紡がれる不審の糸 二
「よっ……と……」
僕は札を一枚取り出し、自分の頭上へ高く飛ばす。
札は白い炎を纏って上空へ真っ直ぐ飛び、音もなく弾けて消える。
夜もだいぶ更けてくると、あれだけ降っていた雨も止み、空には雲を通した月の輪郭が薄く見えるようになっていた。
僕は家の戸を音もたてずにくぐり、外へ出て深呼吸をする。
雨上がりの夜中、妙な冷たさと澄んだ空気が胸に入ってきた。
この家には縁側があるのだが、すっかり雨に濡れてしまっていて、仕方なく庭の小さな畑の前に立ち尽くして空を見上げる。
先程から雲が流れていくので、朝になったら晴れるかなぁ……なんて呑気に眺めていると、背後で戸が開く音がした。
ケイランが怪訝な顔で僕を見る。
「ルゥク、こんな夜中に……何を?」
「君こそ。寝てなくて大丈夫なの?」
「私は昼寝すると、夜眠れなくなるんだ」
「そう」
短いやり取りに、いつもの彼女らしさを感じて息をついた。
隣に立ったケイランと少しの間、無言で夜空を見上げていると、雲に隠れていた月が完全に顔を出す。今日は半月のようだ。
「皆は?」
「コウリンとユエさんはぐっすり寝ているし、ゲンセンは……寝転がってはいたけど目は覚めてるかも……」
「じゃあ、起きてるね。ここは黙認してくれるのかな……」
「何、やっていたんだ?」
「ん……ちょっと待ちぼうけ……」
僕は空から暗い林の方へ視線を移す。
『アレ』が来るなら、より闇の濃い所からだろう。
「なるほど…………まだ、来ないのかホムラ……」
ケイランもすっかり僕の行動にも慣れたよね。僕がホムラの目印に立っていることにも気付いたようだ。
先ほど飛ばした札は狼煙代わりなのだが、一瞬だったので見ていないおそれもある。しかし、長い時間目に付くように上げてしまうと別の『影』に勘づかれる。
一度で気付かなかったら、もう一度打ち上げなければならない。
「臨時でここに逃げ込んだからね。さすがのホムラでも、僕らの場所は――――」
「…………居りやすよ」
声と同時に僕とケイランは素早く振り向く。
すぐ近く、ホムラは濡れた縁側の上にしゃがんでいた。
全身真っ黒なのは変わらないが、顔の一部……鼻からアゴは露出している。その口は歯を見せて、にんまりと上につり上がっていた。
ホムラが暗がりから来ないのは珍しい。
僕一人の時でも姿も見せないのが多いのに、ケイランまでいる状態で顔も出すとは……。
ちょっとこの変わり者で人間嫌いの弟子は、ケイランだけは気に入っている節がある。
「……思ったより早かったね」
「嬢ちゃんと二人きりでいる時は、もう少し遅い方がいいですかね?」
「変なこと言わなくていい。お前の仕事だけしてろ……」
「へい。ヒヒヒ……」
……こいつ、わざと早く来たな?
「ホムラ、近くにいたのか? 私たちがここに居るってよく分かったな」
「この辺で雨宿りできそうな場所を探しやした。疎らに民家がありやすんで、あたりをつけるのに少々手間取りやしたが……」
目の前のケイランの問い掛けに、ホムラは縁側で背中を丸めつつ彼女の顔を見上げている。
いつもより口元の『にんまり』が濃いような気がする。
…………おい、ちょっと待て、ホムラ。
ケイランに尋ねられているホムラは、まるで飼い犬が『褒めて!』と言って尻尾を振っているような、そんな雰囲気を醸し出しているのだ。
「ホムラ……お前、いつの間にケイランに懐いたの?」
「懐く……って、犬じゃないんだから……」
「あっしはいつでも、犬のつもりで生きていやす。たまには、旦那以外の主人に踏まれるのもいいでさね?」
「「……………………」」
まるで僕がいつも踏んでるみたいに言うな。
言うとホムラは、ニヤァァァ……といつもの笑いを浮かべ、体を小刻みに横に揺らしケイランの顔を見ているのだが、言われたケイランは見るからにドン引いている。
……………………うん、通常のホムラだ。
なんか、今日は妙に腹が立つけど。
「ホムラ……………………一度、死ぬか?」
「……と、まあ、冗談は置いておきやすが……」
「じょ……冗談だよな…………」
ホムラの冗談はケイランには少しキツイので、今後は控えてもらった方が良いだろう。
今といい、関所を越える前といい、別にケイランに懐くのは構わないのだが、仕事を偏らせてはいないかが心配になる。
「…………で? 何か掴んでこれたのか?」
「へぇ。でも『首謀者』くらいしか、完璧には分かりやせんでした。その周りも一応調べてはきましたがね、ルゥクの旦那が納得できるかどうか……」
たぶん、これはこいつなりの謙遜だ。ホムラのことだから、それなりに僕の満足するものは捕ってきたと思う。
いつも『僕の想像以上の成果』を挙げてくるのだ。
でも、これってやろうと思えば、ホムラは僕を罠に嵌めて殺せる一番確率の高い人間だとも言える。
…………まともにホムラと戦ったら、僕は勝てるかなぁ……?
