旅の始まり 二
化け物が男性の十歩ほどの距離まで勢い良く迫った時だった。
ヒュッ!!
男性が右手から何かを前方に投げつけた。
一瞬見えたのは手のひらほどの大きさで長方形の板状のもの。
あれは……。
私は見覚えのあるソレに私の目は釘付けになった。実際は刹那の出来事がとてもゆっくりと進んでいく。
板状のものが化け物の目の前に到達した瞬間。
「『爆』!!」
男性が叫ぶと板が白く光り膨張する。
バァンッ!!
小さな爆発が三つ、同時に起こった。板が爆発して化け物たちを巻き込んだらしい。
ごろんと化け物の体が転がり、遅れてぱらぱらと小さな欠片が床で煙をあげている。
男は顔を歪ませてその残骸を見ていたが、すぐに脂汗を滲ませながら男性の方へ目線を移した。
「てめぇ……『札』の術師か……!!」
相手に抵抗の手段が有ったのがおもしろくなかったのか、顔中が怒りでひきつっている。
「まぁ、ね。そういうあんたは『餓鬼魂』の術師かな? これが体の中に入ると物凄い空腹と喉の渇きに襲われるはずだったけど……」
男性は足下に転がる化け物を踏み潰す。塊は踏まれたと同時に散らされた煙のように消えた。
「取り憑かなきゃ意味無いよねぇ?」
男性には絶対に言えないが、クスクスと男を見下すように笑う顔は妖艶な美女を思わせてしまう。
「このっ……ふざけんなぁああ!!」
男は叫ぶと同時に自分の周りに何体もの餓鬼魂を発生させた。まだ店内には他の客がかなり残っていて、その光景を見て悲鳴をあげている。
くっ……! 私たちが術師と分かったなら店の外に逃げてほしいのだが!!
内心、私は他の客たちに苛立ちを覚えるが、実際にはこちらが悪いので、私は周りを護ることに専念することにした。
「喰らえ!!」
男は一斉に周りの餓鬼魂を男性に向かって飛ばす。しかし、全部が全部、男性に向かう訳ではなく周りの野次馬にも何体か飛んできた。
どうやら私の仕事がきたようだ。
「…………」
私は自分の足元に意識を集中して『術』を発動させる。
「うわっ!!」
「きゃあ!」
客たちは目の前に飛んできた餓鬼魂に思わず目を瞑った。だが、それが彼らに取り憑くことはない。
バシン! バシッ!!
私の『術』が餓鬼魂を叩き落とした。
何が化け物を叩いたのか分からず、客たちはキョロキョロと周りを見ている。
一瞬だし、屋内の薄暗さでは私の『術』は分からなかったようだ。それで構わないと思っている。
床に転がった餓鬼魂はじたばたと暴れていたが、急に煙になって四散した。
術の主がやられたのだろうと思い、男の方へ顔を向けた。
「う………………」
餓鬼魂の術師の男は、札の術師の男性に額を指二本で抑えられ、立ったまま動かない。どうやら術の力か何かで、動けないようだった。
男性が元居た場所の床には、消えかけた餓鬼魂の残骸がちらばっている。
一瞬で化け物を倒して移動したのか……やるな、あの人。
よく見ると男性の指の先には札があり、それが男の額に押し当てられている。それは白っぽい札だった。
じわり。
白っぽい札がみるみる黒くなっていくように見えた。目の錯覚のようにも見えたが間違いない、札が黒く染まっていっている。
「はい、終わり」
札が黒く染まりきると、男性は後ろへ跳んで男から離れた。少しぼーっとしていた男は、我に返ると慌てふためいて身体のあちこちを払うような動作をしている。
男性はニヤリと笑うと、黒く染まった札を腰の左の小物入れに仕舞い込んだ。
「てめぇ!! 何しやがった!?」
男は身体に何か違和感でもあるのか、仕切りに体の周りを叩き焦っている。
「別に。さ、どうするの? 続ける? 君にもう勝ち目は無いけど……」
「ふ……ふざけるな!! 出ろ、餓鬼魂!!」
男の声が響き渡り、他の客たちは警戒して後ずさった。
しぃいいいん……。
男の手からは何も生まれず、何も起こらない。
「え? 餓鬼魂!! 餓鬼魂!? 餓鬼魂……さん?」
ぶんぶんと手を振っているが、何も起きないことにとても焦っている。どうやら、こいつには他に攻撃手段は無いと思われた。
