紡がれる不審の糸 三
「不死が造れる……って、そんなバカな……」
ははは……。
ゲンセンは笑っているが、その声は渇いている。
まぁ、仕方ないよねぇ……。
さっきまで『不死』なんて微塵も信じてなかったのに、こんな異様なものを見せられたら、ほんの一匙程度でも本当だと思ってしまうのかも。
「こいつは手に取った途端に、蛭のように皮膚に食い付いて身体に入り込むから、中の芯を潰して実を殺してから触らなきゃならない」
「……だから、さっき私の手から叩き落としたのか。ホムラが触っていたなら、中の実は死んでいるということか?」
「へぃ、杭を投げて串刺しにしてありやす。そうじゃなきゃ、あっしは今頃、木の根本で養分にされてまさぁ」
実を取ろうとした動物を根本で殺すのが基本。これは果実自体が人間を襲うから、下手に触れば格好の餌になってしまう。
よく見ると、穴が真ん中を通って二つ開いている。
細い針で刺した痕だ。
ん? 針…………?
僕がつまみ上げた“魂喰い”の木の実は堅い殻の切れ込みから、こちらを見据える黒い瞳が光って見えた。
視覚が働いているわけではなく目玉に似ているだけなので、死んで瞳孔が開くとかそういうのは無い。
だから、完全に不能になっているのかどうか、判断しかねる時があるのだ。
そして、この『魂喰い』は普通の妖木よりたちが悪い。
「これに限っては他とは少し違う……妖木のくせに『種子』がある」
普通の樹木では当たり前なのだが、果実を成し木の実を落とし種を動物に運ばせる。
しかし、妖木の果実には種子が無い。それは果実が単なる囮でしかなく、養分もその木一代だけのために使われるからだ。
「種がある……ということは、仲間を殖やせる……?」
「正解。動物に取り憑いて、親の木へ獲物を捕ってくるようになるんだ」
『子孫』というよりは『下僕』に近い。でも、いずれ『苗』は樹木に育つから、子孫と言ってもいいだろうけど。
「永遠に身体が朽ちないわけじゃないから、不死とは言い難いけど『魂喰いの実』が身体に入り込んだ生物は頑丈で簡単には死なない。でも、そこに人間の理性は無く、妖獣のように他の命を喰う化け物になる」
僕自身が放った『化け物』という言葉が、胸の奥から苦いものを引っ張り出してくる。
「例え『不死』に近い身体になっても、自分の正体を失った人間が死んでいないとは言い難いよね」
「待て…………まさか、領主は……これを……」
「……領主はその実を幼い娘に与えやした。そして、その娘に唯一、言うことを聞かせて大人しくさせられるのが……領主の妻でさ」
「う…………そんな、自分の娘に……」
ケイランは口元を手で覆って俯く。暗い屋外では彼女の細かい表情はよく見えないが、たぶん難しいことを考えているのだろう。
僕もこの実の気持ち悪さに吐きそうな気分だ。本当ならケイランに見せたくはない。しかし、これからのことを思うと、彼女にも覚悟してもらった方がいいだろう。
…………本気で僕の“術喰い”を落とすなら……
いや…………やめておこう。
「ケイラン、迂回するよ。はっきり言ってめんどくさい」
「…………え? それは、その……」
ケイランはそんな道理を外れた人間を放っておかない正義感の塊だが、僕と僕以外も狙っている連中と関わるのは無駄な正義だと思う。
「首、突っ込むの? 僕としては領主は無視していい案件なんだけど……」
「それは……確かにそうだが、でもユエさんが…………あ……」
ゲンセンの方を見上げて、ケイランは『しまった』というように口を閉じた。ユエはゲンセンに内緒にして、この領地から逃げる計画を進めたかったようだ。
それは僕もゲンセンも、こっそり話を聞いていたから驚きもしない。
「……知ってるよ。君たちが話していた事は僕とゲンセンにも聞こえていた。ついでに言うと、ここの領主は僕以外の術師も『食い物』として見ている可能性がある」
「な、なんだと……!?」
「違う? ホムラ」
「その通りでさ。普通の人間より術師の方が、いい肥料になりやすから…………旦那一人いればもっといいとは思いやすが……ヒヒヒ」
肥料……つまり、ゲンセンやユエも僕が捕まるまで、領主の娘の食い繋ぎに使われるかもしれないのだ。
