閃光の乙女 一
「よーしよし! 昨日の雨でいい感じに増水しているわ。魚がいるのはあの辺かな……?」
「ハァ……ユエさん……脚、早…………」
「…………大丈夫か? コウリン……ふぅ……」
今、わたしはコウリンとユエと一緒に、家から歩いて四半刻もしない河原に来ていた。
さすがユエは山道が慣れているのか、すいすいと先に進むのだが、わたしとコウリンは追いかけるのがやっとだった。
わたしとコウリンが河原で息を調えていると、ユエは大きな石で川の一部を堰き止めている。
作業も手馴れたもので、あっという間に石が積み上がっていった。
「ユエさんは……ここに住んで長いの?」
「そうねぇ、私が成人前だったから……もう五年は住んでいるかな?」
ちなみに、この国の成人は十六才である。
「……その頃から、ゲンセンは日雇いの兵の仕事を?」
「うぅん、前はここの領主は日雇いなんて採らなかった。ここ二年くらいで頻繁に話がきたの」
二年……たぶん、領主の娘が化け物にされた頃だろう。
そして、今頃ルゥクはそこへ行っている。霊影で覗き見した国からの命令書には『殲滅命令』とあった。
領主を含めて邪魔な者はあいつに殺される。
そう考えたら不安しか胸にない。
ゲンセンと鉢合わせになったらどうするのだろう?
まさか、いくら命令でも殺したりしないよね……。
昨日はあんなに楽しそうにしていた相手を、迷いもなく殺せるわけがない……と、少し前のわたしなら思ったのだが……
『“影”の仕事は、嬢ちゃんが思う以上に汚いものでさぁ』
ホムラが言ったことが頭を過る。
ルゥクは今までどんな場面でも、人を殺すことがあったはずだ。今更、それを躊躇ったりはしない。
きっと、それが『影』だ。
それでも、珍しく馬鹿話で盛り上がる笑顔を思い出して、あれがルゥクの本心だと思いたかった。
「ケイラン? どうしたの、ボゥっとしてるけど大丈夫?」
「へ? あぁ、大丈夫。ちょっと考え事……」
コウリンに心配されるが、わたしの気力は完全に戻ったし、今なら霊影もすぐに使えるだろう。
「……私だって、手伝いくらいできる」
思わず口に出してしまう。
そりゃあ、わたしは足手まといなのは分かっているが、領主のところへ乗り込むにしても、ルゥク一人でできるのだろうか?
もしかしたら、思わぬところでルゥクを助けられるかもしれないのに。
「何? 難しい顔して……手伝ったら? ユエさん、まだ川で何かしてるよ?」
「あ、いや……ユエさんの方じゃなく……」
「ルゥク? あんた本当にルゥク好きねぇ」
「好っ……!? 違う! 誤解しているようだが、私とあいつはそんな関係じゃ……」
「え!? なになに!? ルゥクさんって、ケイランの方なの!?」
ユエが川から上がって、こちらの話に高速で入ってきた。瞳をキラキラさせて実に嬉しそうに。
そんな彼女にコウリンはコクコクと頷いて、わたしの方に手のひらを向けてくる。
「そうなんです。ルゥクと良い仲はこっちです」
「適当なことを言うな!! どこをどう見て……」
「どこを……って、少なくとも、ルゥクはケイランのことを好きだと思うわよ?」
「な……!?」
何てことだ……あいつの日頃の、わたしへの嫌がらせが他人からはそう見えてしまうのか……!?
「誤解だ。あいつからは嫌がらせしかされていない!」
「……その嫌がらせが………………いや、わかった。そういうことにしておきましょう」
うんうん……と、憐れみめいた顔で頷きながら、コウリンはわたしの肩を叩く。
何なんだ? 何が分かったと……?
「ふふ、いいなぁ。あなたたちと一緒に旅をしたら楽しいだろうなぁ……」
「え……」
わたしとコウリンのやり取りを、ユエが目を細めて見ていた。
「私、ゲンセンと一緒にあちこちに行ってばかりだったし、生活するのに必死だったから、友達らしい友達もいなかったのよね…………こんな会話もしたことなかったの」
「あ、じゃあ、アタシもそうよ! ついこの間、ケイランたちに同行したんだもん。だから、アタシの女友達第一号はケイランなの」
「えぇ~……?」
女友達第一号……?
わたしはコウリンにそんな称号を付けられていたのか?
少し思案していたら、コウリンがいい笑顔でわたしの顔を両手で挟んできた。
むぎゅっ!
