旅の始まり 三
「あ、ほら。ここだと全部揃うんだ。七日分くらいの準備で十分だけど、他に欲しいのあったら遠慮なく言ってね」
今日は充分な準備をしてから、出発は明日することにした。私はルゥクに案内されて商店街に足を運んだ。
旅にかかる必要な分の経費はルゥクが用意しているということだったが、何で死刑囚のこの人がこんなに金を持っているのか? 自由に出歩いて、観光旅行にでも行くように楽しそうなのか? そもそも何で死刑執行に本人が歩いて処刑場まで旅をするのか?
ルゥクに会ってから色々と疑問ばかりが浮かぶのだが、さっきから何一つそれが解決していない。
うぅ、何も分からないのが気持ち悪い…………。
商店街に着くとやはり慣れているのか、ルゥクはすたすたと目当ての店に歩いていく。
「おや、ルゥク。これから出発かい? 気をつけて行くんだよ」
「あぁ、いつもの旅の食糧だな。えーと、七日分でいいか。今度はどれくらい出掛けるか分からんが、頑張れよ」
「その可愛い娘が今度の同行の兵士なの? うわー、羨ましいなこの野郎!」
必要な小物や食糧を揃えている途中、ルゥクは色々な人たちに声を掛けられていた。ルゥクをよく知っている者たちのようで、話し掛ける口調は皆楽しげだった。
「…………お前が囚人だと、誰も知らないのか?」
「知ってたら誰も話し掛けてこないと思うよ。僕の表向きは一応『任務中の兵士を目的地まで案内する仕事』って、ことになってるんだよね」
私はルゥクに対して丁寧な話し方を止めた。
兵士が囚人に対して敬語はおかしいだろ? と、本人が言うのでそうすることにしたのだが………………。
「うーん、年下の女の子に『お前』って言われるのぞくぞくするなぁ。でも、もう少し可愛い言い方でも、ケイランに似合うと思うんだよね」
「……………………」
時々、この人の中で私はどんな扱いになっているのか、ちょっと不安である。絶対、兵士として見てないと思う。
そもそも何で死刑になるのか、何で囚人なのに自由に出歩いているのか、どんなに考えてもやっぱり分からない。
「いいかげんに、お前の事を聞きたいのだか……」
夕方まで掛かって必要な買い出しが終わった。かなりの重さになった買い物袋を抱えて歩く最中に、解消されない疑問に耐え兼ねて私はルゥクに尋ねてみた。
これから二人だけで旅をしなければならないのに、こんな気持ち悪い状態が続くのは耐えられない。
「そう……やっぱり聞きたいよね。でも、これを一遍に話すには君にひとつ、ある条件を呑んでもらわないといけない」
「な…………何かあるのか……?」
真っ直ぐ私を見る目が真剣そのものだった。まるで何か重い秘密か、覚悟を持っているように見える。私は少し気圧されして唾を飲み込む。
いったい何が? それよりも、こんな道の真ん中で話しても大丈夫なのか…………?
真顔のまま、少し屈んで顔を近づけてきた。
「今日の宿、僕も同じ部屋でいい?」
――――――――殺すっっっ!!!!
私は心の底から、本気の殺意というものが湧き上がった。真剣に聞こうとした私が愚かだったのだろう。
言った後、いい笑顔になったルゥクを思い切り睨み付けて、思わず殴りそうになった右手をなんとか抑えた。きっと買い物袋のおかげである。
「あっははは。冗談冗談」
「処刑場に行く前に…………首をはねられたいか……?」
ルゥクはひとしきり笑うと、ポンポンと私の頭を触ってきた。まるで子供の頭を撫でるように。私は慌ててその手を避ける。
「なっ……やめろ! 私は子供じゃない!」
「僕から見れば、士官学校を卒業したばかりの新兵なんて、赤ちゃんみたいなものだね。子供扱いなら随分と大人に見ているつもりだけど?」
「…………分かった。もういい……」
本当にこいつは何なんだ。
疲れが一気に襲ってきた。もう休みたい。
「お前と旅するの……嫌だ……」
「まぁ、そう言わずに。今日は他に準備で忙しいし、明日教えてあげる。それに出発したらすぐにでも、僕の事を知ると思うよ。…………嫌でもね」
「…………?」
こちらを見ていたルゥクは、袋を持ち直しながら前を向いた。その時に一瞬、ルゥクがとても冷めたような顔をした気がして、思わず横顔を見た。
口元に笑みを浮かべて、ルゥクは楽しそうに前を見て歩いている。私は何も言わずに横を歩いた。
宿に着くとルゥクが私の持っていた買い物袋を取り上げた。けっこう重かったのだが、こいつはそれを片手で軽々と持っている。
「君はもう食事を摂って休むといいよ。僕は別の部屋で明日の準備をしてるから」
「あ、いや……しかし……」
「良いんだよ。僕はいつものことだから」
そう言うと、ルゥクは隣の部屋に入っていった。
いつものこと…………?