少しだけゲンセンは驚いたように口を開きかけたが、すぐに眉間にシワを寄せて口を固く結ぶ。もう、だいたいの予想はついていたのだろう。
「……そうだな。だから、お前たちにユエを頼もうと思っていた。俺はここに残るつもりだったから」
「え? だが、ユエはあなたと二人で……」
「…………」
目を逸らして黙るゲンセン。
やはり死を覚悟してのことだ。
「ねぇ、ゲンセンもこの土地からユエと逃げられればいいだけだよね?」
「いや、俺は……」
「二人で行きなよ、一人だけなんてユエは納得しないよ。逃げるだけなら助けてあげてもいい」
「だが…………」
ゲンセンは戸惑ったような顔をする。
「君が迷っているのは、逃げた先に領主の刺客の『影狗』が来るかもしれないと考えているから? そいつを自分が止めている間に、ユエだけでも逃がそうと思ったんだろ?」
「…………あぁ」
腕に少しばかり自信があるであろうゲンセンなら、例え相手が『影』でも戦うのに躊躇はないと思う。
「でも、その相手が悪いよ。僕の同類だ」
「…………え?」
僕はゲンセンから『影狗』と聞いて、一人だけ心当たりがあったのだ。
「ルゥクの同類……じゃあ、国の『影』?」
「いいや、国の『影』とは違う。影狗…………『轟羅』っていう名だ。主を転々と変える。金を積まれれば、村一つ簡単に焼き払うのに迷いがない。ある意味で“化け物”ってところが同類」
一緒に仕事をしたりはしたことはない。
だけど幾度も、僕を殺しに来たことがある。
「僕がいつも殺し損ねる、数少ない“下衆野郎”かな。清々しいまでの」
「その奴と知り合いだったのか……」
「知り合いたくなかったよ」
強さだけなら認めるのだけど、あいつはやり方が汚い。
「…………宿に泊まった時にね。僕を炙り出すために、小さな子供に爆発の札を貼りつけて投げ込むような奴だよ」
「「…………っ!?」」
ケイランとゲンセンが揃って息を飲んだ。たぶんこの手の人種の思想は二人には堪えられない。
そんな二人の様子を見ながら、ホムラはニヤニヤと追い討ちをかけるように口を開いた。
「旦那と旅していた兵士をボロ雑巾にして、旦那の目の前で焼き殺したことも…………あぁ、その時は旦那が激怒して半殺しにしてやりやしたよね?」
「一思いに殺してやろうと思ったら、仲間の死体を盾に爆発の札を防ぎながら、重傷の体で川に飛び込まれたこともあった。それも、百人くらいいた中で、生き残ったのはアイツだけだったなぁ」
「「………………」」
ケイランとゲンセンが完全に沈黙した。
まずい、ケイランがまた倒れそう。ちょっと調子に乗って本当のことを言い過ぎた。もう少し柔らかく言えば良かったかも。
ゲンセンは平気そうだけど、こめかみに青筋が入っている。
「――――と、いう奴だよ。僕、逢いたくない。逃走の道は僕が探してみるから、さっさとこの土地をみんなで抜ける作戦を考えよう」
「た……確かに、私も嫌だが……放っておくのは……」
「放っておきな、ケイラン。そんな奴を雇った領主も、いずれ自然に滅ぶ……。同情なんて向けていたら、自分が殺られるよ」
「うん……」
「……………………」
何気なく顔をあげると、遠くの空が漆黒から薄藍に変わり始めていた。
「ちゃんとした話は、みんなが揃ってからにしよう…………ふわぁ~……僕はもう少し外の空気吸ってから寝る。ケイランもゲンセンも寝といた方が良い考えが出るかもよ?」
「……そうだな。ユエさんやコウリンにも聞こう……」
「あぁ。そうしよう……」
僕は身体を伸ばす振りをしながら二人を先に家の中へ入れて、いなくなったところでホムラの方を向く。
「…………ホムラ、コレはお前が採って来たんじゃなく、渡されたものじゃないのか? お前は“針”なんて使わないし」
「へぃ。あっしは魂喰いの木なんて近付けやせんよ」
「そう、僕への『贈り物』ね」
そう、これも一人だけ心当たりがあった。
「ヒヒヒ……解りやしたか。奴なりの『求愛』でさ」
「まだ……ゴウラは気持ち悪いこと言ってるの?」
「えぇ、言ってやしたよ。ルゥクに伝えろ『お前の体も命も自分のものだ』って……色男は辛いでさね? 旦那の手足であるあっしは、危うく嫉妬で殺されそうになりやした。ヒヒヒ……」