「みゅっ!?」
「……何、その顔。不服なのかしら?」
「にゅーっ!? ……っぷは! いや、別に不服じゃなくて……私は兵士だし、今は任務中で…………」
「アタシのこと嫌? 任務中に友達作っちゃダメなの?」
「そんなことは…………」
そういえば、わたしは兵士仲間はいたけど、友達と言える女の子はいない。せいぜいいても、仕官学校に入る前の小学で学んでいた時の、同じ組の子達くらいだろうか。
しかし、その子らも別の進路を選び、だいぶ会っていない。
「私も特に、友達はいない……な……」
「じゃあ、良いじゃない。アタシとユエが友達でも!」
「やったぁ! 私もいいの?」
「もちろん、ユエも歓迎よ! ね、ケイラン!」
歳上のユエを呼び捨てにしてるが、ユエ本人は嬉しそうだ。
友達……って、別にコウリンやユエをそう思うのは構わないのだが、わたしは任務中だし……ルゥクの“術喰い”の呪いも解く方法も探して…………
わたしの頭の中では色々な事が巡っている。しかし、今こうやって話しているのが無駄とも思わないのだ。
……なんだろう。たまにはこんな時間も悪くない。
「じゃあ、今日の夕飯は魚いっぱい捕って、ゲンセンとルゥクさんを驚かせよう!」
「おーっ!!」
「あ……あぁ……」
ルゥクがゲンセンと殺り合わないことを……二人が無事に戻ることを祈ろう。今のわたしにはそれしかできない。
「ん? あれ? そういえば……」
「なぁに?」
「ユエさん、釣りの道具は?」
「あ、ほんと。持ってないね」
魚を捕ると言っているのに、ユエの持ち物は大きな籠だけだ。その籠の中には更に魚用の籠が入っている。それと、塩が入った小さな袋。
釣りに必要な竿や糸、針などの細かい道具がない。
ちなみに、わたしとコウリンは荷物をすべて札に収納し、持ち物は腰の小物入れだけだ。
「確か……こっちの札に釣竿とかあったような……」
「ああ、いいのいいの! 竿はいらないから、そこに居てちょっと見ててね……近付いちゃダメよ」
ユエは口に人差し指を立てると、そのまま川の方に歩いていった。川の一部は先ほどユエが塞き止めていた所だ。
川の端に両足を入れて、深く深呼吸を始める。
サワリ……と、周りの草木が動くが風のせいではない。空気の流れが、ユエの気の流れが変わったのを感じた。
「……術…………?」
確か、こちらに来る前に『術を見せる』と言っていたような気がする。そういえば、ユエもゲンセンと同じ拳術士だと聞いていた。
片手を上げて、ユエは集中しているようだ。
周りの気の流れに影響が出るのは、自然にあるものを操る術師の特徴である。
ユエが川に入ったので、てっきり水の術かと思ったのだが……
「光よ、爆ぜろ! 『雷光』!!」
パリッ!
小さな光が掲げた手に生じ、
パリパリパリパリッ!!
上から下へ、足元の水辺まで一気に流れた。
――――――バチンッ!!
まるで金属をおもいっきり打ち鳴らしたような音がする。塞き止められた川の水面にうっすら煙が立つと、川の中から次々と何かが浮かんできた。
「あっ! 魚!」
コウリンが驚いている。
ユエの周りには大小、約十匹ほどの川魚が浮いて石の堰に引っ掛かっていく。
「ふっふっふっ~! すごいでしょ?」
「今の……雷の術ですか」
「そう、私は『雷光』の術師だよ。ま、威力は……魚を気絶させる程度だけど」
ほら、と言って、ユエは左手の手の甲を見せてきた。真ん中に判を押されたような丸いアザがある。
「気付いたらアザになっていたの。ゲンセンに教わりながら、一緒に術と武道の修行をしていた時にね。もとから薄くあったのだろうって言われたわ」
アザ付きの術師はだいたいが生まれつきだ。
しかも、ユエの能力の種類は『雷光』……つまり雷。
「もしかして、ユエさんは術師の家系ですか?」
「ううん、私に産みの親はいない。赤ん坊の時にゲンセンが山で拾ったって。だから家系とかは知らないわね」
自然にある力、『火』『水』『風』『土』等の四大元素に属する能力は術師の中でも珍重される。
ユエの『雷光』は、確か『風』に分類されたはずだ。この能力を持っているとなれば、王宮ではけっこうな箔が付く。
例え術師の経歴が浅かろうが、出自が孤児だろうが、能力の種類で欲しがる部隊は多い。
……なるほど、どうりでゲンセンが、ユエさんに王宮勤めをさせてやりたいと思っているわけだ。
こんな田舎でくすぶっているのは勿体ないと思う。
しばらくすると、夕飯には十分過ぎる魚が川岸に浮いていた。
「ねぇ、せっかくだから、捕ったばかりの魚、ちょっと食べようか? 今、火だけ起こしちゃうから」
「火打ち石、使います?」
「大丈夫、薪だけ置いて」
コウリンとユエが焚き火の準備をしている間、わたしは手頃な木の枝に魚を刺して用意をする。塩も振っておく。
「えいっ!」
パチンッ! と、ユエが指を鳴らすと小さな火花が散って、薪に被せたボロ布に降りかかった。そこからあっという間に炎が発生し、焚き火が出来上がりだ。
う~ん、便利だな。
「良いなぁ、ケイランもユエも……道具なしで術使えるの……」
「でも、札の術は色々できるのでしょ?」
女子だけで話しているのが、何だか新鮮でくすぐったい。
……みんなで旅をしたら、いつもこんなに賑やかなのだろうか?
