戦線流動
黒い人物が立っているのは、この土地の領主がいる部屋の前。
俺はまだその人物に雇われている身だ。何かあれば守らなければならないし、何者かが彼の命を狙うならば戦わなければならない。
……例え、雇い主が何か良からぬことをしていても……だ。
「答えろ、ルゥク。ここで何をしていた!?」
「………………」
黙ってはいるが、死体が転がる場所に静かに佇む『影』は、間違いなくルゥクだと確信した。
こいつ……戦わずに逃げる方法を考えるんじゃなかったのか!?
昨日、一緒に酒を飲んで、すっかりこいつが気に入ってしまったのだ。だから信用してユエを託しても良いと思った。
死体の中には、数日前に談笑した仲間もいる。それを目にした途端、俺はこいつと戦う意志が湧く。
――――やっぱり、『影』は『影』なのか。
「………………はぁ、困ったな……」
ポツリ……『影』が呟いた瞬間、突風と共にその姿が消えた。同時に、全身総毛立つような嫌な予感がして、俺はその場から思い切り跳び退く。
「うわっ!?」
「ぎゃっ!!」
俺の後ろにいた兵士たちから悲鳴があがる。
「…………なっ!?」
慌てて振り向き体勢を整えた。
バタバタと他の兵士たちが倒れていく中心に、真っ黒な姿が降り立つ。その手には札が握られていた。
いつ後ろに!? 風術系の札で移動したのか!?
視界のど真ん中に据え置いたはずなのに、移動する瞬間はまったく目で追えなかった。今ここにいるのに気配すらも曖昧に思えてくる。
くそ…………これが『影』か。
札を使う以上、素早さなら俺の遥か上をいく。
しかし、つい昨日は互角には戦えたのだ、俺も一瞬で殺されることはないはずだ。
「……………………すぅ……」
――――――……平常心。
拳術士は感情的になれば、本来の術の威力を半減させる。落ち着いて、周りの空気から気配や動きの流れを察知しなければ。
ルゥクが双剣を手に体勢を低くした……その瞬間、消える。
「――――――っ!? そこだ……!!」
「……くっ!!」
ガッ!!
攻撃を正面で止める。そこから間髪入れずに次の一撃が入れられ、それも拳で弾き返した。手甲と刀がぶつかり、あとはお互いに攻撃しながらの防御を繰り出すだけだ。
ガッガッガッガッガッ!! ズザッ!!
打ち合いではほぼ互角。少しも油断はできないので、術による大技は出さない。
だが、相手は武器を振り回す分、拳や蹴りの俺よりもいくらかの隙ができていた。
ガッガッガッ…………ギュッ……
一瞬、ルゥクが刀を持ち替えようとしているのか、動きが鈍るのを俺は見逃さない。
「――――――っだぁ!!」
「…………っ!?」
俺の最速の拳がルゥクの胸に叩き込まれる。
捕らえ…………
ガクンッ!!
「えっ……!?」
急に拳が空を切った。
支えのない体が前に一歩進むと同時に、首元にヒヤリとした感触が充てがわれ、俺は指一本動かせなくなる。
…………嘘だろ。今の……どう動いたんだ?
俺の前で倒れるはずのルゥクは、背後で息も乱さず刃を向けていた。
「誇るといい……君は強いよ。関所で戦った時は、僕もそれなりに本気だった。まともに戦ったら、僕は君には敵わないかもしれない」
静かに発せられる声に若干の悦楽が含まれている。
「…………じゃあ、何で俺は敗けてんだよ」
俺は振り向けずにムッとして思わず尋ねた。
「そりゃあ、僕が『影』の本気じゃなかったから。関所では『札の術師』として戦った。正々堂々、正面から……ね」
顔を近付けたのか、クスクスと耳元に笑い声がする。
「面白くねぇ……」
「なら良かった。殺し合いが楽しい奴は狂人だ」
「…………そうだな。じゃあ、殺せ」
ルゥクが刀を滑らせれば、俺の首は簡単に落ちるだろう。
よく親父さんに言われてたな。戦いに身を投じる者はいつでも覚悟を持て……って。当たり前なのに忘れかけてた。
俺は死ぬの…………嫌だがな。
「やだよ。僕は殺しに来たわけじゃない」
「ん?」
俺の首にあった金属の感触が引っ込んだ。金縛りが解けたように体の緊張が引いていく。振り向くと、ルゥクか頭に巻いていた黒い頭巾を外して素顔を晒していた。
「今回は『化け物』とその根源だけ潰すことにしてたんだよ。不要な殺生はなし。安心した?」