「……………………寝る」
うすら寒い空気が頬を撫でた気がする。
ホムラに背を向けて家に入ることにした。
「へぃ。おやすみなさい。…………あ、そうだ、旦那」
「うん? 何?」
呼び止められて振り向いたが、ホムラの姿は縁側にはない。
「旦那に国から命令が出てやす。あっしは手伝いやすか?」
ひらりと頭上から、折り畳まれた紙が落ちてくる。
暗がりの中で紙を広げ、ぼんやりと見える文字を視界に修めた。
「…………了解。僕ひとりでいい」
「分かりやした。お気をつけて……」
家の屋根に、ほんのり感じたホムラの気配が完全に消える。
「久し振りだな…………」
思わず声が出た。
……久し振りだ――――“殲滅命令”
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ルゥクがすぐに家に入らないのは、きっとホムラと話しているからだろうと思った。
しかし、二人の話は聞こえない。
声を最小限に抑えて会話をすることくらい、ルゥクとホムラには造作もないのだろう。
「……なぁ、嬢ちゃんは国の兵士なんだよな?」
「へ? あ……あぁ」
外に気を取られていたので、ゲンセンの急な呼び掛けに反応が少し遅れた。
「確かに私は兵士だが、それがどうした?」
話していると意外に良い奴そうだとは思ったが、一度戦った相手でもあるのだ。簡単に油断してはならない。
……と、思っているのだが…………
「いや、その……王宮の術師兵ってのは、ユエみたいな平民でもなれるもんなのか……って」
「まぁ、入団の試験はあるが、それさえ通れば国の兵士にはなれるぞ。別に貴族じゃなくても…………」
わたしの同僚にも地方の村の出身がいた。彼女もかなりの努力をしていたし、その辺りの貴族なんかよりも礼儀正しく品格がある人だ。
「俺は、その……働き口なんてどうでもいいんだが……ユエはまだ二十だ。もう少し良い仕事を見付けられれば……」
大きな中年の男がゴニョゴニョと言いながら、小さく背中を丸めている様に思わず口元が緩んだ。
「ユエさんにその気があれば、王宮に勤める道は沢山ある。兵士よりも安定した職もあるし……もし、良ければ、王都にある私の実家に、二人が仕事を見付けるまで下宿できるように頼んでみようか?」
「いいのか!?」
「あぁ。うちの父はたぶん、やる気のある人間は歓迎してくれるはずだ」
ゲンセンは目を輝かせている。年のわりに、正直で裏表のない人物。そのせいなのか、わたしもつい手助けがしたくなってしまった。
「うんうん。ユエなら俺と違って頭が良いからな。ちゃんと勉強すれば良い仕事ができる。ありがとな!」
「まぁ、別に……」
本当にこの人、ユエのことが大事なのだと改めて思う。だが一つだけ……わたしにはゲンセンに聞いておきたい事があった。
そう、たぶんユエ本人は聞きにくいこと。
なんとなく放っておけない重要なことだ。
「その……ゲンセンは、ユエさんのことは……どう想っているんだ?」
「ん? どう……って、大事な家族だ。あいつは赤ん坊の時から俺が面倒を見ているからな」
「いや……そうじゃなく、女性として……だな」
「そりゃ、将来はちゃんとユエに見合った男を婿にしてほしいなぁ。でも、こういった話をすると、ユエの機嫌が悪くなるんだよ。二十歳にもなって、色気のある話が苦手なんだよ、あいつは……」
「……………………」
難しい顔で頷くゲンセンを見て呆れてしまう。
この男…………相当な鈍感では?
大事な家族……という点は良いと思うが、たぶんユエはゲンセンのこと、家族というより男性として好きだと思う。
今の……ユエさん、聞いてなかったよな……?
奥の部屋ではユエとコウリンが寝ている。寝息が聞こえるので大丈夫だとは思うが、わたしはなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。
しかし、後にわたしはゲンセンやユエと同時に、ルゥクの様子に思いを巡らせれば良かったと悔やむのだ。
『逃げる』『迂回する』『めんどくさい』……
ルゥクが口にした言葉が、他の人間が放つものよりもずっと重いということを……。




