仇と恩
僕も相手も、お互いを見つめたまま硬直した。
…………先ず、状況を整頓しよう。
僕らは関所から逃げて、山越えをしようと崖の近くを歩いていたら、ユエという女性が崖へ落ちそうになっていた。
それをケイランが助けたけど、そのケイランが気力切れで倒れて、お礼だとユエが家へ招いてくれたのだ。
そして、彼女の同居男性が……僕らが苦戦した拳術士の大男だった…………と。
うわー、偶然~……。
僕は袖の下に素早く札を用意する。
ユエには悪いが、あちらが怪しい動きをすれば即、攻撃に移れるようにしなければならない。
「………………え~と……」
大男は僕の顔を見ながら首を傾げて、それから隣のコウリンに視線を移した。たぶん、うっすら覚えている僕らを、しっかり思い出そうとしている。
…………
………………
……………………いい加減、早く思い出して。
男は「う~ん……」と、眉間にシワを寄せているが、その様子があまりにも緊張感がない。
「……………………あ!?」
たっぷりと時間を掛けたが、やっと思い出したようだ。
攻撃の体勢を取るため、僕は少し腰を浮かせる。
「そうだ、その茶髪に三つ編み! 関所で俺に喧嘩腰でギャンギャン言ってきた嬢ちゃん!」
「…………思い出すの遅い」
たぶん、コウリンも思わず出た台詞だろう。
そういえば、コウリンはほとんど変装らしい変装はしていなかった。
「あ~…………そうなると、あんたが素のルゥクさんか?」
再び僕の方を向いた男は、ボリボリと頭を掻きながら大きくため息をついた。
「まいったなぁ……もう、仕事終わりにしたんだが……。しかも、俺の家にいるとかって…………」
ぶつぶつと面倒くさそうに呟いているのが聞こえた。
「……ユエ、何でこの人たちがこの家に?」
「さっき言ったでしょ? 命の恩人よ。私が崖に落ちそうになっているところを助けてくれたの!」
「お前、雨の日は崖に近づくなって言ってただろ」
「買い物行って戻ってる最中に降ってきたんだもん。しょうがないでしょ!」
ユエはぷぅと頬を膨らませて男に怒っている。ここまで彼女は大人の女性の印象だったのだが、この男とのやり取りを見ていると、ちょっと父親に甘えている幼い娘のようにも見えた。
「…………そうか」
再びため息をついて、どかどかと部屋の隅に行くと、手甲や肩当てを外し始める。普通の着物に着替え、僕の前に腰を下ろした。
座っても全体的に僕より大きい体は、かなりの威圧感はあるが嫌な感じはない。
「……俺の名前は『暁 玄泉』、あっちは同居人の『于恵』。その……なんだ……世話になったなら、礼は言わないとな」
男は胡座の格好から両膝に手をついて、深々と頭を下げてくる。
「ありがとう。ユエは俺のたった一人の家族なんだ。まぁ……ゆっくりしていけ……」
「僕らをがここに居るの、良いんだ?」
「……仕事は家に持ち込まない。恩人として居るなら、礼をするのが当たり前だ」
顔を上げ真っ直ぐにこちらを見る瞳に、嘘は微塵も見えない。
どうやら、この男はケイランと同じで、根っからの正直者のような気がする。
「それに……この家は借家でな。暴れて壊しでもしたら、大家の婆さんにどやされる」
「なるほど。それは大変だ」
どうやら、本気で殺り合ったことは言いたくないらしく、後ろの二人に聞こえない小声で言ってきた。
お互いに気が抜けて口の端を上げる。
これが休戦の合図だ。僕は相手に分からないように、札を小物入れに仕舞った。
「え? 何、この人たち、ゲンセンと知り合いだったの?」
今度はユエが状況が飲み込めていないようだ。さっきのゲンセンと同じ顔で、僕とコウリンを交互に見ている。
「いや、まぁ……今日、俺が行った関所の仕事で……こいつらが……その……」
「関所? 傭兵の仕事、よね……?」
怪訝な表情をして視線を投げ付けるユエに、ゲンセンは見るからに返答に困った様子。
やはり戦ったことは隠したいのだろう。完全に目が泳いでいる。
…………ふむ。これは使えるな。
「関所で僕らが疑われて、兵士たちが無体なことをしてきたのを、ゲンセンが止めてくれたんだよ」
「っ……!?」
目を丸くして、ゲンセンは僕のことを穴の開くほど見てきた。
「え? そうなの?」
「うん、その際に他の兵士とちょっと争ってね。僕の腕の怪我はそれのせいなんだ。でも、ゲンセンのおかげで大したことなかったんだよ」
僕はすっかり骨が繋がって動くようになった腕を上げ、指をひらひらと動かす。
う……でも、まだ痛い……。
