごと……つまり術の素になる気力を根こそぎ奪うだけではなく、命と直結している気力まで奪い取る。
「そんな……」
ある考えがずっと頭から消えない。
“魂喰い”と“術喰い”
似ているのは言葉だけじゃない…………おそらく、術喰いの『基』になっているのは――――
「あーぁ、余計なことしてくれたね」
「え!?」
ズドンッ!!
「がっ……!!」
「っ!? ホムラ!?」
すぐ後ろの地面に、叩き付けられるようにホムラが落下してきた。
仰向けになって倒れているホムラの肩には、長い槍のようなものが刺さっていて、地面にホムラを押さえ付けている。
「ホムラ!! 大丈…………」
「ホムラ……やっぱりお前、まだ坊やだよねぇ」
トン。
ホムラに刺さっている槍の上にゴウラが乗っかった。
「ふふっ。ホムラったら、ケイランちゃんに気を取られて、よそ見しちゃったのはいけなかったよねぇ? 速さが互角なら、一瞬も油断できないんだよ。ルゥクから習わなかったの?」
「……残念でやすが、あっしは旦那とは“流派”が違ぇんでね……それを解ってねぇ年増女に指摘される覚えはねぇでやす」
「ほんと腹立つ奴…………ここでボクが殺してあげようか?」
「ゴウラっ!!」
ゴウラがホムラの真上から針を構えたのが見えて、わたしは出していた霊影を奴に向けて一斉に突き出す。
「……おっと、危ない危ない。ケイランちゃんは怒った顔も可愛いねぇ」
ゴウラは口元に笑みを浮かべながら、余裕で霊影をかわして少し離れた地面に降り立った。
「もう少しでケイランちゃんの『全て』が手に入るところだったのに。『あの子』に仕込んだ実も、全部穴を空けられちゃったねぇ……」
仕込んだ……まさか、あの蛙の化け物に“魂喰いの実”を食わせていたのではなく、体内に入れて保管させていたのか?
おやつと言っていたのは、わたしを騙すための誘導だったようだ。
「ぐっ……がはっ!!」
ホムラが自分の肩から槍のようなものを強引に引き抜き、地面を血で濡らしながらフラリと立ち上がる。
「ホムラ!」
「あにさん!!」
わたしとカガリはホムラに駆け寄ったが、コウリンはゲンセンの側から動かない。
「おい、これ……血が…………大丈夫なのか?」
近寄ると想像以上に血が流れ落ちている。
しかし、ホムラは襷のような紐を取り出すと、片手と口で素早く怪我をした肩から脇の下をきつく縛り上げ、簡単な止血をして再び刀を手に構えた。
その間、ホムラの顔はわたしやカガリの方を一切見ず、ずっとゴウラの方を向いて視線を外さない。
「…………片腕が使えやせんが、これくらいならまだ戦えやす。それよりも、ゴウラから目を離しちゃ駄目でさ。これ、見てくだせぇ」
ガラランッ!
ホムラが引き抜いたものを地面へ投げ出すと、その形はどんどん小さく細くなり、槍の長さから手の平大の針になった。
「あの女は『札』の他に『針』を使った術を使いやす。針に術を乗せるのが得意で、術の速さなら旦那より速いかもしれねぇでさ……」
「札と針……その二つだけ……?」
「分からねぇです。あっしも直接戦ったのは、あまりねぇんで…………」
もしかしたら、まだあるのかもしれない。
それでも、相手の手の内が分かってもあの手強さだ。今のところ、ゴウラを倒す方法が見付からない。
「あにさん! あちも戦って、あの女の顔に蹴りを入れてやるです!! ……って、銀嬢!! 何で影を巻き付けてくるですか!? 離せ……ふがっ! むぐっ!!」
カガリが鼻息荒く、飛び出そうとするので霊影でちょっと縛って止めておく。
たぶん……いや、絶対にホムラの邪魔になる。
「ホムラ、私ができることは……?」
「そのまま、カガリを抑えててくだせぇ。あと……あっしが殺られたら、すぐ逃げることをおすすめしやす。嬢ちゃんは……後でルゥクの旦那と合流してくだせぇ……」
「そんな……」
ホムラはいつものにんまりだが、少しだけひきつっているのが分かった。




