託言の使者
次にわたしが目を覚ましたのは、すっかり日が登ってからだった。今日は雨もあがってずいぶんと暖かい。
「あ、やっと起きた。おはよう、ケイラン」
そう言って声を掛けてきたコウリンは、ユエと共にかなり前に起きていたようだ。
開けられた戸の向こうから、朝餉の香りが漂ってくる。
「……おはよう。なんだ、食事の用意をするなら、私も起こしてくれても良かったのに」
「ぐっすり寝ていたから。まだ疲れが残っているはずよ。今、ごはん持ってくるから、布団だけたたんでいてちょうだい」
「あぁ、すまない……」
未明に一度起きてから、思ったよりも深く眠り直してしまったらしい。寝過ぎで頭がボォっとする。
…………今日はどうするんだろう?
ルゥクはこの土地から、ゲンセンとユエを連れて逃げることを考えると言っていた。
………………あ、そういえば…………
「ルゥクなら用があるからって、ずいぶん早く何処かへ行ったわよ」
「へ……?」
わたしが何も言っていないのに、奥からコウリンの声が聞こえてくる。
「……私、何か言ったか?」
「うぅん。何も言ってないけど……ルゥクいないと寂しいかなぁって…………」
確かに今、ルゥクの姿を見ないことに疑問を抱きかけていたのだが…………寂しいって何だ?
「ケイランって、いつもルゥクが見えないと探している気がしたから……違う?」
「違う」
心外だ。いつも探してない。それにコウリンは、わたしのいつもを語れるほど一緒にいないだろ?
コウリンがひょいっと顔を出して苦笑いをする。
「だって、あなたはルゥクの護衛? か何かで一緒にいるんじゃないの?」
……あぁ、そういえば、コウリンにはあまり細かいことは言っていなかった。
あいつは囚人で、わたしは兵士。
ルゥクを処刑場へ連れて行くのが使命。
普通なら兵士が目を離した隙に、囚人が逃げ出すなんていうことは当たり前だ。本来なら、わたしは慌てて捕まえにいかなければならないのである。
う~ん……でも、ある意味ルゥクがいなくなることも、心配だし捜しにいかなくてはいけないのか……?
「ルゥク……大丈夫だろうか……?」
「あんたに心配されるほど、普段のルゥクって頼りないの? あ! それとも、黙って行ったことに浮気の心配でもしているの?」
「いや、浮気って………………うん?」
あれ? そういえば、これまでルゥクが黙っていなくなることなんてあったか?
「ルゥクは何処に行くと言っていたんだ?」
「別に、何も言ってなかったわ。『用がある』って言うだけ。うん……そうよね。浮気するのにはっきり言ったりしないわね」
「違う、たぶん仕事だ。あいつだって国から命を受けて…………」
冗談だろうが、コウリンはまだ浮気説を推しているようだ。だが、わたしの中ではあることが過った。
ルゥクとわたしが別行動になることは、宿屋で部屋を分けるという以外は、わたしが成金に拐われた時だけである。
旅を始めてからは、いつも一緒にいると言ってもいい。
えぇと……確か、ルゥクが持っていた『命令書』には次のことがあった気がする。
『囚人は必ず兵士と共に刑場まで赴くこと』
『道中に別の命令が下された場合は、同行の兵士と共に速やかに実行し解決すること』
これに、四六時中一緒にいろ……とは書いていなかった。しかし国に命令されたら、わたしと仕事をするような事があったはずだ。
ルゥクが命令書を無視することはない。なぜなら、命令を無視すれば刑場に入ることができなくなるから。
それでも、わたしを置いて行ったということは、此処にわたしが残ることには何かしら、ルゥクの仕事として意味があるのだろう。
ここはルゥクを信用するしかないのか。
でも、一応わたしはルゥクを見張るのが仕事だが、ルゥクは旅とは別に国からの仕事が入るなんて……これからも、こんなことが度々あるのだろうか。
やはり、国はルゥクの処刑を望んでいない。
あいつの仕事といえば『影』だ。
ルゥクが望まないこと。
「…………大丈夫かな」
「本当に心配性ねぇ…………ん?」
その時、コツンと外から何かぶつかった音がした。
小石とかがぶつかる音。あ、また、した。
「何……?」
そろそろと雨戸を開けると…………誰もいない。
「…………気のせい……」
「嬢ちゃん、お嬢、おはようございやす」
「えぅっ!」
「きゃっ!」
顔を出して外を覗いた途端、真上からホムラが逆さまに現れた。わたしとコウリンは思わず後ろへ飛び退く。
し、心臓に悪い!!
