紡がれる不審の糸 一
ポツ……ポツ……ポツ……ポツ……
目を覚ました自分の耳に、静かな雨音が響いてくる。
寝起きなのに頭がやけにスッキリしていて、わたしは自分でも驚くほど冷静だった。
そうか…………わたしは倒れたのだな。
自分の状況を心の中で確認して、少し起き上がった。身体には清潔な布団が掛けられ、部屋の中も暖かい。
わたしが起き上がった気配を察したのか、隣の部屋に居たコウリンが戸を少し開けて顔を出した。
「あ、ケイラン、起きたのね」
「コウリン……ここは……?」
「あんたが救けた人の家。今日はここに泊めてもらえることになったの。さて、ちょっと容態を見せてちょうだい」
近付いてきて額に手をあてたり、目の下を引っ張ったりする。
「まったく……寝不足の上に貧血と栄養不足ね。体力無くなって、気力で体を補ったところに術使ったら倒れるって、ちょっと考えれば子供の術師でも分かるわ」
「す、すまない……」
うん……真剣に怒られた。
こういうことを言うコウリンを見ていると、やはり医者を目指しているというのがよく分かる。会って二日しか経ってはいないが、病気に繋がる些細なことも見逃さない。
ものの言い方はちょっとだけ雑ではあるが、その元気の良さにこちらも安心できるのだ。
「どう、ものは食べられそう? 特に吐き気がないなら、少しは食べた方がいいわよ」
「うん……食べる……」
「そうそう、体力戻すには食べて寝る! じゃあ、温め直すから薬草飲んで待ってて!」
「うん……」
布団のすぐ横に、盆に乗せられた水と薬の包みがあった。薬草は空腹の時に飲んだ方が良いと、コウリンは盆を突き付けながら言う。
彼女が隣へ向かったのを見てから、薬の包みを開き、水と一緒に一気に口へ流し込む。
「……うぅ…………苦い……」
実はちょっと薬は苦手なのだが、そんな姿を見られたら子供扱いされそうで嫌である。
…………そういえば、ルゥクは?
今まで目を覚ますとルゥクが側に居ることが多かったので、居ないことに少し落ち着かなくなった。
やっぱり、あいつの腕の怪我が酷かったのかも……
コウリンが出ていった隣の部屋への戸を全開にする。隣の部屋にルゥクの姿を見付けて、一瞬だけ安心した。
…………本当に、一瞬だけだったが。
「……分かる~!! それ、確かに玖山の地方の方がいいよね~!! やっぱり水が違うっていうか~!!」
「だよな~!! お偉いさんは咊它の酒蔵ばっか贔屓してるが、もう少し地方にも目を向けろっての!! 安酒も馬鹿にできねぇよな~!!」
「「はははははっ!!」」
わたしは戸を開けた体勢で固まった。
目の前では、完全に酔っぱらいの体のルゥクと、同じく酔っぱらいにしか見えない、関所で会った大男が大爆笑しながら仲良く酒を呑んでいるのである。
わ、わたしが寝ている間に何が起きた!?
…………ルゥクの腕、もう完全に治ってるし。
わたしがポカーンと口を開け、その光景を理解できないでいると、湯呑みを持った若い女性が隣に座る。
「ごめんなさいね。うちの馬鹿が、すっかりルゥクさんと盛り上がっちゃって……」
「え……いや……」
女性に茶を渡され、軽く状況を教えられた。
この人がわたしが助けた女性でユエ。あっちが同居人のゲンセンという。
ユエは苦笑いしながら二人の……いや、ゲンセンの方を見ている。その横顔がとても優しそうで、あの男に好意を抱いているというのが一目で解った。
あまりに分かり易いので、わたしは思わずユエに尋ねてしまう。
「……あの人、ユエさんの旦那さん?」
「え!? 違う違う! ゲンセンは私の保護者っていうか、育ての親みたいな、兄みたいな、大事な家族ってだけ……で……」
ユエの声は後半部分が萎んだように小さくなった。
頬を赤く染めながらも、しゅんと落ち込んでしまったように見える。
あ……なんか、聞いちゃ悪かったのかな?
もしかしなくても、これはユエの片想いだったりするのだろうか?
