化け物と化け物
ズドドドドド!!
岩の柱は粉々になって平らな地面へ降り注いだ。
「――――霊影!!」
落ちる瞬間、わたしは有りったけの気力で霊影を引き出し、コウリンとユエ、そして自分自身を浮き上がらせる。
影の一端を振り回し、落ちてくる岩を弾き返す。
「…………あああああっ!!」
ほぼ、無我夢中で霊影を操作していた。
岩が当たらないように。
下へ叩き付けられないように。
三人がはぐれないように。
ゴウラに隙を与えないように。
気付けば、私たちは大量の土砂と岩石の上に倒れていた。
「う…………みんな?」
埃っぽい空気に喉が貼り付いて声が出し難い。
「ゴホッゴホッ! ぶ、無事…………」
「だ……大丈夫だよ……ゴホッ!」
すぐ近くから弱々しく二人の声が聞こえて、一瞬だけ安心感から気を抜きそうになった。
手をつきながらも立ち上がると同時に、ズキン!と鈍痛が走り、目眩と共に体に力が入らなくなっている。
まずい…………これ、気力切れの…………
頭痛は気力切れの前触れだと言われたはずだ。
ゴウラはまだ生きているだろうか?
相手はルゥクでも簡単に殺せないような『影』だ。たぶん生きている。つまり、まだわたしは倒れる訳にはいかない。
ゴウラと戦うか、逃げるか……とにかく、コウリンとユエさんを守らないと……
よほど周りの地面が乾燥していたのか、土煙で視界はほとんど見えない。
二人とも……どこだ?
声がした方はあっち……?
「ケイラン! こっちに!」
「……コウリン?」
煙で見えなかったせいで、急に現れたコウリンに気付くのが遅れた。彼女は急かすように横から腕を引っ張る。
「早く、ここから離れて! 化け物を叩かないと!」
「えっ……ちょっと……!」
コウリンがわたしを引きずるように土煙の中から連れ出す。誇りっぽさから解放はされたが、急に動いたせいでわたしの目眩が酷くなり額を押さえて近くの岩にもたれ掛かってしまった。
来た場所を振り返って、コウリンは紙の札を取り出す。
「今のうち! 化け物たちが来ないうちに叩こう!!」
「あぁ……」
うぁ……ぐるぐるする。呼吸を整えないと……。
…………
………………あれ?
「コウリン…………ユエさんは?」
「え? あぁ、彼女なら反対側へ逃げたわよ。さぁ、早く霊影で攻撃して!!」
何か、おかしい。
ふらつく頭を押さえながら、わたしはもうひとつ、目の前のコウリンに問い掛けた。
「ねぇ、武器は? ちゃんとある?」
「何? 持っているわよ。ほら!」
コウリンがわたしの前で、手に持った紙の札をヒラヒラとたなびかせている。
この時、わたしの頭の芯がスゥッと冷えた。
「コウリン……爆発の札、いつでも出せるようにしているのか?」
「えぇ、出せるわよ?」
「そうだな。あなたの本業は“札の術師”だったな?」
「えぇ、そうね……」
「……っ!! ――――――霊影っっっ!!」
わたしはありったけの声と気力を打ち放った。
ガガガガガガッ!!
忠実なわたしの影は巨大な手の平のように、辺りをコウリンごと凪ぎ払う。もし、できれば霊影で捕まえられればいい、と。
「くぅっ……!!」
しかし、コウリンは後ろへ高く跳んだ。
彼女の身体能力がどれくらいか、付き合いの浅いわたしには分からない。しかし、この数日でこんな跳躍を見せる人物ではないと確信はしている。
「……お前はコウリンじゃない!! 私を騙せると思ったのか!!」
彼女の本業は“医師”で“薬師”であること。
爆発の札の術はあまり得意ではないということ。
これは彼女が同行することになって、関所から逃げてきた僅かな間に知ったことだ。
これを知らないのは、この場ではユエさんと…………
霊影で自分の四方を固め、わたしは偽物のコウリンを睨み付ける。最初は「何のこと?」と言うような顔をしていたが、わたしの態度が揺るがないのが分かると、目を見開き口の両端を歪めた。
「バレた? バレたの? ふ……ふふふふ……あはっ!! きゃははははははっ!!」
コウリンの笑い方とは程遠い。
まるで壊れた風鈴が無理やり鳴っているような、そんな気分にさせられる不愉快な声。
術だろうか……一瞬で別人に化けられるとは……
「………………やはり……ゴウラ、だな?」
「きゃは、きゃははは!! ケイランちゃんスゴーい!! こんなすぐに判る人間は滅多にいないんだよー!!」
よほど愉快なのか、コウリンの姿をしたゴウラと思われる女が、体をくねらせて笑っている。
「ケイラン! 大丈夫!?」
「きゃあっ!? 何よソイツ、アタシ!?」
霊影を振り回したためか、土煙はだいぶ吹き消されていた。そこへユエに引っ張られたコウリンが、もう一人の自分を見付けて悲鳴をあげている。
「あーぁ、来ちゃったか。凡人ども」
ばさぁっ!