「おい、ぼーっとしてどうした?」
「いや……僕の中で色々葛藤していただけだから……」
「……大丈夫なのか?」
う~ん……と、悩む僕の顔を見上げ、眉間にシワを寄せて首を傾げるケイラン。
うん、可愛い……僕はこれだけでちょっと癒される。
「コホン…………とにかく、その『首謀者』っていうのは?」
「この土地の領主。旦那が脅しておいた奴の息子でさ。旦那なら、もう分かっているかと思いやすが……」
「うん、少し前に小耳に挟んだ程度だけど。まさか、お前が調べてそれくらいで帰ってきた訳じゃないよね?」
「まさか。でも、ここから少しばかり胸糞悪い話になりやすが……嬢ちゃんも一緒に聞きやすか?」
ホムラはにんまりとケイランの方を見た。
どうやら、僕は平気でもケイランが聞くに堪えないような内容だと、彼女の方に忠告しているようだ。
「わ、私は平気だ。そいつが企んでいることをつきとめ、ルゥクのこと以外にも悪事であればそれを阻止する義務がある!」
至極真剣な顔で拳を握るケイランを、僕は微笑ましく愛でてしまう。真面目な彼女なら、どんな理由にも首を突っ込むだろうと思っている。
「それで? どんな内容……」
「悪いが、俺も拝聴させてもらう」
ガラリと雨戸が開いて、ホムラの真後ろにゲンセンが現れる。
ホムラはチラリと一瞥したが、背後に立たれても気にしていない。ゲンセンを敵だと思っていない証拠だ。
……つまり、そういうことか。
ゲンセンは今回の『被害者』に成りうるってこと。
ゲンセンがホムラを見て眉をひそめる。
「普通の気配じゃないから開けてみたら……こいつは『影』か?」
「僕の弟子。今は言うことを聞いてる」
「よろしく、“大きい旦那”」
ホムラがゲンセンの前から、ずるずると縁側の端まで下がる。にんまり顔が少しだけ引っ込んでいた。
「…………でも、ゲンセンいいの? 君にとって面白くない事かも知れないけど?」
「だから、盗み聞きせずに正面で聴こうと思った。雇い主が俺らを使い捨て以上に害するつもりならば、即刻、ここから逃げなきゃならねェ」
「……ユエのために?」
「結果としては自分のためだ」
『ユエだけを逃がす』……彼女を助けるのがこの男の目的だった。これは家族愛というものだろうか。たぶん、彼女は喜ばないと思う。
「……話してもよろしいんで?」
「いいよ」
「よし、聞こう」
「…………おう」
「では……ここの前の領主、何年か前に旦那を狙ってきたのは覚えてやすね?」
確か十年くらい前。ここの領主も他の貴族のように、金で人を集めて僕を狩りにきたのだ。たぶんそこから足掛け五年くらいの付き合いになり、最後は僕がたっぷり脅して終わりにさせた。
そういえば、そいつに息子なんていただろうか?