コウリンがついこの間、同行するようになったが、三人でもそれなりに道中は会話が多くなった。
わたしとルゥクだけだと会話はあるのだが、内容は必要な事を質問したりされたりくらいだろうか。
それでもいいとは思うが、実は正直ルゥクと二人だけというのはちょっと寂しい時もあった。
そりゃそうだ、本来は楽しい旅ではない。
兵士と囚人。それが頭の中に常にあるのだから。
焚き火を囲みながら、魚が焼けるまで再びおしゃべりは続く。
「楽しみだなー。あ、でも、ケイランとルゥクさんは任務中なんだっけ? 任務って何?」
「え?」
「……そういえば、アタシも具体的には内容は聞いてなかったわね。しかもルゥクが『影』って、最初は知らないで来ちゃったし」
コウリンとユエが、じっとわたしを見つめてくる。
「ルゥクって…………何であんたと旅してるの?」
「コウリン、ルゥクと何かの約束していなかったか?」
ルゥクが出会ったばかりのコウリンに、旅の内容を全部話すとは思えない。二人で何かの契約を結んでいたようだし、もしかしたら、わたしが勝手に話さない方がいいのかも……。
「一応、旅の事情に首を突っ込まない約束だけど、ケイランが大変な事ならルゥクに抗議してあげる」
「それは……」
話しても……良いのだろうか?
ルゥクが『影』だということは二人とも分かっている。しかし、これはルゥクが死ぬための旅で、処刑場へ向かっているとはコウリンにも話していない。
でも、わたしは任務とは別に、ルゥクを生かす方法をさがしているのだ。
話せば協力してもらえる?
一人より心強いかもしれない。
「……ちょっと、面倒な事だけど……私の判断では話せない。ルゥクが戻ったら聞いてみる」
「うん、そうしよ!」
「ケイランは無理しないでよ。また倒れられたらたまらないから」
「き、気をつける……」
年上の二人 (コウリンは一つだけだが) に迫られ、わたしはまるで取り調べを受けている気分になった。
魚捕りをし始めてから、どれくらい経っただろうか。
「ん…………?」
「どうしたの?」
焼けた魚を食べ終え、他愛のない会話をしていた時、川の対岸から何かの物音が聞こえた。
「いや、あっち……何か気配がする…………」
気配を感じた向こう側はちょっとした崖になっており、その上は山に続く森が広がっている。
気力が戻ったせいか、昨日より周りの空気に敏感になっていた五感に、何かが触れた気がしたのだ。
「本当だ。何か聞こえる……足音……?」
ユエが耳をそばだてている。どうやら、わたしひとりの気のせいではないようだ。
ザッザッザッザッ…………
ザク……ザク……ザク……ザク……
急いでいるような軽い音を、緩慢な複数の音が追いかけている。
「何か…………来る」
わたしが呟いた時だった、
「いやぁあああっ!! た、助けてぇ!!」
甲高い叫び声がすると、崖の上にひとりの女性が飛び出てきた。女性は崖に気付いて立ち止まり、焦ったように後ろを振り向いている。
「やだっ!! こないでぇっ!!」
女性が出てきた場所、森からぞろぞろと大勢の人間が出てきた。彼女を追ってきたらしい。
しかし…………
「何だ……あいつら……?」
わたしは一目で総毛立つ。
女性を追ってきた集団。
誰一人として“生きている人間”ではないと、わたしの直感が告げてきた。