わたしは術師として、兵士の勉強や訓練ばかりだったから、こういった話はどうしていいのか分からない。
え~と……こういう時の女子の話は……?
綺麗な憂いの表情の女性の隣で、わたしは湯呑みを両手で抱えながらぐるぐると考えを巡らせた。
「ケイラン、粥どのくらい食べられそう……って、どうしたの? 二人とも……」
そこへコウリンがやって来て、わたしとユエの会話が途切れたので内心助かったと思ってしまう。
「……ほんと、あの二人、すっかり安酒話で意気投合しちゃって、ずーっとあの調子なのよ。男の話って分かんないわ!」
温め直した粥と煮物の盆を置きながら、コウリンは呆れた様子である。
ささやかな晩餐はきっかり男女で分かれてしまい、わたしはコウリンとユエに体を気遣われながら食事をした。
男二人がうるさいということで部屋も分ける。
「ルゥク……酒呑んでると楽しそうだな……」
なんとなく、ルゥクが酒を呑むところって想像できなかった。しかも意外に強いのか、けっこう呑んでいたような……。
まぁ、酒には多少うるさい、わたしの父と呑んでいたから弱くはないのかもしれない。
……よく考えれば、ルゥクは自らの仕事で酒の席に侵入することもあるだろうし、下戸だったりするのはないだろうと思われた。
酔わせて油断させたりもあるだろうし。先に自分が酔っ払うのは論外だ。
……………………。
そこまで考えた時、わたしはハッとして隣の戸をそっと開けて様子を伺った。
ルゥクは楽しそうにゲンセンと呑んでいる。
…………良かった。いくらルゥクでも、ここでゲンセン殺したりしないはずだ。
馬鹿話をしているルゥクの笑顔が、この時ばかりは偽りのものではないことを祈りつつ戸を閉めた。
「私も……ゲンセンがあんなに楽しそうなの、久しぶりに見たな。最近は仕事がキツいのか、あまり家でも話してくれなくてね……」
戸の向こうにいるゲンセンを見ているのか、ユエの表情が暗くなっていく。
「ねぇ、普段のユエとゲンセンの仕事って? 誰に雇われているとか分かるの?」
さりげなく、コウリンはユエからゲンセンの情報を聞き出している。確かに、この家から出てしまえば、ゲンセンではなくても雇い主の手先くらいは襲ってくるだろうからな。
「…………ふふっ……」
「「……?」」
ユエが思わず吹き出したように、口を押さえて下を向く。
「私とゲンセンはね、いつもは畑や大工仕事で生計をたてているわ。でも時々、術師ということで、危険な仕事を頼まれることもある……今日のような関所の日雇いとかね」
「あの……ユエさん?」
「あなたたち、ゲンセンと一戦交えたのでしょう? 知っているわ。“不死のルゥク”と“銀寿の女術師兵”…………違う?」
「「っ!?」」
「関所の仕事の話はゲンセンだけじゃなく私にも来たものなの。私もゲンセンほどじゃないけど拳術士だから……」
わたしとコウリンは一気に体を強張らせる。
この人はわたしたちが敵だと分かっていたのだ。
「いつから……知っていた……?」
わたしは伸ばしていた脚をたたみ、いつでも立ち上がれるように体勢を整える。たぶん、霊影は使えない。隣の部屋のルゥクに報せるのが一番だろう。
しかし、そんなわたしたちの警戒心を悟ったのか、ユエは困ったように眉を下げて首を振る。
「ケイランの髪の色を見てから…………でも、安心して。私は恩人を売る気なんてない。それに、ゲンセンもいつも言ってるの『仕事を家には持ち込むな』って……」
「……だが……」
「ここは信用してもらうしかない。報酬のためにあなたたちを罠に嵌めるなら、とっくに雇い主に連絡を入れてこの家の周囲は『影』に囲まれているはずよ」
「な……『影』? その雇い主は『影』を雇っているのか!?」
国の裏側で暗躍する『影』と云われる特殊な兵士。
国に雇われている者……ルゥクのことしか、わたしは知らないし分からない。
でも……この状況は…………
「ケイランは国の正式な兵士ね。それでルゥクさんが国に雇われている『影』。その他にも『影』の技術を持ちながら、私兵として雇われる者なんてたくさんいる…………関所には居なかったと思うけど」
ユエは淡々と語る。
その単調さに、わたしは疑問が膨れ上がった。
「えっと……ユエ……さん。なぜ、私たちにそんな事を言うのですか? それを教えてしまったら、ゲンセンの仕事にならないのでは……?」
「あ、そうか。アタシたちはいいけど……」
ユエはすぅっ……と顔を上げてわたしとコウリンを交互に見つめる。
「私は、今回のゲンセンの仕事、嫌なの。選り好みできる立場じゃないけど、雇い主が何を考えているか分からない」
「……雇い主って……?」
「…………この土地の領主。不死の力を探しているって聞いた」
「領主……」
わたしは関所に入る前の、うっすら残っている記憶を手繰り寄せた。
確か……ルゥクが襲ってくることはないと、断言していた人物じゃなかっただろうか?