けっこうキツいぞ、逆さまになった人間の顔が急に出てくるの!!
しかし、ホムラはまた頭を上に引っ込める。すると隣の部屋からユエさんが顔を覗かせた。
「どうしたの? 二人とも……変な声出して」
「え? 何でもないです!」
「戸を開けたら眩しかっただけです!」
「そう? もうご飯だからこっち来てね」
「「はい!」」
ユエさんが引っ込むと、再びホムラが逆さまに降りてきた。どうやら、ユエさんに姿を見せる気はないらしい。
唯一見えている口元が三日月のように、にんまりと濃い笑顔を作っている。
「嬢ちゃんに旦那からの伝言でさ」
「ルゥクから?」
「『夕方までには戻るよ。そこで待つのも兵士の仕事だから、大人しく待っててね!』…………で、やすね」
「……………………」
ホムラの話し方がルゥクだった。
声の高さから強弱まで完璧である。もしこれで、ホムラの姿を見ていなかったら完全にルゥクだと思うだろう。
『影』ってすごいな………………でも…………
「じゃ、伝えやしたよ。嬢ちゃんたちは…………ここで大人しく過ごしててくだ…………」
「――――ちょっと待て!!」
がしっ!
わたしはホムラが言い終わる前に、胸ぐらの襟巻きのような部分を掴む。ホムラのにんまりしていた口が逆向きに曲がって、不満そうな顔になった。
しかし不満があるのは、わたしも同じだ。
「コウリン、悪いけど先にユエさんとご飯食べてて」
「ケイラン?」
「話だけ。すぐに終わるから」
「……わ、分かった」
わたしの雰囲気が違うと察してくれたようで、コウリンは何も言わずに部屋を出ていく。
少しの間の後、ホムラが口を開く。
「……何でヤスか、嬢ちゃん?」
「ホムラもルゥクの所へ…………ここの領主の所へ行くのか?」
「何で、そう思いやした?」
「未明に、ルゥクへ国からの命令書を持ってきただろ?」
一瞬、気のせいかホムラの表情が固くなった気がした。
「………………見てやしたか。影で」
「文句ならルゥクに言え。ルゥクが私に与えた霊影だ。私がどう使おうと私の勝手だろう?」
わたしの『霊影』は飛ばしておけば、遠くにいる者たちの話やその様子などを、わたしの頭へ直に伝えてくる。
ルゥクに強化されたせいで、前よりも精度が増しているらしく使い勝手がとてもいい。関所で逃げる時も、これで崖の上から兵士たちの様子を探ることもできたのだ。
いつか、どれくらいの距離を偵察できるか試してみたい。
本当にこの術は、攻撃よりも偵察などに向いている。これでますます、わたしは前衛向きの兵士ではなくなってしまったぞ。
わたしとホムラは黙って睨み合う。
わたしだって、こいつらに言い負かされるばかりではない。たまには出し抜くくらいはしないと。
「……既に国は領主を危険視して、ルゥクに倒すように言ってあったのだろう。ルゥクは私が盗み聞きしていたのを知って、ホムラを使って『ついて来ないように』と、わたしへ念を押している訳だ?」
ルゥクはきっと……いや絶対、霊影に気付いたはずだ。
だから、わたしが寝ているうちに出掛けた。
「……『国から命じられた仕事は、正面から行けるものじゃない。残念だけど、今回は僕ひとりで遂行させてもらう』……でさ」
わたしの態度を予想していたルゥクの言葉が紡がれる。
「そうか……でも、一言くらい…………」
「嬢ちゃんは……素手で汚泥まみれの人間の臓物を掻き回して、その手で握り飯が食えやすか?」
「うぇっ……!?」
うおぉいっ!