まるで体に纏った大きな布を脱ぎ捨てるように、何かが引き剥がされ消える。
そこにはコウリンの姿など欠片もない、ゴウラが悠然と立っていた。しかし、その顔の一部は焼けただれている。岩が崩れる前にユエの雷光の直撃を受けた場所だ。
ゴウラの眼が、コウリンとユエを捕らえる。
先ほどの笑い声を発したとは思えないほど、二人を見るゴウラの表情は冷たく堅い。
形の良い唇が静かに開く。
「…………殺れ。銀寿の娘以外はいらない」
ゴウラの冷たい声が何処とも知れない場所へ投げ掛けられた。
『お任せを。ゴウラお嬢様……』
ぼんやりと……しかし、ハッキリと聞き取れるような声がする。周りに反響する声はどの方向からのものかが分からない。いや、分からないように声を散らしているのか?
きっと『影』だ……!!
本能的にそう思った。
その本能に、霊影が素早く動く。
「コウリン!! ユエさん!!」
「「っ!?」」
ズザァアアッ!!
霊影が二人をさらうと同時に、その場所で土が抉られるように飛び散る。
「…………ほぅ。勘の良い娘よ」
その人間は急に現れた。
一瞬だけホムラが来たのかと思ったが、真っ黒な服装なだけでホムラよりも一回り大きい。顔は布で覆われているので、年齢などは全く分からないが、声で男だというのは判断できた。
手には船の櫂に似た形の武器らしきものを持っている。しかし、先が鋭利な金属になっているので、槍や鎌のような使い方をするのだろう。
「ねぇ、ムツデ、ルゥクは?」
ゴウラが『ムツデ』と呼んで男に尋ねる。
「今頃……領主と遊んでいるはずです。兄者が足止めをするといっていました」
「そう。しばらく来ないね。じゃあ、こっちも楽しまなきゃ、ね? ケイランちゃん?」
「ルゥク……」
自然とルゥクのことを考える自分に泣きそうになった。それほどこの状況がまずいものだと肌で感じている。
――――『影』を二人も相手に、戦えるのか?
わたしは酷くなっていく頭痛を無理やり抑え込み、霊影を背負って彼らを睨み付けた。
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僕とゲンセンは木に下半分埋まった領主と向き合っている。
この男の思慮の浅さが全てとは言えないが、それでも僕は何処かこいつの他人任せなところが気にくわない。
「領主……あんたはゴウラに騙されていたんだよ。二年もの間ね……」
「二年……でも、娘は助かった。妻も…………ぐぅっ!」
「本気で助かったと思ってるの?」
まだ言っているのか……おめでたい頭だよね。
僕は自分でもよく分からないほどの怒りを抱えながら、領主の襟首をギリギリと締め上げる。
「お、おい、ルゥク、少し力を抜け。死んでしまうぞ!」
「ああ……そうだね。ごめんごめん……」
いっそ殺してやろうか。
領主は木に埋まっているので、体が固定されて締め上げやすくなっていた。ゲンセンが僕の腕を押さえたので、仕方なく領主から手を放す。
「ゴホッゴホッ! ぐ……はぁ、はぁ……」
「“魂喰いの実”は人を助けるようなものじゃない」
彼が息を整えたところで、僕はできるだけ残酷に言うことにした。
「ねぇ、お前の妻は本当に本物?」
「え……」
意味をよく解っていない領主の表情。
この男に徹底的に教えてやろう。
「“影狗ゴウラ”。あいつは女で、札を使った『変身術』が得意なんだ。しかも同じ女であれば、姿形を本人と寸分たがわず似せることができる…………これが、どういうことか解る?」
「……………………あ」
「ゴウラがよくやる手だ。でも、自分と子供まで作った女が、この二年間で他人と入れ換わっていたのに気付かなかったの?」
そう。つまり、二年前に子供を化け物にした時には、こいつの妻はゴウラが化けたものだった可能性がある。
そして、そのまま領主を裏で操っていた訳だ。