「ゲンセンが僕らの代わりに戦ってくれてね。……ね? コウリン」
「……そ、そうそう! いやー、あの時は焦ったわぁ~!!」
「そっかー、ゲンセンもやるじゃん!」
「あ、あぁ……まぁ……」
取って付けたような事の次第をユエは素直に受け取り、コウリンはすぐに察して話を合わせ始めている。
「あ! すっかり話し込んじゃったね! 今、夕食の準備するから!」
「なら、アタシも手伝うわ。その方が早いし!!」
ユエと共に炊事場に行くため立ち上がったコウリンは、僕とゲンセンに向かって、渋い顔で目配せしてから背を向けた。
どうやら、男二人で夕食までに口裏を合わせろ……と、いうことのようだ。
「なんか、悪ぃな……気を使わせて」
「君、あの娘に誤魔化すような事でもしてるわけ?」
う~ん……と唸った後、ゲンセンは炊事場の方を見て、ユエが聞いてないことを確認している。
「ユエは、俺が日雇いの傭兵の仕事を受けてくると、あまりいい顔しないんだ。使い捨てにされると思って怖がる。争い事は避けてほしいと、いつも言ってくるから……」
「せっかく拳術士なのに、争い事に使わないのも勿体ないね。君ぐらいの強さなら、王都の兵士にもなれそうなんだけど興味無いの? 一応、安定した職だよ?」
相手が素直に話してくるので、僕も裏表の無い返答をした。
実際、ゲンセンくらい戦える人間なら、兵士の登用試験も通りそうなものだけど……。
「いや……一度だけ王都へ行ったことはあったんだが……」
ゲンセンの話では、十数年前に一度だけ試験を受けようとしたという。
しかし、運の悪いことに対応した兵団のお偉いさんが、ゲンセンのような流れ者を嫌ったことと、まだ小さかったユエの預り所がなかったことで、正規の兵士になることは諦めたらしい。
「ふーん、意外に苦労してるんだね」
「“不死のルゥク”……あんたほどの苦労はしてねぇよ。何をしたか知らねぇけど、あんたはこの辺りの貴族や商人に目を付けられているぞ」
あれ…………?
ゲンセンは僕らの事は聞いてないのかな。
「僕らのこと、知らないで戦ってたの?」
「雇い主があんたのことを『不老不死の素』とか言ってたのは小耳に挟んだけど、不老不死なんているわけねぇだろ?」
ゲンセンはカラカラと笑っている。
「あんたとこうして話していても、俺には普通の人間にしか見えねぇ。ま……腕の怪我の治りが早い気はするがな。あの時、俺は骨を砕くつもりで殴り付けたはずなんだが、意外に浅かったか」
「……………………」
“不老不死”
この言葉を本当に信じる人間はどれくらいいるのか?
ケイランだって最初は疑っていたくらいだし、普通の反応はこんなものだと思っている。
信じるのは……そう、金と暇を持て余し、尚且つ、自分以外の人の命など塵芥に思っている強欲な奴。
もしくは、この『術喰いの術』を知っている者。
「……そういえば、そっちの嬢ちゃんはどうしたんだ?」
ゲンセンが僕の後ろで寝ているケイランに気付いた。
「気力切れ。おかげさまで」
「そうか。確かに関所にいた時から、あんまり体調良くなさそうだったもんな」
「…………え?」
皮肉を込めて言った言葉に思わぬ返し。
ちょっと興味が出てきて、僕はゲンセンに尋ねる。
「何で、そう思ったの?」
「ん? あぁ、特別こうだって決め手はないが……操作系の術を使う術師なのに、動きがどこかボーッとしていたからかな。普通はこの手の術師は、無意識に忙しなく辺りを見回しているもんだ」
操作系、つまり霊影のように操る技は周辺の状況を把握し、的確な気力の調整が必要になる。それ故に、ケイランも無意識に周りには気を配る癖がついていると思う。
そのせいか操作系の術師は、おかしな事には敏感なので突っ込みをすぐに入れてくる子が多い。
…………僕の感覚だけど。
だから町にいた時に、何かケイランからの合いの手が遅いなーとは思っていた。
やっぱり、僕は見逃していたのか。
「この子……ケイランが術を使ったのは、最後だけだったけど? いくら、僕らの情報が有ったとしても、最後の瞬間で判ったの?」
「あんたらが関に並んだ時からだ。荷物検査の前から全員見ていたから、その中でもあんたらに目がいったんだ」
ぴくりと自分の眉がひきつるのが分かった。
今まで、僕の女装を見破った奴はほとんどいない。
嫌な特技だけど、自信はあるからね。
「僕の変装、分かったの?」
「いいや。あんたひとりなら分からなかった。俺が分かったのは嬢ちゃんの変装だ。子供にしては、尻とか太ももとかが大人だなぁ……と」
……………………あ?