ルゥクは処刑場へ向かうのが初めてではない…………買い物をしていてまさかと思ったことだ。
余計にこの任務が解らなくなった。気にはなったが、私は大人しく自分の部屋に入り、就寝前に簡単に身支度などの準備をした。
寝床に入ると、自分でも思っていた以上に疲れていたらしく、すぐに睡魔が襲ってくる。
明日からどうなるのだろう?
私はそれを深く考えること無く眠りについた。
翌日は良く晴れていた。
私はすっかり寝過ごして、ルゥクに部屋の戸を叩かれるまで寝てしまっていた。
「…………私のせいですまない。もう少し早く出発するつもりだったのに……」
「別にいいよ。今日だけ急いでも、そんなに到着には影響しないだろうし」
私たちは宿の隣にあった茶屋で軽い朝食を摂っていた。昨日の晩は食事も摂らずに眠ってしまったので、ルゥクに「旅の前はちゃんと食べて!」と、言われて軽く怒られた。
その割には目の前のルゥクの朝食は、薬草茶と粥だけである。
「お前、昨日は蕎麦五杯とか食べてなかったか?」
「そうだね。あそこの鴨山菜蕎麦美味しいんだよね。蕎麦の時は大抵あれくらいなら食べられるけど、普段はそんなに食事しないなぁ」
「しない……って?」
「ひとりで出歩いていると、二、三日は忘れていることもあるから、君と旅している間は気をつけて食事休憩を取らないとね……」
食事のむらがありすぎやしないか?
私は蒸し饅頭と茸汁、茹で玉子を朝食にしていた。この場面だけだとルゥクがものすごく小食に見える。
こいつの体の機能は大丈夫なのか? と、じろじろ見てしまった私を、ルゥクは苦笑しながら見返している。
「言っとくけど、君も昨日の夕方は酷い顔色だったからね。いくら急いで来たといっても、任務に着く前に倒れられたらどうしようもないよ」
「え……? まさか、今朝はわざと寝かせて……?」
「さぁね。……さて、食べ終わったらすぐ町を出るよ。さすがにもうゆっくりできないから」
「あ、うん……」
初日から足を引っ張ってしまった気がする。
用意だってルゥクがほとんど(私の着替え以外)揃えて、さらに術を使ってその荷物を札の中に収めるという、とても便利なことまでしてくれた。おかげで私たちの手持ちの荷物は、腰に着けた小さな革の鞄と護身用の武器だけだ。
旅に乗り気ではなかった私に対して、死刑囚本人の方が旅立ちに前向きだ。
朝食を終えて一刻後、私たちは町の入り口まで来ていた。やっと出発になったが、私の心中は複雑だった。
少し前。出発前に知りたいからと、私は任務の内容を改めてルゥクに問いただし、細かく確認することにした。
昨日は軽く流したが、よくよく地図やルゥクが持っていた命令書などという物を見ると、そこには普通の処刑までの順序とは全く違うものが書かれていた。
【命令】
『囚人は必ず兵士に護送され、兵士は囚人が道中の工程を間違うこと無く実行するか、よく監視すること』
『旅は地形などで必要な時以外は徒歩で進むこと』
『目的地以外にも地図に記された場所に必ず立ち寄ること』
『囚人は必ず兵士と共に刑場まで赴くこと』
『道中で囚人が死亡した場合は、刑が執行されたとみなす』
「道中に別の命令が下された場合は、同行の兵士と共に速やかに実行し解決すること」
…………
…………
…………
『同行の兵士は入隊三年以内の者にすること』
『道中で護送の兵士が死亡、又は逃走した場合は旅を中止し、次の執行許可があるまで、行動は国の監視下に置くこと』
…………
『囚人の刑の執行は囚人が望む場合にのみ有効とし、囚人が望まない場合は直ちにこれを中止する』
…………
『以上の項目を厳守し、行わなかった場合は執行の許可を取り消すものとする』
「………………」
全て読んだわけではなかったが、私はづらづらと書かれた命令書の言葉に絶句した。
ルゥクの手から地図を奪って確認する。この町はこの国の中心から南西の国境付近にある。
目的地になる処刑場は国の中心から北東の国境付近にある。
地図上は王都を挟んで国の両極、対角にここと目的地があったのだ。しかも、地図のあちこちの町などに印がついており、この一つ一つに行かなければ旅は無効になるらしい。
これをほぼ徒歩だけで行けと……。
命令も同行者の私には何も出されていない。
「…………何なんだ、これは?」
「うん、何だろねぇ。でも、これを命令通りに実行しないと、僕は処刑場に入れてもらえないんだ。困るよねぇ」
「そういう問題じゃ…………」
どう見てもこれは『ルゥクを処刑させない』ために、回りくどく出されている命令なんじゃないだろうか…………?