偽物の『ゴウラ』と共に。
「今頃『本物の奥さん』は何処かで骨になってるだろうよ」
「………………あ、あぁ……嘘、嘘だ!」
子供が魂喰いの実で化け物になったのなら、その行動を普通の人間は制御できない。
「きっと、娘さんはゴウラが連れていった。あんたは用済みになったから、ここへ置いていかれたんだ」
変装以外のゴウラの特技、それは『化け物』を『本物の化け物』にすることだ。
今頃、その化け物を使って…………
僕はハッとする。
「っ……ホムラ!! ホムラ居るっ!?」
僕の呼び掛けが微かに聞こえれば、ホムラは合図をするはずだ。この敷地内くらいなら余裕で、僕らはやり取りができる。
「ルゥク? どうした?」
「ホムラに……ゴウラを見張るように命じていたんだ……」
………………。
…………まずい。今、この屋敷と付近でホムラがいる音がしない。
ホムラがここにいないなら、ゴウラもここにいないということで…………
「ルゥ~ク~さ~~ま~~!!」
ガシィイイイイインッ!!
急に僕の背後から声が聞こえ、肩と首に塊が飛び付いてきた。
「…………カガリ?」
僕に肩車される形で頭に子供がしがみついている。
「うぉっ!? 何かちっこいのが来たぞ、ルゥク!?」
「うるさいぞ、デカブツ!」
驚くゲンセンに吐き捨てるように言う。
この娘は【篝】という『影』の見習いだ。
歳は12の女の子。小柄で短い黒髪を小さな花の髪飾りでまとめて、服装は動きやすい丈の短い青っぽい着物を着ている。
「……ホムラの妹弟子なんだ。カガリ、何でいるの? ホムラは?」
カガリはホムラの使い走りが多い。ホムラがどうしても僕の下へ来ることができない時には、カガリが伝言を持ってくるようになっている。
「ホムラのあにさまが、ゴウラを追ってここに来れないから来たです!!」
「ゴウラを追って……って、ゴウラは?」
「えぇっと、あにさまが『嬢ちゃんが奴に目をつけられた』って言ってましたです!!」
「ゴウラがケイランを……」
嫌な予感が当たった。
あの女は珍しい物や人間が大好きだ。ケイランの銀髪を見れば、そうなることは容易に想像できた。だからケイランの方へゴウラが行かないようにホムラを付けさせたのだが……。
ホムラはまかれてしまったのかもしれない。
カガリは僕の頭にしがみついたまま顔を除きこんでいる。
「ルゥクさま、早くあにさまを追っていくです! こいつはこのまま役人に――――」
『ルゥクは残ってもらおうか?』
――――――ザンッ!!
「「「あっ!!」」」
僕とゲンセン、カガリが同時に声をあげた。
音も気配も何も立てずに、それは木の根元に佇む。
黒ずくめ男が急に現れたのだ。
ドンッ…………ゴロ…………。
床に、領主の首が転がる。
男の手には一本の刀が握られ、その刀身は赤く濡れていた。
「『殲滅命令』を受けたのなら、これくらいはやってもらわないと、職務怠慢になるのではないのか? “不死のルゥク”よ……ククク……」
ザワリッ…………
部屋いっぱいに広がった枝葉が勝手に揺れた。首を失くした領主の体がズブズブと幹の中へ飲み込まれていく。
ギャアアアアアッ!!
まるで悲鳴のような音をたてて、大木がねじれたり伸縮を繰り返して動き始めた。
「な、何だ!? 木が……」
「ルゥクさま!!」
「………………」
余計なことを……!!
カガリを肩から下ろし、僕は刀を両手に構える。
今回の僕への『殲滅命令』は、化け物を倒すこと。今日ほど、国からの命令を疎ましく思ったことは、なかったかもしれない。
……必要な奴だけ倒して、さっさと帰りたかったのに。
相手がこいつらじゃなければ、僕はケイランと離れて仕事をしようとは思わなかっただろう。
「ケイラン、どうか無事で……」
“化け物を倒す、化け物”
彼女には『影』以上に、この姿を見せるわけにはいかなかった。