「今、領主をしているのは、前の領主の娘婿になるんで」
ホムラが領主の経緯を簡単に話す。
現領主がその娘と婚姻を結んだのが三年くらい前。しかし、実際は幼い頃からの付き合いであり、前領主も本当の息子のように可愛がっていたとか。
そして娘は昔から病弱で、それを不憫に思った父親の前領主は不老不死…………この場合は万能薬と思っていたらしい…………に、目をつけて、僕を捕まえようとしていたらしい。
だがその後、脅しのせいだけではなく、僕を手に入れられず薬にもならないと分かったのか、直接も間接もちょっかいなど出さずに大人しくしていてくれた。
しかし息子の代になり、妻の病気を治したいという一心で僕を狙ってきた……という。
「それはそれで……なんか可哀想な気がする……」
ケイランがポツリとこぼす。
「ヒヒヒ、そう思えるのはここまででさぁ。それだけなら、悲劇に寄り添う美談になりやすねぇ……表向きには」
「ほぉ……なるほどぉ……裏ではここから胸糞悪い話になるんだな。うんうん」
「……ルゥク、何で嬉しそうなんだ……?」
僕の言葉に苦々しい表情のケイランを前に、ホムラも嬉しそうに頷いた。
「……娘婿はありとあらゆる手段で、自分の妻を生かそうとしてやす。でも、それは自分と妻の『娘』のためでさ」
「娘さん? もしかして、娘も病弱なのか?」
「えぇ、ある意味。弱かったら良かったんですがね」
分かりやすく引っ掛かる物言い。
「どういうこと?」
「その『娘』が二年前くらいに死にかけて、親は必死に生き長らえさせようと…………コレに手を出しやした。ほい、嬢ちゃん」
「え? わっ、よ…………え~と、これは何だ?」
ホムラが懐から何かを取り出し、ケイランに投げて寄越す。ケイランはそれを両手で包むように受け取った。開いた小さな手の中にちょこんと乗った……固い殻の木の実。
「…………胡桃?」
「――――…………っ!?」
バシィッ!!
僕は思わずケイランの手を払い、それを地面に飛ばす。
「な、何をするんだ、ルゥク!」
「…………とんでもないものを、持ってきたなホムラ……」
「え?」
コロコロ……と、それは転がり止まる。
ホムラを思い切り睨み付けて、すぐにケイランの手の平に何もないことを確認した。
「ケイラン、大丈夫? 痛かったりダルかったりしない?」
「いや……大丈夫だ。何だ、今のは……」
白くて柔らかい手の平は傷なども見当たらない。何もなかったことに安堵のため息が出る。
良かった…………。
「安心してくだせぇ。そいつの『芯』は針で貫いておきやした。触っても大丈夫でさ」
「心臓に悪いからやめろ……」
「……何だよ、今の木の実みたいなやつ、何かあるのか?」
ゲンセンが履き物を取り出して庭に出てきた。
僕が払ったそれをつまみ上げてじっと見る。
「別に何でもないクルミ――――」
つまんでいるそれを、くるりと半回転させた時、
「――――うおわっ!?」
「何だ!? うっ…………!?」
放り投げこそしなかったが、ゲンセンは木の実をできるだけ体から離し、顔をひきつらせて見ていた。
それをケイランが除きこんだが、彼女の表情もどんどん嫌悪が滲み出てきている。
木の実の一部……そこは殻が開いていた。中から覗く胚らしきものは、どう見ても……
「何で……木の実に“眼球”が、あるんだ……?」
胡桃の殻の中から『人間の眼』が覗いていた。
ぬらりと濡れたような表面は、植物というより動物的な質感だ。
「…………ルゥク、これは……何だ……?」
「――――“妖木”、それに実るものだよ」
動物の気が負の力で染まれば“妖獣”になる。
それが植物だった場合。
花なら“妖花”、樹木なら“妖木”。
どれも狂暴で人間を襲う。
とりわけ、大樹の妖木はたちが悪い。風になびかない時はまったく動かないことが多く、森に紛れてしまえば他の木と見分けがつかなくなるのだ。
「……だから、実をつけてそれを触った人間を襲う。自分の根本で殺して養分にする」
「うげ……やだなぁ……」
「……でも、これで領主は何かしようとしているのか? こんなもの、人間のためにはならないだろうに……」
「問題は妖木の種類だよ……これは“魂喰いの木”の実だ」
「…………“魂喰いの木”? 喰い……って、え……それは……!?」
ケイランがハッとしたように僕を見る。
「御察しの通り……」
「う…………」
僕の言葉で彼女は理解したようだ。
ゲンセンは解らず難しい顔をする。
ホムラは変わらずニヤニヤと眺めていた。
魂喰いの木。
名前が似ているもんね。
――――僕の“術喰い”と……。
「これを使って簡単に『不死』を造り出す」
ゲンセンから実を受け取る。
胡桃に似たその目玉が、獲物を狙うようにこちらを向いたような気がした。