「お前の『罪状』は?」
「『国家反逆罪』ってことになっているはずだね」
ルゥクは特に嫌な顔もせずに私の問いに答えていく。
「……兵士、なんだよな?」
「そうだね。たまに仕事が入るし、まだクビにはなっていなかったはずだから。報酬もちゃんと出てたし」
私は命令書の最後の一文に目を止める。
ここから考えるに、この処刑の旅は本人の希望であり…………。
「………………無理に死ななくてもいいのでは…………」
「さ、行くよー。道中長いんだからー」
ルゥクはサッと私から地図と命令書を取り上げると、すたすたと町の門をくぐり抜けていった。私はその後を数歩離れて歩いた。
今のやり取りで少しだけ分かったことは、ルゥクは自らの死刑を望んでいること。
おそらく、旅慣れしているのは今までに何度か目的地まで向かったが、何かしらの理由で失敗していること。
こいつはたぶん、『普通』の兵士ではないのだろう。国から見てルゥクの処刑は本意とするところではないのだ。
『普通』ではない国の兵士に私は覚えがあった。
まだ私が幼かった頃の話だが、その人は当時の私よりだいぶ年上だったと思う。その人は私の命の恩人だ。
私は胸元に手を当てた。兵士の証の他に、ここには大事な『御守り』が入っている。
当時はその人を探すための手掛かりとして持っていたが、きっとその人とは二度と会えないと頭では分かっていた。
ルゥクと同じ種類の兵士ならば、知っているかもしれない。ルゥクはどう見ても20才くらいだから、もしかしたら先輩か師匠に当てはまる人物はいないだろうか?
後でなんとなく聞いてみよう。
私がぶつぶつと考えながら歩いていると、急にルゥクが立ち止まっていた。私は気付かず、背中にドンとぶつかった。
「な……何だ? 急に止まって…………」
ルゥクは目の前の道をじっと見つめている。今、私たちがいる場所は町から、少し離れた崖に囲まれた道だ。
そこには二本の分岐があるが、どちらを選んでも次の町に行けるはずだ。
「ここか……確か、東側の一部は崖崩れで塞がっているが、その手前や奥にまた分岐があるから、どちらでも通れると思うぞ」
崖崩れの場所以外はこちらの方が徒歩に便利だった。別の分岐で親切な農家の夫婦に馬車に乗せてもらったのだ。
「ケイラン、町に来る時にここを通ったの?」
「ん? ああ、通ったな。馬を駄目にしてしまって、そこを通った親切な夫婦が馬車に乗せてくれて…………」
前を見るルゥクの顔が険しくなった。目を細めて道の向こうを見据えているように顔をあげる。ルゥクは腰の右側の小物入れから札を取り出す。
「まぁ、そのうち来るとは思ったけど……早いな」
「な…………」
道の先。崖の上。ゴツゴツした岩の陰にうごめく者がいる。それは両手では数えられないほどの人数だ。
私たちはいつの間にか囲まれていた。
「さて、今回はどこの手先が来たのかな?」
ルゥクは右手の札の束を扇のように広げた。