ルゥクは軽く笑うと、二本の刀を器用に回して腰の鞘に収める。
「化け物って……」
「ほら、よく見てごらんよ」
ルゥクが足元の生首を転がすと、その後頭部らへんに見たことのある“胡桃のような木の実”がくっついていた。
「確か…………『魂喰いの実』だったか……?」
「そう。妖獣と同じ、もう手遅れのね。こいつらを確実に簡単に倒すなら、首を落とさないといけなかったんだ」
この化け物になったかつての仲間たちは、騒ぎが起こる前は普通の人間だったらしい。
しかし、いざ戦いが起きると、妖獣としての本能が働いたのか、急に人間の自我を棄て近くの人間に襲い掛かってきた。
「手遅れ、なのか?」
「実が頭の近くに根付けば、直前まで自我があっても手遅れだよ。ほぼ助からない……」
殺した奴は全員、体のどこかに『魂喰いの実』を付けていたらしい。殺した……いや、倒したという方が正しいか。
「そうか……倒したのは化け物だけか……」
何故か、俺は少しだけ安堵した。
後ろで人の気配がして振り向くと、床に倒れていた数人がムクリと起き上がっている。
「う…………」
「ゴホッゴホッ……!」
俺と一緒にここへ来て先ほどルゥクに倒された兵士は、単純に当て身で気絶させられているだけのようだ。
そういや……負傷者は多数だったが、死人を見たのはここだけだったかもしれない。
「お前……関所で『影』としての本気を出していたら、俺なんて簡単に倒して関所を通過していたんじゃ…………」
ふと思ったことをルゥクに投げ掛けると、ため息をついて苦笑いしている。
「少し前に、ケイランの目の前で『影』として相手を殺したら、顔面蒼白で倒れられたことがあったから……それ以来、あまり『影』であるところは見せたくない」
「……ふぅん? あの『銀寿』の嬢ちゃんはお前の恋人か何かか?」
「違うよ。兵士のあの娘がいないと、僕は許可された旅ができなくなるんだ。それだけだよ」
それだけ? 俺は何だか腑に落ちない。
あの嬢ちゃんが布団に苦しそうに横たわっている時に、こいつはずいぶん心配そうな顔をしていたと思ったのだが…………
俺が疑問に思っている間に、ルゥクは領主の部屋の扉を調べていた。どうやら、術による結界が中から掛けられていたようだ。
「領主はいつも執務室に鍵は掛けているの?」
「いや……昼間、執務の間は掛けていない。いつもならもう、来ている時間だ……」
例えここにいなくてもこの騒ぎだ。普通にこの敷地にいるなら慌てて出てくるはずだ。
「…………まさか……」
「出てこられないのかもね。扉の向こうで音はするけど……」
ルゥクが「一足遅かったかな……」と呟いたのが聞こえた。
「お……おい、一体何が起きてるんだ?」
「あんたら……何か知っているのか?」
ルゥクに倒された兵士は、恐々とした様子で俺たちの話を聞いていたらしい。誰もルゥクを襲おうとはしていない。
「札でもいいけど…………誰か、鍵を持ってない?」
扉は分厚い木製に、金属で出来た細工が全体に補強がわりに施されている。術が掛かっているならなお、頑丈なことだろう。
「あぁ、いや、鍵はご領主様と奥様しか……」
「そういえば、奥様の姿は一昨日から見てねぇな。いつもは領主様と一緒に執務室にいらっしゃるのに…………」
スゥッとルゥクが目を細める。
「……これ以上は暴れるつもりはなかったけど、緊急を要するなら仕方ないよね」
「え? お前……何する……おわっ!?」
周りにつむじ風が起き、一瞬にしてルゥクの右腕が形を変えた。まるでカマキリの鎌腕のように長く弧を画いている。
「な、何だよ……それ?」
「……えっと……『風刃』よ、穿て!」
ルゥクが鎌腕を振り上げ、その先を扉に突いた。
――――――その瞬間、
ズッドォオオオオオンッ!!
…………ザザザァアアア…………。
一瞬にして扉が粉砕された。
足元に木とも石ともいえない、金属混じりの粉が流れてくる。
今、何が起きた!?
「うわあっ!?」
「爆発した!?」
「何やってんだ、あんた!?」
「「「りょ……領主様――――!?」」」
急に起きた事を理解できず、他の兵士も真っ青になって叫んでいる。
これ……やり過ぎだからな? 中に領主が居るなら、一緒に吹き飛ぶだろ!!