不意になんてことを言うんだ!?
思わずホムラから手を放す。今から食事をしようと思っていたのに、胸に吐き気のようなものが襲ってくる。
「『影』の仕事は、嬢ちゃんが思う以上に汚いものでさぁ。それを平気でできる奴しか『影』には成ってやせん」
「それは、私だって…………」
「いえ、嬢ちゃんには解りやせんね。一生かかっても解りやせん」
ハッキリと言う。
わたしは、そんなに甘ちゃんに見えると?
そりゃ、ルゥクのような過酷な環境に置かれた訳ではないけど…………解ろうと努力するくらいは許してほしい。
ちょっと落ち込みかけて俯いた。
その時、わたしの頭に手が乗せられ視線を戻すと、ホムラがわたし頭をポンポンと撫でている。
「えっと…………?」
「あっしから頼みやす。嬢ちゃんは一生、それが解らない位置に居てくだせぇ」
「へ?」
「…………旦那のために、でさ」
「ルゥクの?」
訳が解らず逆さのホムラを見上げ、少しの間だけ呆けてしまう。頭から手が離れて、やっと我に返った。
いつものにんまりした顔が目の前にある。
「じゃ、今度こそ。あっしも別のお使いが有りやすので、くれぐれも『大人しく留守番』をしていてくだせぇ」
「あ……」
サッとホムラは屋根の上に消えていく。走り去る気配もなく、まるで煙が消えた後のようだった。
また……わたしは『別』にされるのか。
いつになったら、わたしはルゥクに信用されるのだろうか。
ホムラが行ってしまったので、わたしは大人しくコウリンやユエさんとご飯を食べた。
食事は三人だけで、ゲンセンの姿もない。
どうやら、わたしが起きる前に仕事に出掛けたようだ。
「……今朝、ゲンセンから言われたの。ここを出る直前までは何があっても普通に過ごせ……って。ルゥクさんが出掛けたのも、そのためらしいけど……ケイランは何か聞いてる?」
「へ? あ、いや、何も……」
ルゥクが出掛けたのは国からの命令だ。そして、それはこの土地の領主を討つこと。
つまり、上手くいけばユエとゲンセンはこの土地から出ずに、問題は解決することになるのかもしれない。
「あ、焦らないで、ちゃんと決まってから動く方が良いと思う。待っていろと言うなら、待っていればいいし……」
『大人しく留守番』
ルゥクとホムラに言われたのが、チクリと胸に刺さるようだった。まるで子供に言うお約束だ。
「はぁ……だったら荷物の整頓と、収納の札の練習でもしようかな。いざとなったら、アタシたちは隠れなきゃいけないし」
「収納って?」
「あ、ユエさんも覚えます? 荷物まとめて入れとけば、きっと逃げやすいですよー」
「えー! やるやる!」
つい先日その術を教えてもらったばかりのはずなのに、コウリンは札の使い方が上手い。
「……もう使えるの?」
「まぁね。何とか間違えずに入れられるようにはなったわ。アタシはもともと、普通の札は使えるからね」
そう言ってヒラヒラと紙の札を振っている。
ルゥクが帰るまで……わたしも何かやっているか……?
「ユエさん、私も何か手伝いがしたいのですが……」
「でも、ケイランは休んだ方が……」
「もう大丈夫です。術も使えるし、寝てばっかりじゃ体が鈍りますので」
「うん、そうかぁ。じゃあ、片付け終わったら三人でお出かけしようか? 少し行った所に川があってね、魚が捕れるのよ。夕飯は魚にしよう!」
「え? あぁ……はい」
「えぇ、そうね。良いわね」
食べ終わった食器を盆に乗せながら、楽しそうに提案されたので思わず頷く。コウリンも頷いているので決まりだろう。
「魚捕るしか使ってないけど、私の術も見せてあげる!」
ユエはにっこりと、これ以上とない良い笑顔をこちらへ向けていた。