「術封じの……術?」
札の術は威力こそ弱いが、使える能力の種類は多彩だと聞いたことがある。先ほど額に当てられたのは、術封じの札かもしれない。しかし、何故か私はそれでは納得できないところがあった。
札を仕舞う時の、男性の含んだような微笑み方が妙に気になってしまう。
「な……何で……オレの術…………」
「残念ながら、君はしばらく術は使えないよ。でも、ほら。手の甲にアザが有るんだから、初心に帰って真面目に修行しなおせば元に戻ると思うよ?」
床に伏せてガックリと項垂れる男の横で、男性はにこやかに微笑みながら慰めるように言った。
そう、生まれつき術の才能の有るものは、身体のどこかに文字のようなアザが有る。術の種類はそのアザの形によって異なり、術の威力はアザの大きさで決まってくる。
もちろん、アザが無くても修行して才能を開花させる者もいるが、かなりの努力が必要だという。
私の左頬にも目立つアザが有るが、それも術の証だと言われた。そのおかげで私は術師になり、王宮の兵士にもなれたのだ。
「ほらほら、そろそろ誰かが呼んだ役人が来るよ。反省するなら見逃してあげるから、そこで倒れている友達を連れて――――」
「くそぉ……こんな女みたいな顔した奴に…………」
「………………………………」
ズパァアアアアン!!!!
「おぶぉうっ!!!!」
男性の下から突き上げた拳が、項垂れていた男を高々と宙に舞い上がらせた。鼻血と涙とその他諸々の液体を散らし、男は横回転しながら吹っ飛んでいく。
男が床に到達して二、三度跳ねて転がったところで、店に通報を受けたこの町の役人が到着した。
「男が暴れているのはこの店か!! ……って、何だこれは……」
革製の胸当てを身につけ、杖を手にした四、五人ほどの役人が店の中にわらわらと入ってきた。役人が先ず目にしたのは、泡やら鼻血やらを吹いて床に倒れている男二人だろう。
役人のひとりがすでに事態が収まっていることに気付き、店の中を見回している。
札の術師の男性と目が合ったらしく、つかつかと近づいていった。
「またお前か……今度は何だ、ルゥク」
「倒れてる男二人が~、女の子に~絡んでました~」
札の術師はどうやら、ルゥクという名前のようだ。まるで「自分は悪くありませ~ん」と、続きそうな口調で役人と話している。どうやら、あの人と役人の青年は知り合いらしい。
「すまないが、男共に絡まれたのは私だ。この人は私を助けるために、巻き込まれてしまったのだ」
私は役人の前に進み出ていく。役人の青年は私の顔をじろじろと見てから、怪訝そうに尋ねてきた。
「お嬢さん、あんたは?」
「私は王都鵬明の王宮術師兵団、第五部隊所属の『李 佳蘭』だ。本日、任務のためにこの町を訪問した。これが身分証だ」
私は胸元から鎖を引っ張り、役人に兵団に所属する証の金属の札を見せた。普段は首から提げて胸にしまっているが、ここぞという時にだけ出すことにしている。
「………………はっ、あ、はい!! 確かに!! ご苦労様です!!」
何故か青年役人は返事が一瞬遅れた。そして、何だか顔が赤い。
まさか疑われている……?
私はそんなに兵士には見えないだろうか。
「君……今、この娘の胸見てただろ。鼻の下すごく伸びてたよ。うわ~、これは問題だよ? 役人のクセに女性をいやらしい目で見るなんて…………」
「ち……違う! いや、ほんと……違うぞ!!」
…………まぁ、今少し見えたか? 私は特に気にしないが。疑われた訳ではなかったのでよしとしよう。
やーいやーい、と、子供のようにルゥクは役人をからかい始めた。青年役人は少し半泣きになっている。こちらはどうでもいいので、早く話を進めてほしい。
「ああ! もう!! うるさいぞ、ルゥク!! ………………ん? 国の兵士? だったらこの方はお前のお客さんじゃないか?」
「うん、そうだよ。昼過ぎにここで待ち合わせしてたんだ」
「へ? あなたが?」
急に意外な方向に話が進んだ。
この人が、私の待ち合わせ相手だと?