扉に穴を開ける程度だと思ったのに、まさか木っ端微塵にされてしまうとは。
粉塵が容赦なく舞って視界は最悪だ。
あちこちで兵士たちが咳き込み、目に入った埃に悶え苦しんでいるのが見えた。
「う……ゴホッゴホッ、こんな所でそんな術使うな!!」
「あ~、本当は切り刻むつもりだったんだけど……やっぱり僕とは相性悪いなぁ……風刃……」
ルゥクは口元を布で覆いながら呑気に呟く。右腕は元の形に戻っている。
何で相性悪い術を習得して使えるのか。普通なら術など身に付かず、作動もしないはずである。
「お前のせいで騒ぎが広くなった気がする……」
「今更、だよ。それにできるなら、ここにいる皆に後を任せて、さっさとケイランたちのところへ戻りたいんだ」
「お前なぁ……」
こいつは『影』のくせに、ぜんぜん隠密活動などするつもりはないようだ。今の轟音で更に兵士が集まり、この状況に困惑している。
ルゥクは周りを見回して、再び腰から刀を抜き前方へ構えた。
「ゲンセン、兵士の皆、気をつけて…………来るよ」
「へ?」
ゆらり……
煙の中から人影が出てくる。それもひとつではない、ざっと十数人はいるだろうか。
ズル……ズル……ズル……ズル……
足音が、やる気のない奴のすり足のように聞こえる。
「……うわっ!!」
「まさか……さっきの化け物!?」
音を聞いた瞬間に、数人が反応した。
ここの敷地は広い。もしかしたら、ルゥクが屋敷に着く前から何かが起きていたのかもしれない。
だからすぐに、目立つように行動した……?
目の前に立った人物たちは、まるで何も見えていないように呆然と立ち尽くしている。
その姿がはっきり見えるくらいに土煙が収まってきた。
一見すると何の変哲もない人間が立っているのだが…………よく見ると、額や首など頭に“魂喰いの実”が溶けるようにくっついている。
「げ……こいつら、素手でいくのやだな……」
「うわ……めんどくさい。仕方ない……『あれ』を使うか……」
集団を前にルゥクは平然としていた。
動きも冷静に、腰の左側の入れ物から黒い札を取り出している。
ルゥクがその札を口に咥えたのが視界に入ったが、すでに余所見ができないくらいに目の前は緊迫していた。
ズル……ズル……ズル……ズル……
『『『…………』』』
化け物たちは無言のまま、ゆっくりこちらに迫ってくる。
「うわ……!!」
「ひぃっ!?」
集まってきた兵士たちのほとんどは、この異様な気配に怖じ気づき、逃げ出そうとして後ろへ下がりかけていた。
く…………お前ら、領主に直に雇われているくせに!!
俺が腰抜けどもに苛つき始めた時、
「――――“全員、怯むな!!”」
その声にビリッと空気が震えた。
「“”怯むな。恐怖に負けて総てを捨てる気か!?”」
この声の主は…………
「“敵は同胞たちを飲み込んだ悪鬼だ! 我らがここを退けば、力を持たぬ民は抵抗する間もなく倒れるぞ!!”」
さっきまで存在感さえも曖昧だった奴が、化け物に刀を向けて叫んだ。その言葉に押されるように兵士たちが一歩、また一歩と前に出ていく。
「“武器を構えよ!! 恐怖を戦意に変えよ!! 勝機は我らにあるぞ!!”」
「「「うぉおおおおおっ!!」」」
俺以外の兵士が吼え、一気に目の色を変える。
…………急にやる気になった……?
俺はポツンと兵士たちの後ろで展開に追い付けないでいた。ここへ来てあまりにも流れが急で突っ込む余裕がない。
「……やっぱり、君、もう少し自分に自信持ったら?」
「え……?」
兵士たちをけしかけた主が、俺の肩をポンポンと叩きながら笑っている。
「この術……戦意を無駄に底上げする『戦歌』は、弱い奴にしか掛からないから」
「じゅ……術だったのか?」
ルゥクは集団の隙間を指差し、その先へ促す。
「ほら、ゲンセン。突っ立ってないで、部屋の中を調べよう」
「あ……あぁ……」
「嫌な予感がする。調べたら、すぐにこの土地から逃げる。もちろん、君たちもちゃんと連れていく」
一瞬、怖いくらいの無表情でルゥクは呟く。
「ケイランに……ゴウラを会わせるわけにはいかないからね…………根源は、潰す……」
無表情なのに、とてつもない怒りがこちらに伝わってきた。