そして記憶が確かならば、その人物は次に命を狙ったら…………己の命を代償に取られると、ルゥクに脅されていたはずだった。
「ほんの数週間前に前の領主が亡くなった。今の領主はその息子よ」
…………なるほど。
ルゥクの不死は語り継がれても、脅威は継がれなかったようだ。
「……で? ユエはアタシたちに何かして欲しいの?」
「あなたたち、私たちを……せめてゲンセンだけでも、護衛に雇う気はない? 最低でも隣の領地まででいいから」
「な……?」
ユエはにっこりと微笑んで言う。
「私たち、この土地から離れたいの。今、よほどの理由がない限り、何故かこの土地の領主は術師を逃がしてくれない。私はゲンセンと穏やかに暮らしたいのよ」
「術師を逃がさない?」
不穏な言葉。
この先に一波乱起きる予感がした。
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「…………いいの? 君の家族、僕の仲間に雇い主を売っちゃったけど?」
「あぁ……まいったな…………」
ゲンセンは片手でボリボリと頭を掻いている。
さっきから雨の音が静かになってきて、隣の部屋の声が丸聞こえだった。僕はゲンセンと普通に談笑しながら、三人の話を聞いていた。それは彼も同じだったようだ。
ほろ酔いで呑んでいると見せ掛けて、周囲への配慮は怠っていない。『影』でもないのに、自分の家で警戒心を解いていないっていうのは、僕らのせいだけじゃないのだろう。
「術師を逃がさないって……何で?」
ユエが言った事が気になって、返答は期待しないで尋ねてみた。
「……分からん。でもこの間、関所の仕事を不審に思って領地を出ようとした俺の知り合いの術師が、山の中で変な死に方をしてな。周りの奴らは皆、領主の“影狗”に殺されたってびびっている……」
「“影狗”……」
さっき雇い主を訊いた時には教えなかったのに、ゲンセンは何でもないように話し始める。
おそらく、ユエがケイランたちに話してしまったので、隠すことはしなくなったのだろう。
ふーん……怪しい領主に……“影狗”……ねぇ?
お使いに出しているホムラはこの事を調べ、その先まで調べてきてくれるだろうか?
『影』として、師匠の僕よりも優秀な変わり者のことを考える。僕が欲しい情報以上の成果を持ってくるのが、あの男の仕事であり信念だ。
時々、僕の知らなかった奴の“首”まで獲ってくるので、まず最初は報告しろといってあるくらいだ。
息子領主……ホムラに殺されてたりして……。
「お前、何やったかしらんが、死刑囚なんだろ? そして、今は処刑場まで旅をしている……だろ?」
「まぁね。一応、知ってたんだね。で?」
「王都へは行くか?」
「行くよ。旅の途中に寄ることになっている」
「……もしよかったら、ユエをお前たちに同行させてもらえないか?」
「ユエ……だけ?」
「だけ、だ」
ゲンセンはやはりまっすぐに、僕の顔を見ている。こいつはどこまでも正直者のようだ。
ほら、この表情。真剣な様子で出会ったばかりの奴に、大事な家族を託すしかないと考えている表情。
『自分の最期の頼み』をしてくる人間の顔だ。