このおっさん、ケイランをどんな目で見ていたの?
「ふふ……どこが、大人だって……?」
「おい……あんた顔、笑ってても何か怖えぞ……? いや、別にイヤらしいことじゃなく、俺は施設育ちで昔から年下の子供の世話をよくしてたんだよ。だから、子供の体型にしては少し変だなって……」
なるほど。ケイランはサラシで上は何とかしていたけど、腰から下は考えなかったもんなぁ。
確かに子供は年頃の女の子と比べたら、体も薄いしどんなに着込んでも華奢だ。
……ケイランは太ってないからね。念のため。
それで、気になって見ていたら、更に気になる所が見付かって、そこから更に……って具合だそうだ。
ちなみに、当たり前だがコウリンの事は手配書になかったので、ギリギリまで様子を見ていたらしい。
「そうなんだ。で、君の雇い主って、どんな人?」
「……言えるわけねぇだろ。こうして話すのもまずいのに」
だよね。やっぱり引っ掛からないか。
本当に真面目だね、この人。
僕は敵であるはずのゲンセンと普通に話してしまっていた。
意外に話し易いのもあったのだが、この人は話す時に相手の顔をちゃんと見ている。何かを探るわけではない。話すのも話を聞くのも真っ直ぐなのだ。
ふと、僕の師匠やケイランの義父であるハクロの顔が浮かんだ。ゲンセンも同じ人種なのだろう。
つまり、善人。
…………まいったな。残念なことに、僕はこういう類いの人種は嫌いではない。むしろ好感を持ってしまう。
この家を出た瞬間に敵になるのに。
殺し合いは、もうできない。
「あ、ゲンセン、ルゥクさん。ご飯、もう少し掛かるから、先に二人で『コレ』どうぞ! ルゥクさん、お酒大丈夫かしら?」
「え……えーと、ありがとう……」
「…………あ、あぁ、すまん……」
ユエが小さな盆に乗せて持ってきたのは、どう見ても『二人分の晩酌』一式だった。それを二人の側に置くと、鼻歌まじりに再び炊事場へ消えていく。
「あー……せっかくだから、まぁ、呑んでいけ。安酒だが、味は悪くねぇし。ユエが作るツマミもけっこう旨いぞ。俺も呑むから……毒は入ってねぇよ」
「うん……何か、色々申し訳ないね……」
ぐい飲みを渡されて酒を注がれる。
「あ…………そっか……そういえば、言ってたよね。あはは……」
「…………何、笑ってんだよ」
「いや、だって……」
その時、僕は関所でのあるやり取りを思い出し、声を出して笑ってしまった。
「君、女装した僕に『今夜は酒でも一緒に呑まないか?』って、言ってこなかったっけ?」
「…………言ったか?」
「言ってたねぇ」
「…………言ったかもなぁ」
たぶん、僕らを引き止めるために言ったことだが、まさかこんな状況になるとは、世の中分からないものである。
今度は僕が彼に酒を注いでやった。
「綺麗な姉ちゃん……じゃなくて申し訳ないね。なんなら、女物の着物くらい羽織ろうか?」
「いや、気にすんな。それにもう、どんな女の格好をされても、あんた男にしか見えねぇから。俺、そういうシュミねぇし」
お互いに盃を少し上げて、一気に飲み干した。
今晩は仕方ない。ここで休もう。
この雨の中じゃ、どうにもできないもん。
僕はこの現状を天候のせいにして、余計な策を巡らさないよう努めた。