「僕は札の術師、名前は『楼 流句』。よろしくね。ケイラン」
先ほど男二人を再起不能した美人な男、ルゥクはにっこりと私に愛想の良い微笑みを向けた。
それから暴れた男二人は役人に引っ張っていかれ、散らかった店内は、すぐに下働きの少年によって片付けられた。
先ほど見ていたら、ルゥクが店主にそでの下をこっそり渡していたので、急いで店内の復旧に取りかかってくれたようだ。
「この町の役人とか、みんな知り合いなんだよね。何かいっつも顔を会わせちゃうみたいでねー」
「さっきみたいなことが、頻繁に有るのか……」
店内が元に戻ったところで、私はルゥクと食事をしながら色々話すことにした。
――――大変ですね。こいつと同行なんて。
役人たちが引き上げる時に、青年がルゥクの愚痴をこぼしていった。ルゥクはこの町ではちょっとした有名人だったようだ。
ルゥクを女だと思った奴は大抵、この辺境の町へ流れてきたならず者が多いらしい。
「それで、私はここで任務の内容を聞けと、隊長から指示されたのだが……貴方はその内容を知っているのか?」
私は焼き魚と煮物の定食をつつきながら、一番重要な任務の内容を教えてもらおうとした。
「任務ね……一言で言うと『護送』だよ。あ、お姉さん! 鴨山菜蕎麦、大盛りおかわりー!」
厨房の方から「はーい!」と、元気のいい声が聞こえた。ルゥクは食べ終わった器を横に重ねた。器は四つある。
…………この人、体のどこに蕎麦入ったんだ?
意外な食いっぷりに圧倒されつつ、任務の続きを尋ねる。
「護送……誰をどこに連れて行くのか、ちゃんと教えて欲しいのですが……」
「うん、死刑予定の囚人を…………えーと……ほら、ここ。この場所まで連れて行くんだよ。ここは特別な処刑場だからね」
ルゥクは荷物から地図を取り出し、指を指していた。地図はずいぶんボロボロで古い物だ。書き込まれている印もだいぶ前につけられたようで少し霞んでいる。
「分かりました。死刑囚の護送が我々の任務ですね…………。それで……肝心の囚人はどこかに引き取りに行くのですか?」
私は地図を見ながらルゥクに尋ねた。ルゥクはいつの間にか運ばれて来た五つ目の蕎麦をすすっている。
「ふぇ? …………何で? 僕らの他はいないよ?」
ルゥクは蕎麦を咀嚼しながらきょとんとした顔をした。
何で……って、こちらが聞きたい。囚人の護送なのに囚人がいないのは何でなのか?
「囚人……連れて行くのでしょう?」
「うん、僕も一緒に行くよ。だから、このまま出発すればいいんだよ」
「…………?」
どうにも話が進まない。
私はこの男と囚人を連れて、処刑場に行くのが任務だということは………………あれ?
そういえば、私はひとつだけ確認していないことが有る。
チラリと正面の人物に目をやると、彼は笑いを堪えるように口元に手を当ててこちらをじっと見ていた。
「ロウさん、貴方は誰ですか?」
そう、この人物は名前こそ名乗ったが、素性までは明かしていない。当たり前のように私と出発するつもりだが、何で一緒に行くのか分からない。
「ルゥク、って呼んでよ。職業を言うと、君と同じ国の兵士……に、なるね……」
「じゃあ、貴方の立場は?」
疑問は多々浮かんでいるが、ひとつだけの『まさか』が消えない。こんな事があっていいのだろうか……私は自分の顔がひきつっていくのが分かった。
ルゥクは食べ終わって空になった五つ目の器を横に退かしていた。
まさか……私が護送する囚人というのは…………?
「やっと、気が付いた?」
ルゥクは先ほどのからかうような口調と顔から一転、真っ直ぐ私を見て微笑みながら静かに言う。
「死刑囚は僕だよ。君は僕を刑場まで連れて行くんだ」
「貴方が死刑囚…………って…………」
冗談のような話に、私は視界がぐらりと歪むような感覚に襲われた。